この組み手は一部の神道本とか写真には記載されますが解りづらく、動画としては今日まで私以外からは出ていないようです。この組み手に関して一部の神道家が大本教の出口王仁三郎聖師は神界の許しも無く勝手に大衆に公開したと糾弾されておりますが、文句があるならば天帝に逆らう覚悟で言われるべきでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=AwrVfk3ZyEY
私は子供の頃から、よく眠ります。学校の授業中もしょっちゅう居眠りをしいてる状態で、突然に教師から答えをと言われてシドロモドロ。横に座っている女生徒が横からこっそり答えを言ってくれたら、二人ともその場に立っていろでした。私の母親などは寝てばかりいるので、その内に足から根が生えるわなどと言っておりました。
若い頃に東京で会社勤めをしていましたが、電車に乗ったり劇場に入ると眠ってしまう有様でした。会社は7~8名の社員が本社から離れて居る部門だったので、別にどうということもありませんでしたが、多くの人が居る場所では無理だということにまったく気づきませんでした。
私は自分が直ぐに眠るのは神霊界に修業に入って、自分が霊的「浄霊マシン」であると解って納得したしだいです。
これは「霊媒体質」であれば私だけでなく、どなたも人混みの中に入ると眠くなるを体験されていると思います。電車やバスの中。劇場など、特に人が多いところに行くと眠くなってしまうのです。映画を見に行って寝ているです。眠ることによって自分に懸かって来た霊を自分の体内で浄霊しているからです。
強度の霊媒質で、そうした状態があまりひどいようだと、田舎暮らしは出来ますが都会生活は無理だとなります。
それは元々天国界は田園農村のような場所であり、地獄界は大都会の歓楽街のような場所であることも起因しているのです。
魂が汚れていない人は、一見すると何も無い無い尽くしのつまらない寂れた不便な田舎生活に憧れたりされますが、魂が汚れていると人混みの歓楽街の様な場所の虜になってしまったりするのです。
◎自分が天国向きか地獄向きかの性格判断(別にどちらであってもいいのです。選ぶのは自分なのです)。およその目安です。
天国界が向く人 贅沢をこのまず、見栄や外見に拘らず、不便も由として、人とは争わず、自然を好む農村田舎派
地獄界が向く人 贅沢をこのみ、見栄や外見に拘って、不便は大嫌い、人を押しのけても自分主義、自然を潰しても都会派
別に地獄だからと言って、鬼が金棒を持って追っかけて来るのではありません。天国とか地獄とは、そこに住む人達が他人に対して思いやりを持った人達の集まりで住人の皆が自分の仲間や友式か、自分さえよければそれでよいの自己中心主義者ばかりで他人との争いが絶えない世界か、そうした世界の意味合いです。
ただ言えることは、
地獄界にはこの世と違って天国界に行くような住人が一人も住んで居ないということなのです。為に地獄界では誰も自分をかばってくれない。助けてくれないなのです。
地獄界に墜ちて苦しんでいる霊が人に懸かって来る。そこには誰も自分の「思い」を聞いてくれるような者がいないからです。だから自分の思いを聞いて欲しいがあるのです。
不成仏(不浄物)霊はその思いを訴えて聞いて貰えると、それによってその世界から意外と離れていったりするのです。だから霊を切るよりもその話を聞いてあげた方がいいのです。
自分にその霊を助けるチカラがないのであれば、ごめんね。自分にはそのチカラは無いけれども一緒に泣いてあげます。それだけでもその霊にとってはずいぶんと違うのです。
人は眠っている時は霊界に行っていると言われています。それは自分の魂の浄化の為です。で、夢には霊的意味があると言われているのもその為なのです。しかしながら、夢に出て来るのものは必ずしも正夢とは言えません。
夢の中で神霊とか天使に出会っていても、それが必ずしも本物とは言えません。それは邪霊達は夢の中まで支配して来るからです。退行催眠も憑依霊達は支配して来ます。夢で神様らしき存在からお告げを受けたからと言って、まったく当たっていなかったがあるのもその為です。
ゆめゆめ疑うことなかれでなく、夢々疑うべしです。
私は眠っている時に何等かの光景が出て来ると、私を守護している存在の霊がその光景は私には見させない方が良いと判断すると、その光景を「バチン」と云う音と共に切ってくれました。ところがそうでない守護霊だと、
その守護霊そのものが間違った映像を肉体に見せることによって、肉体がとんでもない勘違いをするが起きて来ます。守護霊そのものが邪神の映像を判断する能力に欠けているなのです。
大都会はどうしても多くの人が住まいを構えるので汚れた想念が渦巻いており、霊的に非常に汚れているのです。そうした土地のことを穢土(江戸)と言います。やがて、東京に空前の大震災が襲って来るでしょうが穢土(江戸)だからです。穢土とは多くの人達の悪しき想念によって汚れた土地の意味です。
