聖書を読まれた時、創造神のことが「万軍の主」と書かれていることに疑問を持たれる方達がいます。この「万軍の主」とは、創造神で有り救い主を指すとされていますが、【軍の主】と示されるならば軍事力の行使をされる存在で有り、スピリチュアルで創造神は「愛で何をしても許される存在」と説くこととは、かなり趣が違います。
当然に万軍の主と書かれているならば疑問を抱くのが正常な思考の持ち主です。抱かない方がおかしいとなります。この万軍の主にイエスに当てはめるのはかなり無理筋になります。何故ならば、
イエスは天の「軍」を率いる立場も権限も持たなかったからです。西洋ではそこに「ミカエル」と呼ぶ天使長が説かれたりするわけです。天使長は天軍の指揮官ともなるからです。
しかし、
スピの方達の前に現れる「ミカエル」と称する霊は、ニセ者の霊なのです。彼等は「トリ違い」を犯した霊だからです。
仏教でみろく菩薩は【兜率天(とそつてん)】に住むとされています。
何度か述べましたが、お釈迦様の弟子に「弥勒菩薩」たる存在はないのです。お釈迦様の十大弟子に関しては解っています。もしも弥勒菩薩が存在していたならば、その十大弟子の中に弥勒菩薩が存在しないなどあり得ない話になります。
お釈迦様の死後に仏教がペルシャなどに広がる過程の中で、拝火教(ゾロアスター教)に関係するミトラ教の最高神が弥勒菩薩として取り入れられて行ったわけです。今の世ではインターネットで調べれば簡単に解ることも、以前はそれがなかったので自分が「みろく神」ですと、名乗る宗教家達もあったわけです。
世界救世教の岡田茂吉師にしても、みろく神と名乗っていた出口王仁三郎聖師の弟子でありながら独立すると、自分がみろく神ですと名乗っておられます。当時はそうした情報を得ることが困難だったわけです。
大本教で、ウシトラ金神・国常立尊の仕組みは「3000年以上」の月日が掛かったと述べられています。当然、そこには聖書も仏教も神道も含めて、その仕組みがなされています。全てニセ物であった者達を暴く為でしょう。
それを知れば知るほど、創造神と呼ばれる存在の長年に渡る神界の仕組みの大きさが解るのであって、自分が「みろく」ですと名乗るのは、過去の宗教者の間違いが解るであり、今日では大馬鹿者がすることです。
私が子供の頃に臨んだ「旧約聖書」の神と名乗る声は、この私が書いた筋書きは神々が知るものではないと言われました。そうしたことは大本教神諭にも、この神の仕組みは世に出ておられる神々や人民の知ったことではないとあります。
私は少しずつ紐解いて来ましたが、そのスケールの大きさはとんでもないものなのです。人智で出来ることではありません。
龍神系などで「九分九厘」迄は行けたとしても、まさか、こんな仕組みとは露ほど思わなかったことでしょう。
数年前、私はある光景を見ていました。それは私が「義経」さんと呼んでいる霊が百人程度の部下達に盾を持たせて方円陣を組んだまま、少しずつ移動している様です。だが、それを囲む敵の数は圧倒的に多くて前には進めません。防御が精一杯で、突破が出来ずに引き返してしまわれました。
これは何の光景だと思って、私の最初の師匠であった方が未だ御存命だったので伺い、その見た光景を話して、私は世に出られるでしょうと聞いたところ、豊受様の御代をしていたその師匠は、貴方は世には出られません。貴方の目に見えない離れたところから邪神達に七重八重に取り巻いて監視されており、邪神達は貴方が世に出ないように陣を張っています。
貴方が世に出ないのであれば、邪神達は決して貴方を攻撃しません。しかし、貴方が世に出ようとされるならば邪神達は貴方を総攻撃します。そうなれば「神界は血の雨が降ります。貴方は神界を血の海にする気ですかと」と言われます。
私はそれを聞いていて、師匠は誰に対して言っておられるのだろう?。私が「義経」さんと呼んでいる霊に対して、豊受様が言っておられるのだろうかと聞いておりました。さすがに「血の海」にするのですかと言われたならば、「義経」さんと思われる霊も答えようがないと言えます。
それは、私にとってまったく意味が解らないわけではありませんでした。私が「義経」さんと呼んでいる霊が世に出られる時には「神界は血の雨が降る」。
それは私が「義経」さんと呼んでいる霊の副官に「日本武尊」さんが就かれたことから、その「義経」さんと私が呼んでいる霊が世に出る時には、天の軍を率いて邪神界対天軍(正神界)の最終決戦になってしまうと見たからです。
