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そう、つまらないですね。平日は働いて、家に帰って寝るまでの僅かな時間はネットをしたりYoutubeを観たり。土日は昼まで眠って、運動不足解消のためランニングして、ご褒美にちょっと買い物。あとはこれの繰り返し。

安定はしているけれど、つまらない。決して不幸ではないけれど、だからといって満足しているわけではない。

「普通の日々を送れることが幸せだ」なんて人は言うけれど、自分はそうは思わない。なのに、この状況を変えようとは思わない。

それは、結局そこに居心地の良さを感じてしまっているからだと思います。居心地の良さと人生のつまらなさは両立します。なぜなら、楽だから。何も起こらないつまらない人生は、色んな刺激にいちいち反応しなくても済むから、楽。

あなたはその理性と合理的思考をもって、今の居心地の良い人生を作り上げたのです。合理性を突き詰めれば、人生はただ食って寝るだけの人生に辿り着きます。それだけが生きるために必要なことだから。

だからあなたが捨てるべきものは理性と合理的思考です。代わりに狂気を手に入れるのです。合理的に考えたら到底受け入れられないことをし続けるのです。人生は何をしたっていいし、どこへ向かってもいいんです。親も上司も同僚も、みんな他人です。狂気をもって、今までの合理的で正しい人生を破壊するのです。

そんなことをしているうちに、もしかしたら元のつまらない人生に戻りたくなるかも知れませんね

そう、つまらないですね。平日は働いて、家に帰って寝るまでの僅かな時間はネットをしたりYoutubeを観たり。土日は昼まで眠って、運動不足解消のためランニングして、ご褒美にちょっと買い物。あとはこれの繰り返し。

安定はしているけれど、つまらない。決して不幸ではないけれど、だからといって満足しているわけではない。

「普通の日々を送れることが幸せだ」なんて人は言うけれど、自分はそうは思わない。なのに、この状況を変えようとは思わない。

それは、結局そこに居心地の良さを感じてしまっているからだと思います。居心地の良さと人生のつまらなさは両立します。なぜなら、楽だから。何も起こらないつまらない人生は、色んな刺激にいちいち反応しなくても済むから、楽。

あなたはその理性と合理的思考をもって、今の居心地の良い人生を作り上げたのです。合理性を突き詰めれば、人生はただ食って寝るだけの人生に辿り着きます。それだけが生きるために必要なことだから。

だからあなたが捨てるべきものは理性と合理的思考です。代わりに狂気を手に入れるのです。合理的に考えたら到底受け入れられないことをし続けるのです。人生は何をしたっていいし、どこへ向かってもいいんです。親も上司も同僚も、みんな他人です。狂気をもって、今までの合理的で正しい人生を破壊するのです。

そんなことをしているうちに、もしかしたら元のつまらない人生に戻りたくなるかも知れませんね。結局あなたは、つまらない人生に安住する凡人だったってことです。そうしてまた人生に絶望するでしょう。でもそれも人生です。

今日は月曜日です。月曜日の朝が楽しい人はあまりいませんよね。でも、私は嫌ではありません。ある方法を知っているからです。この質問への直接の回答にはなりませんが、この質問者が真面目に質問をされたと仮定して回答します。ちなみに、下記の方法はスピリチュアルみたいなこととは関係なく、単に心の構造についての論理的な考察に基づいています。

既に、いろいろな回答がされていて、どれもそのとおりかと思います。でも、全ての事に興味が無くなる心理状態もありますので、下記に対処法を記します。深刻なうつ病であれば、おそらく専門医に相談することが必要ですが、例えそれほどでなくても、心が回転しなくなることがあり、誰にも相談できない、あるいは相談しても答えが得られないことが多いです。

その方法は非常に単純な事ですが、現実を生きるという方法です。一日の短い時間で良いので、一人になれる場所で、スマホや音楽やテレビを消し、明るい時間に、できれば自然を見たり感じられる環境に身を置きます。自分の家でも良いし、朝早くに、職場や学校に行ってもいいです。そこで、自分の五感だけを使って、できるだけ頭では考えないように20分間過ごします。五感全てを使うのは難しいので、先ずは視覚と聴覚、できれば触覚や嗅覚も用いて、周りを見て、聞いて、感じて(温度、何かの触感)、匂いを感じます。自然に近ければ、葉っぱや木に近寄って、匂いが感じられるくらいの距

今日は月曜日です。月曜日の朝が楽しい人はあまりいませんよね。でも、私は嫌ではありません。ある方法を知っているからです。この質問への直接の回答にはなりませんが、この質問者が真面目に質問をされたと仮定して回答します。ちなみに、下記の方法はスピリチュアルみたいなこととは関係なく、単に心の構造についての論理的な考察に基づいています。

既に、いろいろな回答がされていて、どれもそのとおりかと思います。でも、全ての事に興味が無くなる心理状態もありますので、下記に対処法を記します。深刻なうつ病であれば、おそらく専門医に相談することが必要ですが、例えそれほどでなくても、心が回転しなくなることがあり、誰にも相談できない、あるいは相談しても答えが得られないことが多いです。

その方法は非常に単純な事ですが、現実を生きるという方法です。一日の短い時間で良いので、一人になれる場所で、スマホや音楽やテレビを消し、明るい時間に、できれば自然を見たり感じられる環境に身を置きます。自分の家でも良いし、朝早くに、職場や学校に行ってもいいです。そこで、自分の五感だけを使って、できるだけ頭では考えないように20分間過ごします。五感全てを使うのは難しいので、先ずは視覚と聴覚、できれば触覚や嗅覚も用いて、周りを見て、聞いて、感じて(温度、何かの触感)、匂いを感じます。自然に近ければ、葉っぱや木に近寄って、匂いが感じられるくらいの距離で見て、音も、鳥や虫の声が聞こえれば一番良いですが、例えば、風の音、葉擦れの音で良いし、それも無ければ、空調の音でも良いです。とにかく、視覚と聴覚を主に、感覚だけを使って20分間過ごします。これを、毎日、変化が来るまで続けます。時には1日目から、多くは2日間ほどで効果が見られます。20分間は結構長いし、全く何も考えないのは、ほとんど不可能なのですが、先ずは見ると聞くだけでも、できる限りやってみて、慣れたら、見る聞くに加えて、匂いを感じる、肌で感じる等を付け加えます。いわゆるヴィパッサナー瞑想に近く、本質は同じであると思います。20分が長い場合はもっと短くても良いので、できるだけ行います。慣れてくれば、外を歩いたり、走ったりしながら同様の事ができるようになります。

非常にシンプルですが、上記の効果は絶大です。この方法が有効なのは、心が、時に現実から離れてしまう状態になる事があり、それが理由で現実に興味を失くしてしまうためです。既に他の方が回答されているような方法もきっと有効とおもいますので、解決さえできれば、どの方法でも良いと思います。

以上の方法についてもっと詳しく知りたい場合は、下記の本にもっと詳しい説明がありますので参考に貼っておきます。自分の本ではないので宣伝とかでは全くないですが、著者の吉家重夫氏による名著で、私もとても助けられた本です。

うつは自分で治せます。
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70歳代のオタク隠居人です。発達障害だったためナンバー1でなくオンリー1の道を歩み、仕事もプライベートも成功、有益な人脈を得て大企業に転職し、貧困層から富裕層に上り詰めてきました。

※以下の回答は、私だけでなくすべての人が抱える根源的な「せつなさ」について話しています。私自身は極上隠居人として最高に幸せな人生を送り「老いと病と死」を覚悟し受容していますが、多くの人が苦しむ「せつなさ」は、自分自身でも意識していない心の深層部分にある「生きる欲求」に伴う「恐怖」や「不安」であるということを説明しています。本能的な感覚ですから、思索がきちんとでき自己を深く見つめる事ができる人なら否定できる人はいないはずです。

私は、今は極上隠居人として悠々自適に暮らしています。現役時代、大いに成功したので人生の達成感、納得感、充実感が非常に高く、今はとても幸せにのんびり暮らしています。

でも、深層部分、無意識領域では常に「せつない」です

「せつない」からこそ私は、その「せつなさ」から逃れようとして仕事にプライベートに趣味にお金儲けに夢中になり、「せつなさ」を忘れ「せつなさ」から逃れる方法を探りながら生きてきた人生なんですね。

でも70歳手前になっても、結局、誰がなにを言おうと人生は「せつない」ものだと分かったんです。

失恋すれば「せつない」けど、恋が成就してどんなに愛しあっても老いて別れがくるので「せつない」です

70歳代のオタク隠居人です。発達障害だったためナンバー1でなくオンリー1の道を歩み、仕事もプライベートも成功、有益な人脈を得て大企業に転職し、貧困層から富裕層に上り詰めてきました。

※以下の回答は、私だけでなくすべての人が抱える根源的な「せつなさ」について話しています。私自身は極上隠居人として最高に幸せな人生を送り「老いと病と死」を覚悟し受容していますが、多くの人が苦しむ「せつなさ」は、自分自身でも意識していない心の深層部分にある「生きる欲求」に伴う「恐怖」や「不安」であるということを説明しています。本能的な感覚ですから、思索がきちんとでき自己を深く見つめる事ができる人なら否定できる人はいないはずです。

私は、今は極上隠居人として悠々自適に暮らしています。現役時代、大いに成功したので人生の達成感、納得感、充実感が非常に高く、今はとても幸せにのんびり暮らしています。

でも、深層部分、無意識領域では常に「せつない」です

「せつない」からこそ私は、その「せつなさ」から逃れようとして仕事にプライベートに趣味にお金儲けに夢中になり、「せつなさ」を忘れ「せつなさ」から逃れる方法を探りながら生きてきた人生なんですね。

