09/03/15
謗法行為がなぜ悪いかについて、『妙法比丘尼御返事』に次のようにあります。
「仏法の中に入りて悪しく習ひ候ひぬれば、謗法と申す大なる穴に堕ち入りて、十悪五逆と申して、日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる智者聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我が身を又さながらに悪道にはよも堕ちじと思ふ程に、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候ひけるぞ」(御書1258㌻)
「謗法と申す罪をば、我もしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(同・御書1258~9)
つまり、信心をしても、謗法をおかしていたのでは、本来の信仰の目的とは逆の結果である地獄に堕ちてしまうことがあるということです。そうなっては信心した甲斐はなくなってしまいます。
そもそも、信心をした目的といえば、信仰生活(仏道修行)を通して、生命に内在する仏界を涌現させ、人間として最高の幸せな境界を会得することにあるといえます。
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