一部のスピリチュアルの方達で、国常立尊(エホバ神)は宇宙におてい低次元界の悪神だと盛んに言っておられる方達があります。
精神世界系のブログ・ランキングで一時は上位に居られて、自分には「ミカエル」とか「カブリエル」等の大天使が臨み、自分は500万次元の存在であると吹聴しておられました。かなりの読者がその方を支持しておられたのでランキングでは常に上位ありました。今は消えられたので書いてもいいでしょう。
すると、ミカエルだとかガブリエル等と名乗って出て来る「羽根」を持った者達は、日本で創造神とされる「国常立尊」よりも遙かに高次元の存在かとなります。
また、聖書のエホバの神よりも聖書に記載される天使名の方が上位?。スピリチュアルの方の主張は聞いていると矛盾だらけで頭がおかしくなってしまいます。
だが、その読者達は宗教無知からそうした矛盾に気づかれないのです。
しかし、別にそうした方達は一人や二人ではありませんので、一般的に宗教をよく知らない人達は、そうしたことは事実なのかと思ってしまいます。
問題は、どうしてそんな論理が明けても暮れても出て来るかなのです。
別に自分は500万次元だに驚くことはありません。自分は創造神で「三千億次元」だと言っておられた方もあります。言うだけならば、上には上があるです。バナナの安売りの叩き売りみたいなものです。何故ならば、誰も本当のことを知らないからです。証明も出来ません。大きな数字を言った者が勝ちの面はあるのです。
国常立尊とは、「日本書紀」本文で宇宙の初めの神としますが、「古事記」序では初発の神を「天之御中主」とし、天之御中主、高御産巣日神、神産巣日神までを造化三神と言い、次に「宇麻志阿斯訶備比古遅神」。次に「天之常立神」の二柱神を加えた五柱神までは天の「天津神」と記しています。
古事記ではその天の神に対して、地において初めて現れたのが「国之常立神」、その次に現れたのが「豊雲野神」とします。この「国之常立神」から「伊邪那美神」までを「神代七代」とします。この場合「国常立尊」と「国之常立神」は同じ事です。
日本書紀では「宇宙初発の神」、古事記では「地上初発の神」と少し違っていますが、大本教で明らかにされたように宇宙の初発は国常立尊様であったが、天地を分けた時、自らの魂を天と地に分けて天の帝たる国常立尊様を「天之御中主」として、地に降り立った方を「国常立尊」として地上神界の創造神に成られたなのです。つまり同一神ではあるということです。
そうしますと、日本書紀と古事記の違いも、そうかと解ります。
このことを、皆さんは意外な祝詞から知ることが出来ます。それは「稲荷大神秘文」とされる祝詞で、稲荷信者ならば知る祝詞です。
【それ(夫)神は唯一にして御形なし。虚にして霊あり。天地開闢(あめつちひらけて)この方、国常立尊を拝し奉れば】なのです。
神は唯一であり、天地に別れてから「国常立尊」とお呼びするなのです。別に西洋の旧約聖書だけが「唯一神」の専売特許ではなく、日本の祝詞でも神は唯一と書いてあるのです。
稲荷神信仰者であれば、この「稲荷大神秘文」だけで「国常立尊=旧約聖書の神」の図式までは解るようにはなっていたのです。大本教で国常立尊様の世の立替に「白狐は下郎の役で奉仕する」とあり、トドメノフミに「野狐は赦さないが白狐であるならば許す」とあるのも、そうした意味を語るのです。
稲荷を見れば「米」にも気づく者も出るだろうです
スピリチュアルを標榜して、「国常立尊」は低次元の神だと言うのは、自分は日本の記紀神話に出て来るような低次元の神の存在ではないと言いたいのでしょうが、それならば宇宙開闢の様子を説明が出来るはずなのですが、それがどこにもありません。
何にでも「ミカエル」とか「ガブリエル」だと言っていればよいがスピリチュアルです。霊の世界では「見えるでは欺されます」。
ただ、「天之御中主」と「国常立尊」を対比した場合は、元々は同一神でも地上界に降りれば次元は下がります。
大本教の神典では、これを「君が臣となり、臣が君となる」と書いています。私はこの内容を見た時、「君が家臣となり、家臣が君となる」。何のことかと思っておりました。それらは天の神としてそのまま天に留まっているか、地に降りているかの次元の話にしか過ぎません。
西暦1892年に丹波の片田舎、綾部で無名の「出口なお」という老婆に祟りの金神の神懸かりが起きて、これを日本の古神道の知識を持っていた亀岡の「上田喜三郎」がサニワをして、この金神は「国常立尊(国之常立神)」と判断しました。
