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「日本軍は1937年12月に南京でナチスドイツと戦っていた」という話がよくわからないので更に解説してほしいというリクエストを頂いた。なので、じっくり、こってりと、歴史を説明するぞ! まず、中華民国はドイツ帝国が崩壊した後のワイマール共和国と「中独平和回復協定条約」を締結した。 これは、ベルサイユ条約で山東省と膠州湾の支配権(ドイツ帝国が所有)を日本に渡したので、気に食わないということで、二重外交をした結果じゃ。 パレスチナみたいだな! そして、中華民国の国民党は「中独合作」をする。 これは、ワイマール共和国が終わってナチスドイツ(ドイツ第三帝国)になっても引き継がれた。 つまり、「国民党とナチス党は一体化」と国際的に宣言したわけだ。 これで、ナチスは中国大陸から採れるタングステン(砲弾製造に欠かせない資源)を輸入でき、 国民党はナチスの武器や装備をゲットしたわけじゃな。 問題はここからじゃ。 1936年に、中華民国の国民党は、中国共産党と合作する。つまり、一体化した。 つまり、この時点から「ナチス党」「国民党」「共産党」という三つの組織が一体化していたわけじゃ。 ここで、ナチスドイツ軍事顧問団が活躍する。 どう活躍したかというと、兵士を訓練し、要塞を建築し、武器を提供し、 そして「ナチスドイツの将軍が戦場で実際に兵士を指揮して日本陸軍と戦闘し、日本人を殺傷していた」という事実じゃ。 1937年8月から、上海の戦いが始まる。 この上海の戦いで、ナチスドイツの陸軍中将ファルケンハウゼンが、兵士を指揮して日本陸軍と戦った。 さて、問題はここからじゃ。 上海の戦いは日本陸軍の勝利で、相手は20万人近い兵士を失った。 蒋介石は激おこだよな。 ここから、ファイルケンハウゼンは「指揮から外された」と考えられていた。 なので、1937年12月の南京の戦いに参加していない、と考えられていた。 ところが、最近、ファルケンハウゼンの自宅から本人の書いた日記とかメモがみつかり、 指揮は1938年1月まで続いていたことがわかった。 おお、じゃあ、南京はナチスと日本陸軍が戦っていたわけだね。 中独合作は、日本が1940年6月に日独伊三国間条約を締結して廃止された。 日本陸軍の力だけでは中国からナチスを追い出すことが出来なかったが、外務省の外交手腕で追い出したわけだな。 さて、ここで「合作」といっても「一体化」なのか「二つ以上の組織が協力していた」なのか、という問題がある。 そこで、中華人民共和国の公式の歴史じゃ。 中華人民共和国は1949年に建国されたから日本と戦争はしていない。 しかし、「した」という。何故ならば、「国共合作としていたから」だという。 つまり、中独合作していた状態に、国共合作したわけだから、 「日本はナチスと中国大陸で戦っていた」となる。 中華人民共和国はな、二つの選択がある。 ➀素直に日本とは戦争したことがない事実を認めて反日政策をやめる。 ➁国共合作したから中国共産党も日本と戦っていたと言い張るなら、中独合作もしているため日本はナチスと南京で戦っていた事実を認める。 どっちしかないよな。 歴史認識は、新しい戦争をする上で「過去にこんなことをされたから報復する」という 「民意」を形成する道具にいまされている。 なので、実質上、戦争の準備戦となっている。 特に南京での戦いは、いま非常に重要だ。なんせ日本が大量虐殺をしたことになっているからな。 しかし、客観的現実として、南京で大量の死体が目撃された事実はあっても、 その死体が「非戦闘員であった公的な証明」は存在しない。 普段着を着たテロリストが襲ってきたら応戦するのは当たり前じゃろ。 日本軍は必ず軍服を着ているが、中国軍はナチスの軍服か普段着か、両方着て日本と戦っていたのだから。 だからな、日本は「南京で死者はいなかった」とか「死者の数は少なかった」とかじゃなくて、「民間人が殺害されたという当時の身分証明書をだせ」というべきなんじゃ。 日本は原爆でやられた人が民間人であった公的証明書はあるからな。戸籍として。 原爆で焼かれても、再製といって作り直しているからな。 わしなら、そのような外交をして歴史戦に対応する。 日本の未来はこのままだと暗いぞ! みんなの意見をきかせてな。 ワシの書いた「われ、目覚めよ」は歴史戦の重要性について詳細に書いた。読んで一緒に日本を守ろうな! amzn.to/43aly4e
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