人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神の時計と主の神(国常立尊)35万年前に御引退から読む「みのおわりの女子」

私が豊受様の御命令で現在地に家を建てて完成する前、私に「稲荷神界から離れろと」腹の中から声が出て、稲荷神界を離れて「言霊」師の方を師匠として毎夜通っていましたので、新築の家になかなか移れませんでした。
言霊師の師匠の元で言霊を学び、結果として稲荷(稲成り)に秘められた意味を「言霊」から再認識するだったわけです。また、言霊の学びに行っていないと神の仕組みそのものが紐解けませんでした。

数年後に私が住む家の三年間に渡る大ラップ現象を終えたので、伏見稲荷大社から豊受様の御分霊のミタマ受けをして正式に神棚に治めました。その時には最初の師匠のお世話になりました。
少し前にあるブロガーさんが二人して2回も私宅に来られて、眷属の白狐から「ここは忍者屋敷のような迷路の仕組みがなされており、霊能者だからと言って、ここは何もかも解るような簡単な仕組みの場所ではない。うかつに入れば迷路に入ると告げられた」と言われます。
このブロガーさんは白狐が守護されている方なので、その見立てに間違いはないでしょう。そのブロガーさんは十数年前に大国主命さまから授けられた霊的鍵を持って、その神棚で霊的事物の鍵穴にその鍵を差し込まれた。元々この土地は「出雲様の元屋敷地」と言われているので、大国主命様がその方を通じて何かをされたのでしょう。それでも10年以上経てからであり、速攻で何でも解る出来るではないわけです。

神の世界の「謎」は言葉による「米」の道でないと、「迷路」に入る可能性があります。

私のブログの初め頃に書いているように、私自身はこの地で無数の白狐達の存在を確認していますので、その無数の白狐が守る迷路の陣容を突破して神界の機密を探るのは簡単ではなさそうです。私自身は霊能者ではなくて単にそこのゲートの門番であり、ゲートの門番がその奥の神界の仕組みを知る必要まではありません。門番は門番に徹するのみなのです。

その新築の家にようやく荷物を入れて生活に入ったところ、豊受様の御命令で造った神棚の反対側から「チクタクチクタク」と柱時計が打つ音が聞こえて来ます。私の家に柱時計などありません。何事かと見ると、そこに霊的な柱時計が見えて、それが「チクタクチクタク」と時を打っているのです。その現象は2日ほどで消えました。
?、何の意味かと首を傾げておりました。その時に私が感じたことは、この世の一年は神界時間で一時間に相当するでした。すると、神界の一年間とはこの世の一年は365.2422日で「8765.8128」年間に相当することになります。


大本教神典の中に「主の神(国常立尊)は35万年前に御引退とあります。

大本教の霊界物語の中で一貫して説かれているのは大本教ではなくて、「三五(アナナイ)」教でした。これは霊界物語を読んでいると三五教で、確かに「皇祖皇道大本」では変だとは感じます。なお「皇祖皇道」とはスメラ神を祖としたスメラの道です。
そのことから大本教で学んだ中野與之助さんは、正しくは「大本」ではなく「三五(アナナイ)」教だとして、三五教(アナナイ)教を設立されています。

現在の三五(アナナイ)教は沿革として、「長沢雄楯翁に師事し本田霊学を学び、それを基に昭和24年三五教を設立」として、出口王仁三郎聖師の名を見事に消しておられますが、中野與之助さんは昭和4年に大本教に入信された方で、大本教弾圧事件で大本教から離れられた方と思われます。出口王仁三郎聖師の師匠であった長沢師の元に行かれたのは、それ以後のことと思われます。
中野與之助さんは国から邪教とされて壊滅した大本教に在籍した事実そのものを消したかったのかも知れません。それはその宗教名となっている「三五教」の成り立ちの説明に明らかに「嘘」が出ているからです。大本教を知る者ならば「三五(アナナイ)」教の名は、霊界物語の中の主たる教義名であることぐらいは簡単に解ることだからです。

出口王仁三郎聖師の弟子としては、世界救世教開祖の岡田茂吉師、成長の家開祖の谷口雅春師は知られておりますが、この中野與之助師もその一人です。大本教の凄さは、その下からそれなりの数多くの宗教開祖を排出したことです。諸説ありますが、大小交えて108派だったと説く説もあります。
当然、三五(アナナイ)教さんでは主宰神としてウシトラ金神の「国常立尊」を祭られてはおられます。

