スピリチュアル系の多くの人達は、神は光だ!。「光の柱を立てましょう」と言われます。霊界を知らない素人衆を相手にするのならば、そうした戯れ言も言えますが、優秀な霊能力者を相手に言うと、この「バカ」と思われてしまいかねません。
私は非常に優れた霊能力を持たれる方2名を師匠として持ちました。その師匠ならば言ったでしょう。その師匠達はスピリチュアルと呼ばれる段階の方達ではありませんでした。
スピリチュアルで「神は光だ!」と言っている方達が見る光とは、現在のカメラのストロボではなくて、それ以前の閃光電球(フラッシュバルブ)とか、さらにそれ以前はマグネシウム粉で光を出していました。そのマグネシウム粉の場合は焚くという言い方をしていましたが、その光とは目が眩むほど強烈な光を出しました。
今の若い方達は、そのマグネシウムで焚いて出す光を御存知ないと思いますが、現代のカメラのストロボの威力ではありません。しかし、それは瞬間的な光でしかないのです。昔のカメラは大型でレンズのF値も暗かったので、かなりの光量が必要だったからです。
霊界に関わっていると、自分は凄いのだと思わせたい霊が、そうした瞬間のマグネシウムを焚いたような光を出して来ます。その光に騙されて、神は光だ!式のことを言いたい方が多々見られます。
そうしたスピリチュアル系の方達がほとんど知っておられないのは【霊界の太陽】と呼ばれる存在です。この【霊界の太陽】を見たならば、おそらく神は光だ!的なことは言われなくなるかと思います。
瞬間に見る光とはまったく別のものだからです。
私が霊世界に足を踏み入れて数ヶ月後、寝ようと布団の中に潜り込んで目を瞑っていると、突然にその目は瞑っているのに一面の青空と白い雲が見えて来ました。無論、目を開ければ暗闇の世界だということぐらいは解っています。そのまま見ていると、そこに【霊界の太陽】が出て来たのです。
その【霊界の太陽】は現実世界で見る太陽と同様ですが、それ以上にギラギラと照りつけてその太陽熱で体中から汗が噴き出して来ます。その霊界の太陽を直視していると現実の太陽を直視すると目の網膜が焼かれるように危ないと気づいて、光景の中から雲を探してその雲でその太陽を遮って直視しないようにしていました。
だが、その霊界の太陽熱で下着は噴き出す汗でずくずくで、思わず目を開けました。当然にそこは夜の闇です。ホット安心してまた眠りに就こうとすると、またもや【霊界の太陽】が出て来ます。最初の夜は眠るに眠れず、壁にもたれて目を開けていましたが、その内にその状態で眠りに就くことが出来ました。
そうした【霊界の太陽】によって、満足に眠れないような夜が何日か続きました。
何かと言えば「光と闇」の二元論に陥っている方達がありますが、闇が無ければ眠れないという気づきを私に与えてくれました。また現実の闇の中に「霊界の太陽」が存在することになります。私達の肉眼や科学では明らかに出来ない「霊界の太陽」です。
そこに来るのは「闇≠悪」では無く、闇の中に「光」がある
闇の字は、「門と音でなく、門と日(光)立」なのです
そこで、当時の最初の師匠にその話をすると、その師匠は
【ようやく貴方も霊界の太陽を見るところまで上がって来られました。それは、貴方が神界の入口にようやく辿り着いたということです。これから先が人ではなくて神としての修業の始めです】と言われます。当然にその師匠は【霊界の太陽】の存在は知っていたわけです。
後に、何人かの御神霊の分魂を頂いている方に出会って来ましたが、そうした方達は私と同様に【霊界の太陽】を見ておられました。
そうした【霊界の太陽】を見ていた方ならば、瞬間の光で「神は光だ!」式の意味不明な発言はなされないでしょう。
私がヤフーの掲示板で論陣を張っていた時、他のカテゴリーで「霊界の太陽」を見ようというスレッドが立っていました。そのスレッド主は誰でも「霊界の太陽」を見ることが出来ると述べておられて、そのスレッド主以外にもそのスレッドには「霊界の太陽」を見たと言う方達が居られました。確かにその方法で「霊界の太陽」は見えるのです。
当時、私が論陣を張っていたヤフーの掲示板はかなりの方がロムされておりましたので、そのスレッドを紹介しましたが、それで「霊界の太陽」が見えたという方が出て来られませんでした。
その「霊界の太陽」を見ようというスレッドでも、それ以後に「霊界の太陽」が見えたという報告が上がって来なかったようです。
それは誰にでも「霊界の太陽」が見えるではなくて、私の師匠が述べたように神界の入口に立った人だけが見ていたようです。だが、その人達は自分が神界の入口に立っているから「霊界の太陽」が見えているとは知らなかったのが真相だったようです。