でも70歳手前になっても、結局、誰がなにを言おうと人生は「せつない」ものだと分かったんです。

失恋すれば「せつない」けど、恋が成就してどんなに愛しあっても老いて別れがくるので「せつない」です。

どんなにお金を儲けて物をたくさん所有して贅沢三昧をしてみても、結局、最後は失ってしまうので「せつない」です。

どんなに真面目に生きていても、相手にいじめられ攻撃されて「せつなく」なります。それは相手の心の中にも「せつなさ」があるからです。

人は生まれた瞬間から死に向かって歩き続けているので「せつない」んです。

普段から明るく楽しく騒いで「せつなさ」なんてないと言っている人も、その明るさ楽しさ騒がしさの裏に「せつなさ」があって、「快楽」におぼれてそれが意識できないでいるだけなんです。

みんな「せつなさ」から逃避し続けているから「せつなさ」なんてないと思っているけど、実際には「せつなさ」から逃げることはできないんです。

「せつなさ」を感じないという人は、毎日、酒を飲んだり、仕事や趣味に没頭し、愛し合う快楽、セックスの快楽によって、ある種の麻薬中毒と同じ様になって「せつなさ」に気づかないようにしているだけなんです。でも麻薬がきれて禁断症状が起きると、恐ろしい苦痛や恐怖と共にそこに「せつなさ」が現れてきます。

信仰で自分の心をごまかそうとしてみても、哲学や信念で自分を鼓舞してみても、やはり何かの拍子に心に影が落ちてくると「せつなさ」が襲ってくるんです。

どんなに「幸せ」の絶頂にあっても、「幸せ」であればあるほど落差が起きて、やっぱり「せつなく」なるんですよ。そうすると「幸せになることが怖い」っていう感覚になる人もでてきます。

私は、自分が「せつない」って感じる理由がわかっているので、同じように「せつない」って思っている人がこの世の中に膨大にいるんだって感じられます。

そういう膨大な人が「せつない」って思っていて、そして私も同じく「せつない」って思っている・・・実はそのように「せつない」って感じる人がいっぱいいるんだと感じる時には「幸せ」な気分にもなれる時なんですね。

人は、それぞれの運命を得て自分の道を歩んでいます

誰かと一緒に暮らしていたって心はそれぞれ別で、やがて喧嘩して別れたり、愛していても老いて病気になり死に別れねばなりません。どんなに大切にしているペットも死んでしまいます。

そんな「せつない」人生だけど、質問者だけが「せつない」んじゃなくて、

優越感に浸っている世の中の成功者も、もちろん私も、究極に「せつない」と感じ、涙がいっぱい出ることがあるのだと知って下さい。それを想像して共感して下さい

みんなみんな、争ったり憎しんだり、強がったりしているけど、ほんとのほんとは「人生ってせつない」ってみんな絶対に感じているんです。

実は、何も考えない人より、成功した人、賢い人ほど「人生はせつない」ってより多く感じているんですね。

そして「俺はせつないことなんて一度もない」なんて主張して怒る人も、心が弱った時、疲れた時、死や別れを意識した時、そう感じることが必ずあるんです。

普段は気づいていないけど、強がっている人、ちゃらい人、のんびりしている人も、一人になって、誰もいなくなった時、ふと、心に隙間風が吹いてくると「せつない」って感じてしまうんです。

プーチンも一人になっている時、自分の残り寿命のことや自分が命令して戦場に送り出して死んでいった若い兵士のことがふと頭をよぎる時、必ず「せつなさ」を感じているでしょう。

プーチンは嫌いだけど、そこだけは理解できます。プーチンもまた「愛する人」がいて、その「せつなさ」を知っていて、その「せつなさ」から逃げ続けて生きているからです。プーチンの「せつなさ」からの逃げ先、あるいは隠蔽方法が「強権的」「破壊的」なだけです。

全ての人は「せつない」っていう感覚だけには「共感」できるんです。現実にみんな同じ境遇にいるからです。世界中の人とその「せつない」が共感できると判れば、ちょっと心は癒やされませんか?

一人ぼっちじゃないですよ?仲間はずれじゃないんです。それが逆に「生きることの素晴らしさ」でもあるんです。

でも「せつなさ」が「人生の素晴らしさ」だと気づくには、多くの良い経験を積んで良い心を作っていくことが必要です。良い心が育てば「せつない」って思って涙がでた途端に、ぱっと心が明るくなるようになります。それが大人になるってことです。

私の人生の残り時間は短いけど、

せつないからこそ人生は素晴らしい。だから大いに楽しもう。

っていつも思ってます。

それが私の人生を最高に幸せなものにしてくれているんですね。

つまらないと感じている状態は、信じてもらえないかもしれませんが、それが「幸せ」です。

極端な例では、怪我や病気で身体の一部を失ったり、あたりまえだと思っていた現実が崩れた時、「つまらないと思っていた日々が幸せだったんだ」と気づくものです。

こんにちは。皆さん賢い大人の方々が回答されている中、高校生目線で書かせていただきます。

人生ってつまらないですよね。私たちは理由もなく勝手にうまれてきて毎日同じ日々を過ごしてそして遅かれ早かれ死ぬ。結末を知ってる映画がおもしろくなく、起承転結がない本が読むに耐えないのと同じように人生っておもしろくないと感じます。

私は高校三年生ですが特にしたいことがありません。同級生たちは、’貧しい国々を助けれる人になりたいっ’’医者になって人々を救いたい’’環境汚染について詳しく知りたい’などとみんな未来に期待を持って理想を掲げ、それに向かって毎日頑張っておられます。

やっぱり明日に期待することで人生って楽しくなるんじゃないかなと思いました。明日は違う日になると未来に期待することが大事なのかな、と。私にとってはいつまでこんな毎日が続くのか、死ぬまであと何年、こんな毎日がコピーアンドペーストされていくのかを考えると未来に絶望しかありませんが笑

事実に基づき、一つ一つ手順を踏んで、厳密にお答えします。ほとんどの我々の持つ疑問というのは、だいたいお堀の周りを闇雲にぐるぐる回っているようなもので、しっかりと理論的に手順を踏んで核心に迫れば、事態が明瞭に把握されて、自ずと疑問が解決するものです。

まず、「人生はつまらない」というのは、全員に当てはまるものではありません。少なくとも、私はつまらないとは思っていません。「誰にとっても常に人生はつまらない」というのは間違いです。

つまり、質問者のあなたが「自分の人生はつまらない」と思っているのです。

では、なぜつまらないのでしょうか?

「つまらない」という言葉を分析するに、あなたの人生において「楽しい」と思えるものがないことの裏返しであると考えられます。

さらにもう一歩進めて、では、どうすれば「つまらない」が解消されるのでしょうか?

先ほどのことから、楽しいものを見つければ、解消されると考えられます。

では、あなたにとって「楽しいもの」とは何でしょうか?

これは、人によって異なります。それぞれ好みがあって、それは自分が自分にじっくり向き合ってみないとわかりません。

実際に自分に向き合ってみると、自分が欲していたもの、楽しいと思えるものは何でしょうか?もしかしたら、すでにあるものが「実は楽しかったんだ」と再発見して、実は「つまらない」なんてことはなかったと気づくかも知れません。もしかしたら、「今までやろう

事実に基づき、一つ一つ手順を踏んで、厳密にお答えします。ほとんどの我々の持つ疑問というのは、だいたいお堀の周りを闇雲にぐるぐる回っているようなもので、しっかりと理論的に手順を踏んで核心に迫れば、事態が明瞭に把握されて、自ずと疑問が解決するものです。

まず、「人生はつまらない」というのは、全員に当てはまるものではありません。少なくとも、私はつまらないとは思っていません。「誰にとっても常に人生はつまらない」というのは間違いです。

つまり、質問者のあなたが「自分の人生はつまらない」と思っているのです。

では、なぜつまらないのでしょうか?

「つまらない」という言葉を分析するに、あなたの人生において「楽しい」と思えるものがないことの裏返しであると考えられます。

さらにもう一歩進めて、では、どうすれば「つまらない」が解消されるのでしょうか?

先ほどのことから、楽しいものを見つければ、解消されると考えられます。

では、あなたにとって「楽しいもの」とは何でしょうか?

