歌舞伎や浄瑠璃の演目に「娘道成寺」があります。それ事態は
「安珍・清姫」伝説を元にした演目ですが、安珍・清姫伝説とは安珍という旅僧に恋い焦がれた清姫が安珍に騙されたと知って、大蛇と化身して道成寺の梵鐘の中に隠れた安珍を、大蛇(龍と化した)の火炎で梵鐘の中に隠れた安珍を焼き殺すの話です。
どうして、人が大蛇に成ると言う伝説が残っているかです。
この安珍・清姫伝説に語られる出来事は、物質世界と言われるこの世では起きえませんが、霊界に入れば見ることが出来ます。霊界でも蛇霊程度では火炎を噴いて攻撃して来るなどはないでしょうが、龍神と呼ばれる存在に化身した大蛇霊の時には火炎を噴いて攻撃して来るがあります。
私は長年に渡って霊的世界を体験・経験した中では、そうした出来事に実際に遭遇しています。怒った黒龍神に火を噴かれてしまいました。その時は日蓮聖人霊かと思いますが、助けていただきました。こうしたことは架空話ではなくて、霊的世界での話だと解ったしだいです。
人は死後に霊的世界に渡りますが、この世で執念が強いと「蛇霊」化してしまいます。
日本では古来より【邪の道は蛇】
邪は「よこしまな心」。蛇霊とは「よこしまな心」の持ち主の姿だよと創造神が述べておられるのです。
これが聖書だと、エデンの園(神の御国)から追放された【人類の原罪】たる蛇の囁きとなるのです。
霊能者の間で死後に蛇霊となる人とは、どういうタイプの人かとは既に解っています。
①嫉妬深い。怨念化している。しつこすぎるような人。
蛇の意味は「執拗」とされている様に、この世で執拗な方は死後に蛇霊化しやすいのです。またはそうした蛇霊に取り憑かれていると言えます。その意味ではストーカーもそうなのです。自分にストーカー的行為があるとすれば、自分が蛇霊化に向かっている危険性を事前に察知する必要があります。
しつこいと言えば、テレビで迷惑おばさんの行為などが報道されますが、霊的に調べるとその方が住む土地とかその方に蛇霊が噛んでいる(絡んでいる)可能性があります。
仏教においては「執着心」から離れよは初歩の教えではあるのですが、そこには死後に蛇霊化の危険があるからです。
②権力とか名声とか、金、金、金の亡者。
お釈迦様の説話に「蛇霊に成った長者」の話があるはずなのですが、何故かインターネットで検索してもこの話は出て来ません。しかし、日本の「狂言」の演目の中には、その「蛇霊に成った長者」から来たであろう演目はありますので、あったはずかとは思っています。
イエスの教えに、金持ちが天国に行くのは駱駝を針の穴に通すようなものだがありますが、お釈迦様の説話の「蛇霊に成った長者」で解るように、金持ちは蛇霊化する確率が高いので天国界には行けないが起きます。
金や権力に対する執着心が主な原因なのです。
また、外見的なことに執着する。名声ばかりを求めて、自己を磨いていない。こうした方も蛇霊化する可能性が高いのです。
③愛の言葉や教えに凝り固まっている者。
日本の神智学においては、「愛」ばかり言っているのは「蛇霊」の教えだとされていますが、スピリチュアルで「愛」ばかり言っている方に降りている霊のメッセージ。その名乗りはまるで高貴な神や天使の名を使いますが、その正体をサニワされると、
ほとんど蛇霊とか龍神とか相場は決まっています。
高い講習代金を払ってスピリチュアルの講習を受けて、自分にマリアだとかミカエルだとか天照大神が出て来たと喜んでいても、それらは蛇霊の化けた存在が見受けられます。そのセミナーの主宰者から蛇霊をつけられてしまうのです。その危険性を
多くの霊的実践者は警告を発しておられるのですが、スピに夢中になる聞き分けの無い人ばかりなのです。
それは別にスピリチュアルの講習会だけでなく、蛇霊(龍神)系宗教団体に所属してオミタマと称される物を受け取ると、蛇霊崇拝にと行きます。蛇霊に憑かれたのと同じです。
死後の行き先が天国界は難しくなります。
