ウォーターシュートの歴史
    
ウォーターシュートとは
ウォーターシュートは、舟型のライドで斜面をすべり降りて、最後は下にある池に突っ込んで水しぶきをあげる、というアトラクションです。

外国の事や国内の初期の事はよくわかりませんが、少なくとも太平洋戦争後の日本国内のものは、舟の前方の部分に「船頭さん」が乗っていて、この「船頭さん」がヒモのようなものを引いて、舟のロックをはずすようにしてスタートし、着水の瞬間に高く飛び跳ねてまた同じ舟の前方の部分に見事に着地するという「芸当」を見せていました。舟に乗り込む乗客のみならず、池の周りで見物する人々もこれを見て楽しんでいたものです。

かつては「ウォーターシュート」という名称でいくつかの遊園地に見られましたが、現在では、従来型のものは横浜八景島シーパラダイスにあるのみです。ただし、若干変形して大型化したものが富士急ハイランド(グレート・ザブーン)やナガシマスパーランド(シュート・ザ・シュート)、さらには城島後楽園ゆうえんち(ポセイドン30)に見られています。従来型というのは滑り降りる斜面をそのまま逆向きで引き上げてスタート位置に固定するもの。近年の新型はコースターのように下の部分で乗客も乗り込んで、前進で巻き上げて最高点に達し、しかる後に滑り降りるというコースレイアウトです。もちろん規模も大きくなったので、立ち乗りしてジャンプするような「船頭さん」は乗っていないのが現在形です。

     

ウオーターシュートの歴史---世界編
さて、世界的に見て、このウォーターシュートの最初はどこか、というと、一般には、コニーアイランドのシーライオンパークとされているようです。時代はやはり1890年代ごろ。12人乗りの平底のボートで急斜面を下って人造湖に滑り込む「シュート・ザ・シューツ」というアトラクションでした。ナガシマスパーランドの「シュート・ザ・シュート」も、もちろんここから名前をいただいたのでしょう。

このウォーターシュートは時期もほぼ同じ、場所もコニーアイランド、ということで、コースターの応用とも言われているようですが、私はどちらかというと、「ロシアの山」から直接の進化形であるように感じます。

シュート・ザ・シューツには、ほどなく、さらに刺激の強いタイプ「マウンテン・トレント(山の急流の意味)」というのが登場しました。これはボートで丘や滝やトンネルや湖のある曲がりくねったコースを下っていくもので、その後の「急流滑り系」アトラクションのルーツともいえるものですね。そういった意味で、ウォーターシュートの登場というのは、歴史的に見ても、現在のさまざまなアトラクションに繋がりを持つ重要な出来事であったと言えるでしょう。

    

ウォーターシュートの歴史---日本編
日本に、歴史上初めてウォーターシュートがお目見えしたのは意外と古く、明治36年(1903年)というから、上のコニーアイランドに世界初のウォーターシュートが登場してからわずか数年程度という早さでした。場所は大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会という博覧会でした。(ちなみにコースターのほうの日本登場はこれより少し前の第3回内国博覧会---東京上野でしたね。)

これは会場となった大阪天王寺付近の茶臼山という山の斜面を利用して作られたもので、その前年にイギリス・グラスゴーで開催された博覧会にあったウオーターシュートをまねて作られたものでした。高さ12mくらいの台の上から95mほどの軌道を滑り降りて池に突入するもので、艇は8人乗り。名称は当時の記録によれば「舟すべり」とか「ウォーターシュート」と呼ばれていたようです。

ちなみに料金はというと、同じ頃、蕎麦1杯食べるのに要する料金の10倍程度だったというから、かなり高いものだったようです。しかも博覧会の入場料もこれと同じくらいの料金だったとのことですから、今でいえば、入場料に5000円、ウオーターシュートに5000円、あるいはそれ以上の出費をしていると思えばいいでしょう。それでもけっこう人気があったということですから驚きです。

このウォーターシュートには客と同時に係りの人も一人乗り込んだらしいですが、もちろん後年のような飛び跳ねる「船頭さん」というのはいなかったようです。ちなみにこの第5回内国博覧会では、回転木馬(メリーゴーランド)も日本に初登場しています。

さて、それから4年後の明治40年(1907年)には東京上野で今度は東京勧業博覧会というのが開催されていますが、そこにもウォーターシュートは登場しました。きっと大阪での盛況が評判となっていたのでしょう。

さらには同じ明治40年には六甲山の麓に香櫨園という西日本最古ともいえる遊園地が開園しましたが、そこに何と本格的なウォーターシュートが常設されているのです。コースターのほうは博覧会での初登場でもあまり評判にはならず、その後、50年ほどの長い間、闇に埋もれたままだったことと比較すると、何だか不思議な気がします。のろのろと走る初期のトンプソン型コースターよりは、一気に下って豪快に水しぶきを上げるウォーターシュートのほうが乗っても、眺めていても、より楽しかったのか、あるいはインパクトが大きかったということかもしれません。

残念なことに香櫨園というのは開園からわずか6年後の大正2年に諸般の事情で閉園してしまったため、この常設ウォーターシュートは短命に終わってしまいましたが、それに代わるように大正15年(1926年)に開園した豊島園には、開園の翌年にウォーターシュートが設置されています。ですから、いずれにしてもウォーターシュートというのはコースターよりはずっと早く日本に定着したといえますね。だから、こちらこそ「日本の絶叫マシンの元祖と言えるかもしれません。

私自身が昔(昭和30年代)、実際に目にしたことがあるのは、向ヶ丘遊園のもので、昭和27年に東洋娯楽機(後のトーゴ)が作ったものだそうです。あの着水時の音と水しぶき、それにポーンと高く飛び上がる船頭さんのカッコイイ姿が印象的でした。

日本国内でどれくらいの数が設置されたのかは定かではありませんが、日本が戦後の高度成長期を迎えた昭和40年代以降、だんだん少なくなったようで、まず、豊島園のものは昭和42年、向ヶ丘遊園も昭和59年には営業を終了。昭和60年代になると西武園くらいになってしまったらしいです。そして西武園のものが営業終了したのと入れ替わるように、今度は横浜八景島に初期の形のものが「復活」した、というような流れかと思われます。

初期の型のものは乗船の効率も悪いし、船頭さんの熟練も必要なことから、今後再び見られるようになるということは期待薄ですが、グレート・ザブーンのようなタイプや、各種の「急流すべり」に今後ともその流れは生き続けるものと思われます。こういった歴史を振り返りつつ、これら現代のウォーターシュートをあらためて堪能してください。

<参考文献>

「遊園地の文化史」中藤保則、自由現代社:1984年

「日本の遊園地」橋爪紳也、講談社現代新書:2000年

       

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