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皇位継承についての有識者会議報告書を読む(72)
『週刊新潮』はどこへ行こうとしているのか(59)
ここに掲げたのは「皇位継承順位表」と題する皇位継承のモデル(架空のもの)を説明した表である。北浦圭太郎『国定教科書と帝国憲法』(1919年)83ページから引いた。
北浦の場合も「皇兄弟中に於て嫡出庶出の別あるときは嫡出中の年長者先づ順位に充(あた)り」と言うのだから、美濃部達吉の「皇位継承ノ順位ニ当レル」と同じ使い方だ。この番号は皇位継承の「順位」(皇嗣を指す)が移る順番を示している。たとえば(1)~(4)が不在ならば、(5)が実際には(1)へ繰り上がり、「順位に当たる」ことになる。旧皇室典範の規定を目に見える形で具体例として示したということである。
皇祖父・皇父は死亡している前提がある。また父・祖父が必ずしも天皇とは限らない。現天皇を中心に血縁関係を描いたもので、ここは重要な点だ(後で触れるだろう)。印刷が不鮮明なので、以下に書き出すと、
(1)皇長子→(2)皇長孫→(3)皇曾孫→(4)皇次孫→(5)皇次子→(6)皇庶子→(7)皇長孫→(8)皇次孫→(9)皇弟→(10)皇次甥(嫡出)→(11)皇長甥(庶出)→(12)第三弟【皇弟が皇次弟のことで、ここは皇三弟の印刷ミスだろう】→(13)皇伯父【伯は皇父の兄を指すので、むしろ皇叔父がふさわしいか】
(1)・(5)・(6)が皇子、(2)・(4)・(7)・(8)が皇孫、(3)が皇曾孫である。(1)・(5)・(6)が儲嗣(皇嗣)となった場合は皇太子と呼ばれ、(2)・(4)・(7)・(8)の場合は皇太孫と呼ばれることになっている。それ以外の場合は「皇嗣」である。
(1)・(2)・(3)と、皇位はまず天皇の直系の子孫(その中の嫡出の長子)に伝わることが本来のあるべき姿であることを示している。また、天皇の直系卑属(1)~(8)、天皇の兄弟とその子孫(9)~(12)、天皇の父の兄弟(13)までを図示していることから、旧皇室典範の第2条~第6条までが対象になっている。(1)皇長子がいない場合は「次の天皇」の地位(皇嗣)は(2)皇長孫へと移る。
他も同じで、自分より前の番号の人物がいない時だけ、自分に皇嗣が回ってくる。その時点では自分が(1)である。そうした考え方を前提に成り立っている表だということには留意したい。
井原頼明『増補皇室事典』(冨山房、1942〔昭和17〕年)に次の一文がある。皇室典範第4条の条文をそのままに、ただ柔らかく表現し直したものである。「皇子孫の皇位を継承せられるのは、嫡出を先にされ、皇庶子孫の皇位を継承せられるのは、皇嫡子孫皆在(ま)しまさぬ時に限る。」
「皇庶子孫の皇位を継承せられるのは、皇嫡子孫皆在しまさぬ時に限る」という文は、「皇嫡子孫皆在しまさぬ」限り、皇庶子孫には皇位継承が予定されていないという意味だ。先に挙げた「皇位継承順位表」では(1)~(5)が皇嫡子孫、(6)~(8)が皇庶子孫である。(1)~(5)が一人もいない時だけ(6)に皇嗣となるチャンスがめぐってくる。つまりその時点では(6)は(1)となっている。これはどの番号の人物でも同じで、このような考え方のもとでは、現代のような皇位継承順位という捉え方は存在しないだろう。「明治典範において、初めて、明文の皇位継承順位が定められ」た(「皇室典範に関する有識者会議」報告書、第203回)とはとうてい思えないのだ。
『帝室制度史』第4巻(帝国学士院編、ヘラルド社発行、1940年)にも「皇位継承の順位」という言葉があるが(205ページ)、これも美濃部の場合と同じく皇嗣の地位を指している。
「皇室典範の制定せらるゝに及び、新に皇位継承の順位を一定したまふと共に」
