「家は3畳と8畳くらいの二間だけ」

 婚約延期が世間を賑わせていた2018年、「週刊文春」記者は佳代さんの足跡を追って、少女時代の佳代さんが暮らしていた神奈川県の湘南エリアを訪ねた。自伝で佳代さんは鎌倉で生まれ、いったん横浜に引越し、8歳の頃に湘南に戻ったと明かしている。その湘南で佳代さんが暮らしたのは、明治時代に別荘地として開発された地区の、最寄り駅から徒歩数分のところにある一軒家だ。記者の目には、立派な家が立ち並ぶ中にポツンとたたずむ、古めかしく小さな平屋に見えた。

既に取り壊された、佳代さんが暮らした湘南の一軒家(2018年撮影)

 その隣家に住む高齢女性に話を聞くと、佳代さんの母、Yさんとは高校の同級生だという。

「高校の頃は、よくお互いの家を行き来したり、一緒にスキーに出かけたりしていました。卒業後、Yさんは就職したのかな。しばらく疎遠になっていたんだけど、年賀状のやり取りはしていたの。Yさんは、横浜の方で会社の寮に一家で住み込みをして掃除などの賄いをやっているという話でした。でも、その寮が閉じるから、住むところがなくなってしまうと困っていた。ちょうど隣の家が空いていたから、ここを勧めたんです」

ADVERTISEMENT

 借家に越してきた佳代さんは両親と弟、そしてYさんの母との5人暮らしだった。女性が遊びに行くと、「お庭は広いけど、家は3畳と8畳くらいの二間だけ」だったという。

「言葉の端々に負けず嫌いなところが…」

 この頃の佳代さんを知る小学校時代の同級生は、当時の取材にこう語っていた。

「放課後、友達と遊ぶときは、お互いの家に遊びに行くのが普通でした。でも一度、『佳代ちゃんの家に遊びに行っていい?』と聞いたら、『ダメ。うちは(母が)忙しいから』と断られた。言葉の端々に負けず嫌いなところが滲んでいました。クラスでは、ピアノやバイオリンなど習い事をしている子が多く、それぞれの習い事の曜日を言い合って、遊べる時間を決めていた。でも、そういう会話に佳代ちゃんが入ってきたことはありませんでした」

自伝を出版した佳代さん(左) ©文藝春秋/撮影 吉田暁史

 前出の高齢女性が語った“佳代さん像”も、この証言と共通していた。

「Yさんはリウマチを患っていて包丁も握れない状態だったので、Yさんの母親が家事をして、佳代ちゃんは弟の面倒を見ていました。佳代ちゃんはとても気が強そうな印象で、母親の代わりに色々やっていました」

 母の代わりを務めようとする気持ちが、「気が強そう」な振る舞いに繋がったのか。佳代さんは自伝で、こうした周囲の印象も払拭しようとしたのかもしれない。

文藝春秋が提供する有料記事は「週刊文春電子版」「Yahoo!ニュース」「LINE NEWS」でお読みいただけます。

※アカウントの登録や購入についてのご質問は、各サイトのお問い合わせ窓口にご連絡ください。