これは、人によって異なります。それぞれ好みがあって、それは自分が自分にじっくり向き合ってみないとわかりません。

実際に自分に向き合ってみると、自分が欲していたもの、楽しいと思えるものは何でしょうか?もしかしたら、すでにあるものが「実は楽しかったんだ」と再発見して、実は「つまらない」なんてことはなかったと気づくかも知れません。もしかしたら、「今までやろうと思っていたあれこそが自分が求めていたものだ」と気づき、それに着手することで「つまらない」が解消されるかもしれません。

まとめますと、まずはご自身の「つまらない」の理由、つまり「楽しいものとは何か」を徹底的に探ってみることをおすすめします。

大きな理由としては西洋文化が広まり(東洋も西洋の影響を受け同じような状況に)、心の中がノイズだらけになってしまった人が多いことが挙げられます。

詳細はEchkart Tolleの「The Power of Now」という本に書かれているのですが、彼が言おうとしていることは基本的には仏教や道教で何千年に渡り伝えられてきた教えと同じです。

問題の核心は特に資本主義のアメリカ、そしてヨーロッパ、イギリス、オーストラリアなどの西洋において、人々が意識に集中しすぎていることです。

情報、ゲーム、イベント、そして考えていることすべてが中毒になってしまっているのです。心の中のノイズは絶え間なく、自意識をコントロールできないと、精神はぐちゃぐちゃになってしまいます。

邪念の95%は良くても役立たずで非生産的、最悪自己嫌悪と自己攻撃に繋がってしまいます。

何もかもが精神に基づいているのです。

退屈は「やることがない・つまらない・昔からずっと同じじゃないか」などといった考えから来ています。

自殺でさえも「希望がない・一生このままだろう・本質的に終わってる」などといった考えが原因なのです。

ただ、もしこんな考えがそもそも無かったら?これが瞑想です。邪念をすべて振り払い、無の状態を作り出すのです。自意識を無くせば苦しみもないのです。

寂しさも、退屈も、怒りも、嫉妬も、欲も、自己嫌悪も、そして自殺もありません。病気やガンだっ

大きな理由としては西洋文化が広まり(東洋も西洋の影響を受け同じような状況に)、心の中がノイズだらけになってしまった人が多いことが挙げられます。

詳細はEchkart Tolleの「The Power of Now」という本に書かれているのですが、彼が言おうとしていることは基本的には仏教や道教で何千年に渡り伝えられてきた教えと同じです。

問題の核心は特に資本主義のアメリカ、そしてヨーロッパ、イギリス、オーストラリアなどの西洋において、人々が意識に集中しすぎていることです。

情報、ゲーム、イベント、そして考えていることすべてが中毒になってしまっているのです。心の中のノイズは絶え間なく、自意識をコントロールできないと、精神はぐちゃぐちゃになってしまいます。

邪念の95%は良くても役立たずで非生産的、最悪自己嫌悪と自己攻撃に繋がってしまいます。

何もかもが精神に基づいているのです。

退屈は「やることがない・つまらない・昔からずっと同じじゃないか」などといった考えから来ています。

自殺でさえも「希望がない・一生このままだろう・本質的に終わってる」などといった考えが原因なのです。

ただ、もしこんな考えがそもそも無かったら?これが瞑想です。邪念をすべて振り払い、無の状態を作り出すのです。自意識を無くせば苦しみもないのです。

寂しさも、退屈も、怒りも、嫉妬も、欲も、自己嫌悪も、そして自殺もありません。病気やガンだって遥かに少なくなるでしょう。[元の回答には書かれていませんが、恐らくストレスが減り生活習慣が健康になることによって、いろいろな病気のリスクが減るということでしょう。]

東洋においては、特に西洋の影響がまだ無かった古代において、精神がめちゃくちゃになることはあまりありませんでした。もちろん、そうではない人、例えば皇帝にゴマすりばかりしている貪欲な人や力に飢えていて陰謀を企てている人など、もいたでしょうが、平均的な人は自然の中で瞑想をすることができていたのです。

起きている間ずっと瞑想をすることはできないでしょう(それに近い長さができる僧侶はいますが)、ただ瞑想をすればするほど役立たずの邪念は消えて、心に平和と清らかな幸福が訪れるのです。そして意識が使われるべき時(仕事をする時、チェスをする時、何かを計画する時など)には、聡明で強力な意識になるのです。それは邪念から開放され、意識が休まっていたからです。心の平和、幸福、喜び、そして自由は一日たった1時間足らずの瞑想によって実現できるのです。

ただ考えてみると、まだ始めたばかりの人は瞑想を5分続けるのも難しいでしょう。意識は常に自分から何かを考えたり、心の中で話したり、何かを画策したり、批判したりしています。しかしジムに通い続ければ少しずつでも体が強くなっていくように、瞑想を続けるのを一日に数秒でも増やしていくことはできます。1年も訓練すれば1時間続けることもできるようになるでしょう。15分間の瞑想を一日何回かやるというやり方でも大丈夫です。

うまく行けば「三摩地」に行き着くことができるかもしれません。宇宙と一体化したような最高級の至福です。もちろん退屈ではありません!


翻訳者の感想:回答者はロシアに住んでいらっしゃるようですが、瞑想の教えが世界中に広まっていることが垣間見れますね。

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あなたにとって人生はつまらないのですね。

人にはそれぞれ個性があります。

例え出来事が全く同じ人生が存在したとしても

そこに「つまらない」と感じない人も多くいます。

と、言うよりそういう人の方が多数だと思います。

つまり自分が考え方を変えれば、つまらないを脱却できるかもしれません。

実はこのつまらないと言うのは2種類あります。

一つは、刺激が全くないでときです。

そして、もう一つは、自分では解決できない壁が存在しているときです。

ゲームに例えればどちらもクソゲーですが

クソゲーの質が違います。

前者は敵もなにも存在せずたただ前に進めばクリアできるゲームなどです。

ただ前に進めばクリアなゲームなんてつまらなすぎて誰もやりませんよね。

一方後者は、いわゆる無理ゲーでクリアがほぼ不可能なゲームです。

こちらも最初の数回はチャレンジしてもクリア不可能と思った瞬間からプレイはやめると思います。

質問者様のつまらないはどちらに近いでしょうか?

おそらく後者です。

確かに前者の人も一定数いますが、ほとんどが後者です。

ちなみに前者の例は、天才すぎて自殺する人や逆に他者を傷つける人です。いずれにせよ残念ながら常人ではありません。

そして、後者の人は実は近年増えつつあります。

それはSNSの普及で、自分よりお金を稼ぐ人や自分より地位や名誉がある人が目についてしまうからです。

基本的に人間は自分が一番正しい(頭がいい)と思う生き物ですから、

あなたにとって人生はつまらないのですね。

人にはそれぞれ個性があります。

例え出来事が全く同じ人生が存在したとしても

そこに「つまらない」と感じない人も多くいます。

と、言うよりそういう人の方が多数だと思います。

つまり自分が考え方を変えれば、つまらないを脱却できるかもしれません。

実はこのつまらないと言うのは2種類あります。

一つは、刺激が全くないでときです。

そして、もう一つは、自分では解決できない壁が存在しているときです。

ゲームに例えればどちらもクソゲーですが

クソゲーの質が違います。

前者は敵もなにも存在せずたただ前に進めばクリアできるゲームなどです。

ただ前に進めばクリアなゲームなんてつまらなすぎて誰もやりませんよね。

一方後者は、いわゆる無理ゲーでクリアがほぼ不可能なゲームです。

こちらも最初の数回はチャレンジしてもクリア不可能と思った瞬間からプレイはやめると思います。

質問者様のつまらないはどちらに近いでしょうか?

おそらく後者です。

確かに前者の人も一定数いますが、ほとんどが後者です。

ちなみに前者の例は、天才すぎて自殺する人や逆に他者を傷つける人です。いずれにせよ残念ながら常人ではありません。

そして、後者の人は実は近年増えつつあります。

それはSNSの普及で、自分よりお金を稼ぐ人や自分より地位や名誉がある人が目についてしまうからです。

基本的に人間は自分が一番正しい(頭がいい)と思う生き物ですから、

彼らが自分よりも劣っている(もしくはなにも変わらない)のにこれほどの差があるか理解できないのです。

そして実際にその考えは正解です。

なぜなら人生は全てが運だからです。

近年親ガチャという言葉が流行っていますが

これは言い換えれば運です。

親ガチャは環境ばかりが注目されますが実は環境よりも知能的遺伝、身体的な遺伝などの方が重要です。

残念ながらイケメンや美女は経済的にブサイクよりも得する世の中です。

しかし、顔は選ぶことができません。

阿部寛は「東大へ行け」と言いますが、残念ながら努力しても東大に行けない人も多くいます。

それは努力が足りないのではなく生まれつき能力の限界があるからです。

これを言うことは世間ではタブーとされますがこれが真実です。

補足すれば、努力は必要です。

自分の能力の最大値まで力を発揮させるには努力は必要です。

しかし、最大値以上の能力は出ません。

成功者は運良く頭がよく生まれ、運良く巡り合わせがあって成功しています。

もちろん相当努力もなさっているでしょう。それは事実だと思います。

そして、成功者は自分が運でここまできたことを知らずに言います。「努力しなさい」と

何度も言いますが努力は本当に必要です。

しかし、それだけでは成功できないのです。

つまり、私たちは無理ゲーな社会に生きています。

それがつまらない世の中だと思うのは当然です。

しかし、先にも述べたように、世の中にはそうにも関わらず「つまらない」と感じずに生きてる人が多くいます。

それは何が違うか。

簡単です。ゴール設定を変えることです。

もう少し言い換えれば目の前の事に集中することです。

私も人生がつまらないと思う事は多々あります。

そのときはいつも、目の前のことに全力で取り組めていないです。

逆に私が人生が楽しかった頃は全力だったときです。

趣味などでもなんでも全力で取り組んでみてください。

そして、もう一つは他人との差に絶望しないことです。

YouTubeやインスタグラムなどで、成功してる人をみないことをお勧めします。

成功者になりたいと思い、彼ら彼女らのSNSを見ることは彼らの望みそのものです。

これをネット用語では養分と言いますが、残念ながら見ているあなたも養分の一人なのです。

長くなりましたがまとめると

人生はクソゲーです。

そしてクリアはできません。

ですから自分で『適切な』ゴールを定めて全力でそれと向き合うことです。

ゴールしたら次のゴールを設定すればいいのです。

少し人生を楽しくなれることを願ってます。 参考になれば幸いです。

考え方次第でどうにでもなる話です。

つまらない方向に考えるバイアスが強いと、何をしてもつまらなくなるでしょう。

それは鬱病の一歩手前と呼んで良いかも。

対処はやはり良かった探しですかネ、、、

そして何でも良いので、没頭できる趣味を設定しましょう。

探すのではなく設定するのです。

探すぐらいで見つかるなら、そうはなってないと思うので。

そして人生を楽しみましょう。

人間の魂の洗練させるため…。なぜか強制参加で、本当に知っている人は誰一人としていない。魂の洗練というのも、便宜的に述べられているだけで、本当は誰も知りえることはできない。

