人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

聖書には、初めに言葉は神と共に在った。創造神=想像神が解るのは日本語だけ

スピリチュアルと称している方達の一部に、霊界には「言葉」は無いと言う非常に間違った認識を持たれる方達が存在しておられます。

仏教では、この世(宇宙)は【無から有を生じた】とします。一方、聖書では始めに【言葉は神と共にあった】です。
一見すると、まったく違うことを説いているように見受けられますが、この両方を知らないと、創造神とは何ぞやの概念が解らなくなります。一方だけに概念を置いてしまいますと、もう一方の意味が解らなくなるからです。

私は聖書だけを見ていて【創造神】は解らない。仏教だけを見ていて【創造神】は解らないと言います。では、「仏教」と「聖書」の両方を見れば【創造神】が解るかと言うと、それでも解らないと言います。

創造神を知るには=聖書+仏教+日本神道

この「三つ」が要ります。

では、日本神道とは日本の「天皇」を現人神として崇めること?。違います。
西洋の唯一神に対する信仰と違って、この日本では多神教で蛇霊や狐霊をも神として崇めること?。それとも違います。だが、そこに蛇霊や狐狸の霊の存在が居なければ、逆に唯一神の存在が浮かび上がって来ないのです。為に西洋は一神教に走りすぎて、道を誤ったがあります。

誰が考えても「蛇霊や狐狸が神として崇められている。人間はどうなっているの?」。それを不思議だと思わなければ嘘なのです。
そして、霊能力があれば解ることに、そうした蛇霊や狐狸は霊界で人の姿をもしているというこなのです。別に蛇や野狐等が神に成るということではないのです。
それを一般的に「化ける」と言いますが。化けるでは意味が解らなくなるのです。その身を「身変える・身替える」となっていることに気づかないと、創造神の凄さの理解には到りません。

この日本の国は、古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ました。その【言霊】に答えはあるのです。

まず、神には言葉を示し申すの【神(神)】。地域とか個人を【まもる(守)】の守護的意味の守(神)。人よりは上位の存在の意味の【上(神)】があります。そしてエネルギーを意味する「火(か)水(み)」があるのです。
神社仏閣に鎮まっておられる神とは、この言葉を示し申すの意味合いの神ではないのです。
日本の総氏神は「伊勢神宮」の天照大御神様としますが、こちらは「守」なのです。出雲の大国主命様も「守」です。国家守護。地域守護の守(神)です。ですから、伊勢神宮の守も出雲の守も「守護」神であって創造神ではないのです。

日月神示に、ウシトラ金神が人民に成り代わって天の大神様にお詫びすると言う内容がありまして、国常立尊様よりも高い神が存在するのですかという質問を受けたことがありますが、「言霊(げんれい)神」と呼ばれる存在があるのです。
言霊と書いてあるから「ことだま」とか「ことたま」とは言わないでください。一般的に言う「ことだま」とか「ことたま」は私達人間が発している言葉の意味合いのものです。


日本のスピリチュアルでは、まず【言霊】は言いません。よく知らないからです。どちらかと言うと、言霊は日本古神道と呼ばれ部類に入りますが、古神道を学んでいるからと言って、この【言霊】とは本当は何かと知っておられる方は、この日本では若干名になるでしょう。
それ以外の方の「言霊」論とは、言霊の本当の姿を知らずに言霊を学として見ておられるのです。
私が日本古神道の言霊関係の学会に行った時、日本の古神道の言霊の大家達は皆さん学だけの知識の言霊論でした。
この「言霊」を、「ことだま」と発音するのは間違っており、「ことたま」と言うのが正しいと言っている方もありますが、創造神からすると落第生となります。確かに言霊は言葉の玉なので「ことたま」で良いのですが、「ことだま」と言わせる意味は「濁音」等を言霊の論理を消させない為と言えるでしょう。

