よく霊能者の方。またスピリチュアルの方でも自分は「神剣」を持っておられると言われる方が多々あります。そうした中には、自分は「三種の神器」を持っていると誇らしげに言われる方があります。
?。神々は「三種の神器」らしきものは名だたる御神霊は皆さん持っておられます。三種の神器とは「鏡・玉・剣」の三種ですが、俗に言われる「三種の神器」とは、「スメラミコト」が持つ物に限って意味するとされています。
しかし、仮に現天皇家にそうした事物があったとしても、大身の御神霊は皆さん持っておられることからすると、その「鏡・玉・剣」とは霊的な物であって、現世のレプリカ的な物には何の意味も価値もないことになります。単なる形代に過ぎません。
以前、当時霊能者としては未熟な段階の方でしたが、その方の魂の神格の高さを買っていた女性がおられました。その方達と同行していると、大きな神社に行くと、その神社の御祭神がその女性に必ず「神剣」を贈られます。御本人がこれほど神々から「神剣」ばかりを貰ってどうしょうかと言われます。
その旅に途中から同行された霊能者の方が、神々がその方に「神剣」を贈り物にされることに関して、いったんは受け取って、他の神様に贈り物として差し出せばいいとアドバイスされました。
神剣は贈り物としても使われているです。
某神社で、その方が神剣を受け取られる時に出て来られた御神霊の服装とその神剣の特徴は、その霊能者の方も以前にその神社で御神霊から神剣を授与された時と同じ服装で神剣も同じ特徴と言うことで、単に個人の妄想の類いではありませんでした。ただ、その剣は長すぎて実用剣ではなくて「飾り剣」だろうとなりました。
その後、その方があちらの神社、こちらの神社と貰われた神剣の中で一番強いのは大国主命様から直に授けられた神剣で、憑依する霊にその神剣を抜いて祓いに利用されていると聞き及びました。
私が豊受様の御命令で現在地に居を構える為の新築時、近所から妨害を受けて工事が進まないが起きました。立ち往生です。すると、大国主命様の霊が現れて、その妨害をされる方を神剣で切られる光景が出て来ました。何事が起きたのかと、豊受様の御代をしている当時の師匠の元に走りその話をすると、その師匠はそれを外部に言ってはいけません。その方は間もなく死なれるでしょうと言います。
当時、その師匠は豊受様を御祭神とする某稲荷神社の社務所で神霊相談を行っておられましたが、その社務所に相談者の関係でヤクザが来て、相談者に対する豊受様のお告げに怒って、こともあろうに神前でピストルを出して、神など怖くもなんともないと言って暴れ回った事件がありました。
その当時、その市ではヤクザの抗争で銭湯でヤクザがピストルを発砲するなどがあり、かなり物騒な時代でした。その市のヤクザ達がピストルを持っていて、そのピストルを見た職場の同僚もあったほどで、警察ですらヤクザにはヒビっていた頃です。
京都市ではナイトクラブで当時の山口組組長がピストルで撃たれたり、広島などでも映画化されるようなヤクザの抗争の銃撃事件が頻繁に起きていた頃です。
その夜、そのヤクザは急性心不全で死にました。豊受様がそのヤクザに怒られて命を持っていかれたのです。それを神前で即座に行わずに、本人が帰宅した夜に命を持って行かれたわけです。そうなりますと、誰もが豊受様が命を持って行かれたなどは考えもしませんし、急性心不全ですから病気で処理されます。
そうした御神霊が命を取られるは多々ありまして、出雲の大国主命様に仕えていたある霊能者の方が、酒に酔って御神前で本当の刀を抜いて振り回したことで、生まれて間もないその霊能者の赤子の命を持って行かれたことがあります。本当の刀を持っていたというのは戦前の話だからです。戦前は軍の将校は軍刀を持って街中でも歩いていました。刀を持っていても許された時代です。
その霊能者たる父親は深く大国主命様にお詫びをしたところ、大国主命様はその赤子の命を元に戻すことはもう出来ないが、その赤子であった子の命を次に生まれる子とする。その証拠として、右手に小石を抱いて生まれてくると告げられたのです。そして、次に生まれて来た赤子は右手を握りしめていたので手を開くと、その手に小石を握っていたのです。その方は成人して大国主命様に仕える霊能者となられました。これはその霊能者の方が直接に私に語られたことです。
御神霊がそうして命を取られたなどの話をすると、よく自分は神など怖くも何ともない。命を取れるものならば取って見よと言われますが、神の神前で銃刀などで暴れたなどでないと、命を取れるものならば取って見よの言葉ぐらいで命を取られることはありません。
だが、それが眷属クラスともなると、神域を荒らすと不敬を赦さないと暴れたり、命を持って行かれるは作り話でもなんでもなく実際に起きます。
行者は弁天様のお使いとされる白蛇霊は怖いと言われますが、実際にそうした事柄に遭わなかったならばその恐ろしさは解りません。幾多の人が命を落としてもいるのです。
私の最初の師匠が間もなく死ぬでしょうと言われたのも、そうした出来事を数々見て来ているから、そう思ったようです。
