コースターの歴史---日本編
 意外と早い初「お目見え」---でも、後が続かず
  

日本にコースターが「初お目見え」したのは、実は意外と早く、明治23年(1890年)といいますから、アメリカでトンプソンのコースターが出現してからわずか6年後という年でした。そういった意味では、アメリカで登場したものはすぐに日本に入ってくるというのは、今も昔も変わらないようですね。

場所は東京上野で開催された、第3回内国勧業博覧会。この内国勧業博覧会というのは、第1回が明治10年に開かれた我が国最初の本格的博覧会で、おそらく1851年に第1回が開催され日本も何回か参加していた万国博覧会(ロンドン、パリ、ウイーンで開催)の影響を受けて始まったものなのでしょう。

もちろんこの時代ですからコースターも国産ではありません。イギリス人技師が設置工事を担当したとのことで、トンプソン型(別にそういう呼び名があったわけではありませんが)の往復式コースターが設置されました。

記録によれば全長60間(約109m)、往復120間、両端に高さ22尺(約6.7m)の「乗り場」があって、凹凸のある波形のコースを配していたとのことです。われわれが今日想像すると、「本邦初のコースター」だったら、さぞかしすごい注目を集め長蛇の列をなしたのではと思ってしまいますが、そうではありませんでした。開業の当日だけは招待客や新聞記者などで賑わったものの、その後の利用者はあまりいなかったとのことです。

というのは、同じ博覧会には何と「日本初の電車」というのも登場し、これが博覧会場を通る500mくらいの区間を走ってたいそう人気を呼んだとのことで、人々の注目は主にそちらに向いていたというのが真相だったようです。あるいはこういったスリルのある遊戯機械というのが当時の日本人の国民性、気性といったものにマッチしなかったのかもしれません。(ただし、これと近い年代に初登場したウォーターシュートのほうはかなりの大人気だったことから、もしかしたらこのコースターは、逆にちっともスリルがなく、つまらなかったのかもしれません。)

いずれにしても「日本初のコースター」は、さほどインパクトを与えることなく博覧会の終了とともに姿を消してしまい、後が続きませんでした。

アメリカではトンプソンのコースターが登場の後、着々と改良が重ねられ、1900年代前半にはサイクロンの登場を筆頭とした、「コースターの第1次黄金時代」ともいえるような時代が到来したわけですが、日本の事情はそれとはだいぶ違ったということになります。

明治の末期から昭和にかけては、様々な小型の遊戯機械が我が国に輸入され、また国産の遊戯機械も少しづつ誕生するようになり、ウォーターシュートなども常設されるようになりましたが、コースターだけは何故か別だったのです。その内国博覧会におけるトンプソン型コースターの「展示」の後は、長い暗黒の時代に入るのでした。このあたりは、アメリカにおける垂直ループコースターの初登場後の状態に似ていますね。

  

     
 ようやく常設コースターの登場
  

そしてようやく日本に常設のコースターが設置されたのは、「初お目見え」から50年以上経った、太平洋戦争後の昭和27年(1952年)のことでした。なぜかこの年、国内2ヶ所でコースターが常設されるようになっており、これにも何か不思議なものを感じます。

そのうち1ヶ所は大阪の枚方公苑(現在のひらかたパーク)ですが、残念ながらこれについてはそれ以上の記録がないので詳細は不明だそうです。そしてもう1ヶ所は宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)です。

宝塚新温泉のコースターは(株)三精輸送機が製作、同年3月に据え付け施工したウエーブコースターで、事実上これが日本に常設された最初のものというだけでなく、国産初のローラーコースターであった思われます。名前の通り、ちょっとしたキャメルバック型コースターだったようですが、コースが短かったため、2周まわるようにして営業したとの話も伝わっているそうです。営業開始に先立って、社員が試乗させられましたが、男性でも脚がガクガクになり、女性社員に至っては泣き出した人もいたそうで、今考えると、ちょっと信じられないような話ですね。

これに続くように、翌昭和28年には「浅草花やしき」にもローラーコースターが誕生。花やしきは昭和24年からは東洋娯楽機(後のトーゴ)の直営となっていましたから、もちろんそのコースターも東洋娯楽機製ということになります。これは営業開始時には「讀賣ロケットコースター」と名付けられており、当時の写真を見ると、小さな3両編成で、前と後ろがロケットのように少し尖った形をしていました。ところで、なぜ讀賣なのかというと、読売新聞社が読者を招待するために提携話をもちかけ、これによって讀賣の名を冠することとなったようです。ただしこの名称の契約は2年間くらいで、その後は皆さんご存じのようにローラーコースターとなって現在に至っています。ですから「花やしき」のローラーコースターは日本では現存する最古のコースターということになるわけです。

    
 「ジェットコースター」の登場

  

さらに同じ頃、日本のコースターの歴史上、極めて重要な出来事がありました。それは昭和30年(1955年)の後楽園遊園地、ジェットコースターの誕生です。ジェットコースターというと、一般的な名称かと思われる方もあるかもしれませんが、日本独自の呼び名です。英語ではローラーコースターと呼ばれています。この、日本では当たり前のようになってしまった「ジェットコースター」なる名称が歴史上初めて考案され使用されのが、その後楽園遊園地のジェットコースターなのです。最初はオリジナルな「固有名詞」だったのです。