それは聖書の初発、蛇と一緒に追放された人類の意味が理解出来ておられないからと言えるでしょう。
私のブログに「自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊」を書いていますが、
仏教の観音菩薩として出て来る存在にしても、その多くは蛇霊なのです。そこには人を助けたい。人を助けたいという「愛」の思いが執念の如くあるからです。つまり【解脱】が出来ていないと言えます。
愛ばかりを言う方に「良心」を説いても、聞く耳がまるでないのも「蛇霊」に憑かれているからでしょう。
耳に龍(蛇)が乗ると「聾」と言いまして、神の声も届かないのです
仏教で「執着」から離れよと説かれますが、愛はどうしても「執着」心につながるのです。
愛は大切ですが、あまり「愛」に凝り固まってしまいますと蛇霊化するのです。
④色情の蛇。
色情が強い方は死後に蛇霊化する危険性があります。霊能者が相談事で苦労する一つが色情の蛇の因縁で、なかなか色情の因縁は断ち切れないのです。もし言うとすれば「尼寺」に行きやとなります。俗世と縁を切るです。出会う男、出会う男、どうしょうもない男とばかり出会うなのです。その背後に蛇霊ありです。そうした蛇霊は怨念から憑いたような蛇霊が多いと言えます。
すなわち、霊的世界で蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊などと言っているのは、別に爬虫類や動物の霊のことではありません。たまに動物霊の場合もありますが、それは元からその動物ではなくて、人たる身が「輪廻転生」の「転生」の部分で、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊となり、その動物の肉体に「転生」したがあるのです。また、そうした動物界に肉体を持つ転生前の姿であったりするのが大部分なのです。
輪廻転生の転生=蛇や動物の霊姿に転生(身変える)
それが何故に解るかと言いますと、悔い改めた蛇霊はその肉体としていた蛇を棒の様に直立させます。以前にも説明したように、「真ん中(心棒)の舵が取れない意味が蛇」だからです。私はこの「蛇」の直立を見た事が無い霊能者には、何を語っても通用しない無力感を感じます。神の真理とは方向違いに走ってしまわれるからです。
悔い改めた蛇霊と化していた存在を「浄霊」しますと、元の人の姿に戻って、ありがとうございましたとお礼を告げられて天人界にと戻られるからです。だが、悔い改めない霊まで浄霊する必要はないのです。
愛ではなくて【悔い改めなさい】が一番なのです。
ただ「悔い改める」には、「良心」と呼ばれる存在がないと出来ないのです。そこが、良心と愛との根本的違いとなります。
創造神が何をしても愛で赦されるの神であれば、神霊界が蛇や狐や狸や猫神等あり得ないのです。仏教で言う仏の慈悲も同様です。
これが蛇霊ではなくて「龍神」と呼ばれている存在ともなりますと、「霊能者」でございでは浄霊は出来ません。私の最初の師匠が「龍神の浄霊」は絶対にしては行けません。そんなことをすれば「死ぬ」か。よくても「病院」送りになりますと言っていましたが、男の私のお腹でもその汚れからまるで妊婦のようにぽんぽんなります。浄霊しても浄霊しても、妊婦腹になる繰り返しが起きます。
それは俗に言われるところの龍神とは非常に【汚れた】存在だからです。
単に自分には霊能力があるで行きますと、その肉体は死ぬ確率は高くなります。また、龍神でなくても蛇霊の反撃で命を落とされた行者も過去に多いのです。
個々の個人を浄霊する能力と、龍神と呼ばれるような存在をも浄霊出来る能力とは浄霊能力に桁違いの差があるとなります。
自分個人が浄霊されて、この人は凄い凄いと言ってその人を神の如く思っても、その人が神霊世界に及ぼす影響能力などさほどないのです。
自分が「いと小さき者」と知らない者は危険なのです。