言霊と書かせて、【げんれい】と呼ぶことが出来ます。大本教が出した【瑞霊】と違って、【厳霊】の意味を持つからです。

つまり
「言霊(げんれい)」=創造神の「命令(厳霊)」

万物の創造の初発は「言葉」と言えますので、これらによって生まれ出た神々のことを「命」と書いて【みこと(御言)】と言うのです。


私は霊能者と呼ばれる立場ではありませんが、少しだけは霊能力を保持します。霊能力がまったくのゼロであれば、神々や生き霊や死霊の存在を認識することが出来ないからです。霊的世界の見聞者として必要最低限の霊能力というところでしょうか。

私は豊受様の御代(御台)をされていた最初の師匠の元に修業に入り、豊受様のお世話になっておりました。入った当初、その師匠は私が一年ほどでその師匠に匹敵するほどの霊能者になり、私と二人で組んで北近畿を包括する様な稲荷講社支部にしたいと思っておられたようです。
ところが、豊受様が神霊世界に対して、この豊受神が許可するまでは神々は私に対して口をきいてはいけないという命令を発せられたと言われます。実際、大国主命様などは私の前に幾度か姿を見せられるのですが、会話は一切無し。出雲大社教の先生を通じて神示などがありました。こうなると霊能者としては役に立たないことになります。

他の霊能者の方達からは貴方は神の教えをする方であり、蛇霊や狐霊と関わって人助けをする方では無いとの指摘も受けて来ましたが、豊受様から貴方に教えが出来る神はおりませんと告げられたので、別に神々と会話をしなければ自分の役目が果たせないではないのです。子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、この国は(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国と聞かされているからです。日本中を探せばどこかに答えがあるからです。
豊受様が発せられた命令は、それは既存の神界に所属されている神々に対しての沙汰で有り、俗に言われる不浄仏霊とか地縛している霊に対する命令ではありませんでしたので、そうした霊からは助けて下さいと私に訴え等は来ましたし、生き霊などとは会話もしておりました。

しかし、その会話とは相手は肉体を持たない霊で有り、当然に自分の肉体の声帯を使って会話するわけではありません。では、何で会話しているのかとなりますと、自分の「思い」や「想念」などです。その自分の思いとか想念を相手に告げる時、それは相手には「言葉」として伝わっているのです。それは肉体の声帯を使わなくても「言葉」であったことには間違いないのです。

霊界では言葉など必要無いと意味が解らぬことを言われるスピリチュアル系の方達は、そのことを深く考えるべきです。想念であれ思いであれ、それは肉体の様な発音は伴わなくても言葉として霊界で動いていたでしょう。そこを理解して来ないと創造神は解って来ません。

言葉の【言】とは、【口より出る心】を現しているのです。

何故に過去世では人の身であった者達も、霊界に入って蛇霊や狐霊や狸霊などに【身変える】のか?。そこには【言】の存在があります。

聖書に、人は「言葉」によって裁かれるがありますが




創造神以外の霊は本人達は何も知らずに「言」によって、裁かれているのです。

これは自分はキリスト教を信じている、イスラム教を信じている、仏教を信じている、日本神道を信じている。そうしたこととは一切関係なく、「言」で裁かれるのです。

言は「口より出る心」なので、自分の心の有方におて、身変えっているのです。
この世の生き方で、その身が変わるのです。


私の最初の師匠は優秀な霊能者で、「自分は神様は蛇や狐だと思っている」とその著本に述べているのも、低次元神霊界を歩けばそうなのです。そして、蛇霊や狐霊に化した霊は私達人間よりも少しは上界だから「上(神)」と呼ばれるのです。それを私達は区別せずに「神」と呼んでいるだけです。
ですから、私が初めて伏見稲荷山に上がった時、非常に優秀な霊媒者に豊川稲荷の眷属たる巨大な白狐霊が入り、その師匠の信徒さん達の前で【下郎。人間の分際で頭が高い!】と一喝して来た時、びっくりしてしまいました。
確かに、蛇霊でも狐霊でも「上(神)」として祭られている立場からすると、そうした人間に対しては【下郎。人間の分際で頭が高い】なのです。

次元的に言えば、稲荷を信じておらる信徒達さんよりも、その大白狐の方が次元も高いのです。稲荷行者と呼ばれている方達の中には、そうした「白狐」に使役されている方は数多いのです。
スピリチュアルでは何かと言えば西洋の羽根を持った天使!。天使!ですが、これも「天狗」と同じで「獣」系に属しているのに過ぎないのです。


