脳科学研究センター-脳研究の最前線

「脳を知る」「脳を守る」「脳を創る」「脳を育む」の異なる分野を統合しながら目標達成型の研究を統合的に進め、脳科学への理解を進行。

臨床試験の現状

現在、国内外で多くの治療薬候補が臨床試験を受けています。総額で数千億円以上の費用が投じられているはずです。研究開発に用いた資金を出来るだけ早く回収したいのでしょう。臨床試験の結果は結論が出るまで公表されませんから、今後どのような展開になるかについては正確に予測することは不可能です。製薬企業にとっても死活問題であり、臨床試験の失敗が報告されて株価が10分の1に下がったケースもあります。あくまで私の個人的な予測ですが、劇的に効果のあるアルツハイマー病治療薬が見出だされることは当面ないように思います。病態が神経変性まで進んだ状態では、Aβ蓄積を抑制するだけで認知症が回復するとは考えにくいのではないでしょうか。軽度認知障害の段階で神経変性ははじまっているのです。Aβが蓄積しはじめて30年以上が経っていることを思い出してください。30年を簡単にリセットできるはずがありません。したがって、現時点では、臨床試験の結果に過剰な期待は抱かず、次節で述べる未解決課題に進むべきだと私は思います。

 

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対メカニズム療法

アルツハイマー病の最大の謎」の項で述べたように、Aβが蓄積して認知症に至るメカニズムは残念ながら解明されていません。この問題が克服されない限りは、アルツハイマー病の完全な予防と治療は不可能でしょう。現在考えられている主な可能性を示します。「炎症反応」は、おもにマイクログリア(免疫系のマクロファージに相当)等が活性化してラジカル等を産生し、これによって神経細胞が傷害されると考えられています。一方マイクログリアは老人斑などの異常蓄積物を除去する作用があることも指摘されています。したがって、炎症反応が悪玉なのか善玉なのかはっきりしていません。今のところ、抗炎症剤の投与によって病態が際立って改善されることはないようです。
酸化ストレスは、加齢に伴って過酸化脂質などが増加することや前述のマクログリアの活性化によって引き起こされます。最も影響を受けるのは核酸DNAです。加齢に伴って発現の下がる遺伝子は、酸化ストレスに対し脆弱であることが知られています。抗酸化剤としてビタミンEやクルクミン(ウコンの成分)が知られています。発症後の効果は顕著ではないようですが、発症前に長期服用することによって、予防効果が期待されます。抗高脂血症剤であるスタチンや非ステロイド系抗炎症剤(NSAIDs)は、疫学的研究や動物実験から、有効性が指摘されています。
タウオパシーについては、過剰リン酸化が原因であるならば、タウタンパク質をリン酸化する酵素を阻害する薬剤が、予防薬・治療薬となることが期待されます。また、近年、神経細胞の変性や死に関与する細胞内プロテアーゼとしてカルパインやカスパーゼが注目されています。これらのプロテアーゼ阻害剤も予防薬・治療薬の候補です。
最後に、Aβの重合凝縮を抑制する目的で、前述のAβワクチン以外に、低分子の凝縮抑制剤が開発されています。これは、Aβの分子間相互作用を高めることによって、重合を抑制したり、いったん重合したものを解離させる作用があります。第三相の臨床試験が行われている化合物がありましたが、2007年八月に失敗が報じられました。