たまたまなのか神界の仕組みなのかは解りませんが、東京はそこが「エド」であると言葉上にも示されておりますが、大都会は全て「穢土(エド)」の要素を持ちます。アメリカだとニューヨーク市等がそれに該当します。京都も大都会に入りますが、高層化されたビルが建ち並ぶ街ではありませんし、神社やお寺が多いので穢土ではないのです。
前のブログにも少し書きましたが、私が伏見稲荷大社の清明瀧で夜の瀧行中、後に弁天様の御代になられた方が周囲に居る講員さん達が持つ複数の水子霊に懸かられて、苦し紛れに瀧を受けている私にその複数の水子霊を指先で転送されるが起きました。
瀧を受けていた私は、瞑った目にその弁天さんの御代をされることになった方の顔が大きく見えたので何事かと目を開けると、その方が印を結んでその指先から私に必死になって何かを送って来られるのが見えました。その時はそれが複数の水子霊であったなどと解る由もないことでした。
私が瀧を終えて、後に弁天様の御代となられた方に、○○さん私に対して何をしたのですかと質問したところ、その方は私に気づかれましたかと言われて、瀧行を見ている講員さん達の多くの水子霊が自分に懸かって苦しくて苦しくてどうにもならない。それで瀧を受けている貴方にその水子霊達を転送しましたと言われます。
すると、最初の師匠は貴方にとってはあの程度の水子霊の数などはどうということもなかったはずです。全ての水子霊をあなたが引き取って浄霊をしてしまわれました。
その時、私は霊は別の人に転送が出来ることを知ったのです。
しかし、そこには豊受様を御祭神とする伏見稲荷大社講社の信徒であっても、豊受様は講員さんに憑いている水子霊を助けておられないことになります。また後に弁天さんの御代になられた方にしても、その方の母親は弁天さんの御代をされた人ですが、弁天さんも水子霊を救おうとはなされなかったのです。
本来、そうした霊の供養はその家系の者がしなければならないのです。神が救済する分野ではないのです。
後に私は自分の肉体に龍神とか神霊すら入れて、私の肉体の中でそれらの神霊をも浄霊してしまう特異な能力を持った者だと知りました。2番目の師匠からは、おまえは霊界の歩く霊バキュームカーとあだ名をつけられてしまったほどです。
私自身は知らないことになるのですが、私を守護している存在は救うと決めた霊は私の体内に入らせて私に浄霊をさせているのです。だが、誰彼と受け入れているではありません。その為に、私はどこでも眠くなって眠ってしまうでした。だからと言って、その霊がどこの誰だか私は知りませんので、それでその霊の子孫から「浄霊の御代金」を頂くなどの芸当も出来ないわけです。全て「無償」となります。私は霊界ではボランティアとなります。
西暦2001年(平成13年)9月11日。アメリカ・ニューヨーク市のワールドトレードセンター(世界貿易センター)ビル2棟に2機のジェット旅客機が突っ込むテロが発生しました。
その事件の数年後、ある女性からその方の背後神の霊査を頼まれて、私には神霊霊査が出来ないので最初の師匠の元に行って、その霊査を頼みました。その霊査を終えて、他に相談者が来ていなかったので元の師匠と雑談をしていたところ、その師匠がアメリカ・ニューヨーク市で起きた世界貿易センタービルのテロ事件に関して、その前にその師匠の身に起きた不思議な出来事の話をします。
その9月11日の2~3日前、就寝してから目が覚めるまでの出来事です。その師匠は神社で神主をしていましたので、何時もは朝の5時には起きて、神社の本殿で祝詞を上げなければなりません。当時は一人暮らしで、誰も起こしてくれないです。当然に目覚ましはセットしてあったわけです。
ところが目を開けると、日が高々と上がっています。あれっ?、と思ってテレビを入れると、そこに映し出された光景はハイジャックされた旅客機が世界貿易センタービルに突っ込む光景です。日付を見ると9月11日。えっー。自分は何日間も眠っていたのかです。
慌てて、普段は神霊相談を受けている社務所に行って、豊受神に自分が数日間も眠っていた理由を聞かれたら、世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機がテロで突っ込み多くの死者が出ることは事前に解っている。あの貿易センービルが建っている場所は霊的磁場であり、多くの霊が眠りに就いていた場所である。そこで、それまでその霊的磁場に存在していた霊を「代(師匠)」の肉体に入れて浄霊させて本当の霊界に送り、その霊的磁場を空けておいて、空いたその霊的磁場にそのテロで亡くなった者達の霊を収容したと言われたと言うのです。
つまり、ニューヨーク市の中でも、貿易センタービルが建っていた土地は「穢土」の上に建っていたことになります。
磁場を空ける為に浄霊する霊の数が多いので、「代(師匠)」を早くから眠りに就かせたと言われたとその師匠は言います。その師匠は霊媒体質者ですが、通常その体に入られるのは御神霊のみとなっていました。特別な作業だったとなります。
一聞(いちぶん)すると、にわかには信じがたい話です。