として、皇太子、皇太孫の規定を説明する。「一定」は「いちじょう」と読むのだろう。『日本国語大辞典』は「一定(いちじょう)」の意味の一つを「物事が、確かに一つに定まること」としている。「皇位継承の順位を一定」とは、「皇位継承の順位にある者(=次期皇位継承者すなわち皇嗣)が一人に定まっていること」、すなわち誰が皇嗣になるかをあらかじめ明確に、一義的に定めたということだ。
さらに「皇嗣に関する上代以来の制度」と皇室典範の違いを四つ上げ、その第一について、
「皇嗣は冊立に依り始めて定まりしに対し、新制に於ては、皇嗣は冊立に依らず、法定の順位に従ひ当然に定まること、其の一なり」
とするが、まさに「皇嗣」継承の順序(皇嗣は……法定の〔つまり一定された〕順位に従ひ……定まる)について述べていることになる。冊立は「勅命によって皇太子・皇后を正式にその位につけること」(『日本国語大辞典』)。旧皇室典範では勅命を待たずとも、あらかじめ第2条により皇嗣は皇長子(皇太子のこと)と定まる(第196回)。つまり天皇の恣意も政治的な思惑も付け入る余地がない。皇子達の中で誰がより次期天皇にふさわしいかという人格面での評価すらあり得ない。単に生まれ順と嫡出・庶出の違いだけの問題で、それは誰にも動かせない。(天皇機関説が指し示す実体の萌芽とは言えないだろうか)
そこから先は皇長子が不在の場合に、誰を皇嗣とするかという事務的・機械的な手順になる。旧皇室典範では皇位継承自体よりも皇嗣の存否の意味が大きい。それがなぜかと言えば、すでに第201回で述べたように、理念、イデオロギーの問題として「天子の位は一日でも空けたまま(空位)であってはならない」からだ。戦後の象徴天皇制にその意味が希薄なのは当然であろう。
もう一つ副島義一『日本帝国憲法論』も確かめておこう。「皇位継承法ハ皇位ヲ践ムヘキ者ノ順位ヲ定ムルユヘ天皇ノ崩御アレハ之ト同時ニ順位ニ当ル者ハ当然皇位ヲ継承ス」(60ページ)、「皇位継承ノ順位ニ当ル者ハ此権〔皇位権のこと〕ノ上ニ請求権ヲ有シ」(61ページ)。
美濃部達吉の場合に若干あいまいだった「皇位継承ノ順位」が副島によって非常にくっきりとした姿を表す。「皇位ヲ践ムヘキ者ノ順位」、そして「順位ニ当ル者」とは、現実に皇位継承が可能な地位にある者(ネクスト・バッターズ・サークルに立った者)で、皇嗣以外ではあり得ない。戦前の法学者が考える「順位」とは、第一位、第二位……と並んだ一連なりの数値ではなく、やはり皇位継承者その人(「皇嗣」のポジション)として理解すべきだろう。
このように「明治典範において、初めて、明文の皇位継承順位が定められ」たはずがない。私たちが犯しがちな過ちは現代の常識を過去に投影することだが、現皇室典範に含まれる皇位継承順位という概念を旧皇室典範に性急に求めた結果が、<「皇室典範に関する有識者会議」報告書>の事実誤認につながったのではないか。それが官僚による有識者会議への意図的なミスリードでないことを願う。
(付記)『サンデー毎日』連載、森暢平「社会学的皇室ウォッチング!」は今年1月28日号の第99回(第1弾)から4月7日号の第108回(第10弾)まで、10回連続で<これでいいのか「旧宮家養子案」>を取り上げている。たいへんな力作である。私は「社会学的皇室ウォッチング!」をスマホで表示されるヤフーニュースで読んだり、『サンデー毎日』電子版で読んだりして、メディアウオッチ100でも言及したことがあるが(「国葬に思う」第7回、1615号、2022年8月10日)、連載のすべてをフォローしていたわけではない。本稿(第204回)執筆後に<これでいいのか「旧宮家養子案」>を通して読んだところ、第104回(第6弾)<旧皇族に継承順はなかった/「有識者会議」の牽強付会>(3月10日号)で、私が取り上げたのと同様のテーマを扱っていることを知った(もちろん方法論は異なる)。本稿と関連して教えられることもあり、詳しくは次回(これもすでに執筆済み)の付記で紹介することとする。
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