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Aβ以外の治療標的‐対処療法

現在アルツハイマー病治療のために世界で最も使用されている医薬品はドネペジルです、これは、エーザイの杉本八郎博士(京都大学)が開発に成功した、世界に誇る日本の成果です。製薬品をアリセプトといい、年商約1000億円といわれます。ドネペジルはどんな経緯で開発されたのでしょうか?1980年代にアルツハイマー病脳内において低下している神経伝達物質が検索されました。その結果、アセチルコリンが低下していることが分かりました。また、アセチルコリンを合成する神経細胞が変性していることも見いだされました。そこで、研究者たちは「脳内アセチルコリンレベルを上げれば、症状が緩和されるのではないだろうか」と考えたわけです。脳内でアセチルコリンを分解する酵素アセチルコリンエステラーゼなので、これを阻害する薬品の設計と合成が精力的に行われました。その結果、コリンエステラーゼ阻害剤であるドネペジルが開発されました。国外でも同様の薬品を合成する努力はなされましたが、総合的にドネペジルを超えるものはありません。ドネペジルは比較的副作用が弱いこと、および、一日一回の副用ですむことが長所です。アセチルコリンエステラーゼの阻害剤は強すぎても弱すぎてもよくありません。
アルツハイマー病の発症機構カスケードにおいて、アセチルコリン低下は下流に位置します。患者さんには投薬効果の見られるレスポンダーとそうでないノンレスポンダーがあります。レスポンダーに関しては、投薬後約半年ほど認知能力の改善が見られます。しかし、いくらアセチルコリンの分解を抑制しても、アセチルコリン合成ニューロンが死滅して効果がなくなります。この半年を過ぎると、非投与患者と同じように認知能力が低下してゆきます。アセチルコリンを標的とした治療法は、原因を取り除くわけではないので、対症法と称されます。根本的原因(Aβ蓄積)の除去および対メカニズム療法と組み合わせれば、より強い効果が期待されます。
その他の対症法としては、興奮性アミノ酸受容体のイオンチャンネル拮抗剤があります。
これは過剰のカルシウムイオンが神経細胞流入することを抑制する作用があります。コリンエステラーゼ阻害剤が効かなくなった、より重度の患者さんに使用されることが多いようです。

 

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Aβレベルを下げるアプローチ

現在、アルツハイマー病の根本的治療の対象として、脳内のAβレベルを下げるアプローチが精力的に進められています。これまでの主流のアプローチは、セレクターゼの阻害剤とAβワクチンです。動物実験においてある程度の効果が認められたので、現在臨床試験の最中です。Aβ分解酵素ネプリライシンを活性化する方法も探られています。Aβワクチンは、Aβに対する抗体を用いて脳内のAβを除去するものです。能動免疫と受動免疫の二つに分けられます。能動免疫は、抗体(Aβペプチドあるいは誘導体)を投与して患者の免疫系に抗体を産生させる方法です。当然ながら、免疫応答は個人差があります。受動免疫は、あらかじめAβに対して作製した抗体を投与します。モノクローナル抗体という均質な抗体を用いるので、個人差やロット差はありません。ただ、抗体医薬品は一般的に高価なので、医療経済学的な理由から普及は容易でありません。
これまで述べてきたように、アルツハイマー病の発症機構について不明なことはまだ沢山あります。しかしながら、原因が生じてから発症に至るまで長期間を要すること、そして、老人斑→神経原線維変化→神経変性という三大病理が存在することは、複数の治療標的があることを意味します。このような理由から、複数の標的に作用する医薬品を組み合わせる、いわゆるカクテル療法が有効な治療法になることが期待されます。

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Aβと脳老化-軽度認知症の意味するもの

前述したとおり、孤発性アルツハイマー病の発症リスク、80歳を過ぎてから、急激に上昇します。欧米のベータでは、80歳で四人に一人が罹患しています。100歳では実質的に10人中9人が影響を受けているという報告もあります。この数字は、アルツハイマー病が特殊な疾患でなく、かなり一般的な意味での脳老化の行き着く先であることを示唆します。老人斑や神経線維変化などの代表的神経病理を有しながらも認知能力が健常な方はいますが、認知症の潜伏期間にある可能性が高いと考えてよいと思います。また、1990年代以降に正常な老化と認知症の中間的な状態として、軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment〉)という概念が確立されました。厳密には、主に記憶力に異常があるかないかに分類されますが、ここでは前者を軽度認知障害として取り扱います。軽度認知障害は、健常老人と比較して明確な記銘力(特にエピソード記憶)の低下が認められます。
しかし、判断力などの総合的認知能力が正常範囲にあるため、認知症と診断されるほどに重症ではなく、日常生活や、ある程度の社会生活を送ることはできます。この軽度認知障害は、アルツハイマー病に移行する確率が健常者の10倍以上高く、また、老人斑(Aβ蓄積)や神経原線維変化(タウタンパク質蓄積)や神経変性などの病理像においても、多くの場合に正常老化とアルツハイマー病の中間に位置することが分かってきました。
以上のことは、多くの人々が正常の老化過程で脳内にAβの蓄積を開始し、その量があるレベルを超えたところで、軽度認知障害を経てアルツハイマー病に移行することを意味します。このように考えると、これまで正常の老化の範囲で考えられてきた加齢に伴う神経機能の低下(例えば軽度認知障害と認められない程度の記憶力の低下)の一部は、Aβ蓄積に起因する可能性があります。事実、アルツハイマー病のモデルマウスでは、Aβが蓄積すると神経原線維変化がないにもかかわらず、認知症の低下が認められます。
健常な人間でも、個人差は大きいのですが、40代から80代にかけてAβの蓄積がはじまります。以上のことを考慮すると、あくまで正常の範囲での中年以降の物忘れ(人の名前が出てこない等の記憶障害)も実はAβ蓄積が原因である可能性が浮上してきます。これは、「超軽度認知障害」と称することができます。加齢に伴うAβ蓄積を抑制することができれば、この超軽度認知障害を制御することも可能になります。これは、認知症を予防するだけでなく、正常老化過程の認知能力低下をコントロールすることを意味しますから、冒頭で述べた「脳老化制御学」の対象となると私は考えています。