後に、この「三五(アナナイ)」の意味はオーム真理教の麻原開祖まで影響を与えて、麻原は自分が警察に弾圧を受けるのは大本教の出口王仁三郎聖師と同じ型だとしたぐらいです。そうしたことから大本教と真理オーム教をオカルトで結びつけようとする人達もおられました。
オーム真理教の麻原は、この「アナナイ」を「麻柱」と読んだのです。そこで彼は本名は松本なのに「麻原」としたと思われます。アナナイと書いて「麻柱」だと知るのは、今のようなインターネットが普及していない時代には「竹取物語」を読まないと気づかないことなのです。私自身は「竹取物語」を読んでいてアナナイが麻柱のことだと知りました。
オーム真理教が起きたのはインターネット普及以前であり、その意味で言いますとオーム真理教の」麻原」はかなり賢かったと言えます。三五と書いてアナナイと読ませることに、?と思ったのでしょう。竹取物語(かぐや姫)にはそれなりの意味が秘められているからです。
かぐや姫の竹は「他家」の意味で、この世に降ろされた魂は、成長して元の「月(神の世界)」に帰る意味を含んでいるからです。つまり私達の魂は本来は霊界で、この世たる「他家(竹)」で育てられているのです。これを出口王仁三郎聖師は「この世は天人の苗床」と説いておられるわけです。

この「三五(アナナイ)」の意味には、当然に大本教神典の「主の神、三五万年前に御引退」の「三五」の意味が入っています。大本教は主の神の復帰は「節分の炒り豆にも花が咲く」で大宣伝に入ったのですが、三五万年前に御引退と書いてあっても、私達が知る人類の歴史では三五万年前にそんなことがあったなど解る話ではありません。これは明らかに次元が違っているのです。

さて、その350000年を私が見た霊界時計の神界時間で割りますと
350000÷8765.8128=約40(39.927843)です。

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すなわち、主の御復帰には神界時間で「40」年間を過ぎなければなりません。その間はいくら「国常立尊」様でも地上神界の主宰神としての御復帰は出来ないのです。つまり大本教で説かれた「節分の炒り豆にも花が咲く」は、国常立尊様が神界時間で40年間荒野の彷徨いを終えて「41」年目に入った時からとなるのです。
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モーゼは40年間荒野を彷徨って、41年目にイスラエル入りました。
イエスは40日間荒野を彷徨って、41日目に神の御子と成りました。

国常立尊様もモーゼもイエスも同じ「40」の型を演じているのですが、ただそれは日ではなく、神界の「年」なのです。そして、国常立尊様が「41」の場に入った時、そこには「穴が無い」の「アナナイ」となるのです。それは一切の「魔」を祓う「麻柱」の意味ともなるからです。

立替が何時なのかは、この「41」に入った時が節分の炒り豆にも花が咲くなのです

大本教の出口王仁三郎聖師は、この大本教に現れた変性女子はニセ物だ。待っていたならば、「みのか尾張の国の中、誠の女子の尻尾が見えたならば、モウ大本教もダメだろう」と残されました。
この「みのか尾張の国」の中から出るのが国道「41」号線で「41」の意味は持ちますが、飛騨の高山に神殿を建てても何の意味もなさないのです。
本当の「41」は国常立尊の御復帰時の「41」を意味したものだからです。


私が紐解きました大本教神諭予告「九つ花」は、どの列の縦も横も斜めも全て「369」となり、みろく(369)の真ん中が「41」。この「41」は「天之御中主とその分魂の良心神」を意味します。そして八方型に開く「光」の型も意味します。
この「八光」とは、よく言われる「白光」とは別物です。それが「天の岩戸」と呼ばれる世界の光で、未だこの世には現れてはいないのです。「白光真宏会」の開祖であった五井昌久師が説かれたのは神人合一と「白光」ですが、白光の段階だと霊能者であれば見えるものであって、誰も知らない「八光」が最後の審判の裁きの光ともなるのです。

その時、「天之御中主」が天の主宰神に居られるのに、どうして「アナナイ」を言う必要があるのかと言いますと、「天之御中主」と「国常立尊」との「天地の逆転」の意味があるからです。これが大本教で説かれた「君が臣となり、臣が君となる」なのです。



さらに、日本国憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定められておりますが、「41」は宇宙の全ての「法」を定める場所でもあるのです。すなちわ「神の律法」たる「真理」を語るのです。
ユダヤ教では「神の律法」のことを「トーラー」と言いますが、一部の方達が言われるように日本語に置き換えますと「虎」であり、ウシトラ(牛虎)金神の牛は大人の「宇志」であり、虎は律法の「採羅」であり、合わせて「宇志採羅」根真(金神)ともなるのです。
天之御中主は「良」の字の「ラ」で語り、国常立尊は「羅」で「ラ」を語ります。そこに「国常立尊」様を「閻魔大王(羅王)」とも申し上げるわけです。

