西田議員の「ひめゆり」発言 沖縄戦への「修正」が繰り返される背景
自民党の西田昌司参院議員がひめゆりの塔の展示について「歴史の書き換え」などと述べた問題。後に一部撤回したものの、沖縄県内では抗議や批判の声が収まらない。琉球大学の山口剛史教授(平和教育)は、西田氏の発言は事実誤認にとどまらない問題をはらんでいると指摘する。どういうことなのか、話を聞いた。
――西田氏の発言をどう受け止めましたか。
「沖縄戦の研究は、生存者やその家族らの体験を研究者らが聞き取り、証言を重ね合わせて『沖縄戦は何だったのか』という『像』を作り上げてきました。『軍隊は住民を守らない』という教訓はそこから見いだされています」
「ひめゆり平和祈念資料館の展示も、元学徒らが『生き残って申し訳ない』という贖罪(しょくざい)の思いを抱えながら、当時の体験から沖縄戦の実相を踏まえてつくり出したものがベースにあります。こうした事実を無視し、特定の見方で『歴史の書き換え』と語ることの方が歪曲(わいきょく)であり、厚みのある沖縄戦像を否定するものと言えます」
――戦後、沖縄戦の証言はどう集められたのでしょうか。
「米軍統治下の1950年、沖縄タイムスが住民証言を元に沖縄戦を記録した『鉄の暴風』を出版し、続いて『那覇市史』や『沖縄県史』、各市町村での体験記録が編まれてきました。72年に沖縄が日本に復帰し、自衛隊が配備されることになると、日本軍とは何だったのかが問い直され、日本軍による住民虐殺の事実が掘り起こされるようになります」
「こうした掘り起こしは、軍隊の支配とは何か、人権侵害がなぜ起きるのか、など目の前の不条理と重ねあわせながら進みました。単なる掘り起こしではなく、その時々の課題とリンクしながら丁寧に聞き取られてきたものなのです」
「沖縄戦」の問い 作り替えたい人たちが「常に存在する」理由
――過去にも、こうした沖縄戦像を修正しようとする動きがたびたび起きています。
「1982年に高校日本史教科書から旧日本軍による住民虐殺が削除され、2006年度検定では住民の『集団自決』について、日本軍が『強制した』との記述が削除される動きがありました。国の歴史観と沖縄の人々の記憶のズレは、今に始まったことではありません」
「ズレが生じるのは、住民視点の沖縄戦像が軍隊の本質をあらわにしているからでしょう。国は国民の生命財産を守ると言いながら、国家体制や国益を守る――。沖縄戦の経験からは、軍隊との共存はできるのか、という問いもおのずと生まれます。国のあり方を揺るがす問いであり、だから『住民も協力して戦った』という物語に作り替えたほうが都合がいい人たちが常に存在するのです」
――ひめゆり学徒隊も国のために戦ったといわれます。
「動員されるときは『国のために』と思った学徒もいたと思います。でも、戦場での現実や、沖縄戦終盤の45年6月に軍から『解散命令』を言い渡され、戦場に放り出されたという全体を見れば、『彼女たちも国のために戦った』と単純に言うことはできないと思います」
日本兵にも「いい人」はいた それでも変わらない本質
――沖縄戦は「捨て石」と言われますが、「日本軍は沖縄県民を守ろうとした」「戦艦大和や特攻隊も沖縄に向かわせた」という主張もあります。「命をかけて戦った先人に汚名を着せるのか」といった意見も聞きます。
「県民を守るために日本軍がいた、というのは、やはり事実と異なります。沖縄方面の作戦全体の意味や方向性を捉えると、日本軍にとっては沖縄の人を守る作戦ではなく、本土決戦の準備のため、『国体護持』のための時間稼ぎの戦いでした。少なくとも、沖縄の人たちや財産を守ろうと日本軍が盾になったわけではありません」
「もちろん、日本兵の中には『いい人』もいました。『この戦争は負けるから命だけは大事に』と日本兵が助けてくれた、といった証言も残っています」
「ただし、それはその兵士個人の側面であり、軍の方針ではない。沖縄を守備した日本陸軍第32軍の牛島満司令官の訓示『一木一草といえどもこれを戦力化すべし』が象徴的ですが、軍の目的は沖縄を灰にしてでも本土決戦を遅らせることでした」
「そもそも、一部の兵士の良心的な行為を挙げても、『(日本軍の評価には)賛否両論がある』とはなりません。なぜ戦争は起きたのか。住民に戦争への協力を進めさせた力が何だったのか。そうした大きなメカニズムを見つめないと、次の戦争を止める力にはなりません」
現代も続く性暴力 「軍隊の本質」を含む沖縄戦の教訓
――西田氏の言う「アメリカが沖縄を解放した、という展示がひめゆりの塔にある」というのは誤りですが、「米軍が助けてくれた」との証言自体は、沖縄各地に残っています。
「米軍の艦砲射撃などで多くの住民が殺されたのは間違いない事実。それと同時に、生きるか死ぬかの選択の中で、日本軍は『生きて虜囚の辱めを受けず』と死を強要し、米軍は戦場において住民を保護しようとした。その意味で『米軍が助けた』という証言が出てくることは自然なことです」
「ただし、その直後から女性への性暴力なども始まり、現代も続いています。そこにも軍隊の本質が表れており、その点も含めて沖縄では沖縄戦の教訓として捉えられています」
――西田氏のような見方に対して、ネット上では賛同する意見も多い。西田氏は「自分たちが納得できる歴史を作らないと」とも発言しています。
「今回の問題によって、沖縄で継承される語りに共感する人はより共感し、そうではない人は嫌悪感を募らせる、といったことが起きかねない。沖縄と本土や社会全体の分断を深めていく可能性があると心配しています」
「どちらが好き・嫌いではなく、国民全体が、あの戦争は何だったのか、どう総括するのかが求められています。今年は戦後80年、戦争体験者の話や姿に立ち返りながらみんな一緒に考えていこう、となることを願っています」
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