 

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ネプリライシンを活性化する

ネプリライシンを用いた遺伝子のは、アルツハイマー病の患者さんに対して成功する可能性は十分にあります。ただ、脳外科的処置を要するため、実際の患者さんを治療する神経内科医や精神科医には敷居が高いのが現状です。そこで、薬理学的方法の探索が進められています。その結果、神経ペプチドであるソマトスタチンが、培養神経細胞のネプリライシン活性を上昇させることを見いだしました。さらに、ソマトスタチン破壊マウスを用いて検討したところ、海馬においてソマトスタチンはネプリライシン活性を制御することによってAβ(特に病原性Aβ42)の量を調整することを見いだしました。ソマトスタチンは、ソマトスタチン受容体を介して作用します。受容体の結合部位は特異的な鍵穴のような構造をしているため、格好の創薬の標的です。また、ソマトスタチン受容体には五種類の(異なる遺伝子の産物である)サブタイプが存在し、その中には脳内に選択的に発現するものがあります。このサブタイプだけを活性化する低分子薬剤は、全身的な副作用がなく、脳内Aβレベルを下げる作用があると期待されます。
また、ソマトスタチン自身は認知能力改善作用があることも報告されており、二重の意味でアルツハイマー病に対して予防・治療作用があることが期待されます。さらに、脳内のソマトスタチンは加齢によって減少し、孤発性アルツハイマー病患者では顕著に低下することが報告されています。Aβレベルを上昇させることによって、孤発性アルツハイマー病の原因となる可能性を示唆しています。
米国のヤンクナーらは、ヒト脳を用いて約一万個の遺伝子の発現と加齢との関係を検討しました。加齢に伴って発現が低下する遺伝子は全体の1パーセントにあたる約100個でした。その中の一つがソマトスタチンで、40歳以降有意に低下します。アルツハイマー病の罹患患者率が80歳以降に急激に増えることによく一致しています。もちろん、ソマトスタチン以外にもネプリライシン活性・発現を上昇させる物質が存在する可能性はあります。

 

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アルツハイマー病とは

アルツハイマー病を発症すると、まず記銘力を含む認知能力が進行的に低下し、さらに、譫妄(意識混濁、幻覚、錯覚)などの精神症状を呈することがあります。認知能力低下は通常エピソード記憶(最近自ら行ったことや見聞きしたことに対する記憶)の異常からはじまり、言語能力や判断力が失われ、自分の居場所や家族の顔がわからなくなるほどに進行します。一般に運動失調は少ないので、徘徊などの問題行動の原因になります。精神症状としては、性格の変化、うつ症状、異常な攻撃性、根拠なき嫉妬、妄想などが典型的です。数年前、80代の女性が夫をまさかりで殺すという事件がありましたが、彼女はアルツハイマー病を患っていたため、根拠もないのに夫が浮気をしていると思いこんでいたのです。このような症状は家族にとって大きな負担になります。「認知症」はかって「痴呆症」といわれていましたが、「痴呆症」は侮辱的だという理由で用いられなくなりました。しかし、病気の実体を表す言葉としては「痴呆症」の方が正解だと私は思います。

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