ですから、私はずっと申し上げています
獣にも「愛」はあるが、獣には「良心」がないと
愛は説けても、「良心」が口に出せない異常さです

人が本当の神の世界に進むには「愛」ではなくて、お釈迦様が悟られた「良心」神に関わるのです
で、五十六億七千万という数字に意味を秘めた「みろく(369)」が出て来るまで、お釈迦様の悟りは埋もれてしまっていたのです



聖書に、【初めに言葉は神と共に在った】とあります。これが解っていないと創造神は解りません。創造神は人間の様な体として現れて、何々有れと言われたから宇宙世界は出来たのではないからです。

宇宙の初発に想像神が存在した

創造神の前に【想像神】が在り、その想像神の「息吹」において万物が創られて行ったのであって、それを以て「万物は言葉によって創られたであり、言葉によらないものは無い」となるのです。その息吹を「言霊」と言います。

そして、想像神=創造神だと完全に理解出来るのは日本語だけなのです

では、同じ漢字圏の中国で発音を聞くと「創造と想像」は発音が違っていると解ります。韓国の場合は創造するは「창조하다(チャンジョハダ)」で、想像するは「상상한다(サンサンハダ)」となります。同じ漢字圏でも、想像=創造が解らないようになっているのです。

日本語      英語      中国語                      韓国語
創造 そうぞう  Creation     ピンイン: chuàngzào   創造(창조)
想像 そうぞう  Imagination   ピンイン: xiǎngxiàng   想像(상상)



日本が世界の中で唯一の神の仕組みに下にあるというのは、この「想像=創造」に成ることが解る国で在り、「国常立尊」とは、この日本の国に常に立つ御言(ミコト)の意味ともなるのです。
その【御言(言葉)=ミコト(命)】を解き明かされたのは、大本教の出口王仁三郎聖師が最初の方だろうと思われます。
日本は神の言葉の国であるので、日本列島は地球の大陸の「縮図」ともなっているのです。それを仕組んで来られたのが本当の創造神なのです。

世界の五大陸の縮図である日本で、カタカナの西洋名を名乗る天使と称する者達は創造神にとっては必要が無い存在であり。彼等はまったく言葉とは何かを理解していないでしょう。そんな存在に引っ掛かっていれば、最後の審判で本当に「火のマグマの中」に叩き込まれてしまいます。

以前、精神世界系のブログで人気を博しておられる方がありました。その人気が高かったのは、何も知らない無知的スピ者や霊感者を相手にしているからです。言っていることも矛盾のデタラメだらけでも、ほとんどの方がそれを精査する力を持っておられないから簡単に引っ掛かります。
私は長くそうした世界を見て来ましたので、即座に背後は「蛇霊」と解っておりましたが、それを一々世間に公表することはしません。そんな蛇霊退治をしていたところで追いつかないからです。
しかし、ある霊能者の方がその方の背後は「蛇霊」だと自分のブログに書かれてしまわれました。それが原因となったのか、その方はブログの世界から消えられました。

私は以前のブログに書いておりますが、宇宙人だからと言ってそれは宇宙人とは限りません。「蛇霊」系もあるのです。一部に「爬虫類宇宙人」が語られていますが、私は爬虫類宇宙人を実際に見ていないので正確なことは言えませんが、あっても不思議ではないのです。
そうした時、多くの方は蛇霊とは「地面を這っている蛇の霊」のことだと思い込んでおられるから意味が解らないのです。地面を這っている蛇が宇宙人の姿をして出て来るではないのです。

日本語(神の言葉)による定義なのです
私達日本人は、神の言葉を使っている民族なのです


人の姿をしている霊が出て来ているとして、その人の姿の霊をもっと透視すれば、その背後に蛇とか狐とか狸とか猫の姿が現れて来るのです。それが蛇霊とか狐霊とか狸霊とか猫霊と呼ばれるわけです。私のブログに「狼がくれた睫」の話を書いておりまが、その意味なのです。

全ては「言葉(日本語)」が語っていることを知らないと、創造神など解りようがない存在と言えます
 

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