人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

如意宝珠と【義経】を呼び起こす「UFO」軍団が恐怖の宇宙大王なのか???

ある日、私は不思議な光景を見ておりました。先頭に旗を持った者。旗と言っても「国旗」なのか「軍旗」なのかは解りかねましたが、薄っぺらい国旗と違ってかなり豪華な仕様で、いろんな刺繍模様が入っています。スポーツ大会の優勝旗に近い物です。その後に宇宙服のようなスーツを着用した一団が隊列を組んで行進して来ます。
その隊員達の顔を見ると、姿は私達人間と同じ様な五体なのですが頭の顔形が違っていて、一見すると宇宙人ではないかと思われる存在です。特徴的なのは髪の毛があるのかないのか解らないツルツル頭。
その一団は地球の軍隊の様な小銃こそ持っていませんでしたが、腰には携帯型のレーザー銃と言うのかビーム銃のような物を所持しています。それは宇宙人が使う拳銃のようなものと考えられました。
そして、体に密着したスーツの出で立ちからすると、SF物で語られるUFOの乗組員ではないかと推察が出来ました。

その隊列の後にも、別の旗を持って着ているスーツの色も違い顔形もまた違う一団が行進して来ます。そして、そうした隊列はその後にその後にもと続いて来ます。言うなれば、日本で言うと自衛隊の軍事パレード・警察の観閲行進のような感じです。違う顔形の人達の行進とは、考えるに宇宙連合軍とも見られます。

見るとサッカー場のようなスタンドが存在し、そのスタンドではなく、そのスタジアム真正面の地面の上に小学校の運動会等で校長先生が訓示するような粗末な鉄製の台が設けられていて、そこにカーキ色の軍服と帽子を被った人物が一人立っておりました。
その軍服と帽子を見ていると、一瞬「ヒトラー」かと思わせる出で立ちです。第二次大戦時のドイツ軍の軍服と軍帽です。ヒトラーか?。よくよくその顔を見るとちょび髭を生やしたヒトラーとは違い、私が日頃「義経」さんと呼んでいる霊と同じ顔の人でした。しかし、軍帽の下には髪が見られ、宇宙人と思われる人種とは違って、地球の私達と同様の顔立ちで髪があると見受けられました。

一部に、私達地球人の姿はプレアデス(スバル)星人と同じ姿だという説がありますが、真偽のほどは解りません。
どうして、こんなところに「義経」さんがと見ていましたら、その観閲台の側まで行進して来た宇宙人らしき先頭者が、「頭、左向け左」と言うと、旗は水平に降ろされて行進して来る隊員達は全員が「頭、左向け左」をします。すると、閲兵している「義経」さんらしき存在は、挙手をされます。司令官的立場と見ました。

その行進は次々と続き、行進が終わった部隊はグランド中央で国旗か軍旗を先頭に隊列を組んでいます。言うなれば、甲子園で高校野球の時にブラカードを先頭に行進して、高校球児がグランドの中央でプラカードの後ろに隊列を組んでいるようなものです。
そうした団体行進の群が約40団は続いた後、隊列の先頭で旗を持っている者達だけが「義経」さんと同じ顔立ちをした存在の前に駆け寄り、それを囲むように旗先を水平に出して、「宇宙総統」に対して「栄誉礼」と叫びます。

私が「義経」さんと呼んでいる霊が「宇宙総統」?。それを聞いた私は、いくらなんでもそれはあり得ないと思いました。私が見ている「義経」さんとは、この日本の平安末期に出られた武将霊であって、東京の著名な霊能者の方が貴方の背後には「神界を統一する力を持った若侍」の方が居られると言ったにしても、その存在が「宇宙総統」とは考えられません。

私が日頃見ていた「義経」さんは「地球の霊界」に所属する霊で有り、私がヒトラーと間違えた「義経」さんは全宇宙霊界で宇宙人達が「宇宙総統」と呼んでいた存在です。だが、その顔立ちは一緒。これはどういうことかと考えておりました。顔立ちが同じと言うことは、魂的には同一魂ともなります。それは私が日頃見ていた「義経」さんらしき霊は、宇宙人の連合体から「宇宙総統」と呼ばれている「義経」さんの分魂とも考えられます。