国常立尊の神政下において、その神政に不満を持った神々によって、国常立尊は艮(鬼門)の方向に封じられたとしました。この経緯を書いたのが「霊界物語」となります。その上田喜三郎は出口家に婿養子として入って「出口王仁三郎」と名を変えます。日本から出た最高の預言者と言えます。
大本教から「艮金神・国常立尊」が世に出された時、その神の性格があまりにも旧約聖書の神と似ていることから、同一神かという疑いが学者や知識人から言われておりました。
私は子供の頃、大本教みろく殿の正門から大本教の神職達が住んでいる官舎の通り道に住んでいました。一緒に遊んでいたのは皆、親が大本教の職員ということもあり、大本教神苑の中で走り回っておりました。
その頃に私に臨んだ声は、私に「私は旧約聖書の神」であると告げられました。その後、引っ越しもして社会人となり、神のことなどすっかり忘れておりましたが、摩訶不思議な体験の連続で覚悟を決めて神霊世界に関わったところ、全ての霊能者の方の判断ではありませんが、豊受神様を初めとして7~8名の霊能者の方から【貴方の背後の神は「国常立尊」様である】と告げられたしだいです。すると私に告げられた「旧約聖書の神」は「国常立尊様」であったわけです。
私は「旧約聖書の神」と名乗る声から、「そなたは過去誰であったか、神々に解らないようにしておく。そなたも思い出せないようにしてある」と告げられていて、自分の過去世を思い出せないでおりましたが、いろんな出来事から記憶の断片が出て来るがありました。また、優れた霊能力者から私の身分に関した情報ももたらされるようになって来ました。
私達人類が知らない「神代」と呼ばれるような世界で何が起きたのか?。大本教霊界物語に記載されるような「地上神界の戦争」があったのです。
国常立尊様は非常に厳格な神であり、その厳格に不満を持つ神々の反乱となり戦が生じました。国常立尊様は麾下の神々に「敵を殺すな」と命じられたのです。だが「敵は武器を持ち、国常立尊派の神々を殺し続けたのです」。そんな戦争はする前に負ける戦です。敵に話せば解る。話し合いをしましょうと言ったところで、「問答無用」と殺されて行くわけです。
時の国常立尊様の天使長は、「敵を殺すな」を守っていて味方は次々と殺されて行く。そこで「自分達を殺しに来る敵に対しては自衛権として敵を殺すこと」を奏上したのですが、国常立尊様の考え方は変わらず、天使長はその任を解任されたのです。
この時の天使長が「光の貴公子」で、その話が西洋における「ルシファー」となったのでしょう。もしその光の貴公子がルシファーであったとしたならば、世に流された堕天使ルシファーは反国常立尊派の策略なのでしょう。
時の天使長は国常立尊様に反逆したのではなくて、国常立尊様に対してはもっとも忠実な部下だったのです。だが、国常立尊様の敵を殺してはならないが、創造神は人類を愛して光の天使長を疎んで堕天使として落とされたに変わったのでしょう。
天使長の座から引き落とせば、後はどうとでも悪名を着せられます。ただ、その時の天使長の日本名はまだよく解りません。ルシファーなどの名は西洋人が後に付けた名に過ぎず、その名にはあまり意味がないからです。
で、日本の一部の霊能者は、西洋のルシファー(光の天使長)の話は日本神話の「天の岩戸閉め」で、その光の天使長とは「素戔嗚尊(真性天照大御神)」のことではないかと説く方達もあるのです。ですから、伊勢神宮に鎮座されている御神霊とは関係はない話なのです。
国常立尊様は自分の「敵を殺すな」の命令が元で、自分の手足となる天使長や神々を失ってしまわれたのです。そして、「御引退」の仕儀となったのです。これを反国常立尊が揶揄したのが「ダルマ」で、おまえには自分の手足となる部下の存在が無いだろうなのです。だが、そのダルマに「真理」の教えを秘められたわけです。
ここで、私のブログを読んでいる方はしっかりと学ぶ気がある方達と見受けられますので、神々が殺されたに、神でも死ぬのかと疑問を抱かれるでしょう。
仏教において、日本の神でも「輪廻転生」は免れないということから、一部の神には大菩薩の称号が贈られました。八幡宮の祭神たる応神天皇と言っても、人であった存在にしか過ぎませんが、仏教界から大菩薩の称号が贈られて八幡大菩薩となります。
神と呼ばれるようになっても、造化神的な神でなければ「輪廻転生」は免れず、神でも死ぬと言うことです。仏教においては、仏陀に成るまでの仏は菩薩でも死があります。
