人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

創造神は病気治しの神ではない③。言霊(祝詞や御経)による病気治し

私が師事した二番目の師匠は、日本ではほとんど誰も知らない「言霊師」と呼ばれる存在でした。精神世界のブログなどでは「言霊」という内容は出されておりますが、その言霊の実体を知る方は霊能者でもスピリチュアルでも希と言えます。
それはスピリチュアルを標榜している方でも、ほとんど「言霊」について理解していないから、言われることがないことで解ります。
それでは聖書にある【最初に言葉は神と共にあった】を理解することはないのです。創造神と呼ばれる神に辿り着くのは不可能に近いことになります。

しかし、古来日本で【調伏】と呼ばれるものが行われていたことは、ドラマなどで見られたことはあろうかと思います。平安時代の天皇や公家などの高貴な方が病になると、名僧とか高僧と呼ばれる方達が弟子を引き連れて、時には護摩を焚いて「御経」を上げて病気平癒を祈祷しました。特に「弘法大師」様などはその能力に長けておられたと思われます。
そうした時、ほとんどの方はそれを「御経の力」だと思いますが、ならば、お寺の御住職は毎日毎日御経を上げておられますので、その「御経」で病気が治せているかとなりますと出来ないのが現実です。
確かに「御経」とか「祝詞」にはそれなりの「霊力」があります。だが、問題は御経や祝詞そのものではなくて、それを「宣(の)る人」の霊能力なのです。その背景にあるのが「言霊」なのです。

こうした【調伏】は時の権力者と結びついて、その権力者の「政敵」を殺す時なども密かに行われていました。それに多くの僧が荷担しました。これを一般的には「呪咀 (じゅそ)」 と言い、明治に成った時、この呪咀 (じゅそ) をすることは法律で禁じられたのです。その呪咀 (じゅそ) を返すことを呪咀 (じゅそ)返しと言います。昔の方ほど、霊の世界を理解していたことにはなります。

私が教えを受けた二番目の師匠は、御経や祝詞ではなくて純粋の言霊だけで、医師が未だ赤子で手術できない状態にあった心臓弁膜症を治してしまいました。この2番目の師匠は大本教の出口王仁三郎聖師さんの直弟子であった方を師匠に持った方で、その手法は大本教の出口王仁三郎聖師直伝のものであったかも知れません。
大本教から「いろは歌」が出されました。その「いろは歌」で病などを治してしまうのです。しかし、現在の大本教がそうしたことをしてるかとなりますと、まったくしていないと思われます。そうした話を何一つ聞かないからです。
出口王仁三郎聖師さんが生きておられた頃には有効であった「いろは歌」も、現在の大本教信徒さんが「いろは歌」を称えてもさほど効能はないのでしょう。それは「臍下丹田」の訓練を伴っていないからでしょう。

丹波の片田舎で起きた大本教が、戦前の日本で最大の宗教になった背景には、多くの宣伝使と呼ばれる人達が各地を巡回をしながら、病人の前で「言霊」を宣(の)ることで、多くの病を治しをした実績によって信徒が爆発的に増えた側面があつたと思われます。だが、そうした宣伝使のことはほとんど知られておりません。一部の書にそうした宣伝使の活躍の凄さが残っている程度です。
戦前の政府による大本教弾圧事件で壊滅した大本教が、戦後に復興したと言えども、以後ローカル宗教の枠から抜けられないのは、そうした言霊で病を治せる宣伝使が今は存在していないからでしょう。

余談ですが、大本教団をダイナマイトで爆発する為に突っ込んだ警察官達は、遺書をしたためて別れの盃を交わして出動したの話も残っています。言霊だけで病を治していく宗教など、言霊を知らない者からすれば悪魔の所業としか思わないかも知れません。
ただ、そうした事実が存在していたということは、「言霊」だけで病気治しが出来たという実績があったということなのです。

私は2番目の師匠の元に行った時、「イロハニホヘトー」などと宣(の)っている様を見て、まるで「子供の言葉の遊び」かと思いました。だが、その威力を体験した時、非常に驚きました。「言霊の威力」に触れたからです。