映画、ハンガーゲーム、バトルロワイアル、今際の国のアリス、ゲームでは、アバタールチューナー、なども理不尽な生き残りをかけて奔走しますが、結局は無茶ぶりで我らはこの地球に幽閉されています。ある意味罪人なので、苦しむ生活を強いられています。必ず死ぬことがわかっていながら、死に怯える暮らしをしなければなりません。

ただ、あまりにも宇宙は広いので、人間の荒唐無稽な思想も許されており、想像の範疇であるなら、本当にあり得るという可能性は秘めているかと思われます。

蓮の花が泥の中で咲いても、泥を弾いて咲いているのを見ると圧倒されるのですね。仏像、神仏などに付随されるのがよくわかります。

誰も本当に真意を知らないために、便宜的に、宗教的に解釈することで、この理不尽さに対しての対処がなされるのかもしれません。だから本当に、誰も知らない。とても理不尽。だからこそ囚人なのかもと、常々考えてしまいます。

せつないと言ってもつらいだけなので、先日みかけた文に、今は「自ら死ぬこと」を諦めた、というのがあって、それに近い求めない生活を意識することで、平穏さが得られたような気はします。

それは人生が、質問者様に世の中を楽しくしてもらうための「余白」を残しておいてくれたからかもしれません。

昔、私のお師匠さんから

「正しい方より楽しい方を選びなさい」

と教わりました。

そして何が楽しいかは

「あなたの心が知っている」

とも。

「他人の意見」や「世間体」「損得勘定」などを気にして生きていると、本当に楽しい事が分からなくなってしまうんだとか。

つまらない、つまらないと思いながら生きる人生は辛いですよね。

質問者様がワクワクすることを見つけ、追求できますよう願っております。

それって、つまらないことにフォーカスした結果ではありませんか?アインシュタインの電子の振る舞いの実験で、観測者効果というものがあります。そうそう、我々って、分子や原子、素粒子や電子で身体や細胞って成り立ってますよね。もっとも小さな素粒子のふるまいから量子力学で答えを言うと、観測者がみたまんまの結果に電子が振る舞う方向は決定されています。つまり、人生はつまらない、という観点にフォーカスして生き続けると、つまらないもの、つまらないものにまつわる遠くのつまらない波動の素粒子が反応してを沢山引き付けます。世界中のつまらない情報が、なぜか、あなたの目の前に現れやすくなる共時性が沢山起きます。なので、なぜ人生はこんなにつまらないものですか?と聞き出したとたんに、つまらないものを異次元を通して離れたところからも、呼び寄せ、つまらない自然現象をつぎつぎと感受しているだけです。

その逆も簡単にできます。なぜ人生ってこんなにおもしろいんだろうと、観測者が思うと、おもしろいものを次々と引き寄せます。そのように、ミクロの世界の素粒子の振る舞いは、観測者がどのように観測したのか、で、周りに引き寄せられてくる未来の結果が決まります。

結論を言えば、とのようにも観測者が思ったように、世界は振る舞うように、素粒子や電子は振る舞う減少があるのが現実です。なので、もしも、つまらないことがストレスなのであれば、それは自分で

それって、つまらないことにフォーカスした結果ではありませんか?アインシュタインの電子の振る舞いの実験で、観測者効果というものがあります。そうそう、我々って、分子や原子、素粒子や電子で身体や細胞って成り立ってますよね。もっとも小さな素粒子のふるまいから量子力学で答えを言うと、観測者がみたまんまの結果に電子が振る舞う方向は決定されています。つまり、人生はつまらない、という観点にフォーカスして生き続けると、つまらないもの、つまらないものにまつわる遠くのつまらない波動の素粒子が反応してを沢山引き付けます。世界中のつまらない情報が、なぜか、あなたの目の前に現れやすくなる共時性が沢山起きます。なので、なぜ人生はこんなにつまらないものですか?と聞き出したとたんに、つまらないものを異次元を通して離れたところからも、呼び寄せ、つまらない自然現象をつぎつぎと感受しているだけです。

その逆も簡単にできます。なぜ人生ってこんなにおもしろいんだろうと、観測者が思うと、おもしろいものを次々と引き寄せます。そのように、ミクロの世界の素粒子の振る舞いは、観測者がどのように観測したのか、で、周りに引き寄せられてくる未来の結果が決まります。

結論を言えば、とのようにも観測者が思ったように、世界は振る舞うように、素粒子や電子は振る舞う減少があるのが現実です。なので、もしも、つまらないことがストレスなのであれば、それは自分で引き寄せているので、そこに気づき、変えれます。

最後死ぬからね。死後の世界を否定する立場に立ち、かつ、死から人生をとらえると、虚しさばかり覚えるよね。でもまあ、何か目的や楽しみがあれば結構楽しいと思うけどね。

楽しいとまでは行かなくてもつまらなく無くする工夫や取り組みが足りないか、疲れていて休養が足りないかが多くの理由になるかと思います。

工夫をしていると実際はつまらなくてもつまらないとか考える余裕がないだけかもしれません。でもつまらないと考えることがないからつまらないということは感じないと思います。

人間の中に、利己性・独善性・攻撃性があり、世の中はいい学校やいい仕事の取り合いだからでしょう。

余計かもしれませんが、善良で価値観を共有する仲間がいればそのせつなさも多少緩和されますよ。

花も人も生きているから美しい。

長く生ていると失うものばかりが増えます。

散り際を見届ける勇気(覚悟)と愛(敬意)が大切です。

人生がつまらないのは、あなた様が他人軸の視点に浸かっているからである可能性が高いです。
つまり「人生が楽しい人」は現実に沢山いるわけであって、幸いなことに「人生」というものの本質が「つまらない」というわけではありません。言うまでもないことでしょうけど。

しかも、その「楽しい人」の中には、あなた様の生活レベルよりも低い方も多数いるでしょう。
例えば子供は、社会的な能力は未熟ですし、経済力も皆無ですが、楽しく生きていますね。
赤ん坊も同じです。
もちろん大人の中で、無能で貧乏でも楽しく生きてる人は山のようにいますよ。

しかしある種の大人は彼らより、よほど能力的に長けており、なんなら経済的自由度だって格段に高いにもかかわらず、むしろ子供時代より辛そうにしていることが多いかもしれません。

なぜでしょうか?

それが他人軸の視点に浸かっている、落っこちている、ということです。

他人軸の視点とは、まず客観的世界が存在し、その中でちっぽけな自分が世界から常に査定されながら生きている、という視点から世界を認識している状況です。
常に自分の評価は常に世界から下されるもの、という世界観です。
自分はその評価を甘んじて享受するだけ、という人生観です。
自分に対する評価が運良く高ければ、まぁ安心もするでしょうが、そうでなければ楽しくなりようがありませんね。つまらない世界の一丁上がりというわけです。

ここで注意して頂きた

人生がつまらないのは、あなた様が他人軸の視点に浸かっているからである可能性が高いです。
つまり「人生が楽しい人」は現実に沢山いるわけであって、幸いなことに「人生」というものの本質が「つまらない」というわけではありません。言うまでもないことでしょうけど。

しかも、その「楽しい人」の中には、あなた様の生活レベルよりも低い方も多数いるでしょう。
例えば子供は、社会的な能力は未熟ですし、経済力も皆無ですが、楽しく生きていますね。
赤ん坊も同じです。
もちろん大人の中で、無能で貧乏でも楽しく生きてる人は山のようにいますよ。

しかしある種の大人は彼らより、よほど能力的に長けており、なんなら経済的自由度だって格段に高いにもかかわらず、むしろ子供時代より辛そうにしていることが多いかもしれません。

なぜでしょうか?

それが他人軸の視点に浸かっている、落っこちている、ということです。

他人軸の視点とは、まず客観的世界が存在し、その中でちっぽけな自分が世界から常に査定されながら生きている、という視点から世界を認識している状況です。
常に自分の評価は常に世界から下されるもの、という世界観です。
自分はその評価を甘んじて享受するだけ、という人生観です。
自分に対する評価が運良く高ければ、まぁ安心もするでしょうが、そうでなければ楽しくなりようがありませんね。つまらない世界の一丁上がりというわけです。

ここで注意して頂きたいのは、他人軸とは世界に対するあなた自身のものの見方のことを指している、ということです。サラリーマンをして常に査定されてるその状況自体を他人軸と言ってる訳ではありません。

これが、あなたが人生をつまらないと思っている本質的理由です。
たったこれだけのことです。
なので、これさえわかってしまえば、この病気の50%は治ったも同然でしょう。

そして次に重要なのは、周囲の評価が最低レベルに低くても、楽しく生きている人は山のようにいるという事実です(まぁ少数派かもしれませんけど)。

そういう人は、自分軸の世界で生きているのです。これはその人自身の状況とは無関係です。たとえその人がその日暮らしの自由人というわけではなく会社勤めをしていても自分軸の人は周囲の評価とは無関係に楽しく生きることが可能です。
他人軸の世界に生きている人は、そういう人を見て「独りよがりだ」とか「自己満足だ」とか批判するかもしれません。でも自分軸の人は、そんな批判にこれっぽっちも耳をかさずに、ただ豊かに楽しく生きています。それが自分軸ってことです。

他人軸の世界にどっぷりの人の中で、こういう人の評価は低いのです。
なぜなら世間の基準に照らすと、その人はレベルが低いから。
でも「世間」ってなんでしょうか? あなたは世間なのですか? あなたは常に世間にお伺いを立てて生きなければならないのですか? あなたはあなたでしょう。あなたの世界はあなたが決める自由が保障されていて、それはどこの誰にもおびやかされることはないのです。