しかしながら、その師匠が仕えていた豊受神は阪神淡路大震災や普賢岳爆発など事前に師匠に告げておられますので、過去の予言は当たった実績が存在します。過去の予言が何一つ当たっていない霊が言っておられる話ではありません。ニューヨーク市のテロ事件で多くの死者が出るぐらいなどは事前に解っておられても別におかしくもなんともない御神霊です。
スピリチュアルで自分には天照大御神やミカエルがメッセージを送って来ると言いたい人はウンカの如く次々に出て来られますが、そんな霊は何が起きるかを事前に言えるほどの霊ではありません。本当にそのクラスの霊が出ているのであれば、世間の人に事前に言うかどうかは別にして東日本大震災でも事前に言っていたはずなのです。
そうした
天変地異に関わる予言を言って来て、ことごとく外す霊というのはその霊の名乗りは真っ赤なニセ者と断定して、その霊との関係を切らないといけません。
西洋スピリチュアルから発せられる〇○霊のメッセージなどは、数年以上前から懲りなく言うスピリチュアルの方が後を絶ちませんが、過去にその名の霊が言った天からのメッセージで当たった事例がまったくありません。それでも懲りないのがスピリチュアルだと言えます。
大きな事変を予告しても何一つ当たらない霊は疑うべし
大本教の出口王仁三郎聖師は、その予言をほとんど的中させられたことで有名ですが、本当の天照大御神とか天使長クラスの霊であれば、メッセージとして予言を言い。その予言が外れるなどはまずありえないのです。
そうした予言を何一つせず。どうでもよいようなことや、ありふれたことだけを言って霊とは本物ではないのです。誰だって、蛇霊や狐霊に大きな事変の予言は求めません。とても無理だと解っているからです。せいぜい自分の恋愛の成就など程度です。
豊受様は実際にそうして過去の大きな事変の予言を当てておられる以上、本当の天照大御神様ならばそれ以上に予言は出来るはずなのです。
スピリチュアルという言葉に酔いしれて踊っていたのではダメなのです。メッセージを受ける本人がその霊が本物かどうかの確認作業を完全に怠っているからです。
実際にこの世に起きる大きな出来事に関して事前に予告を出せる神なのか。単に偽りで大きな神名等の名乗りで霊感者を騙しに来ている霊なのかは、
その予言が当たるのか当たらないのかである程度は判断は出来るはずなのです。
私の元には、自分が聖母マリアですとか、救世主です。自分のミタマは白山菊理姫です。そうしたメールが多数来ます。私はそれを別にサニワなどはしません。本物ならば言われることが当たるし、ニセ者は当たらない。簡単なことだからです。
時には自分が救世主ですが、これか先どうしたらいいでしょうかと質問されて、自分が救世主たる者と思っていて、人にどうしたらいいかと聞くバカがどこにいるかです。
だが、これがスピリチュアルの世界の現実なのです。霊から見せられたもの、言われたことを頭から信じるです。
ところで私が気になったのは、ニューヨークの貿易センタビルの土地が霊的磁場であったかどうかなのです。日本における霊的磁場はほとんど神社とか霊場になっています。だが、キリスト教の場合はイエス一人だけが神の子式の偏狭主義に陥っています。霊的磁場という感覚が牧師達に存在していない以上、霊的磁場がそこにあるのかないのかが解っていない面があります。そうした霊的磁場はアメリカインディアン達でないと解っていないがあります。
最近、私は非常に眠く、一日に10時間以上は眠っています。自分が老いたということが原因かとも思いますが、何等かの浄霊作業に入っているとも感じます。
私の最初の師匠が語っておりましたが、
創造神が地上界に降臨される前には地上界に霊的浄化が始まるです。私が知る霊媒体質の方達も皆さん最近は非常に眠いと言われます。霊媒質者は霊的浄化に働かされているとなると、もう「審判の日」がある程度近づいて来ているとも言えなくはないのです。
審判時に、その人の肉体に本人の魂以外の憑依霊を被らせておくと、その人の行いが魂本体の意思では無くて憑依している霊によるがある以上、先に人に懸かっている憑依霊を浄化しておかなければならないとなります。
そこにアワ(泡・阿波)岐ガ原が生じるのです。
魂をアワで「洗濯」して、永遠の「選択」の道にと入る
汚れた魂のままで、みろく世に行けるはずもなし
幾度も申し上げますが、私は別に言葉遊びをしているのではないのです。
神(示申)は言葉で示し申す
「言霊(厳霊)」神。すなわち命(御言)に基づいて申しているのです。その為に、日本には「アイウエオ(アオウエイ)」。「いろは」。「ひふみ」などの言葉の並びの「祝詞」が存在しているのです。為に日本の言葉は「神の教え」を示す為に、こうした組み立てがなされているのです。言霊神は霊感者に懸かったり降りたりはしないのです。
聖書 初めに言葉は神と共に在った
日本人ならば、「アイウエオ(アオウエイ)」。「いろは」。「ひふみ」などを宣(の)りなさい。その上での天津祝詞や御経であるならば、それは「言霊」のチカラを持って祓いとか浄霊能力が増すのです。
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