私は大本教が世に大きく広めたウシトラ(牛・虎)金神に関しては、「鬼が云う」の「魂」論の導きであると説いて来ました。一方「羊・猿」に関しては、大本教の出口王仁三郎聖師さんも深く説いておられず、
羊は聖書と「義」にかかることとは解ったのですが、「猿」の意味がどこにあるのか完全理解に至っておりませんでした。
神は「示」し「申」すですが、その「申」だけの「猿」だと言葉の仕組みとしてはあまりにも弱いのです。
言葉の神は人智が及ぶ存在ではありません。また、世に出ておられる神々でも知る存在ではありません。言葉には驚くべき仕組みがされているはずなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、みろく世の立替に関して、ひらたく言えば「牛の糞」が天下を取るようなものだと述べておられます。
牛の糞とは、【どこの馬の骨やら、牛の糞か】という意味の牛の糞で、素性がよく解らない者が天下を取ってしまうことです。
そんな「どこの牛の糞か素性が解らない者が天下を取る」などあり得ないと思いがちですが、
この日本には「豊臣秀吉」という実績があります。まさに、水飲み百姓の子である「牛の糞が天下を取った」のです。
その豊臣秀吉の幼名を「日吉丸」と言いますが、その「日吉」は清洲にあった「日吉神社」の日吉から名付けられたと言われています。また、豊臣秀吉は日吉神社の使いとされる「猿」の様な顔立ちをしていたと言われています。織田信長からその異様な顔立ちで「猿」とかわいがられたわけです。
されど、豊臣秀吉という事例はあるにしても、戦国時代でもない今の世に「牛の糞が天下取る」は考えづらく、その意味の解釈に頭を悩ましていました。
今から8年前になりますが、ある方達と十津川の「玉置神社」に参拝することになりました。それは「玉置神社」に参拝するのが主たる目的ではなくて、熊野本宮を中心として「8の字」型に回る神業の中の一環でした。
その前夜は熊野の湯の峰温泉に泊まっていて、朝食の時、私の目にある光景が見えて来ました。それは霊的に猿の顔をした人が現れたのです。それは猿そのものではなくて猿の顔をした人です。私が「玉置神社」に行く出迎えとして、猿の顔をした人が出て来られたとは解りました。
?。玉置神社の御眷属に猿など聞いたことなどありませんが、この猿顔の人は間違いなく玉置神社から来られている。何のことかと首を傾げておりました。行けば解るかなと玉置神社に向かったしだいです。
その玉置神社の参道でいろんな出来事が起きて、後で天河弁財天さんも巻き込む大騒動になったのですが、玉置神社の本殿で拝していると本殿に朝方に見かけた猿の顔をした人が正座されていました。その猿の顔をした人が「国常立尊」様だろうか?。しかし、国常立尊様が「猿」顔などと聞いたこともありません。
私は閻魔大王様としての「国常立尊」様は見ておりますが、他にどのようなお姿があるのか?。細かいところまでは知りません。
されど、よく管理されている玉置神社で動物たる猿が本殿に鎮座しているなどもあり得ないことであり、私の頭はますますこんがらかっておりました。
先日、滋賀県大津の「日吉大社」に参拝したところ、ここでは「猿」が日吉山王大権現として祭られていました。日吉大社とは全国の「日吉・日枝・山王神社」の総本宮で、比叡山延暦寺の守護神的立場です。その眷属が「猿」と一般的には言われています。
だが、私が日吉大社に参拝して見た看板は眷属たる「猿」ではなくて、猿の顔をした人が「日吉山王大権現」として描かれていたのです。無論、この存在は猿と言われた「豊臣秀吉」のことではありません。それ以前からの話です。猿の顔をした人と、眷属が猿ではまったく意味が違います。
元々、日吉大社は「大山咋」の神を祭った神社です。この「大山咋」神とは記紀神話の内容を頭から信じ込んでしまいますと、素戔嗚尊の孫という概念に縛られてしまいます。
私が子供の頃に臨んだ声は「旧約聖書の神」と名乗られながら、何故か日本神話はこの私が意味があって創作させた書物であり、そのような事実があったのではない。この私が、日本神話に何を秘めたかその意味を紐解きなさいと告げられていました。
私が修行のお世話になった豊受様も、その御代たる師匠を通じて日本の記紀神話は事実が記載されたものではなく、実際はまるで違い、書かれた内容を頭から信じてはいけないと忠告を受けておりました。
日本神話は意味があって、創造神が創り上げられた神話ということです。
その日吉大社東本宮の中に摂社として「大物忌神社」がありました。その御祭神は「大年神」と書いてありますが、その扱いは「大山咋」の神の「父君」としています。
その大年神が猿の顔をした人となっています。すると、本来の日吉山王大権現は東本宮の「大物忌の神」のことになります。