大本教神諭に、大本教と綾部藩主の九鬼家の大隅の守(九鬼嘉隆)との因縁がとありますが、要は「ウシトラ金神」には「艮」も「牛虎」もあれば九鬼神道家の「宇志採羅」もあるなのです。言葉を知りなさいなのです。


私は自分にマリア霊とかミカエル霊がメッセージを送って来るなどのメッセージに惑わされずに、こうした「数理」をはっきり見なさいと言っています。それらの霊は、こうしたことを何一つ解説も説明も出来ないからです。
どれほど自分が見る霊的光景は宇宙だと言ったところで、この仕組みはモーゼやイエスも含めた仕組みで、この世の一年が「365.24」日でないと成り立たないのです。この地球が一年「365.24」日で回っていることそのものが「神の仕組み」の必然性なのです。


そこに大本教神諭、【神も時節には適わない】が起きるのです。

これらは「真理」であって、何神であっても変えることが出来ない「言葉」の仕組みです。自分はどれほど凄い霊能者だと豪語されても、宇宙だ!。宇宙だ!と言われても、「宇宙の真理(キリスト)」の前では何の意味もなさないのです。もっともっと自分を「謙虚」に置かなければならないのです。

私の元には、自分が出口王仁三郎聖師が予告された「みのか尾張の国の中の女子です」とメールを下さる方が多々あります。また、私の元にメールを下さる方以外でも、驚くほどそうした名乗りをされている方達があります。
私の元ではありませんでしたが、伊勢神宮の摂社で自分の前に女神が現れて、あなたが「美濃尾張の変性女子です」と言われて、本気にして綾部の大本教に押しかけられた男性の職業霊能者があります。大本教さんではそうした名乗りをして来るが方が多数あるので、最初から取り合うことはされません。
いくら他人さんからお金をいただけるだけの霊的なことが見える聞こえるというだけでは欺されにつながるのです。そこには伊勢神宮と言えども、摂社ではそうした紛い物霊が出て来ているからです。
霊能者ならば、誰でも伊勢神宮の摂社でそうしたことを告げられたら、まず疑いません。神霊の言葉も信じるなという方が無理です。職業霊能者でも、見える聞こえるでは欺されるのです。

が、それは神霊と呼ばれる存在でも上記の「九つ花」の図を見ておられないからです。その上記の図には出口王仁三郎聖師が予告された「みのか尾張の国の中から出る女子(筆頭瑞霊)」が住む場所が出ています。そしてその「九つ花」の縮小型図が下記のもので、こちらにはその女子の役割と本人が名乗るであろう名前が出ています。
それは本名ではなくて、該当する本人が知らず知らず使うであろう通称名で、それが誰かは自分が使っている者をニセ女子役にさせたい神々には簡単には解らないようになっているのです。まさか、こんなところに秘密の種がなのです。

どうしてそのことが私に解ったのかと言いますと、9年ほど前にある女性を知ったのです。その女性と一緒に御神業をしている中で、その方の前世にある時代があり、その前世は私の前世である武将と知り合って、その女性との間には子供を為したほどの仲だったのです。だが、その女性は前世で愛し合った存在が今の私であることにまでは気づかれませんでした。
今生では二人の間には親子ほどの歳の差があるので、そうした気づきも起きなかったようです。別に前世がそうだから、今生でも結ばれるではないのです。

私は若い頃に伏見稲荷山で私の結婚相手の仲人神は御劔大神がなされると告げられました。ただそれは神界であって、この世ではないと言われていました。神界上げての結婚式と言われたので、その時は自分は騙されているのではないかと思いました。
もし本当ならば、当然にその時は今の世ではなくても、その相手は御劔大神が御存知なわけです。その女性はその御劔大神を子供の頃から大叔父様と呼んでおられたのですが、私が御劔大神の元に御案内するまでその存在を御劔大神とは御存知なかったのです。どうして大叔父様はこんなところに居るの?。でした。私が御劔大神から告げられた神界で私の結婚相手はその女性の可能性が起きました。

私は伏見稲荷山で「白菊」大神様を見た時、師匠に自分は「白菊」大神様と結婚すると言い、師匠が肉体の貴方がどうして神様と結婚出来るのですかと言われるので、今生の肉体ではなく私自身が神界に帰ってからですと返しものです。その女子の御魂は「白菊」大神様だったのです。白菊様は一般的には「若豊受」とも言われますが「白山菊理姫」。白菊様が何故に「若豊受」であり「白山菊理姫」であると解っておられる方はかなりの方なのです。私はこれ知る方には一目置かせていただいております。

