写真は19世紀の画像生成AIであり、絵が描けなかった人々に短時間でリアルな風景画や肖像画を描くことを可能にしました。
写真は絵の才能がなかった人々の創造性を解き放ちました。
同じく映画は19世紀の動画生成AIでした。
動画のリアルさに慣れていない人々は衝撃を受け、列車が画面に向かってくる場面では席を立って逃げまどい、画面に悪漢が銃を向けると、一斉に頭を伏せ、クローズアップされた人物の巨大な顔に恐怖しました。
それでも19世紀の人々は開放的で、風景画とそっくりな作品を一瞬で作り出すからと言って写真を発明した人々を訴えることはしませんでしたし、連続写真の発明者や幻灯機の興行主は映画の発明者を問題視しませんでした。
また、伝説的映画監督D・W・グリフィスは自分がモンタージュやクローズアップ、カットバック、移動撮影など映画手法のほとんど全てを発明したにも関わらず、後進がそれをそっくりそのまま真似したことを批判しませんでした。
もしグリフィスが映画という芸術形式に特許を設定していたら、映画の製作は不可能になっていたでしょう。
これらのことからすると現代人がAIアートを批判して既得権を主張しているのは奇妙に思えます。
AIが既得権を犯していて犯罪的だというなら写真はどうでしょう。
写真の発明によって肖像画家や風景画家は大きな影響を受けました。
19世紀半ば以降、写真館の急増により、肖像画や風景画の市場が縮小し、多くの画家が職を失ったり、写真家へ転職したりしました。
それまで肖像画は、画家に大金を払って依頼して描いてもらうものでしたが、写真の登場により、短時間で正確な肖像を得られるようになり、コスト面でも時間の面でも写真の方が圧倒的に有利でした。
また、風景画も写真を用いた絵葉書の登場によって市場が大きく変化し、需要が減少しました。
一方で大変興味深いことに写真は新しい絵画形式を生み出しました。
それが印象派です。
モネ、ドガ、ルノアール、セザンヌなどの印象派の画家たちは写真の影響を受け、写真のように一瞬の印象をもとにして絵を製作するようになりました。
彼らは当時の生成AIだった写真を模倣することで新しいアートを生み出しました。
これらの状況は現在と驚くほどよく似ています。
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