大本教の出口王仁三郎聖師さんは救世主は「素戔嗚尊」だと説かれ、自分がその「素戔嗚尊」だとされました。そして、一方では救世主は「源の日出雄」として蒙古に渡られました。それは「源義経」伝説のモンゴル大王としての型です。現実論としては、「源義経=モンゴル大王(成吉思汗)」は時代背後の整合性が取れません。どこまでも神の芝居の型だったのでしょう。

そのことに関しては、今日では出口王仁三郎聖師さんの魂は間違いなく素戔嗚尊たる魂ではあったが、「素戔嗚尊神界」の八合目の素戔嗚尊であったと説く有能な霊能者の方もあります。
巷には自分は「素戔嗚尊」だと自称しておられる方はかなりあるようですが、魂の世界のランクで判定すると例えその魂が素戔嗚尊神界所属であったとしても、かなり低い神階位の方達で、大本教の出口王仁三郎聖師さんとは比較できるような神界段階の存在とは思われません。

ただ、出口王仁三郎聖師にしても素戔嗚尊としてはトップたる素戔嗚尊ではなく、大本教で出た型は予告の為で有り、未だトップたる素戔嗚尊は世に出ておられなと有力霊能者達は言います。そこに色々な議論があります。
私はまったく別サイドから天帝の名に「素戔嗚尊」の名があると受け取っています。そのトップが私達の前に姿を現す時とは、「始めにして終わりの神」ではなく、「終わりにして始めの神」として新しい幕開けとなります。
そうしますと、その存在を天帝をお呼びするのかどうかはあるにしても、私がこれまで見ていた「義経」さんとらしき霊は天帝その方では無く、宇宙人の連合軍を閲兵していた「義経」さんらしき存在が「天帝」なのか、それに準じた存在であって、天軍や宇宙連合軍を率いる総司令官的立場なのかも知れません。

私が日頃見ていた「義経」さんらしき存在は、残念ながら地球の霊界では邪神達に七重八重に取り囲まれておられて、その陣を突破することが出来ておられません。だが、その存在は天帝の分魂であるとしたならば、天帝はその存在を助けようとされた時、全宇宙の大UFO部隊を繰り出されるともなります。
予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、この立替は「宇宙開闢以来」の立替と述べておられて、宇宙的規模のものになるからです。

大本教の出口王仁三郎聖師は何故救世主は「素戔嗚尊」と言って、自分が素戔嗚尊だと演じられたのか?。それは素戔嗚尊が「蘇民将来」で「死者を復活」させる意味と思われます。巨旦将来の者達は滅びるとしても、「蘇民将来」として新しい世に行く者達には、新しい肉体が与えられるということでしょう。
一方、救世主は「源日出雄(源義経)」だと言って、どうして蒙古に渡られたのかがあります。それはノストラダムスの予言書の意味を演じられたのでしょう。そうでなければ、私に西暦1998年にノストラダムスの予言は「15」の間違いと出たのもおかしな話です。

一部に、ノストラダムスの予言のマルスに関して、大本教で語られた「○に点」の「ス神」は「マルス」の意味だという説がありましたが、私は最初はいくら何でもそれは無理筋と思っておりましたが、まったく別の角度から「火星」の意味で「ス神」論を終わらせる意味の映像が出て来ました。

西暦「2015」年は見事なほどに予言された数字か揃ってしまいました。大本教は開教「123」祭で「ひふみ」の年となり、今年は「昭和九十」年で卆業の「卆」となり、未来を告げる「我れは羊(未)」の年で、出口王仁三郎聖師のみろく下生が起きたと予言された昭和20年から「七十」年で、時を告げる「鴇(七十鳥)」となっています。
私は子供の頃に私に臨んだ声から重要なのはカゴメ歌と告げられ、カゴメ歌の籠の中の鳥とは何の鳥かと考えて来ました。不死鳥や鳳凰が出て来る夢も見ましたが、どうにもしっくりとは来ませんでした。
私が霊界修業に入った最初の頃は夢に「鷺(サギ)」を見ておりましたが、路の鳥と言えども「詐欺」で欺かれる路ばかり。そこには「言葉」の型たる秘密が存在していると言えます。すると、鴇は「時」を知らせるですが、七十年では先が長いなと思っておりましたが、私もいつしか七十の年となりました。いよいよ、私の後ろの正面を告げなければなりません。