神であろうと仏であろうと「輪廻転生」は魂の世界における位を上げる為には免れない仕組みなのです。死ぬことが無い神とか仏とは、ある以上の次元から上の存在だけなのです
私自身の記憶が間違っていなければ、私には「白龍神」と呼ばれた時代が存在しています。だが、その当時の白龍であった私はユダヤの悪神と呼ばれる勢力に殺されています。だが、私の魂はそれで死んだわけではないのです。白龍神と呼ばれる霊は死んだとしても、その魂は生き残り現世では人として出されたわけです。
世の大立替と呼ばれる問題の一番重要性は、霊の生死の問題ではなくて、【輪廻転生】が終了するということなのです。魂は腐ったり潰れたりしなければ、その身の姿は変えても不滅的に生き続けるからです
国常立尊の悪神説は、【勝てば官軍・負ければ賊軍】の習いなのです。
戦いとは常に勝てば官軍。負ければ賊軍で、負けた方はどうあろうと悪の汚名を着せられます。善悪の話ではないのです。
一部のスピリチュアルの方達の国常立尊は悪神だ!は、反国常尊派の神々の「プロパガンダ」と言えるでしょう。
否、勝てば官軍ですから、反国常立尊派からすると自分達は正義の官軍で「国常立尊は悪神だ!」で正しいのかも知れません。
現在の神界は神々が「国常立尊」様を唯一神として崇めるような統一下ではありません。私は中国で創造神とされる「盤古大神」に拝謁した時、どうして自分は盤古大神に拝謁しているか?。その意味はさっぱり解りませんでした。
しかし、国常立尊が退かれた後、地の神界の主宰神の地位に就かれたのが「盤古大神」で、西洋ではそれを「ゼウス」と呼んでいるところの神霊で木星(ジュピター)の神のことでした。
国常立尊様が引退前、地上神界の国常立尊派は1/3、反国常立尊派が1/3。そして中間派が1/3。その中間派に「蛇霊の囁き」が起きて、蛇悪に支配された2/3(66.6%)の勢力が反国常立尊派となったのです。
しかし、
蛇霊達からすると、自分達が正しいのだ正当派と言うかも知れません。だが、彼らがこの宇宙を創ったのかとなりますと、それは否です。聖書で語る「霊界で年老いた蛇霊」はそれなりの霊力は持ちますが、宇宙創造の力はありません。
大本教神諭で立替で残るのは1/3と記されますが、単にその時の国常立尊派の割合の数字の話と推察されます。
人は誰しもが気づくではありませんが、自分に「厳しい」存在に対しては、その存在を【鬼】と言って、その存在の指摘や叱りに不満を持ちます。だが、何故にその「鬼」は自分に対して厳しいのか?。その意味を探ろうとはされません。
ともかく、自分が何を失敗しても甘い存在ほど自分にとって良い人で、仏の様な人だとなります。そうなると省みるとか反省心が起きません。当然に「良心神」も成長しません。
その結果、どうなるかです。
厳しく鍛えられた魂は磨かれて行きます。一方、甘やかされた魂は腐ったり捻れたりします。
スピリチュアルを名乗る方達は「愛」を言っても、「良心」神は無視です。
それどころか「良心」など捨てなさいと言われるでしょう。
それは「人に内在する良心神」は【正しい鬼】だからです。
無論、厳しく指導して来る存在が全てにおいて正しい「鬼」かとなりますと違います。はっきり言って暴力だけの「鬼」や、自分のうさ晴らしの「鬼」が居て、こられは「悪鬼」なのです。
自分には甘くて他人に厳しいは「悪鬼」なのです。ですから単に「鬼」と言っても「悪鬼」と「善鬼」があるのです。
仏教ではこの善鬼の立場を「仁王」とも言います。仁王と示せば「鬼」とは思わない人の浅はかさです。大本教の出口王仁三郎聖師は神から「喜三郎」を「鬼三郎」にせよと言われて、鬼とはあんまりじゃと「王仁」にしました。ひっくり返せば「仁王」です。桃太郎の話は「悪鬼」退治で、「鬼」退治ではないのです。
何故に「国常立尊」様は厳格であったのか?。厳格でなければ将来人類は堕落して滅亡すると見えておられたからでしょう。自分自身を律しておかないと、人は「蛇の囁き」から邪心を持つようになるからです。
日本では、「邪」の道は「蛇」
大本教で、悪神国常立尊は「節分の炒り豆にも花が咲く」で説かれましたが、国常立尊様は別に自分は地上創造神の座を追い出されたから、元の主宰神の座に復帰したいではないと思われます。
この地球は、後しばらくは天変地異は頻発しても行けるでしょうが、やがて内部から地上界は崩壊します。時間の問題です。それはスピリチュアルだとか霊能者だから宇宙人だからと言っている方の背後霊が解る話ではありません。天地の創造の神だから解ることと言えるでしょう。