聖書に【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とありますが、私の最初の師匠は【龍神様とは蛇霊が三千年間】修業をした存在だと言っておりましたが、同じことを言っているのです。霊的世界の一般論でも蛇霊が龍神と化すまでは、三千年の修業を必要とすると言われています。
行者系の方であれば、世に言う「龍神」とは、蛇霊が何千年に渡って修業した存在だと解っておられます。そうした長い時間霊界修行を積んだ大蛇霊に、
ろくろく修行も積まないスピリチュアルで対抗など出来ないのです。何も解ろうとしていない、知ろうとしないのがスピリチュアルなのです。ですから蛇霊が出す言葉に言葉にコロリと欺されるのです。
ただ、大本教から出された「龍神」とはそうした「蛇霊」ではない存在で、「霊力」を意味しているのです。霊力なので、その形態は「霊界で年老いた蛇霊」との違いは見た目では判断は出来ないのです。多くの宗教を起こした龍神とは、【霊界で年老いた大蛇霊】の方なのです。
何故ならば、創造神に従う龍神とは創造神から独立した存在ではなく、自分が独立して宗教を起こす存在ではないからです。神霊に付属するのです。
ただ、主神の命令に従う部下に過ぎないのです。
優秀な霊能者達が「蛇霊教団」だと指摘される教団が幾つかありますが、そこに入信すると脱会しない限り、その教団が説く真理に狂い。
狂信に入れば入るほど自分が蛇霊化して行き執拗な怨念の持ち主となって行きます。
自分が蛇霊化に向かっているかどうかは、自分の行動が執拗になっていれば蛇霊化していると気づけます。
安珍・清姫の話は、自分が清姫の如くなっていないか、その危険を教えるのです。
しつこい(失恋)は諦めきれない。そこは言葉遊びに見えますが、言葉とはそのような仕組みがなされているのです。しつこいは漢字で「執拗い」。執拗(しつよう)でもあるのです。
よく国常立尊様は金龍。豊雲野尊様は銀龍とされますが、そうした金龍や銀龍は無数に存在しています。私は大本教の出口王仁三郎聖師が陸の龍宮城と言われた場所の口に居していますが、出口王仁三郎聖師が本当の金龍海と言われた場所から無数の龍が上がる光景も見ています。幾万体という数になります。別に一体の金龍を見たから、どうのこうの話にはならないのです。
無論、
数万体程度の龍神の数ではモーゼの紅海を割るまでには行きません。紅海を割るにはとてつもない数の龍神の動員が必要だからです。私はその光景を見せられた時、驚愕しました。宗教家達は何をしていたのだ!。です。数体の龍神程度を見ていて、それがあたかも創造神だと信じてしまった愚かさです。
私が黒龍の軍団に襲われた時、白馬に乗った方が私を助けに来られて、その白馬の方に加勢する為に天軍が降下して来る様を見て、自分は何を見ているのかと思いましたが、
ヨハネの黙示録で、それがヨハネの黙示録の白馬に乗った方だと解りました。
そうした金龍は別に国常立尊様御自身でもないし、銀龍も別に豊雲野尊様御自身ではないのです。無数に存在しているといことは、その家来や兵卒たる身分なのです。
一般的に霊能者は、蛇霊や狐霊を相手に出来ないのであれば、ほとんど意味がないとされます。それはそれほど神界での数が多いということです。私の最初の師匠は豊受様の御代をしていましたが、その著本に「私は神様は蛇や狐」だと思っていますと書き残したように、
霊能者が現実に対処しなればならないのは、蛇霊の怨念。執拗さ。稲荷神に霊障はなくても、その眷属の狐を怒らせると手がつけられないがあります。そうした事案に対処しなければならないからです。
稲荷の眷属である狐霊を怒らせるのはよほどの粗相をしない限りありませんが、怨念や執念の蛇霊による霊障は非常に多いのです。
霊能者間で知られていることに、蛇霊の霊障には大蛇霊を力を持って処理するがあります。私のブログに「自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊」を書いておりますが、