だから、あなたが他人軸の世界を抜け出したときから、人生は俄然楽しくなり始めるのです。
それだけです。それは今この瞬間からでも可能なのです。そういう類の話です。
なにかの能力を磨いたり、経済的に成功したり、理想の異性と結婚したりしなくても今この瞬間から今そのまま状態で今すぐ幸せになることはできるのです。その方法を知りさえすれば。

かくいう私もかつてあなた様のように考えていましたがこのことに気づいたときから人生が完全に反転しました。今は豊かで満ち足りて生きています。客観的な状況は「つまらない」だったときと大して変わっていないのに、ですよ?(ここが非常に重要なところです)

まずはそういうものだと受けとめてみるところから始めてみたらよいと思います。
「つまらない」という感情を後生大事に抱え続けるのが趣味だというのでないならば。

あなたが「つまらない。」でピリオドを打っているから、というのはどうでしょう。
結論「つまらない」で終わらせるのではなく、つまらないをスタート地点としてつまらなきものを面白くする、ってことで解決するのではないでしょうか。
そういえば高杉晋作だかもそんなこと言ってた気がしますね。

例えば、うちの子は急にオペラ歌手のように歌いだしたりします。
そういうとき、とっても楽しそうです。周りも楽しい空気になります。
大人のように「つまらない」とか言ってグダグダしません。面白そうなことを即座に行動に移す直感力のよさがあります。そして、それができるからこそ実際に面白いをゲットします。
正直、いい大人になった私には、なかなか気軽に真似できるような芸当ではありません。
しかし、それって本当は自意識過剰なだけなんですけどね。
(まぁ、自意識がゼロだったら、それはそれでまともな社会生活が送れないでしょうけど)

要するに子供は人生を楽しむことの達人です。
そして人生を楽しんでいる人って、大人でもみんなどことなく子供っぽい印象ないですか?
一見ばかばかしいことを本気で目をキラキラして語ったり、しょうもないことに夢中になったり。
なぜそれができるかというと、目の前のことそれだけに集中しているからです。
未来や周囲の目を気にし始めたら、楽しいことなんて、どんどん逃げてしまうんじゃないですか。

でも目の前のことに集中するっ

あなたが「つまらない。」でピリオドを打っているから、というのはどうでしょう。
結論「つまらない」で終わらせるのではなく、つまらないをスタート地点としてつまらなきものを面白くする、ってことで解決するのではないでしょうか。
そういえば高杉晋作だかもそんなこと言ってた気がしますね。

例えば、うちの子は急にオペラ歌手のように歌いだしたりします。
そういうとき、とっても楽しそうです。周りも楽しい空気になります。
大人のように「つまらない」とか言ってグダグダしません。面白そうなことを即座に行動に移す直感力のよさがあります。そして、それができるからこそ実際に面白いをゲットします。
正直、いい大人になった私には、なかなか気軽に真似できるような芸当ではありません。
しかし、それって本当は自意識過剰なだけなんですけどね。
(まぁ、自意識がゼロだったら、それはそれでまともな社会生活が送れないでしょうけど)

要するに子供は人生を楽しむことの達人です。
そして人生を楽しんでいる人って、大人でもみんなどことなく子供っぽい印象ないですか?
一見ばかばかしいことを本気で目をキラキラして語ったり、しょうもないことに夢中になったり。
なぜそれができるかというと、目の前のことそれだけに集中しているからです。
未来や周囲の目を気にし始めたら、楽しいことなんて、どんどん逃げてしまうんじゃないですか。

でも目の前のことに集中するって、口でいうほど簡単なことじゃありません。
私は若かりし頃、とある芸能人にぱっと一目初めてあった瞬間に
「あら、あなた、大丈夫? あなた、考え込みすぎるタイプでしょ」
って言われたことがあります。初対面の挨拶とかする前からですよ。これは結構ショッキングな出来事でしばらくトラウマ級に心に刺さってたんですけど、でもそれは図星だったからかもしれません。

人には理性と直感があります。理性が強くなりすぎると、人生がつまらなくなる恐れがあります。
かといって直感に偏りすぎても、すぐ道を踏み外してしまって積み上げていくことが難しくなるかもしれません。「楽しい」の維持は、「楽しい」という道からコースアウトしないように、それでいてなるべく高速で走り抜けていくレーシングゲームみたいなものかもしれません。

ハイスコアを出すためにはある意味、技術とリズム感が必要です。
要するに理性と直感の両方をバランスよく研ぎすましていくということです。

おそらく現代は理性が強くなりすぎた人が多いのではないでしょうか。理性が強くなりすぎると、他人軸の世界に落っこちやすくなり、これは「つまらない」を感じる場面が増えることを意味します。

そして心のなかに湧いてくる「つまらない」という声は、人間の中にある潜在意識、無意識からの訴えではないでしょうか。要するに誰でも心のなかに「こども」がいるってことです。この子供は刺激と自由が大好きなので、ずっとお行儀よくしていると「つまんな〜い」って文句を言い出し始めるわけです。

つまり、あなたが私が「つまらない」と思うとき、それは心の中の無意識ちゃんたちによる不満の表明だと思えばよいでしょう。だから、その声を聞いたとき「人生はつまらないものだ」なんて同意してる場合じゃないのです。それは親が子供に「そうだよ、人生はつまらないものなんだよ。すべてを諦めて、おとなしくしていなさい」と教え諭しているようなものです(それこそ本当につまらないですよね!)
そうではなくて「つまらないなら面白くしようぞ!」と立ち上がれる人でありたいですよね。
そしてそこでオペラでも歌いだせば急に楽しくなっちゃったりするものかもしれません。

要するにおもしろい人って、どこか狂気を宿していますね。
突如起業したとか、お金もないのに急に思い立って旅行に行っちゃうとか。これは直感が研ぎすまされているためでしょう。理性が考える力なのだとしたら、直感は考えず行動に移す力です。これも行き過ぎると、ただの独りよがり、はた迷惑になりかねないのですが、でもそれがものすごい魅力として映ることも少なくないでしょう。

理性と直感の両方を研ぎ澄ましていきましょう。
心のなかに聞こえる「つまらない」という声は、あなたの中に眠る童心からの警告と思えばよいです。
したがってもし心のなかに「つまらない」という声が聞こえてきたら「考えずに行動すること」これを強めに意識し、実際に何かを行動に移しましょう。
直感に身を任せる。心のブレーキをきかせない。このことで「つまらない」を脱することができます。
(だからって羽目を外しすぎて、洒落にならないことをされても責任は取れませんけどね笑)

あたりまえです。

動物を見てください。幸せそうですか?動物は生きることだけで必死です。

人間だってそうだったのです。

文明を発達させても19世紀ぐらいまでは人口の大半が生きることだけで必死。

で、近代、現代で、有史以来初、多くの人間が「生きることがヌルゲー」状態になったわけです。

つまり面白おかしく生きるなんて人間にとってやっとであったばかりの未知の分野なのです。

確かに、一定のものの見方をすれば人生はつまらないものです。

釈尊も、人生とは苦であると、喝破されているように、決して手放しに楽しいもの、楽ちんで喜ばしいものではないと思います。

つまらないといえば、

私は、日頃読書をしていますが、人から見れば「よくそんなつまらない本を読むね!」とか、「今更学校の復習みたいなことやってるの?」とびっくりされることもあります。

例えば、最近ですと、一度読んだら忘れない世界史という本を、一日1時間読んでいます

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E5%B1%B1%EF%A8%91-%E5%9C%AD%E4%B8%80/dp/4797397128/ref=sr_1_1?crid=3O8X4FFB61AUJ&keywords=%E4%B8%80%E5%BA%A6%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E3%81%AB%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8&qid=1660749378&sprefix=%E4%B8%80%E5%BA%A6%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89%2Caps%2C197&sr=8-1

学んだり、歴史が好きな方なら変とは思わないでしょうけれど、一般的には、今更こんな本を読むなら、youtubeを見るでも、出かけるでも、したほうがよっぽど楽しいというわけです。

更に、

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4061586904/ref=sr_1_15?crid=5I6NSI2CQN6D&keywords=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88&qid=1660749481&sprefix=%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%99%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%81%88%2Caps%2C186&sr=8-15
正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)
正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

エックハルトさんや、道元さんの本は、何回も読み直していますが、普通からしたら全くつまらない無意味なこととされています。

何を言いたいかと言うと

読書一つ、私のように変わった本を読んで楽しんでいるのもいますが、一般的にはつまらないとされているわけです。

「なぜ人生はこんなにつまらないの?」というご質問は、確かにそのとおりなのですが

一部の人間にとってみたら、つまらないだけではない、楽し

確かに、一定のものの見方をすれば人生はつまらないものです。

釈尊も、人生とは苦であると、喝破されているように、決して手放しに楽しいもの、楽ちんで喜ばしいものではないと思います。

つまらないといえば、

私は、日頃読書をしていますが、人から見れば「よくそんなつまらない本を読むね!」とか、「今更学校の復習みたいなことやってるの?」とびっくりされることもあります。

例えば、最近ですと、一度読んだら忘れない世界史という本を、一日1時間読んでいます

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E5%B1%B1%EF%A8%91-%E5%9C%AD%E4%B8%80/dp/4797397128/ref=sr_1_1?crid=3O8X4FFB61AUJ&keywords=%E4%B8%80%E5%BA%A6%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E3%81%AB%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8&qid=1660749378&sprefix=%E4%B8%80%E5%BA%A6%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89%2Caps%2C197&sr=8-1

学んだり、歴史が好きな方なら変とは思わないでしょうけれど、一般的には、今更こんな本を読むなら、youtubeを見るでも、出かけるでも、したほうがよっぽど楽しいというわけです。

更に、

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4061586904/ref=sr_1_15?crid=5I6NSI2CQN6D&keywords=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88&qid=1660749481&sprefix=%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%99%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%81%88%2Caps%2C186&sr=8-15
正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)
正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

エックハルトさんや、道元さんの本は、何回も読み直していますが、普通からしたら全くつまらない無意味なこととされています。

何を言いたいかと言うと

読書一つ、私のように変わった本を読んで楽しんでいるのもいますが、一般的にはつまらないとされているわけです。

「なぜ人生はこんなにつまらないの?」というご質問は、確かにそのとおりなのですが

一部の人間にとってみたら、つまらないだけではない、楽しみとか妙味があるはずです。

それは、ある意味で豊かさです。

ただ、働いて帰ってきて、あぁ疲れた!という一日では、機械のようでつまらないでしょう。

もっと、その先の豊かな感性を得れば、つまらないなかにも華が咲いています。

生きているからこそ愛でることの出来る、尊さを感じることが出来ます。

釈尊の説いたように苦しいものです。人生は。

ですが、それだけではない部分に、なるべく目をやれたら素敵ではないかと思います。

2度と時間が戻らないからでしょうかね。

それは、最近のことですか?