故に、
創造神はそうした先の事柄を見られる神であったので、サイキッカーとか神通力者とか呼び方は様々ですが、そうした霊能力者の方達の中には国常立尊様が地球存続の非常事態に備えて、「予備地球とかバックアップ地球」を用意されていると指摘されます。
それが聖書のヨハネの黙示録に出て来る「新しい地球」なのです。だが、
その予備地球を知る霊能力者達は、その地球は科学では解明出来ない次元界で人が住んでいない星と言います。元々は七次元界に在る星だとも言います。その新地球(予備地球)を七次元界から五次元界まで降ろす。そして私達はみろく世へと乗り移る。その主戦場が五次元界です。
私は子供の頃、「旧約聖書の神」と名乗る声から、この地球とまったく同型の地球があり、そちらの地球に移って「嬉し嬉しの未来の世」が幕開けになると聞かされましたが、その予備地球を知る霊能者からは誰も住んでいない星だと聞かされて、それでどうやってその星に住むのかと疑念を抱いておりました。
が、一部の別ルートの情報ですが、国常立尊様は「みろく世(別地球)」に行くことが決まっている魂の中から一部の方達を選別して、その魂を二分割して、その片方の魂に「みろく世(別地球)に先に行かせて、後から来る魂の為に新しいみろくの世の下準備をされていると聞きました。
ただ、こうした話はどこまでが本当で、どこから嘘なのか誰にも解りませんので信じて貰わなくてもかまいません。が、私も含めて一部の霊能者達の中では、そういう話もあるということです。
みろくの世とは、その新しい地球上での話であって、私達はその「みろく世」に移行しなければなりません。今の地球に残る手はありますが、崩壊した地球の復旧にはどれぐらい年月がかかるのかは、はっきりしていません。30万年という方もあれば100万年と言う方もあり、とてもとてもその程度の年月では無理だと言う方もあります。
いくら魂には「不滅性」があると言っても、今の地球の復旧には長い年月が必要です。その間はまたもや原始時代から「輪廻転生」を繰り返さなければなりません。それよりも新しい地球に移行する。そこに創造神の「大いなる神の野望」があり、スピリチュアルで蛇霊に踊っているでは、何をしなくても自然に五次元界ですとなってしまうのです。
しかし、
あんな厳格な「国常立尊」が創る「みろく世」などまっぴらだ!。法に縛られる堅苦しい世界は厭だ!。自分達は「好き放題、やりたい放題の我よしの世界でないと無理だ!。」となれば、今の地球が例え崩壊したような地上世界であっても、そこで生きて、自分達の「好き放題、やりたい放題、我よし」の帝国を創るより道はなくなるのです。
既に反国常立尊派の神々はその下準備に入っています。それが、この地球における「地底王国」の建設です。仮に地上は崩壊しても地底ならば大丈夫だと見ているからです。
この「地底王国」の建設に荷担している一部の霊能者は、自分達はその「地底王国」でとんでもない金持ちになることを夢見ておられます。
この地底王国は力を持った者が「やりたい放題」で、自分が勝ち組になれば「我が世の春」です。だが「負け組」にとっては悲惨な世界となります。その世界で永遠に行くことになるからです。
好き放題、やりたい放題の世界は力の強い者だけが勝つ
そこには、どちらがより多くの人の支持を受けるかがあります。いくら「みろくの世」を宣伝しても、誰も「国常立尊」様のみろく世を望まずに「好き放題、やりたい放題、我よし」の世界がよいとなれば、実質的には「国常立尊」様の再敗退です。
私が子供の頃に臨まれた声は「旧約聖書の神」と名乗られて、この私と共に「永遠の世に生きる者達」と、この私とは「永遠に出会わない世界の者達」との、二つの世界に別れると告げられたからです。
精神世界のブログのランキングを見ていても、「国常立尊」を説いておられる方達と、「国常立尊は悪神だ!」と言っている人達、国常立尊だと言われても、なんのことかさっぱり解っていない後発の神達による三つの流れがあるのです。
その中で、「国常立尊」を言われる方達は数が少ないと解ります。
国常立尊が悪神なのか?。反国常立尊派の神々が悪神なのか?。「愛」の教えであれば解りません。しかし、「良心神」であれば、どちらが悪神か判定出来るでしょう。
それは言葉の学で解る「良心」神ではなく、実践としての行動する「良心」神です。
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。