その女性を幾人かの霊能者がミタマ判定されており、かなり知られた霊能者の方はその女性を見て「あり得ない、信じられない」と言われ、私がその女性の霊査を頼まれて知り合ったのです。後で私の最初の師匠にも出会った貰ったところ、ようやく待ちに待った女子が出て来たと言われます。
ただ、それが邪神達に解ると殺されるので、殺されない為に自我が非常に強い。自我が消えないといくらミタマがどうあろうとも役立たない。その自我が消えるかどうかだと言われます。為に「自我」が消えないと出て来ないも起きるです。

私がこの女子だと確信を持てたのは、大本教のみろく殿に案内したところ、出口王仁三郎聖師霊がこの女性の手を引っ張ってみろく殿の祭壇に上げようとされたからです。
この女性はイザナミ尊を母(かか)様と呼び、イザナギ尊を父(とと)様と言い。国常立尊をお爺(おじい)さま。豊雲野尊をお婆(おばあ)さまと言う方でした。当然にそうした御神霊を見られる霊能力がある方です。霊界の太陽も霊界の壁のことも知っておられました。

私はイザナギ様からその女性の婿として多賀大社に参って来いと言われ、一緒に参拝して来ました。その時に私にイザナギ様から告げられた婿の言葉はその女性には告げてはいません。この世での歳が親子ほど離れた私から婿だと言われて弱るのは向こうだからです。為に私の前世も隠し続けて来ました。前世は前世で在り、今の世ではないからです。
その件に関して、それまで私が直接出会っていない霊能者方から、私が多賀大社のイザナギ尊様から呼ばれて、その女性はイザナミ尊様から嫁ぐ花嫁の姿を見せられておられると聞いて、御本人に確認したところそうしたお姿だったと言います。その後、その霊能者の方の御家族達とは旅行もして、その方は国常立尊様に属する神司の一人であると解りました。

今はその女子と離れて出会ってはおりませんが、噂では豊受様と修業を積まれているようです。出会えて結ばれるとしたならば「みろくの世」です。で、私は神界に帰ってから結婚するなのです。そうしないと互いの前世からの融合が取れません。

神界の御用とは、そうしたミタマを持っているから出来るではなくて、本人が自覚してどれだけ働けるかなのです。私でも何時お前は用無しと切り捨てられる者か解らないのです。捨て駒覚悟でないと出来ないのです。

大本教神諭に、国常立尊は「3000」年の月日を掛けて仕組みをなされたと記載されます。今日や昨日の自分がどうのこうのではないわけです。過去世から「神の筋書」に従った因縁の舞台を演じさせられていたなのです。

ただ、私は「九つ花」を紐解いて、これでは誰にも解らないはなと思っただけです。




さすら誌の金井南龍師がその女子のミタマに関して述べておられますが、そのミタマに該当していなければ、その女子でもないのです。ただ、金井南龍師もそれが如何なるミタマの持ち主かは公表されておられないようなのですが、これは大本教神諭や大本教の演技から、実は解るようにはなっているのです。私もそこまで深い仕組みとは思ってもいませんでした。

大本教から「七代女子」が出されました。表向きは大本教の教祖は「女子で七代続く」なのですが、大本教は内紛で正当な教祖の流れが変更されました。しかし、正当な教祖の流れは既に七代目の女子が誕生されて育っておられます。
そこには何故、大本教は七代の女子教祖の型を演じる必要があったかです。そこに「みのおわり女子」を特定させる仕組みが存在しています。大本教神諭には「七人の女神」とありまして、大本教の七代教祖ではなくて「七人の女神」なのです。その「七人の女神」の中心役たる女神と「九つ花」が連動しているのです。

この七姫とは「物質の世」の七(質)を秘めた意味で、万物の産み(海)で語り、龍宮も語るのです。

大本教が予告した「九つ花」と「亀の甲羅の九霊界」と「七人女神」で、この筆頭女子はどこに住み、何という名を使い、どなたのミタマを授かっているか。これらの要素を全て揃えた肉体を持つ女子は存在しているのです。と言う事は、この仕組みの発動それほど先のことではないとなります。大本教ではそれが逆転して演じられたと言えます。

