(フロントライン 世界)レバノンで39人死亡 イスラエルの「ポケベル爆弾」、日常が対テロ戦に?
「何千台ものポケベルがテロリストの手の中で爆発したその日は、この戦争の転換点として記憶されるでしょう」
2月25日、イスラエルの商都テルアビブで開かれたシンポジウムで演壇に立った対外諜報(ちょうほう)機関モサドのバルネア長官は胸を張った。
昨年9月17日午後3時半ごろ、イスラエルは北隣レバノンの宿敵であるイスラム教シーア派組織ヒズボラの関係者が連絡用に携帯していたポケベルを爆発させ、大打撃を与えた。ヒズボラは2023年10月以降、イスラエルに激しいロケット攻撃をしかけ、約6万人のイスラエル市民に避難を強いていた。
バルネア氏によれば、ヒズボラ関係者の通信装置に爆発物を仕込む作戦は10年前から始まった。トランシーバー型爆弾が先行したが、「常に携帯している装置」として考案されたのがポケベル爆弾だった。
バルネア氏や米メディアの報道などによると、イスラエル軍の諜報部隊は、イスラエルが携帯電話のハッキング能力を高めているとのニュースをアラビア語のSNS上に流し、ヒズボラの警戒心を高めて、ローテクのポケベルの調達に誘導。モサドは複数の海外のペーパーカンパニーなどを使ってイスラエルが関与している形跡を消し、作戦実行までの1年間に約5千台のポケベル爆弾をヒズボラに購入させる工作に成功したという。
レバノンの国立科学研究評議会の報告書によれば、ポケベルとトランシーバーの爆弾はレバノン各地で爆発し、39人が死亡、3千人以上が負傷した。
■「戦争犯罪」指摘
イスラエルが戦果をアピールするこの作戦をめぐっては、「戦争犯罪にあたる可能性が高い」として非道さを指摘する声がある。なかでも、「正しい戦争と不正な戦争」などの著書で有名なユダヤ系政治哲学者、マイケル・ウォルツァー氏が、「自国民に対するテロ攻撃を一貫して非難してきた国によるテロ攻撃だ」とイスラエルを批判した米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿は論争を呼んだ。
ウォルツァー氏は、イスラエルがポケベルを起爆したのが、ヒズボラのメンバーらが軍事活動に従事しておらず、自宅で家族とくつろいだり、カフェに座っていたり、市場で買い物をしていたりした時だったことを問題視する。
武力紛争による被害や苦痛を最小限にするための国際人道法はジュネーブ条約を柱としている。第1追加議定書の48条は、「紛争当事者は文民である住民と戦闘員を常に区別し、軍事目標のみを軍事行動の対象とする」と定めている。イスラエルは第1追加議定書の締約国ではないが、国際人道法の基本原則である「区別」を守る立場を明らかにしている。
■攻撃対象に疑問
ウォルツァー氏は別のメディアへの取材に、ポケベル攻撃がこの原則に違反するとの立場から、「軍からの招集を自宅で待っているイスラエルの予備役兵が同じような攻撃を受けたらどうか」と問いかけた。さらに、イスラエルや欧米諸国からテロ組織と認定されるヒズボラだが、軍事部門のみならず行政機能や社会福祉を担う部門を有する組織であることを挙げ、「彼らが全員テロリストで、いつでも、どこにいても攻撃の対象となるのか」と疑問を投げかけた。
これに対し、イスラエルの識者らは「テロリストが活動していない時には攻撃できないという基準がまかり通るなら、テロリストにとってのパラダイスだ」と反発した。
この論争の根底にあるのは、イスラエルの「対テロ戦」で攻撃対象になりうるのは誰なのかということだ。
イスラエル軍の倫理綱領の策定に携わり、「テロとの戦いにおける軍事倫理」の論文もあるテルアビブ大のアサ・カシェル名誉教授は、「ウォルツァー氏が言うような厳密な方法で危険人物を特定していては、自分たちの身を守れない」と話す。
カシェル氏は、ヒズボラのメンバーは個々人の事情にかかわらず、ロケットをイスラエルに発射し続けている組織の一員であることでイスラエルに敵対していると強調する。「彼がその瞬間に私たちを撃ってくるか予測できなくても、自分たちを攻撃している組織のメンバーであるなら、私は彼を倒して自衛しなければならない。そして、ポケベル攻撃によって、ヒズボラのイスラエルへの攻撃を止めることができたのです」
■搬送者は「戦闘員にみえない」
昨年9月17日、ダニア・エルハラク医師(26)はベイルート近郊のマウント・レバノン病院の救急外来で、ポケベル爆発の直後から搬送されてきた患者の治療にあたった。この日だけで約150人の負傷者が運ばれてきたという。エルハラク氏は負傷者らについて、「武器を持っている人などおらず、みんなカジュアルな服装で、どうみても戦闘員ではなかった」と振り返る。
多くの患者は目、手の指、腕や足、腹部をけがしていた。負傷した部位は焼け焦げ、周囲には血の臭いにまじって、薬品のような化学物質の強烈な臭いがたちこめていた。次々と病院に駆けつけた負傷者の妻や子どもたちは「戦っているわけでもないのに、なんでこんなことに」と泣き叫んでいたという。
ヒズボラ支持者ではないというエルハラク氏だが、ポケベル攻撃はレバノンの社会と一般市民に深い傷痕を残したと感じている。「あなたの横にいる人が突然、爆発で吹き飛ばされたらどう思いますか。これはテロ攻撃です。レバノン人からすれば民間人であるはずの人でも、イスラエルにとっては攻撃対象なんです。『次に狙われるのは、私かも』と考えれば、市民は政治や政党から距離を置くようになるでしょう」
ポケベル攻撃に関与したモサドの元工作員は、米CBSの取材にその狙いを語っている。
「ヒズボラのテロリストを殺すことが目的ではなかった。死んだら、それで終わりだ。しかし、手や目を失った者がレバノンを歩けば、彼らはイスラエルの優位性を示す生き証人になる。『我々に手を出すな』ということだ」と続けた。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチでレバノンを担当するラムズィ・カイス調査員は、「ポケベル攻撃が称賛されるだけなら、ほかの政府や武装集団もまねしたいと思うようになる恐れがある。戦争犯罪をしても責任を問われないのは、とても危険なメッセージだ」と話す。
「対テロ戦」の難しさは、一般民衆にまぎれ、その社会に根ざした「テロリスト」とどう戦うかにあるとされる。それだけに、定義や範囲があいまいな「テロリスト」やその支援者を敵に位置づけることで、戦闘のルールの原則である戦闘員と民間人の区別の境界はぼやけてしまう。ポケベル攻撃は、民間人が普通に暮らす日常が突然「対テロ戦」の戦場に変わる世界を開いてしまったのかもしれない。(ベイルート=其山史晃)
■イスラエルとヒズボラをめぐる最近の主な出来事
<2023年10月> パレスチナ自治区ガザでイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘開始。ヒズボラがイスラエルへの攻撃を始める
<2024年9月> イスラエルがレバノンでポケベルなどの通信機器を一斉に爆発させる。レバノン領内に激しい空爆を加え、ヒズボラ最高指導者ナスララ師らを殺害
<10月> イスラエルがレバノンに地上侵攻を開始
<11月> イスラエルとヒズボラが停戦に合意
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