この「五月十六日」朝に、夢の形は見られた各自で違っているようですが、立替に入った意味合いの夢を見られた方達が出て来ています。それは「五月十六」日ではなくて、前夜の「五月十五日」に属する分で、大本教が言った明治55年ではなくて、「五月十五日」が「五十五」の時の意味だったのかも知れません。

私が日頃見させて貰っていた「義経」さんが、何故に「救世主」なのか?。今日まで意味がよく解りませんでしたが、このブログを書く2日前。何故に大本教の出口王仁三郎聖師が救世主は「源日出雄(源義経)」の演技をされたのか、その意味が少し解って来ました。

それは、大本教出口王仁三郎聖師の予言に「独国の如意宝珠」にあります。この「独国の如意宝珠」に関しては、霊界物語には記述されていないようです。霊界物語における「如意宝珠」とは第十三巻から第二十四巻の題目として使われていますが、そこを読んでも別に「如意宝珠」に関して何も書かれていません。
大本教霊界物語第一巻では【一厘の秘密・一厘の仕組み】として、国常立尊は邪神に三個の神宝(潮満の珠、潮干の珠、真澄の珠)が奪われることをおもんばかれて、この三個の珠の体のみを沓島・冠島に納め、肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、何神にも知らしめずして隠し置かれたとあって、【如意宝珠】に関しては記載されていないのです。

私が出口王仁三郎聖師が「独国の如意宝珠」として残された内容に関して知ったのは、霊界物語ではなくて、30年くらい前でしたか。無料で発行されていた大本教宣伝使の方が出されていた機関誌に出口王仁三郎聖師さんの予言として存在した内容なのです。直弟子の方でした。
「如意宝珠」とは仏教用語になりますが「何でも叶う玉」のことです。それがあれば、別に一厘の秘密とか仕組みとか関係ないことになります。「何でも叶う」ならば他の珠を必要としないはずです。無論、そんな珠があっての話ですが。

当時の私はまさか自分が大本教に関わるとは思ってもいませんでしたので、そうした資料は捨てており、持っておりませんので、その内容を正確に述べることは出来ません。全ての大本教の資料をあされば、その内容は解るかも知れませんが、私は別に大本教の研究家ではありませんし、大本教の宣伝使でもありません。
私が子供の頃に臨んだ声が言われたのは、「そなた一人には私の仕組みを見せる。その仕組みを紐解いて、人々に伝えなさい」が私の仕事です。
私のあやふやな記憶では、独国に埋められた如意宝珠は殻玉で、その「精」は日本から発動するだったと記憶しています。つまり、玉ではなくて「玉の精」が日本から発動するということです。

何故、それが「独国(ドイツ)」の型になっていたのか?。独国の「ヒトラー」ではなくて、「神ラー」の意味は読み取れましたが、どうしてそれで「源義経」が救世主に該当するのか、意味を謀りかねておりました。これは「救世主」ではなくて、どうも「九星主」の意味合いのようです。
如意宝珠とは、「何でも叶う玉」とされています。その「如意宝珠」を手にした時、全ては叶うなので「救世主」をも演じられるということになるようです。


下記の紋は、通常「十曜紋」と呼ばれ、大本教さんでは最初は「九曜紋」を神旗として、後にこの「十曜紋」を神旗とされています。しかし、大本教で出口王仁三郎聖師が解説された「十曜紋」の意味では、少し方向がずれていたようです。
これと同じ紋を使う神社に「千葉神社」が存在します。千葉神社では「真ん中の珠」は妙見様。周りの九つは九星。

私が神霊界修行に入った時、豊受様が告げられたのは「貴方と妙見様との関わりは何ですか?」


十曜紋「大本教神旗・千葉神社神紋」。

その意味は、九つの星を制する主。




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