もしも、貴方に「霊界の太陽」が見えた時、それは自分が神界の入口に立ったということであり、個々の人が進む道はその方の宿命によります。その時、神界の御用に携わらなければならない人もあれば、別に神界の御用をする必要の無い方もあります。神界の御用を命じられていなければ、自分の魂を磨くだけで今生はいいのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で「霊界の太陽」に関して記述されています。本当の天照大御神様とは「霊界の太陽」のことで、第一天国界での太陽はこの世の太陽の光の七倍であると、だが第二天国界や第三天国界における「霊界の太陽」はこの世の太陽の何倍の光かは書かれていません。出口王仁三郎聖師ほどの優秀な霊能力者が多数居られれば、霊界各層における霊界の太陽の大きさが判明するかも知れません。
だが、今日まで如来界に匹敵するとされて来た第一天国界など誰でも簡単には行けませんので、私の様な凡人はまずそんな霊界の太陽の世界に行くなどはないでしょうが、第三天国界でもかなりの光を持つ「霊界の太陽」の下だとは考えられます。私が最初に見た「霊界の太陽は」は神界の入口とのことでしたので、第三天国界(五次元界相応と思われる)の霊界の太陽だったのかも知れません。
霊界の太陽に関しましては、第2天国界に少し在籍したとされるスエーデンボルグの記述が有名ですが、私はこれを読んだ時、これはおかしいと感じました。
スエーデンボルグは第二天国界の住人一人の一人に霊界の太陽があり、他の住人が自分の前に立つとその霊界の太陽は邪魔されて見えないとあります。そんな太陽ならば深海に住む「提灯アンコウ」のような光の存在になってしまいます。それではとても霊界の太陽と呼べるものではありえないことになります。
私はスエーデンボルグの「天界の秘義」の全巻集を買って読もうとしましたが、第2天国界の天使と称する者達が言う内容のあまりのお粗末な考え方に、その全巻集は書棚の肥やしになってしまいました。大金を出した価値がありませんでした。
宗教団体の聖典等うやうやしく書かれた物を読んでいます、別にどうでもいいような枝葉のことばかりが小難しく書いてあり、肝心要のことがスコンと抜けています。小難しいことを言っていればその人は偉いと勘違いされるように、そんな神が偉い神と勘違いされる面があります。
一度宗教の罠にはまりますと、大本教の出口王仁三郎聖師が述べられた【人は邪教の真理に狂うことを覚るべし」をまったく理解出来なくなります。難しく書かれていることが「真理」ではないのです。逆に「真理」から外れていくのです。
大本教神諭は予告しました。「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」。あまりにも単純な仕組みだから、どの神々も逆に理解出来なかったわけです。たった「一輪」だからです。これは賢いから解けるのではないのです。単純な方が気がつくのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、西洋人ではたった一人だけが霊界を訪れていると記されています。そのたった一人の西洋人とは、スエーデンボルグのことであろうとは推察は出来ます。
だが、スエーデンボルグ記述内容を見ると、大本教霊界物語に記述される内容よりも遙かに劣っていることが見えます。だが、曲がりなりにも霊界訪問をしたことは事実だったと言えるのでしょう。しかし、西洋人ではたった一人なのです。
西洋のスピリチュアルという言葉は低次元界霊の降霊とか交流の意味と言われているように、スピリチュアルという言葉を発し続けている方は低次元界霊と交流していますと自らが宣言されているのかも知れません。
その点、日本人は遙かに多くの人が霊界を訪れている痕跡があります。世にスピリチュアル病に陥っている人達が多数見られますが、西洋名を名乗って出て来る霊が高級霊だと信じるのはほとんど錯覚に等しいとなります。
本当に自分に正真正銘のマリアとかミカエルとかが出て来るのであれば、霊界の真相を聞き出すがこの世に生きる者の努めのはずです。その勤めをしないで単にメッセージというのであれば、疑うことを知らない盲者と言えます。
最近、この9月28日に「アセンション」するを拡散希望すると流れているので、如何なる霊がそうしたことを言っているのかと調べたところ、大天使ミカエルと名乗る霊が言ったとのこと。こうした大天使ミカエルと名乗ったら、直ぐにその言葉を信じ込む人が後を絶ちません。
大本教の出口王仁三郎聖師は日本が産んだ最高の預言者で数々の予言が当たりましたが、スピリチュアルと称する方がマリア霊とかミカエル霊とかで受け取ったメッセージで、今日までその予言内容が当たっていたなど聞いたことがありません。
日本神道では、鬼と云う「魂」の内部は「一霊四魂」で成り立つとします。その一霊は直霊(直日)とも呼ばれますが、私はその直霊は天帝の分魂であり、その働きは人の「良心」を司ることから【人に内在する良心神】の【ラ神論】として解き明かしてはおりますが、その直霊(直日)は天帝「天之御中主」様の分魂であり、【真性の天照大御神】様にも当たると言っています。