それとも子供の頃からですか?

大人になってからの場合、子供の頃、楽しかったこと、やってみたかったことを、一つづつ、また試してみても良いかもしれません。

いろんな事情で、楽しめないくらい疲れていたり、楽しくなるのに罪悪感を感じるくらいの心労がある場合、まずは、ゆっくり休んでください。

楽しむ、ということは、結構エネルギーが必要な作業だからです。

子供の頃から楽しくない場合は、もしかすると自閉症のような発達障害的な感じかもしれません。

人生が、空虚で、どこか実感がなく、他の子が楽しそうにしていても、何が楽しいのか分からない、ということが続いていましたか?

虐待などの特殊な環境でない限り、そんなに珍しいことではないので、心療内科ではなく、精神科を受診してみてください。

精神科の方が、心理的ハードルは高いですが、精神科の方が専門的だと、知り合いの精神科の医師が言ってました。

合う薬があれば、普通の人はこんなに楽しかったのか、と、驚くくらい気分が変わるそうです。

神経伝達物質の不具合で薬の効果があるケースでは劇的な変化が味わえるらしいので、試してみて損はないかと思います。

おめでとうございます。

人生がつまらないと気がつく人は大勢います。

でも、なぜ人生がつまらないのかを正面から疑問に思い、その答えを求めようとする人はまれだからです。

残念ながら私では充分言い尽くせませんので、20世紀の巨大な叡智、Oshoの言葉をお贈りします。

~   ~   ~

退屈の先にあるもの Osho (「JOY」より)

退屈は、マインドが覚醒に近づいたときに起きる。
 退屈するということは、人生の生き方に関するむなしさや、無意味さについて、大いなる理解が生じつつある最初の兆しだ。 
 退屈には2つのやり方で対応することができる。
 
 一つは人々が普通することである。
 そこから逃げる、それを避ける、真正面から見ようとしない。
 あなたの心を占め、強迫的に夢中になれるものに逃げ込む。
 それはあなたを生の現実から引き離し、あなたは二度と退屈が湧きあがるのを見ることはない。
 それこそが人々がアルコールや薬物を発明した理由だ。
 
 しかし、あなたは本当には逃げられず、しばらくの間、それを避けることができるだけだ。
 あなたは、セックスに逃げ込むこともでき、大食いしたり、音楽に逃げたりもできる。
 あなたが逃げ込めるものは、無数にある。 
 しかし、何度も何度も退屈はおそってくる。
 それは避けることができない。人間の成長の一部だ。それに直面しなければならないのだ。
 
 
 もう一つ

おめでとうございます。

人生がつまらないと気がつく人は大勢います。

でも、なぜ人生がつまらないのかを正面から疑問に思い、その答えを求めようとする人はまれだからです。

残念ながら私では充分言い尽くせませんので、20世紀の巨大な叡智、Oshoの言葉をお贈りします。

~   ~   ~

退屈の先にあるもの Osho (「JOY」より)

退屈は、マインドが覚醒に近づいたときに起きる。
 退屈するということは、人生の生き方に関するむなしさや、無意味さについて、大いなる理解が生じつつある最初の兆しだ。 
 退屈には2つのやり方で対応することができる。
 
 一つは人々が普通することである。
 そこから逃げる、それを避ける、真正面から見ようとしない。
 あなたの心を占め、強迫的に夢中になれるものに逃げ込む。
 それはあなたを生の現実から引き離し、あなたは二度と退屈が湧きあがるのを見ることはない。
 それこそが人々がアルコールや薬物を発明した理由だ。
 
 しかし、あなたは本当には逃げられず、しばらくの間、それを避けることができるだけだ。
 あなたは、セックスに逃げ込むこともでき、大食いしたり、音楽に逃げたりもできる。
 あなたが逃げ込めるものは、無数にある。 
 しかし、何度も何度も退屈はおそってくる。
 それは避けることができない。人間の成長の一部だ。それに直面しなければならないのだ。
 
 
 もう一つの反応は正面から取り組み、そのことについて瞑想し、それと一緒にいて、それになりきることだ。
 ブッダが菩提樹の下で行ったことはそれだった。 
 瞑想とは正確には何だろうか?
 退屈に正面から向かうことが瞑想だ。
 
 瞑想者は何をし続けているのだろうか?
 黙って座り、自分のへそを見つめる、あるいは呼吸を観察する、彼はこうしたことを楽しんでいると思うかね?
 彼はまったく退屈している!
 禅のマスターが棒切れを持って歩き回っているのはそのためだ、なぜならば、こうした退屈した人々は居眠りをしてしまうからだ。
 他の逃げ道はない。
 彼らは自分の意思で、禅の訓練の一部になったのだ。彼らは逃げられない。
 
 しかし、いつも一つ逃げ道がある。
 眠ることができ、そしてあなたはすべてを忘れる。だから、瞑想中に人は眠くなるのだ。
 瞑想の努力はこれだけだ。
 退屈しなさい、でもそこから逃げるなということだ。
 眠ってしまったら、逃げたことになる。
 注意を怠るな、それを観察せよ。
 もしそれがそこにあれば、それはそこにある。
 それをよく見なければいけない、その中心まで見るのだ。
 
 もし、あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。
 ある日、退屈の中を深く見ていると、突然に、あなたは自分自身の無の中を刺し貫く。
 退屈を歓迎し、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。
 禅寺では、毎日、同じ動作が何回も何回も続く。一日中、決まり切った日程だ。すべてが退屈を助長する。
 もし、あなたが観察し、観察し続けると、退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、そしてピークに達する。
 永久に続くものはない。車輪が向きを変える時がやってくる。
 もしあなたが極限まで行くと、最高地点まで行くと、そのとき、変化、変容、覚醒、悟り、何と呼んでもいいが、それが起きる。
 
 ある日、突然、退屈があまりにも大きくなる。あなたは息が詰まりそうになる。それによってあなたはほとんど死にそうになる。あなたはそれに圧倒される。
 逃れる方法がないように思える。
 退屈の強烈さと大きさが頂点に達したとき、車輪が反転する。
 突然、退屈が消える、そして、そこには悟りと三昧が現れる。あなたは無の状態に入る。
 そのとき、もう退屈はどこにもない。あなたは生の究極の無を見たのだ。あなたが消えたのだ、誰が退屈するだろうか? 何に退屈するだろうか? あなたはもう存在しない。あなたは消滅している。
 偉大なスピリチュアルな現象だ。だから、野生の牛は退屈しないのだ。彼らは完全に幸せで楽しんでいる。人間だけが退屈する。
 
 人間の中でも、とても才能があり、知的な人間だけが退屈する。
 馬鹿な人々は退屈しない。彼らは完全に幸せで、仕事をしたり、子供を育てたり、食べたり、映画に行ったり、あれやこれやに参加したりしている。
 彼らは退屈なんかしていない。彼らは最低のタイプだ。
 
 ブッダは完全に退屈していた。
 女にも、酒にも、富にも、王国にもすべてに退屈していた。
 彼はあまりにも世間に飽きてしまったので、世を捨てたのだ。
 
 もし、あなたがインテリならば、世間は退屈だ。
 もし、あなたが馬鹿であれば、そのまま続けられる。その場合、世間は遊園地だ。
 あなたはくだらないことに興味を持ち、繰り返し続け、その繰り返しが見えるほど意識的でもない。自分が昨日はこれをしていた、そして今日もまた同じことをしている、明日もまた同じことをすると思っているのを、あなたは分からないのだ。あなたは本当に頭が悪いに違いない。 
 知性はどうやって退屈を避けることができるだろうか? それは不可能だ。
 知性とは物事をありのままに見ることを意味している。
 
 ブッダは退屈して世間から去った。
 そして彼は森の中に6年間座って何をしていたのだろうか?
 彼はもっと、もっと退屈していった。
 森の中に座って、あなたは何ができる?
 自分の息を観察しなさい、自分のおへそを見なさい、朝から晩まで、年の初めから終わりまで。
 彼は自分の退屈を究極のピークまで作り上げた。すると、ある夜、それは消えた。ひとりでに消えたのだった。
 もし、あなたがピークに達すると、折り返しがやってくる。必ずやってくる!
 光があなたの存在に入り込む。あなたは消え、光だけがとどまる。
 あなたは喜びでいっぱいになる。
 あなたはいない、しかし、理由などないのに歓びでいっぱいだ。
 
