私がヤフーの掲示板東洋哲学の輪廻転生で論陣を張っていた頃、同じ東洋哲学で法華経で論陣を張っておられた方がありました。私は大本教の信徒ではありませんが大本教霊学、向こうは法華経と立場は異にしていましたが、その論客としての力量はお互いに認めるところであり、札幌と京都の片田舎と住む場所は違いましたが、出会う時があれば一緒に酒を酌み交わそうと言っていた間柄でした。
その後、その御仁は始まりだしたブログの世界に移行されて人気を博しておられました。
私は法華経で解らないところがありましたら、その御仁に聞いておりました。そこらの法華経を論じる方より、一歩抜けているところがあったからです。
その御仁は私が大本教出口王仁三郎聖師が演じられた「源の日出雄」で「義経」を追っているのとは趣を異にして、
法華経の立場から「源義経」の足跡を追っておられました。どうして法華経で「源義経」を追うのですかと尋ねましたところ、法華経の「無量義経」とは「源義経」を説いた御経だと奇想天外なことを言われます。
法華経と言いますと、誰もが「南無妙法蓮華経」のお題目を頭に浮かべますが、【法華三部経】と言い、その三部とは「無量義経」、「妙法蓮華経」、「仏説観普賢菩薩行法経」です。私達に馴染みが深いのが「妙法蓮華経」で、無量義経は法華経で言えば「序論」とされています。
この「無量義経」は過去に多くの高僧名僧がこれを論じようとされたのですが、実際はよく意味が解らなかったが実相なのです。そこで、これは中国で創られた偽書であると思われていることから、さほどその存在は知られておりません。
それを、その御仁は「源義経」と呼ばれる存在を語っていると言われるのです。いくなんでもお題に無量「義経」とあるから「源義経」に結びつけるのは無茶でしょうと当時は言っておりました。
私は子供の頃、自分にお坊さんのような方が守護霊として就いておられるのが解りました。それは家系の御先祖霊であるとも何となく解りました。しかし、私が生まれた家系からお坊さんに成られた方があるとは聞き及んでいなかったので、何でだろうと思っておりました。
私が神霊世界に足を踏み入れるきっかけとなった出来事の時、そのお坊さんと弟子格のような二人のお坊さんが出て来られました。先祖にそんな弟子を持つほどのお坊さんなど聞いたこともなく、不思議に思っておりました。
ところが、そのお坊さんがどうも日蓮さんらしいと解って来たのです。そして常に出て来られる弟子格の二人のお坊さんは日蓮さんの直弟子であった方とも解って来ました。出雲大社教の先生から、出雲大社に匹敵する力を持った五代前の先祖霊さんだと言われて、ますます頭がこんがらっておりました。単に先祖霊さんが出雲大社クラスの方と言われても理解など出来ません。
私の家の仏壇で白蓮のつぼみが見えたかと思うと、パット花開いて日蓮、日蓮と金文字が出て来ました。これは変だと最初の師匠の元に走ったところ、私の祖父は養子で私とは肉体の血は関係しませんが、五代前の御先祖さんは日蓮さんその方ではないが、日蓮さんの分魂で私の家系に生まれ出て来られたと言います。
で、両脇に出ておられる二人のお坊さんは日蓮さんの直弟子の方で、真ん中の方が日蓮さんであったり、その分魂である御先祖霊であったりしているでした。どうして私の家系から日蓮さんの分魂たる存在の方が出られたかとなりますと、別の霊能者の方から貴方の家系は「国常立尊」様の家系だからですと言われます。家系の血脈ではなくて霊脈が私に流れていると言われます。
当時は日蓮さんと国常立尊様が関係している?。等と思っておりましたが、日蓮さんと妙見様(天之御中主とも国常立尊ともする)とは深い関わりがあることが解って来ました。
ある日、それが日蓮さんなのかその御分霊の家系の御先祖霊さんなのかは判断出来ませんでしたが、
日蓮さんの直弟子であった二人のお坊さんとの三人で、一人の若侍の様な方の着替えを手伝っておられます。その若侍いの方とは、私が「義経」さんとお呼びしている方でした。その衣装は純白の衣服でした。
創価学会さんでは、この世は「南無妙法蓮華経」の七文字で出来ていると説いておられるようですが、
南無妙法蓮華経とは、サンスクリット語で「私は白蓮のような仏様に帰依します」という音声から来ているとされます。私が「義経」さんと呼んでいる霊が着替えさせられている衣装は「純白」。それは「白蓮」の意味かと気づいたしだいです。