スピリチュアルにおける大錯覚は、霊界における「イエス」の地位を知っていないということなのです。確かにイエスは霊的には高いのは高い方なのですが、大本教の出口王仁三郎聖師さんは自分は「イエス」に何一つ負けていないと言われたようにほぼ同格だったと考えられます。
その段階では世に言われる「世の立替」の主役は出来ないのです。立替の主役はイエスをかなり超えている存在が要求されるからです。それはイスラム教の開祖マホメットが言ったところのイエスは偉大なる預言者だったからなのです。偉大な預言者と「救世主」は本来別物なのです。
スピリチュアルを呼称する人達の上に出て来るマリア霊とは、必ず我が子「イエス」が一番式で言って来るはずです。それは本物の神界を知らない霊の発言となります。ミカエルと天照大御神が一緒に出て来られたなどと言われると、狸か蛇か狐等の霊かと吹き出しものなのです。
本当の天照大御神とは、貴方自身の魂の中にもあるでしょうに
為に、日本神話に天の岩戸の中に天照大御神は隠れてしまわれたとなっているのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、【日本神話の天の岩戸明けなどの事実はどこにも存在しない。あれは私が創作させたものであり、そなたは何故にそうした話を私が創作させたのか?。天の岩戸開けが何を語るのか?。その意味を解き明かしなさい】と告げられました。豊受神も日本神話に記載される天の岩戸開け等の事実は存在しないと告げておられました。
問題の課題は与えられても、その答えはをどの神も教えてはくれないのです。それで伊勢神宮に鎮座されている御神霊が本当は誰なのか?。これまでその謎を追って来ました。ありがたいことに、伊勢神宮に鎮座されている御神霊から、自分は誰であるかと伝えていただきました。
それは歴史を考証すれば納得の内容です。どうして日本人は今日までそれに気づかなかったのか?。それが解った時、日本神話の【天の岩戸】開けとは驚くべき仕組みを語っているのだと解ったしだいです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、宇宙開闢の時が最初の天の岩戸明けと言い、「立替」が二度目の天の岩戸開けと述べておられます。
出口王仁三郎聖師さんを顕彰する学会で講師として出席した私は、講演を終えた後に2人の女性霊能者の方にしがみつかれてしまいました。その二人の霊能者の方は泣いて、本当の天照大御神様はこんなところに居られたのかと言われます。
抱きつかれた私が何事かと思って聞くと、貴方の胸の中にトンネル状の岩の洞窟があり、その奥に本当の天照大御神様が鎮座されていると言われるのです。
それを聞いた私は意味が解らずに唖然と聞いておりましたが、それから何年もの修業を積んで来て、その意味が解りました。それが日本神道で言うところの「直霊(直日)」と呼ばれるものなのです。
その霊能者の方達は、それが「人型」で見えたわけです。それは私が「真性天照大御神」と言うことではなくて、誰しも魂の核として持つ「人に内在する良心神」そのものの姿なのです。個々の人にある「霊界の太陽」なのです。
大本教神典に「みろく世」になれば、みろく世の神人達は光輝くとありますが、それは外部から来る光で輝くのではなくて、自己の魂の中に「霊界の太陽」が存在することにより、その光によって自分自身が太陽の如く光輝くことなのです。
霊界には霊界の太陽としての「天照大御神」が存在し、私達の一人一人の魂にはお釈迦様の悟りの「良心」神と呼ばれる魂の「天照大御神」が存在しているのです。
で、自己の良心神の働きは、他の人に【あまねく(遍く)照らすで「あま照らす」と言うのです】
そして、大本教神諭に天の岩戸が開いたならば、「苦しむ気の毒な人達が出て来る」とありますが、
外から来る光ならば遮断をする為に地獄でも地底でも逃げられますが、自己の魂の核から来る光なのでどこに逃げても光の遮断が出来ないとなります。
自分の魂に汚れがあると、中から来る光で汚れに火がつきます。そうなると「カチカチ山の狸」さんとなります。
その「直霊(直日)」は天帝の分魂であり、人して世に出る存在ではないので当然にお釈迦様やイエスよりも貴い存在なのです。また、「伊勢神宮」に鎮座されている御神霊のことでもないのです。
これを大本教では【伊都能売】と言ったのです。また、大本教の出口王仁三郎聖師は「ミカエルたる伊都能売」とも言っておられます。スピリチュアルと称する者達の前に現れて「ミカエル」などと称している霊のことではないのです。
全ての人の魂の「核」となる「直霊(直日)」のことが「ミカエルたる伊都能売」となっているのです。私はそれを「良心」神と説いているのです。
節分の炒り豆に花を咲かせる「鬼と云う」の魂に全ての謎は秘められていたのです
これらは全て「日本語」が神の言葉と解っていれば解き明かせたことなのです
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