問題は大年神ではなくて「大物忌」神です。大物忌神社だと、本来の御神名は大物忌神でなければ話がおかしくなるからです。その「大物忌神」とは非常に謎が多い神で、記紀神話には出て来ません。
日本では出羽の「鳥海山」に大物忌大神・豊受姫・月読命の三柱で「鳥海山大物忌神社」としてあるぐらいなのです。
大物忌は、大国主命と大物主は同一神とされますが、「大物」という意味は言葉通り「大物」の意味になります。
続く「忌」は仏教の葬式の時などに玄関に「忌」の字を書いた紙を張りますが、日本神道では穢れた物を火で焼き尽くす意味合いとなります。鳥海山と呼ぶ火山に「忌」の字を当てたのは、「火山の火」の意でもあるでしょう。
国常立尊は「火山」と深く関わる神とされており、木曽御嶽山は国常立尊を祭る霊山としても知られております。日本中の火山が火を噴く時は、国常立尊の発動と言われるのもそうした意味合いからと思われます。
「忌」の字は穢れた物を火で焼き尽くすですが、「忌」は己(自分)の心ともなります。聖書では最後の審判を【火の審判】と呼びますが、この「火」は己の魂の穢れをことごとく焼き尽くす「光」の火のことになります。そうなりますと、その「火の裁き主」は閻魔大王(国常立尊)しかその存在は考えられないことになります。
私は鳥海山の大物忌神とは、「国常立尊」であろうと見ていました。すると、その脇に豊受神と月読尊(素戔嗚尊と同一神)で勘定が合うからです。一部の霊能者の方は素戔嗚尊と月読尊は同一神であると述べておられますが、私自身それが同一神であると知った時には、正直驚きました。それは、日本神話は事実ではなくて、かなり意味をもって創られていることになるからです。
なお、この素戔嗚尊が月夜見尊は大本教霊界物語にもそうした記述はあります。日本神話の伊弉諾の御子ではないということです。
私は熊野の玉置神社で「猿の顔」をした方に拝謁したわけですが、そこから考えますと玉置神社の御祭神と日吉大社の説明文にある大年神は「大歳神」の神と言われ、記紀神話を持って来ますと須佐之男命と大山津見神の子供になっておりますが、ここの説明がおかしなことになっていると考えられるわけです。
摂社の猿顔の神を「日吉山王大権現」その方として表看板に出しておきながら、御本殿には祭っていないことになります。
西洋で、特にキリスト教で【人類は猿から進化した者】と言われて来ました。
それ自体は、ローマ法王庁も現代科学には勝てなくなって、人類は猿から進化したの説を降ろしてしまいました。
本当のところ、どうなのでしょうか?。
一部の霊能者の間では、人間は猿からではなくて、猿に似た存在から創造神の遺伝子操作によって今日の現代人の顔立ちになって来たという説があります。猿そのものではないが猿に近い顔をした人の存在です。その遺伝子操作をしたのが「国常立尊」様であるとする説もないわけではありません。
私が2番目の師匠の元に居た当時のある夜。眠ろうとしている中である光景が見えて来ました。
頭からすっぽりとフードを被っているひとりの男が私の前に現れました。その上空には無数のUFOが見えています。その顔をよく見ると、まさに猿の顔をした人なのです。彼が無数のUFOを引き連れていたのです。
驚いた私はその翌日、2番目の師匠にその話をして、そのフードを被った男の霊の霊媒通しをして貰いました。
すると、その男は私の前に出て来た理由として、その男の名前を言い、私が過去に貴方を助けたことを忘れて欲しくないと言います。その名を聞いて、私の遙かなる過去の出来事を思い出しました。
その人物は大本教霊界物語の中にも記載される名前の持ち主で、今の人類の歴史以前の話です。私達はその時代を神代と言っておりますが、私が戦った敵方の武将の一人です。
今の人類の時代ではありませんが、戦いに敗れた私が中近東から日本に逃げ帰る時に乗った船が難破して、敵に捕まるわけにも行かず、行く場を失った私は海中深くに自分の墓を創ってその魂はその墓に眠ったのです。
その私を敵方の武将で有りながら、海底に眠った私の墓守に徹した。その時の自分の功績を忘れないでくださいとの話なのです。私には子供の時からあるカルマがあります。そのカルマの光景を幾度か夢見て来ました。どうして海底に居るのかです。それらのカルマは全て神代の時代のものだったのです。
だが、その時代とは人類がいくら考古学を持ち出しても、絶対に証明不可能な時代で、大日本帝国が世界中に広がっていたのです。大本教の出口王仁三郎聖師が、綾部は「神の聖都」。エルサレムには「神の副聖都」が在ったと述べておられる時代の話です。
日本語とヘブライ語の間に似たものがあるとされますが、元のユダヤ人とは今の歴史以前の日本人だからです。
その男の話を私の横で聞いていた2番目の師匠が、何だ!。この男は!。猿の顔をした男ではないか!。と驚いていました。