日蓮さんほどの方が、私が「義経」さんと呼んでいる霊の着替えの手伝いをされるということはどういう意味だろうと考えておりました。日蓮さんは自己を上行菩薩になぞらえておられます。そこには当然自分より上位の方があると言っておられるわけです。
そうなると、
法華経の「無量義経」とは、それを「源義経」のことだと解釈された方の説も、あながちとんでもない説ではないのかも知れません。
私が東京の著名な霊能者の方から指摘された、「貴方の背後には神界を統一する力を持った若武者が存在しておられる」。それは私が「義経」さんとお呼びしている霊のことでした。
その「義経」さんとは、どうやら平安時代末期に出られた武将「源義経」ということだけではなかったようです。
その平安期の「義経」さんとは、神の世界の芝居の型を演じる為のものであったようです。
大本教で「三千年」かかった仕組みとあるほどで、三千年の世界の月日(歴史)をかけた中に言葉の仕掛けがなされているのです。
明治四十四年に「清水梁山」と言う方が「日本の国体と日蓮聖人」という本を出版されています。私はその再発行本を買いましたが、税別で定価が「12,800」円もしますので小さな図書館だと行ってもあるかどうかは解りません。
清水梁山とは日蓮宗池上本門寺に9歳で入り、当時は日蓮宗界の学匠と言われた方で「日蓮聖人」と「日本古神道」とを結ぶ探求が行われています。その「日本の国体と日蓮聖人」の著本の最初のページには「十六花菊」があり、次のページには不思議な写真が掲載されています。
この「造形物」はどこに存在するのかの説明はありませんが、
著本では日本の神々がインドに渡って仏に名を変えて説いたで、伊弉諾尊が梵天とも那羅延(ならえん)とも摩醯首羅(まけいしゅら)とも名を変えるが、その摩醯首羅の持つ輪としています。「中心に十字の交線あり外周に八葉の花崎き出でて、我が神代の八咫鏡に異ならず」と残しています。
すると、これは日蓮宗さんにその造形物が残っているのかも知れません。
この日本の神がインドに渡って仏で説いたという説は、一般的には世界救世教の岡田茂吉師の説が知られていますが、私自身は大国主命様が「三ツ目青黒憤怒相の仏」で出て来られ時には、それが大国主様だとまったく気づきませんでした。
写真では分かり難いので、色は私が便宜上かってに色付けしてみました。これで正解とか正しいではありません。
またもや、「○十」です。この摩醯首羅とは仏教的には「大自在天」とも言われており、ヒンズー教では「シヴァ神」ともしています。
私の最初の師匠が私に不思議なことを言いました。最後には日本国中の全不動明王様が貴方の守護に入られますと。何を言ってるのかと思っておりましたが、それは私が「義経」さんと呼んでいる霊に対して言っていたようです。
私がその師匠に、神々が私に対して土下座をして来られる。これは何ですと聞いたところ、大変立腹をして、「神々は貴方に向かって土下座しておられるのではありません。貴方の背後の方に土下座されているのです。貴方は自分の背後に居る方のことがまったく見えていない」と怒っておりました。
確かに私如き者に神々が土下座されるわけはあり得ないでしょう。私はそれは「国常立尊」様のことかと聞いておりましたが、どうも私が「義経」さんと呼んでいる霊のことだったようです。
では、私が「義経」と呼んでいる霊の演技にどのような意味が秘められているかとなります。
白蓮の様な仏が「義経」さんを指した意味であったとしたならば、
法華とは「法の華(花)」の意味で有り、八葉とは「蓮の葉」を意味します。一般的に神は「菊座」で仏は「蓮座」と言われますが、単に菊座や蓮座では、その「法の華」の理解には至りません。「法の華」を理解するには、大本教が予告した「九つ花」以外では「法の華」は解けないのです。それは「菊」を現し「蓮」も現して来るからです。そしてそれに気づいた時、「八咫鏡」の意味も解るのです。
また、旧約聖書においては「義」が語られています。これは【我れは羊なり】なのです。今年はその「羊」年なのです。義の経は「神の縦糸」で【義経】となるのです。
大本教神諭に「末で世界の宗教は一つになる」とあります。私はそんなことは不可能だと思っておりました。しかし、私が子供の頃に告げられた「旧約聖書の神」との名乗り、豊受様を初めとして神々からは「国常立尊」様との指摘、そして「日蓮」さんの出現で見る「妙法蓮華経」の仕組み。全ては「唯なる御一神」による仕組みではないかと思うようになって来ました。
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