 普通の人は何か理由があって、楽しむものだ。
 新しい女性と恋に落ちて、彼は楽しくなる。
 彼の歓びは瞬間的なものだ。明日になれば、この女性に飽きてしまって、他の女性を捜し始めるだろう。
 普通の男は新しい車を買ったと言って喜ぶ。明日になれば、彼は他の車を探し始めなければならないだろう。
 それは次から次へと続く。彼は決してものの本質を見ない。いつも最後には退屈するのが分からないのだ。
 
 どんな行動も退屈をもたらす。頭の良い人はそれが分かっている。
 だから人は退屈について瞑想しなければならない。
 退屈から逃れる道はない。それならば退屈の中に入ってゆきなさい。それがどこに導いてくれるのか見なさい。
 そして、あなたが退屈の中に入り込み続けると、それが覚醒へと導いてゆく。

人生の素晴らしさとかを実感するために、「せつなさ」とかが存在するんです。

僕は今23歳で専門学校に通っている者です。僕は人との関係を良好に築くことが苦手です。どこに行っても孤立するばかりでした。ですがこんな僕に僕のことを好きだと言ってくれる女性が現れ、今、彼氏彼女の関係になっています。毎日幸せです。毎日電話してます。彼女は楽しみなんてなかった僕に楽しみを与えてくれました。次に会うときは動物園にいこうとか、この味噌ラーメンおいしいから今度行こうねとか、1月から期間限定のチョコのソフトクリームが出るからそれを食べようねとか、未来に楽しみを持たせてもらっています。

彼女は僕に愛情表現をする機会を与えてくれています。僕に彼女のためにこんなことを言おうと思って伝えると喜んでくれます。それをみて、僕は幸せな気分になります。愛情表現をしてそれを受け取ってくれる相手を持てていることは運がいいことだと思います。愛情表現自体は誰だってできますが、それを素直に受け取ってくれる人がいることは幸運なことなんです。自分だけではどうしようもありません。僕には今までいませんでした。

また、彼女は僕に失敗してそれを直す機会を与えてくれています。僕は誤った態度をとってしまっても、彼女は僕のことを信じてそばにいてくれます。時間が経った頃には僕はあれはよくなかったかもしれないなと反省して次から違ったことをすることができます。大半の人はそもそも次というのがありません。ただ離れていくだけです。

僕は今、

僕は今23歳で専門学校に通っている者です。僕は人との関係を良好に築くことが苦手です。どこに行っても孤立するばかりでした。ですがこんな僕に僕のことを好きだと言ってくれる女性が現れ、今、彼氏彼女の関係になっています。毎日幸せです。毎日電話してます。彼女は楽しみなんてなかった僕に楽しみを与えてくれました。次に会うときは動物園にいこうとか、この味噌ラーメンおいしいから今度行こうねとか、1月から期間限定のチョコのソフトクリームが出るからそれを食べようねとか、未来に楽しみを持たせてもらっています。

彼女は僕に愛情表現をする機会を与えてくれています。僕に彼女のためにこんなことを言おうと思って伝えると喜んでくれます。それをみて、僕は幸せな気分になります。愛情表現をしてそれを受け取ってくれる相手を持てていることは運がいいことだと思います。愛情表現自体は誰だってできますが、それを素直に受け取ってくれる人がいることは幸運なことなんです。自分だけではどうしようもありません。僕には今までいませんでした。

また、彼女は僕に失敗してそれを直す機会を与えてくれています。僕は誤った態度をとってしまっても、彼女は僕のことを信じてそばにいてくれます。時間が経った頃には僕はあれはよくなかったかもしれないなと反省して次から違ったことをすることができます。大半の人はそもそも次というのがありません。ただ離れていくだけです。

僕は今、毎日幸せです。彼女との付き合いで最近発見したことがあります。僕は今まで人生はつまらないと思っていました。楽しくするコツは「みんなやってる」 「人気であること」 「定番」をまずやってみることかもしれないなと思うようになりました。これらに従うことって頭が悪そうだなんて僕は思っていました。でも、デートで映画に行くとか、デートで喫茶店に行くとか、こういう定番に従うと普通に楽しいんだなということが意外な発見でした。

質問者さんは人気なことは一通りやってみていますか?自分の住んでいる地域の観光スポットは全部行ってみましたか?人気の漫画は読んでみましたか?人気で流行りの曲は一回は一通り聴いてみましたか?スマホゲームなんかでも有名なものを何も考えずに入れてやってみることをおすすめします。これは頭が悪そうですが、そこそこおもしろいことが多いですよ。

あと、最後に僕は過去のことを振り返ってみても、不幸だった時期はどうしようもなかったと思います。僕はいつも一生懸命やっていて、手を抜いていたわけではありません。それでもとても不幸でした。今彼女がいて、やりたいことがあって幸せですが、僕の方が変わったことはあんまりないんです。ただ運がよかっただけです。だから、もし質問者さんのことを責める人がいても自分のことを責めないでください。どうにもならないことってあると思います。

質問者さんに人生が楽しくなるようなすばらしい幸運が舞い込んでくることを祈っています。

もし、ひとの人生を見られて、

その人の人生がつまらなくないものであれば

あなたの人生もまた素晴らしいものになります。

まず、目を見開き視野を拡げ世界を見ましょう。

つまらなく思う心こそ、そのための第一歩である

現状認識とそれへの危機認識の発露なのです。

簡単です。

あなた、がそう思うからです。

つまらない、と思うのは、あなた

他の誰でもありません。

あなたが「つまらない」と決めたからです。

誰かがつまらなくしたのではなく、つまらなくするようにあなた自身がチョイスし、ツマラナイ時間ツマラナイ症候群にいることを「楽しんでいる」のです。

もう一度言いますね。

あなたは「人生は、こんなにもつまらない」と言うことを楽しんでいるのです。

やっと気付きましたね。

おめでとうございます!

もうツマラナイ人生とはオサラバです。

あなたとは逆に「人生は楽しい!」と思う人は、どんどん前へ進みます。

例えばこんなふうに。

三川屋幾朗
· 1年前
みなさんの生き甲斐はなんですか?できれば建前やそうありたいという理想ではなく、正直なところを聞きたいです。
タイムリーな質問、ありがとうございます。 ついこの間まで「死にたい」毎日を過ごしていたウツ持ちが、健常状態に戻って冷静にこの質問に向き合った私なりの答えを正直にご披露いたしましょう。 まずは挨拶代わりに、ウツ明けで始めたのはこれです。 63歳から始める、ピアノ。 これ、めっちゃ難しいです。簡単な曲なのに、もうイヤ!ってくらいに上手くいかない。指が思うように動きません。そのうえ右手と左手が喧嘩しまくってます。私はPCのキーボードなら超速で打てますが、鍵盤は全く歯が立ちません。 だ・か・ら、面白いんです。 難しいものほど楽しめる。つまり、上手にできるようになるまでの時間がたっぷりかかるものを始めるということは楽しめる時間がそれだけある、ということなんです。 人生は「経験」です。 経験という時間を楽しむのが人生です。 例えば、私が考える最高の経験は仕事です。最高の生き甲斐時間です。 人生とは、親からもらった体を使って時間と言う誰にも平等に与えられた資産を使って過ごす経験の総量です。私のクライアントにはいつもこう言っています。 『人生最高の暇つぶしは仕事である』 人生、これ以上のお楽しみはありません。 さて、お仕事を50歳でやめている私の様な自遊人は、仕事の他に生き甲斐が必要です。そこで仕事に代わるお楽しみを見つけるわけです。 そのポイントは・・・ * 新しい人に会う * 新しい場所へ行く * 新しいコトに出会う * 新しい味を見つける ・・・ という具合に『新しい経験』に出会うことで生き甲斐を見つける可能性が高まります。 そんなわけで、ピアノに加えて先週は空も飛んでみました。 生き甲斐は、どこにでも転がっています。大切なことは『直ぐやる』こと。 やって面白くなければ直ぐに次へ。人生は短い。63歳になって人生の残り時間をより感じるようになりました。いつかやる、ではなくて、直ぐやる。 参考になりましたら嬉しい限りです。

死ぬか生きるか、という瀬戸際から生還したから、イマが楽しい。

お役に立ちましたら嬉しい限りです。

簡単です。

あなた、がそう思うからです。

つまらない、と思うのは、あなた

他の誰でもありません。

あなたが「つまらない」と決めたからです。

誰かがつまらなくしたのではなく、つまらなくするようにあなた自身がチョイスし、ツマラナイ時間ツマラナイ症候群にいることを「楽しんでいる」のです。

もう一度言いますね。

あなたは「人生は、こんなにもつまらない」と言うことを楽しんでいるのです。

やっと気付きましたね。

おめでとうございます!