それ以前に私が黒龍神群団に襲われた時、私が「義経」さんと呼んでいる霊が白馬に乗って少数の部下を引き連れて助けに来られ、御劔大神も白馬に乗って助けに来られ、それでも黒龍群団を撃退出来ない状況において、日本武尊さんが率いる天軍が降りて来て、やっと黒龍群団を撃退すると言う霊的出来事があったからです。
こうしたことは妄想だと言われれば妄想とも言えます。
それでは、私が「義経」さんと呼んでいる霊だけでは敵の龍軍団とは闘えないとなりますが、その時は「義経」さん側の龍軍も発動しなかっただけの話です。白龍神と呼ばれる龍軍がその「義経」さんの麾下には存在しているからです。
だが、私が「義経」さんと呼んでいる霊はいったんは引き下がられたので、単に試し的なことであったのかも知れません。私にそれを見せられたのでしょう。
私はやがて時が来れば、この「義経」さんらしき方が天の軍勢を率いて、朝敵(天帝に対して反逆するもの)征伐せよとの錦の御旗じゃないか。トコトンヤレなと、進撃が始まるのではないかと見ています。
それは、私が見た光景にその「義経」さんらしき霊が白馬に跨がり明治維新の官軍の指揮官である白の熊毛を被り、「○十の」の薩摩紋を掲げた黒服の官軍兵士姿の白狐達を引き連れておられるの見たからです。
以前、私のブログに出した図。
大本教神諭の【薩張(さっぱり)】で改めるに隠された「薩長連合」で薩張。
それは、単なる明治維新の旗印ではなくて「月日」をも一新させる維新なのです。
大本教から出された「○十はみろく神の御紋章の定めなり」
私が見て来た「義経」さんらしき霊は、通常は「鎧兜」のお姿を見せて来られます。
ですからみろくの【兜率天】とは、兜が率いる天という意味なのです。
兜(武将)が率いる天=兜率天
が、私が見ている「義経」さんらしき霊は、天帝その方ではありません。が、天帝に代わって天軍を率いられるのです。
大本教で「みろくの神の御紋章」として出された「○十の薩摩紋」とは、別に島津藩(鹿児島)を特別に意味してもいません。
その○十で気がつかなければならいのは【轡】と言う言葉です。○十は「轡」の紋でもあるのです。私は「宇志採羅(うしとら)根真(こんしん)の綾部藩九鬼家に残された文献から、この轡たる○十を知りました。
では、「轡」とは大辞林から
そして、その轡を並べると言う言葉があります。
この【○十】とは国常立尊(天之御中主)様麾下の「天軍」や国常立尊様を主神と仰ぐ神々や霊(各自の守護神・守護霊)を全て集結させて、反天帝軍に総攻撃をする意味でもあるのです。
このことは、個々の人の肉体には解りません。個々の方を守護しているところの守護神や守護霊の行動になるからです。肉体たる自分は何も知らなくても、各自の守護神・守護さんが国常立尊(天之御中主)様を奉じて参画されておられれば、そうした守護神・守護霊に守られていた肉体にはその恩賞がもたらされるのです。その恩賞とは【みろく世における地位】です。
自分は何もしていないと焦る必要はありません。個々の方の守護神・守護霊がしてくれるのであって、肉体を持った存在ではそれには参画できません。
だが、こうしたことがまるで解らないと言う「副守護神・副守護霊」に使われていたならば、「みろく世」行きは難しくなります。
弥勒とは、いよいよ改革の力【勒】ですよ。話し合いではありません。
天帝に従うのか、それとも反天帝で行くのかの二者選択です。
○十の紋だけで【勒】と読めます。
弥勒とは666ではなくて、三つの【勒(ろく)・勒・勒】なのです。
その時、蘇民将来(将来に蘇る民)で行くのか!、滅びの巨旦将来(こたんしょうらい)で行くのか!。
ですから、兜を身につけた義経さんらしき霊は、方や武塔(武闘)神として素戔嗚尊で説かれ、方や「天の岩戸」を開けて光で焼く真性天照大御神の演技が存在したのです。
全ての型演技は大本教と出口王仁三郎聖師で終わらせてあるのです。ただ、大本教で演じきれなかったのは「龍宮の乙姫」となります。
本番は肉体を持った人ではなくて、「義経」たる霊が総指揮官を演じるのです。
なお、この神界が血の海になるが「ハルマゲドン(殺戮の丘)」で、神界の最終戦となります。人間界でのことではありません。
だが、私達にも何等かの影響はあるでしょう。私達人間界に起きるのは【三千世界一度に開く梅の花】の形なのです。
こうした内容は、自分が〇〇ですと名乗って出て来る霊が言うでは、何の証明にもなりません。
為に、「言葉」の仕組みがなされていたのです。
言葉による仕組みとは、そうした名乗りをする霊には絶対に出来ないことだからです。
証明=言葉で正しく明らかにする
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