そんな犯罪なんかなかったので、どうとも思いません。これが答えですが、詳しく説明しましょう。
まず、南京でのレイプと言う事ですが、嘘です。
当時現地にいた人と、平成2年ごろに話をした事があります。
その当時でさえ老人であった京都府北部にお住まいの養蚕農家だったその元兵士は、南京攻略に携わった第十六師団に所属していました。
彼の告げたお話で、南京で何があったのかを述べます。
南京攻略軍は、予定していたよりも早く南京を陥落させてしまった。これは大問題となったらしいです。
何故なら、軍隊の警察である憲兵が、南京陥落時に南京周辺まで到達できていなかったからです。
北海道よりもまだ北に位置する、豪雪地帯を途中経路に挟む地形の12月なので、京都北部のそこそこ雪が降る地域の方でも死にそうだったと言ってました。(他の師団も結構寒冷地の師団が多かったとの事。)憲兵は、そんな方々の師団よりも、まあ生ぬるい地方の出身者が多かったのかも知れません。
とにかく、警察活動ができないので、凄く困ったそうです。
そんなこんなはありましたが、とにかく戒厳令だけは敷いて、昼はまあ仕方ないとして、夜間は外出禁止、出歩いてた奴は、臨時で作った番所(交番とは言えない)に連行、時々それが便衣兵で銃撃戦にも再々なったそうです。
そうこうしている間に、間抜けな憲兵たちもようやく到着。兵隊たちは胸をなでおろしたとか。
何しろ、憲兵は軍隊を取り締まる警察でもありますから、憲兵の居ない所で何をやってたかはキッチリ取り締まられます。どんな難癖が付くかわかったもんじゃないそうで、滅茶怖がられてました。
もう、中国人の滅茶苦茶なところは、戦前から戦後まで愛され続けた漫画”のらくろ”シリーズで、猛犬連隊(日本人)と山猿連隊(中国人)との話でも描かれていましたが、彼らは便衣兵つまり不正規戦闘を当たり前みたいにするのです。これ、戦争中は子供でも知ってる常識だったと言う事ですね。
で、中国人便衣兵が日本人の兵隊に戦いを挑む際には、中国人を人質にして銃を向けて来るそうで。これには日本人カンカンに怒りました。
当時の南京には”安全区”と言う、非武装なら攻撃されない区画があったのですが、そこでも平気で戦闘地域にする。便衣兵のアジトを作ると。もう、取り決めを全く守らないそうで。
遂にキレた日本人は、当時の国民党のユニフォームが半袖半ズボンの、日本人からすれば、そんな恰好でどうやって山岳戦を戦うのか理解できない代物だったそうですが、若年壮年の男子に袖をめくらせて、ズボンを脱がせて、日焼けの痕を提示させ、国民党の軍服の日焼け跡を付けてた者は便衣兵として射殺してしまったのだとか。
それを虐殺と言われたらねぇ。その時の写真は毎日新聞社が撮影した写真で、光景が今も残っています。
レイプについては、「雪の降り積もる路上で女を強姦できる程、日本人は寒さに強くないよ。」と一言でした。
ちなみに、当時国民党に武器を輸出していた国はと言うと、実はナチスドイツでした。そして、お得意様の意向に沿って、ドイツの新聞社は南京大虐殺を大々的にぶちあげて、ドイツ人の中には南京大虐殺を喧伝する者もいましたが、その内の数名はヒトラー総統自らが断罪する様な事にもなっていました。そりゃあ、同盟国に対する見事なまでの背信ですからね。
そんなこんなで、現在の南京大虐殺記念館に飾られている新聞報道の記事は、ほぼ全てがドイツ語の記事だったりします。
次に、731部隊ですが、これは単なる防疫部隊です。
モンゴルの風土病はペストです。有名ですよね?だから、日本人の内蒙古派遣部隊の給水と防疫は731部隊が仕切っていました。
その当時の事を、日本陸軍航空隊の退役准尉から聞いています。その准尉さん、大阪府高石市でバイク屋をやってて、私と非常に懇意にしていた方です。大正2年生まれの方で、かなり前に亡くなられましたが。
その人は、内蒙古に転属していた際、何度も何度も731部隊に連絡したらしいです。
「はよ水よこさんか。水なかったら戦争できひんやろうが!」と・・・。彼曰く、「731部隊?水汲みの事やろ?あいつらが人体実験して遊んでた?それはない。もし、そんな事で毎度水を届けるのに遅れてたら、終戦前に俺らに殺されとるよ。」と・・・。
まあ、それ以外にもですが、731部隊の蛮行と言われる人体実験ですが、その根拠は「赤旗日曜版」に掲載されていた故森村誠一氏のサスペンス小説「悪魔の飽食」が原典となっています。
ええ、新聞掲載の小説が元ネタなんですよ。しかも、掲載されたのが「赤旗日曜版」、共産党ご用達の日本人に対するヘイト溢れる新聞です。
そんなタブロイド以下のペーパーがすっぱ抜いた訳ですが、そんな事は本当にありえると思いますか?
私は思いません。ネタをマジで受け取るとか。リテラシー無いんですかね?反日の方々って?
余談ですが、その退役准尉は、終戦間近になって、義烈特攻隊に編入され、愛機の四式重爆飛竜と共に九州に転属。死ぬ前に命の洗濯をしまくった挙句、出撃の3日前に終戦!
退職金のついでに、爆撃機の座席下に備えられたパラシュートを貰って帰りましたとさ。
当時のパラシュートは絹でできており、それの糸をほどいて、大阪で待っていた奥様に渡してウェディングドレスに仕立て直したそうです。
毎度の長文ですが、まあ、今後も私のコメントを見つけたら読んでやって下さい。
N.Aさんのコメントにより、悪魔の飽食が掲載されたソースが雑誌赤旗ではなく、赤旗日曜版だとの指摘を受け、記憶違いの部分を訂正しました。感謝します♪
南京虐殺とか言われてますが、実際は日本軍に庇護を求める人達が多かったのだとか、焦土作戦とかしてたらそうなりますよね…。
南京事件は軍服を着ていない便衣隊の処刑ほ一部ありましたが、犠牲3万人(櫻井よしこ、秦郁彦など)は日本軍との戦闘で中国軍の兵士です。共産党は民間人を30万人も処刑、レイブしたというが、それウソですよ。それ30万の死体どうするんです?また南京陥落のあと逃げていた避難民が25万人戻っています…もし民間人処刑があったとして、そんな危険な所へ戻るわけありません。100人からのジャーナリストが入っていて民間人の虐殺を誰も見ていませんよ。