私が豊受様から命じられた神業の妨害をされる方が、豊受様ではなくて大国主命様が神剣で切られたことに不思議は感じましたが、それはその土地が大国主命様の元屋敷でもあったからです。どうなるかと様子を見ていたところ、直ぐにその方の態度が一転して妨害が止まりました。その方は死ぬのではなくて、それまでの態度がまったく別人のようになってしまわれたのです。私はどういうことだろうと、考えあぐねていました。
私は最初は豊受神様の元で修業を積んだのですが、豊受様からは私に印も神剣の授与もありませんでした。行者さん達からあんたの師匠は弟子に印も神剣も渡さないとはおかしいと言われて、その師匠に尋ねたところ、貴方にそんなものは一切必要がありません。貴方が使う印や神剣は貴方の神(国常立尊)が必要と思われた時には渡されるでしょうから、自分の神から直接に頂きなさいと言われてしまいました。と言われても、私は私の背後にあると思われる神と直接に会話が出来るではありませんので、別に無くてもいいやで過ごし来ました。
2番目の言霊師の師匠の元に転じた時、その師匠の背後神は「国常立尊」様と言うことで、その師匠を通じて私に霊的な神剣が授与されました。当時はその神は「国常立尊」様だと思っておりましたが、本当の国常立尊様ではありませんでした。某霊山を本拠とする超古代も超古代の御神霊でした。が、一応神剣を賜ったわけです。
ところがです。
その神剣を抜くと、その神剣を目指して無数の霊が「自分を切ってください。自分を切って下さい」と殺到して来ます。それは半端な数ではありませんでした。その神剣を持っているだけで、私自身が無数の霊に憑依される現象に襲われたのです。
その憑依の苦しみが半端ではありませんでした。当時、私は2番目の師匠からおまえは「霊界の歩く掃除機たる霊を吸い込むバキューム」とあだ名されて、無数の霊を自分の肉体で浄化していましたが、その神剣を持つだけで耐えられないほどの苦しみとなりました。私はその神剣は「妖刀村正」かと思って、その師匠には黙って捨ててしまいました。以後、神剣の類いは持ってはおりません。
その師匠はあちらこちらで神剣を持って切りまくります。すると、霊的映像ですがその師匠に敵対する者達が頭から切られて血を噴き出したり、惨殺されて行きます。無論、現実の肉体には何も起きてはいないのですが、その霊体はかなりダメージは受けたはずなのです。
実際に、その師匠の元に来た相談者のお子さんが職場でいじめの暴力に出会っているで、その暴力を振るう人の霊を霊媒に入れて、神剣で切りまくったら、次の日にその暴力を振るう方は理由も告げずに会社を辞めたほどなのです。
その師匠は過去に何人もの霊能者を霊力で抹殺したと豪語しておりましたが、こうしたことは行者系の方ならば御存知の方も多いでしょう。実際の霊界は切った張った帳場なのです。
一部の霊能者の間で「闇ワールド」が知られています。「闇ワールド」とは霊力で人を殺すことを請け負っている霊能者達のことを指しますが、その実態は不明で表には出て来ません。西洋では黒魔術と言われますが日本古来から言われる【調伏】で、そのほとんどは不動明王の力を使うと言われています。
神の世界は「愛」だとか「正義」の論理ではなく、どれだけ「力」があるかなのです。
そうした霊界の神剣を持っただけで、私を切ってください。私を切って下さいと霊の方から私に飛び込んで来る。これはどういうことかです。
だが、大国主命様に神剣で切られた方の「魂」に変化が起きたことでその意味が解りました。
日本神道では「禊(みそぎ)」が重要視されます。ところが、この「みそぎ」は【身削ぎ・身殺ぎ】の意味だとされています。
すると、一般的に行われる川や池に入って水に浸かっていることが、「御削ぎ・身殺ぎ」に該当しているのかとなります。私自身も修業の過程では白衣を着用してそうしたことを積んでいましたが、どうもおかしい。何かが間違っているとしか思えませんでした。
どうして不浄物霊が私が授かった「神剣」に向かって、自分をその剣で切って下さいと懸かってくるのか?。そこにはそれなりの意味が存在したのです。
しかしながら、汚れた魂の表面を削っていただいて、その魂が元の様な「光球体」に戻れたとしても、それでは魂が小さくなってしまいます。
また、神々にしても、そんな面倒くさい作業を全ての人に対してはなされないでしょう。その方は世間的には嫌われておられましたが、地元の神社に対しては功績があったのです。
二兎を追う者は一兎をも得ずとは言いますが、魂の表面を削らずに魂の汚れを取って行くには、【自らが悔い改めて行く】より道はないのです。ほとんどの信仰は外部の神霊に頼ることですが、それは自己努力を必要とする自力信仰になります。
幾多の神社の御神霊から「神剣」を授かれた方が、憑依霊の祓いに大国主命様から授けられた神剣が一番効果があると言われていたのも、大国主命様の剣にはそうした力があるとなります。
日本神道で説かれる「鏡・玉・剣」。神鏡に関しては以前にブログに書かして貰いましたが、豊受様が実際に私の目の前で神鏡を使われたのでその意味は解っております。自分の姿を見る物ではありませんでした。考古学者達が考えているはレプリカたる神鏡を見ていたのでは、自分の姿を写す鏡としか思いつかないわけです。それと同様のことが「剣」にも言えたわけです。
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