聖書の黙示録に、言葉の王が出て来ます。その言葉の王によって諸国民は裁かれるです。これは「言霊」の存在を知った時、そしてサニワ(審神)を通じて、「言霊」の神が現れたならば不可能な記述ではないことが解りました。
言霊とは「言葉」の一つ一つを分解したものを指します。言葉とは「言霊」の連なりです。

この「言霊」力の強い方は、不成仏(不浄物)霊を【般若心経】一巻で本当の霊界にと渡らせることも出来ます。否、ある言霊の連なりだけでも出来るのです。時には「神仏」すら、祝詞や御経で縛る(封印)なども出来るのです。
普通に考えれば肉体を持つ人間が神霊をも縛れる。封印できるなどおかしな話です。そこに「言霊」が存在していたのです。

私の伯父は霊能力がありました。その伯父がある骨董屋で一体の薬師如来像を見て購入しました。だが家にその仏像を置いて、あまりにも霊力が強い恐ろしい存在に骨董屋に返しに行ったところ、どうか返さないでください。お願いしますで、やむなく家で祀りだしたのですが、あまりにも霊力が強いからと言って家人にはお給仕はさせませんでした。
伯父が死んで、家人にはお給仕をしてはいけないと言った仏像をどうするかで、私が試しに拝んで見ました。するとビシビシと飛んでくるものがあります。それは私が霊界修行に入る前、近畿三十六不動尊の御開帳に行った時、七~八体の青不動明王さんが私に飛ばして来たものでした。
私がその話を最初の最初の師匠にした時、それはお不動様達があなたの力量を見る為に飛ばされたものですが、貴方にすればそんなものはどうということもなかったでしょうと笑った出来事でした。
近畿三十六不動尊の七~八体が私に飛ばしたものを飛ばして来たので、当時とは違い、私はやる気かと、その薬師如来像に向かって般若心経を上げ続けているとその飛んでくる数は徐々に減って来て、もう何も飛んで来なくなりました。何が飛んでいたのか後に解りましたが、もうその薬師如来は動けない状態になってしまったのです。こうしたことが【拝み倒す】です。
人は肉体を持つ故に、「言霊」の力を出すことが出来るのです。

西洋では「黒魔術、白魔術」が言われています。人を助ける方が「白魔術」であり、人を呪術で呪い殺したり病気にしたりする方を「黒魔術」と言っています。気をつけなければならないのは「白魔術」をする人は正しい人で、「黒魔術」をする人は悪人の定義が当てはまらないことなのです。
それは両方とも受けるのが「魔術師」であり、時には白魔術を行い、時には黒魔術も行うなのです。要望があればどちらでもするなのです。

この「黒魔術、白魔術」を行うのは西洋だけでなく、日本でも行者系で秘密裏に行われています。特に「○○闇ワールド」が言われており、呪術をもって「のろい殺し」の注文も受けていると言われています。その実体は「闇の中」で表には出ないのでほとんど知られることはありません。ただ、私達は昔の僧や陰陽師がそうしたことをしていたと、テレビや映画で知るだけが今の世です。
行者の世界では「○○系の行者」は恐ろしいと言われていますが、この「○○闇ワールド」に関わっている可能性があるからです。日本ではこうした世界に関わる行者がすることを【呪術】と言っておりますが、平たく言えば【祈祷】ではあるのです。
良くする祈祷であれは「白魔術」。悪くする祈祷であれば「黒魔術」となるだけなのです。ですから言葉による【祈り】とは、どちらにも働くのです。

日本における古来からの祈祷は「不動明王」などを持って行われています。お不動様が善神とか悪神とかではなくて、その神たる存在に「祈る」人の力。その方が善で動かれたのか悪で動かれたのかの違いなのです。
私は神の世界は善悪で無く、どれだけ力が強いかだと言っているのはそこなのです。一部のスピリチュアルの方達は、「神は愛だから、何をしても赦される」などと言っておられますが、そんな論理はどこにも存在していないのです。
そんなことを言っている暇があるならば、御経や祝詞の一つでも覚えた方がいいですよと言います。

御経や祝詞の言霊は、霊的防御にもなるし攻撃にもなる

それは、聖書に記載される「初めに言葉は神と共に在った」からなのです


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