私は「九つ花」を紐解けば紐解くほど、大本教が演じた「神芝居」の素晴らしさに感嘆します。

私は最後のフィナーレは「宝塚」の女子の舞台の光景であると見せられました。宝塚の舞台には男装をしている者もあれば娘役もあります。だが全てが女性であり、宝塚では主立ったスターは7~8名かと思います。私自身は男なので「宝塚」の舞台には立てませんが、私はセリフ回しの役目であるので、最後の幕が降りて神の舞台に拍手喝采のアンコールの時には、女子と一緒に舞台に立たさせると告げられたのです。
大本教が演じた「七女神」からすると七名と考えられます。そのトップの女子のことは解りましたが、残りの六体の女神のことは未だ不明です。何人かその候補者らしき女子の存在は見えて来ましたが、未だ全員の特定迄には到りません。宝塚とは、物質世界のことを指していたのです。

舞台のフィナーレは、物質界の「七(質)」の世の終わり

大本教の出口王仁三郎聖師は「三千世界」になぞらえて、三千個の手ひねり茶碗・耀盌を創られています。それら一つ一つが「みろく神業」に関わる者の数とも言われていますが、そうなりますと、誰が真性「みろく神業」に関わっておられるのか数がか多すぎて、さっぱり解りません。その中のリーダー格だけを把握すればいいともなります。

そうした中で、この「35万年前」に何があったかとなります。大本教神典に従えば「国常立尊」様を地上神界の主宰神の座から追放するが起きたとされます。今の人類の歴史で「35万年前」では、猿的な世界に入ってしまいます。そんな時代に文明も文化などありません。それ自体は神界での話なのです。
今の人類は一部の猿から進化したと言われていますが、これはダーウインの進化論では解けません。一部の方達が神の遺伝子操作によって一部の猿から今の人間に変化させたと言われますが、それでは魂論と直に結びつかなくなります。

これも一部の方の論ですが、高次元の魂の存在が猿のような動物に入って地上界で遊びだした。その魂の遊びの道具たる猿に遺伝子操作を加えて、「国常立尊」が今の人間を創り上げた。為に、その猿から進化した肉体が死ねば、その中の魂は肉体から抜けて、本来の高次元世界(あの世)とやらにと帰って行くです。これだと魂の存在は出せます。

その猿的存在の肉体改造の遺伝子操作を行ったのが「国常立尊」であり、それによって「国常立尊」は人類を奴隷と化している。つまり、本来は自由であるべき「魂」を肉体に閉じ込めた「国常立尊」は悪神だとする説です。この説の流れは、貴方達の魂は本来自由であり、自分がしたい放題で何をしても良いのだと説く流れの中にあるわけです。

が、誰が考えても、皆が自分勝手に好きなことをしていれば、他とぶつかるばかりで、何の秩序も保たれず、個人一人一人は好き勝手に出来ることは本人には良いとしても、社会は保たれずに乱れます。
また、強い者ばかりが勝ち、常に弱い者は虐げられるばかりです。何をしても自由だという考え方は、強者の論理なのです。


ならば、国常立尊様は地上神界の主宰神の復帰に当たり、肉体に閉じ込められていた魂を全て肉体から解放しましょうとなります。

みの終わりとは、三(み)の終わりで、三次元世界からの旅立ちとなります。
三次元世界の終わりには七(質)を語る姫が必要で、幕が降りれば八の世(永遠)の世に向かうなのです。

その部分だけを取り上げれば、スピリチュアルの方達も説かれる三次元世界から五次元界への旅立ちは正しくは説けています。問題は、そこから先の永遠の別れなのです。そこの理解が出来ているかどうかなのです。

そこに「国常立尊」様は、自分が主宰されるところの「みろくの世」に行くことを願う魂には、今日までの腐ったり潰れたりする魂ではなくて永遠の命の新しい魂を授けようで、その魂を大本教は「水晶玉」と説いたのです。
どうして「国常立尊」を牛虎(ウシトラ)金神で「鬼」と云うかは、私達が持っている永遠性の「魂(鬼と云う)」の問題に帰結していたからです。567世の新しい魂を造ることが出来る神は「国常立尊」様だけなのです。

五次元界に進むことと、永遠の命の保証の「水晶玉」の魂を頂くこととは別の話なのです。

そこに一部の神々や神通力者さん達は、「国常立尊」には従わないで地底天国の建設を目指しておられる流れがあるのです。

肉体から魂の解放は、これまで輪廻転生で魂の地位を上げていた魂の修行場(この世)の終わりなので、その時点をもって魂の世界での各自の魂の位地が永久に決定してしまいます。
大本教神諭に、「そんなことならば、どうして早くから言ってくれないのか。そうした苦情を聞きたくないので早くから言っておく」があるのもその為です。もう宣伝だけで120年以上も過ぎています。

これらを紐解く仕組みが大本教神典。「主の神は35万年前に御引退」と言えるでしょう。
これらは自分の目に霊的光景が見えるでは解き明かせることではないのです。数理によって解き明かせることなのです。


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