その当時は猿のような顔をした人達も多数居たのです。
猿の顔をした方が「玉置神社」や「日吉山王大権現」として存在されていても、それをもってその方が「国常立尊」様であるとは言い切れません。
それは、何故かといいますと「魂」の構造問題からです。
日本神道では私達の魂は「一霊四魂」から成り立つとします。その図は私のHPやブログでも何度か出しましたが、再掲しましょう。
私は霊的に「牛の顔」をした人。「羊の顔」をした人。そして、「猿の顔」をした人を見て来ました。未だ見ていないのは「虎の顔」をした人だけです。
創造神は「日本語」という言葉をもって、神の仕組みを紐解けるようになさっています。
で、「猿」に何を秘められたかです。
一霊四魂の中における「猿」は「奇魂(くしみたま)」で叡智を意味します。
日吉山王大権現(猿顔の人)は「比叡山・延暦寺」の守護神ともされています。「猿(叡智)」と比叡山の叡智の「叡」、何かを秘めてあるのでしょうか?。
ナザレのイエスはその弟子達に「蛇のように賢くなりなさい」と説きましたが、本当は「猿のごとく賢くなりなさい」なのです。
私達は「猿」と言いますと、日光東照宮の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の教えを知ります。
しかし、これは間違った「三猿」の教えだったようです。
秩父神社は妙見信仰で知られておりますが、そこの三猿は「よく見て、よく聞いて、よく話そう」というお元気三猿と言います。妙見様とは「天之御中主」であり、元の気たたる天帝のことです。
天帝神の教えをよく見て、よく聞いて、それを人によく話そうなのです。そうしますと、「獣たる存在とは遠く」離れるのです。
あまり知られていない話なので確証はないのですが、お釈迦様の前世話にお釈迦様が船乗りであった時、安酒場で喧嘩して人を殺めた。その罰として次の世に猿として出されたの話があります。
どうしてお釈迦様に成られた人が「猿」かと思っておりましたが、お釈迦様が「奇魂(くしみたま)」であったにならば「猿」は考えられます。私は「和魂(にぎみたま)」で罰として牛で出された時があるからです。
お釈迦様の偉大な叡智は「奇魂(くしみたま)」のなせるものであったのかも知れません。
私はこれまでのHPやブログで、猿を単純に「申」で考えておりました。一方、猿には「去る」の意味が秘められており、魂が「獣(毛物)」の者達とは遠く離れて去りますで「世の大立替」年を暗示しているとは書きましたが、その翌年が酉の「トリ」であり、去るとトリの関係を間違えていたようです。
来年の猿の年に去ってしまえば、終焉の大「トリ」が出て来れなくなります。
今回、日吉山王大権現の猿顔をした神の絵を見て、ようやく理解が出来ました。
来年の猿年で「牛の糞が天下取る」に入り、その翌年を「終焉のトリ」として今の世の幕を引く仕組みであろうと言葉の仕組みは考えられます。その後に「嬉し嬉しのみろくの世」でしょう。
豊臣秀吉のように猿で天下を取ると言うことは、猿年に創造神が天下を治めますと言う意味だったのかも知れません。
しかし、猿年は12年に一回は来ます。来年がそうだという確証はどこにもありませんが、私は来年がその創造神自らの天降りによる天下統一の猿年である可能性は高いと踏んでおります。
無論、こうした話はスピリチュアルで出て来るような霊は一言も言いません。彼らは我が世の春が永遠に続くと思っているからです。
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声や、私が修行のお世話になった豊受様以外では、木花咲耶姫様が御用をさせておられる幾人かの霊能者の方以外にはあまり言われない話です。
誰が正しいことを言っているのかなど誰にも解らないことなのです。ただ、可能性が万一にもあるならば、例え自分が悪役になっても語らなければならない分野なのです。
それは人は死ぬ時、畳の上で大往生ならばいいのですが、大事故などでその恐怖を目に焼き付けると、その光景がカルマのようになって、地縛霊化してしまいます。そこに善人とか悪人など関係ないのです。そうした地縛霊を上げるのは大変な作業になります。本人の魂にその光景が焼き付くからです。
そうなると、神だから霊能者だからと言って救うことなど出来なくなります。
例え外れるとしても、心の準備をしている人とそうでない人とでは、万一の時にまったく違って来るからです。
例え聖書に書かれる天地が崩れる光景が出て来たとしても、これは仮の光景だ!。映画のシーンを見ているだけだ!。そうした感覚の人ならばやり過ごせます。立替があろうとなかろうと、立替が起きると考えている人の方が万一に対処出来やすいのです。
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