大蛇霊だから霊障を起こしている小さな蛇霊を剥がすが出来るのです。言うなれば、「毒をもって毒を制する」です。
大蛇霊(龍神と呼ばれる)が主宰する教団に行って、蛇霊の霊障を助けて貰った。その恩義にその教団の為に尽くすがあるでしょうが、
それは悪魔に自分の魂を売ったのと同じことになります。
自分の御先祖様が他人にむたいな仕打ちをした。その仕打ちを受けた方が死んで霊となり、その怨念ゆえに蛇霊と化して、この怨みを晴らさずにおかれようかとその子孫の霊障の元になっている事件は非常に多いのです。
それは反面的に言えば、人は死んで蛇霊と化す率が高いということなのです。
私が神霊世界に修業に入って、最初に感じた疑問は
蛇や狐は神に成っているのに、どうして人は神に成っていないかでした
そこにあったのは、人は神に成れるのに神となっておらず、逆に神に成るとしても蛇や狐や狸や猫などの姿に「身変える(ミカエル)」して神となっているのです。
大本教神諭。【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】の魂を無視(虫)続けた結果の神霊なのです。
お釈迦様は菩提樹の樹の下の瞑想で、【人には良心と呼ばれる神が内在している】と悟られました。だが悪魔や邪神達によって、それはあたかも「慈悲」であったかのように書き換えられたと言えるでしょう。
この良心神が出せないと、いくら「上あがり」出来たとしても、結果として蛇、狐、狸、猫、牛、羊(聖書)の姿と成ってしまうのです。
神は、言葉で「示し申す」
どこの教団の聖典でも、この言葉で「示し申す」には成ってはいません。【示し申す】の意味が解らない宗教団体の聖典など何か言葉でもっともらしいことが書いてあるだけであって、
言葉の仕組を解き明かす「真理」など何一つ書かれていません。ヒントは大本教神典のみなのです。
私が子供の頃に告げられたのは、【この国(日本)は世界で唯一つ、私の教えで満ちあふれた国である】。日本語という言葉のみが「主の存在」を語ることが出来るのです。これが「国に常に立つ御言」で、日本の【国常立尊】ともなるのです。国常立尊様を祭る玉置神社に行ったところで、そこに創造神は存在されてはいません。木曽御嶽山もしかりです。
多くの霊能者の方が大本教を訪れて、どこにも「ウシトラ金神・国常立尊」様の姿が見えないと言われますが、創造神とは教団や神社に鎮座されている御神霊ではないのです。
大本教神芝居が読めぬ方には、いくら説いても理解には到らないのです。人知で言葉を創った神に蛇霊の如く歯向かっても、死後に地獄火の中に叩き込まれてしまうことになりかねません。大本教神諭予告、【地獄の釜の蓋開け】。最後の審判の時に「地獄の釜の蓋明けが」ないとは断言出来ないのです。
人類の原罪。蛇の囁きに踊った人類
それを助けるキリストとは、イエスの41日目ではなくて、九つ花の「41」にある
エデンの園(神の御国)に戻るには「巳(蛇)帰る」が必要で、
大本教が出したイロハの「41」は「み」でして、
アイウエオの「41」の「ら(良)」でないと解けない仕組み
それは「み」の終わり(みの尾張)で、もう大本教はダメだろうなのです
これらは蛇霊神の智慧の段階で解けるような仕組みではないのです。
大本教神諭予告「九つ花」が誠で解けての話、ただ、それは世界で唯一人しかいないと予告されたほど。
それを私に教えたのは、ヨハネの黙示録で白馬にまたがった「神の言(ことば)」と呼ばれる方。
同じくヨハネの黙示録。白馬の方は義の経で裁きをされるので、これを日本では「義経」と言うのです。
今の幸せばかりを求めて永遠の命を失うどころか、永遠に地獄の苦しみを味わう
それは、私達が目指す道ではないはずです
創造神の仕組み、人知(蛇の智慧)で歯向かうことではないのです
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