先週、日本大使館に小市琢磨告発状を提出した帰り際に書記官から
『この度はありがとうございました。』
えっ?
弊社社員が亡くなった、その後の葬儀、手続きの件でした。
これは逆に私の方がうっかりしておりました。
いえいえ、こちらこそ手厚く大変お世話になり、ありがとうございましたと私の方が失礼をしていました。
『社長の会社ですから安心して我々も動けることができました。』
書記官のこの僅かな言葉で日本人が海外で亡くなった場合にいかに大変なことだと、その都度各国の在大使館の職員の方々が動かれているのなど察することができました。
直面しないと分からない事ですよね。
死後、カンボジアの国家警察や大使館の方々が検死に来られて、そこから葬儀です。
火葬費用が日本より高いことに非常識かもしれませんが驚きました。
『お前らの国は人が死んだら平均年収の2倍の火葬料を取るのか?みんなどうしている?』
『いや、社長、○○さんは外国人だから高いのですよ』
死ぬ時も金次第か。。。
海外で亡くなると身内や関係者がいないと放置される?大使館が立て替わりかもしれませんね?
検死後、日本本国の身内の方に連絡をされて、私達が分からぬところでの手続きがあったはずです。
改めてカンボジア日本大使館の方々には、故人、お身内の方に替わって感謝申し上げます。
身内の方も大使館の方には非常に感謝しておられました。
その身内の方からのお手紙になります。
御見送りの会は、関係者やお世話した方々がたくさんお越しになって、故人の人柄、生前の生き方が映し出された良い会でした。
そのことを日本のお身内にご報告させて頂いて大変感謝頂き、かえって恐縮でした。
当たり目のことです。
その弊社の故人を死後、Xで故人にからしをすり込むような誹謗中傷を繰り返しているのが
カンボジア日本人会会長小市琢磨です。
人間のクズの心身障害者です。
そのうち身体障害者になった以上の天罰が下るでしょう。
伊勢丹デパート勤続していた親からどんな育て方されてきたのか?
普通は日本人会会長なら邦人の死に対して弔辞を送るべきでしょう。
それがSNSで故人に誹謗中傷です。
日本大使館の手厚い対応とは全く真逆でした。
さて、カンボジアで活躍した故人の形跡を少しだけ記録として残す、紹介させて頂きます。
弊社に入社して今年3月3日で10年目でした。
2月半ばから急に寝込むようになり、末期がんです。
4月2日が誕生日であって、その2日前にお亡くなりになりました。
3月に死期も近いかなと思って率直な話を故人としていました。
日本帰国して高度医療を受けた方が楽な死に方ができますが、誰も面倒を見れる人はいないですよね?さみしい死に方するのならカンボジアで周りに仲間がいて亡くなる方が良いのではないですか?と相談して故人も同意、死後はシアヌークビルの海で散骨して欲しいと。
病状が悪くなってからは私に指示されるでなく、スタッフが24時間身の回りの世話と看病をしてくれました。故人の生前の人柄、生き方、人への接し方の表れです。
私が最後にメッセージを交わしたのが日本帰国時の亡くなる前の4日前
正露丸の在庫が無くなりかけているので買って来てもらえませんか?
でした(^^;
そんな病気でないだろうと思いながら買って来て渡すことができませんでした。
カンボジア帰国した翌日にお亡くなりになりました。
このあっけらかんとした生き方、死に方は、故人の生前の履歴からも察せます。
大阪大学医学部2学年時に中退
何でですか???
学生運動のリーダーを務めており、1960年代の学生運動の時代に学長を監禁したらしいです(^^:
機動隊が突入して学長は解放、しかしその時学長は、
『私は監禁されていない。学生達と話し合っていたんだ。』と終始故人と学生達をかばっていたと凄かったと話していました。
監禁に加わったリーダーは故人を含めて3人、警察が提案をします。
事件収拾のために誰か監禁したと『形だけ』応じてくれないか?の甘い言葉に故人一人だけが義侠心から引き受けてまんまと逮捕、大学は退学処分です。
故人だけババを引いた幕引きとなりました。
以後、40歳になるまで公安当局の監視対象人物、毎年公安の面接があったそうです。
当時医者になっていたら大金持ちでしたねとよくからかっていました。
頭が良い人でしたが、損な人でした。
医師の道は断たれ、そこから建設業界に転身です。
この真っすぐな性格は、父親が任侠稼業の方でムチャクチャだったらしい父親似らしいです。
確か92歳でお亡くなりになった母親がこれではいけないと故人と兄弟姉妹3人を育てて3人とも医学部進学させたと聞いています。
真っすぐな性格は、故人がマラソンの選手、その競技性にも出ていたと思います。
昭和40年代でフルマラソン2:40で走れたそうです。
オリンピック狙えたのでは???の私の質問には、そこからの壁は大きく、全然違うと。体育会でなく大学からは同好会でやってましたのことでした。
マラソン競技者だけあって、体脂肪もなく、70代でも背筋がピンと真っすぐでした。
弊社での10年間の仕事では私とぶつかることが多く、二回りも若い私の指示によく従ってくれたと思います。
半面、カンボジア人の若いスタッフの教育は良くして頂き、女性スタッフが誕生日の時にはお花を贈る心配りもあり、お見送りの会には退社した子たちも駆けつけてくれていました。
書いて良い話かどうか分かりませんが、異郷の地で散って逝った働く日本人の軌跡として書き留めました。
故人の冥福を心よりお祈り致します。
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