そもそも後楽園遊園地は、遊園地としても日本の遊園地史上、画期的な遊園地でした。というのは、それまで日本に誕生、発展してきた遊園地の多くは、もっぱら郊外にあって、自然と親しむことを主体とし、そこに遊具もあって遊べるという形態が多かったわけです。しかし都会の真ん中のあの土地に、一体どういう遊園地を作ったら良いかということを模索した結果、「自然」とは対極にある、徹底した機械化遊園地という形態を考え出したわけです。そして、その中でスリルやスピードを追求する、ということからアメリカ(具体的にはコニーアイランド)に倣ったようなアトラクション、特にローラーコースターなどをメインに設置しようということになったようです。

当初はアメリカ製の遊戯機械を輸入する予定だったのが、当時の外貨事情などで不可能となり、コースターも純国産ということになりました(設計・施工は明和工務店という会社)。そして苦労の末、全長550m、最高時速60km、所要時間2分10秒のジェットコースターが完成、開園と同時に営業を開始しました。(名称の由来に関する話題は別項で論じていますのでそちらを参照下さい)

日本の遊園地史上初となる、「都市型機械化遊園地」、その花形アトラクションとなって大人気となった「ジェットコースター」。この名は、その後、我が国において、ローラーコースターの代名詞として今もなお広く親しまれ、また実際に固有名詞としてさえも、しばしば使用されているのは皆さんもご存じの通りです。

    

    
その後・・・
  

このように、日本において、ローラーコースターが常設として定着したのは、昭和27~30年(1952~1955年)のことであり、そんな意味ではアメリカから見ると、約50年の遅れがあるということにもなります。

世界編と同じく、次にやって来るのは、宙返りコースターの時代ということになりますが、ここではまるでアメリカとの差を埋めようとするかのように、一気にスピードアップで設置されることとなりました。

アメリカのナッツベリーファームでコークスクリューが登場したのが1975年。日本ではそれに遅れることわずか2年の1977年(昭和52年)に千葉県の京成谷津遊園に同型機が設置され、大きな話題を呼びました。(余談ですが、私が絶叫系マシンを「かたくなに」拒絶して自分の中での絶叫暗黒時代を築くことになったのは、この谷津遊園のコークスクリューに打ちのめされた事が原因でした)。ちなみにコークスクリューの西日本初登場は翌1978年、奈良ドリームランドのスクリューコースターでした(同じアロー社製)。

コークスクリューの登場以降しばらくは、この時代、日本の経済状態が良好だったことも手伝って、次々と新しいコースターが登場しました。

1979年 サンダーコースター(那須:サノヤス・ヒシノ明昌)
          ---国産初のコークスクリューと思われる
     ループ・ザ・ループ(東条湖ランド)
     
ループコースター(よみうりランド)
     シャトルループ(横浜ドリームランド)
     

1980年 ダブル・ループ(富士急:サノヤス・ヒシノ明昌)
     スカイループ(生駒山)---泉陽興業のアトミックコースター

1981年 トルネイダー(あやめ池遊園地)---スクリュー+ループ

1982年 よみうりランドのループコースターに
     立ち乗り車両登場(世界初)

1983年 ムーンサルトスクランブル(富士急)

1988年 バンデット(よみうりランド)---当時世界最速110km/h

    

このように1980年代はバブル期にかけて各地にいろいろとコースターが設置され、これらのうちいくつかのものは、現在でも目にすることができます。ただし、1990年代はバブル崩壊の影響で日本経済も下降線をたどることとなり、新しいコースターの導入速度は鈍り初め、そればかりか、1990年代後半からは、遊園地の閉鎖が相次ぐ時代となったという流れは記憶に新しいことだと思います。

1992年 ジュピター:日本初の木製コースター(城島後楽園遊園地)

1994年 ディアブロ:日本初のインバーテッドコースター
            (姫路セントラルパーク)

1996年 フジヤマ:当時世界最速

2000年 スチールドラゴン2000:当時世界最速

2001年 ドドンパ:当時世界最速

      

こうやって日本のローラーコースターの歴史を振り返って見ると、ローラーコースターの黎明期には、いち早くそれが我が国にも紹介され、また宙返りコースターが出現して第2次黄金時代が到来する際にも、かなり早い時期から新鋭機が導入されたという歴史があります。にもかかわらず、最近のわが国のコースター事情を冷静にに見つめて見ると、アメリカなどに比べれば、どうしても「お寒い」状態であると言わざるを得ません。そればかりか、遊園地そのものの存続すら問題となるような今日この頃となっています。願わくは、今後、経済復興とともに、再び新しく魅力的なコースターの繁栄する時代が訪れることを期待したいですね。

(尚、日本初の宙返りコースターだった京成谷津遊園のコークスクリューは、谷津遊園の閉鎖(1982年)にともなって、翌1983年、北海道のスルツリゾートに移設され、現在でもその姿を見ることが出来ます。)

   

終わり

   

 

<参考文献>

「遊園地の文化史」中藤保則、自由現代社:1984年

「日本の遊園地」橋爪紳也、講談社現代新書:2000年

その他、東京ドームシティ、三精輸送機ならびにサノヤス・ヒシノ明昌より情報をいただきました。

 

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