もうツマラナイ人生とはオサラバです。

あなたとは逆に「人生は楽しい!」と思う人は、どんどん前へ進みます。

例えばこんなふうに。

三川屋幾朗
· 1年前
みなさんの生き甲斐はなんですか?できれば建前やそうありたいという理想ではなく、正直なところを聞きたいです。
タイムリーな質問、ありがとうございます。 ついこの間まで「死にたい」毎日を過ごしていたウツ持ちが、健常状態に戻って冷静にこの質問に向き合った私なりの答えを正直にご披露いたしましょう。 まずは挨拶代わりに、ウツ明けで始めたのはこれです。 63歳から始める、ピアノ。 これ、めっちゃ難しいです。簡単な曲なのに、もうイヤ!ってくらいに上手くいかない。指が思うように動きません。そのうえ右手と左手が喧嘩しまくってます。私はPCのキーボードなら超速で打てますが、鍵盤は全く歯が立ちません。 だ・か・ら、面白いんです。 難しいものほど楽しめる。つまり、上手にできるようになるまでの時間がたっぷりかかるものを始めるということは楽しめる時間がそれだけある、ということなんです。 人生は「経験」です。 経験という時間を楽しむのが人生です。 例えば、私が考える最高の経験は仕事です。最高の生き甲斐時間です。 人生とは、親からもらった体を使って時間と言う誰にも平等に与えられた資産を使って過ごす経験の総量です。私のクライアントにはいつもこう言っています。 『人生最高の暇つぶしは仕事である』 人生、これ以上のお楽しみはありません。 さて、お仕事を50歳でやめている私の様な自遊人は、仕事の他に生き甲斐が必要です。そこで仕事に代わるお楽しみを見つけるわけです。 そのポイントは・・・ * 新しい人に会う * 新しい場所へ行く * 新しいコトに出会う * 新しい味を見つける ・・・ という具合に『新しい経験』に出会うことで生き甲斐を見つける可能性が高まります。 そんなわけで、ピアノに加えて先週は空も飛んでみました。 生き甲斐は、どこにでも転がっています。大切なことは『直ぐやる』こと。 やって面白くなければ直ぐに次へ。人生は短い。63歳になって人生の残り時間をより感じるようになりました。いつかやる、ではなくて、直ぐやる。 参考になりましたら嬉しい限りです。

死ぬか生きるか、という瀬戸際から生還したから、イマが楽しい。

お役に立ちましたら嬉しい限りです。

チャレンジしていないからです。

チャレンジしないと人生がつまらなくなるではなく、

人生がつまらないものと悟る一部の人だけ、

チャレンジが必要となってくるのです。

つまり、

あなたは面白い人生を手に入れられるチケットをゲットしたのです。

おめでとう。

つまらない人生を求めているから。

ある意味で夢が叶っているといえます。もちろん、つまらないのがいけないとはいいません。

全てが夢/幻だからしょうがない。

死んだら、妻子も財宝も、自分の肉体さえ無くなってしまうと言う事は子供でも知っている(いずれ墜落すること確定の飛行機内で楽しめないのと一緒です)。

この「苦悩の根源」と「解決方法」だけを説かれていかれたのが「仏の悟りを開かれたお釈迦様」です。

これ以上は、Quoreでは回答してはいけない宗教の話になるので控えます(ネット検索推奨)。

貴方がつまんない人生を歩んでるからです。

人生は自分で作り上げるものなのに、人のせいだと思ってるからですね。

「つまんない人生=劣等感で一杯(コンプレックス)の人生」

だからだね。

さっき気づきました。

つまらない人間ばかりいる環境で生きていませんか?

大変な最上のことを悟っても人間には何の役にも立ちません。苦労して苦労して生きるしか人間には能がないようです。苦労を受け入れポジティブにもネガティブにもならないように生きましょう。

北欧の福祉がとても充実している国では、仕事がなくなっても生きていけるなどで、特に心配することがなくなって「退屈という病」が生まれるそうです。

時にそれは自死に繋がるとか。もしかしたら現在のあなたは何の心配もない状態に近づいているのかもしれないですね。

楽しいことを見つけるのが苦手なのかもしれません。または、精神的に参っていて鬱状態なのかも。

理性が勝って、抑制が効き過ぎる。なにかしようとしても、お金を節約しなきゃ、と思ったり、こんなことするの恥ずかしいな、と思ってしまう。

または、過去にあまりにも楽しい日々を過ごして、その頃と比べてしまうのか。

つまらない、と感じる原因を思いつくままに書いてみました。

常にどこか痛いとかしんどい病気を抱えているわけでもないのにつまらなそうにしている人、確かに多いですね!なんででしょうね?

ひとつ共通していることは、主体的ではないことです。何がしたいのかわからないのです。聞いても別にって答えるだけ。高学歴で別に頭も悪くないし、家族もいて、一般的には幸せなはずなんですけどねぇ〜。どこかで主体性を失ってしまったんでしょう。

人によりますが、私は今、不幸のどん底です。でも、さらに底があることだけは間違いありません。更なる悪夢が起こります。逆に良いことは起きません。

自分なりの努力はしたつもりですが、「自分なり」「つもり」の時点で駄目だと解しています。不運に見舞われ、加えて人に恵まれませんでした。

先程も、会社の昼休みに人のいない倉庫の中で、「この世は地獄だ」と考えていました。

質問者様は、「人生がつまらない」というレベルで、まだ良いのかもしれません。私の視点からは、地獄としか思えない状況よりはマシなように思えてなりません。

まだ見つかってないんだと思います。面白いと思えるものに。

quoraは知的好奇心を満たせるし、自分にはない知見や感性を感じることができます。

あなたもそういったものを期待してquoraにはいったのではないですか?もっと他の事柄にも好奇心をもってみてください。

見つかるといいですね!

随分前の ご質問ですね。コロナも戦争も無い時期ですかね。

如何ですか、現在も同じお気持ちですか?

幸福を探求し始められているのではないですか。

簡単に言えば、あなたの基本能力のスペックが高すぎるか、または低すぎるか、もしくは好奇心が低いからです。

好奇心が高いとスペック関係なくつまらないという言葉は出てきません。

世の中はつき詰めて考えると、不思議で面白いことだらけですから。

私はもう54ですが、つまらなかった日は記憶にないぐらいです。

やりたいことだらけで人生150年ぐらい欲しいです。

心の中に新しいものやことと出会って刺激を受けたいという欲求があるから。だと思います。

その欲求さえなければ「つまらない」と思う事も無くなるのでしょう。

ウチには猫が2匹いますが、3歳のおチビちゃんはまだまだ好奇心旺盛で、毎日帰宅すると遊びの相手をしてくれと誘いに来ます。一方、13歳の老ネコの方はメシとトイレの時以外は丸くなって寝てばかりいます。動物は子供時代に親から生きるすべを学ぶために好奇心や向上心を持っていますが、年齢を重ねるにつれてそれが薄らいでしまうのです。

ところが人間は脳が進化するに従って、もともとは子供の時期だけだった好奇心と向上心を失わずに持ち続けるように進化したらしいのです。そして常に新しい刺激を求めるようになっているので、刺激がないと「つまらない」と感じてしまうのです。

ただ、子供のうちはお守りしてくれる人がいたり、近くにいる同年代はみんなお友達で一緒に遊べたのに、大人になってくると自分の価値観の中で刺激を求めてさまよわなくてはならないように出来ているみたいです。

なので「つまらない」と感じるのは大人と子供の境目の時期が多いみたいですね。今まで無意識に周囲に存在していた「遊び相手」が消滅してしまうのだから。そこから先は自分で自分に「楽しいこと」を見つけてやる必要が出て来るんだと思います。楽しいことを見つけるには知識を増やすことをお薦めします。例えばですが、学生の時に修学旅

心の中に新しいものやことと出会って刺激を受けたいという欲求があるから。だと思います。

その欲求さえなければ「つまらない」と思う事も無くなるのでしょう。

ウチには猫が2匹いますが、3歳のおチビちゃんはまだまだ好奇心旺盛で、毎日帰宅すると遊びの相手をしてくれと誘いに来ます。一方、13歳の老ネコの方はメシとトイレの時以外は丸くなって寝てばかりいます。動物は子供時代に親から生きるすべを学ぶために好奇心や向上心を持っていますが、年齢を重ねるにつれてそれが薄らいでしまうのです。

ところが人間は脳が進化するに従って、もともとは子供の時期だけだった好奇心と向上心を失わずに持ち続けるように進化したらしいのです。そして常に新しい刺激を求めるようになっているので、刺激がないと「つまらない」と感じてしまうのです。

ただ、子供のうちはお守りしてくれる人がいたり、近くにいる同年代はみんなお友達で一緒に遊べたのに、大人になってくると自分の価値観の中で刺激を求めてさまよわなくてはならないように出来ているみたいです。

なので「つまらない」と感じるのは大人と子供の境目の時期が多いみたいですね。今まで無意識に周囲に存在していた「遊び相手」が消滅してしまうのだから。そこから先は自分で自分に「楽しいこと」を見つけてやる必要が出て来るんだと思います。楽しいことを見つけるには知識を増やすことをお薦めします。例えばですが、学生の時に修学旅行へ行きますけども、行った先の歴史とか、どんな名所やグルメがあるかとか、そういう知識が前もってあれば楽しめます。何も知らないままただ新幹線に乗って移動しただけだと本当につまらない時間を過ごすことになるでしょうね。

私など歳のせいで最近のアーティストはさっぱりわからないので、今は音楽番組見ても楽しめません。だけどたまたま知ってる歌手が出ていればその時は退屈しなくて済むんですよね。

同じように子供が楽しんでいるヒーロー番組なんかも全部同じに見えてしまうのでダメです。ところが脚本家とか出演者の中に知ってる名前を見つけたり、SNSとかで製作の裏話みたいなのを知り、今回のシリーズの特徴とか今までと違う点などを知ってしまうとなんか面白くなって細かい設定なんかも覚えるを楽しんだりできます。

そういうわけなので、毎日の暮らしの中で「知識を増やす」ことを意識してみたら、人生つまらなくなるかもしれないです。

結論から言えば、楽しくする工夫を怠っているからです。

客観的に見ても「人生を楽しい」と思っている人たちのグループは、アイデアが豊富で何でも興味のあることはやりたがります。発想も自由で、大抵はお金も持ってますね。だからお金で時間も買ってます。お金で得られる自由は得ています。

それだからこそ、お金で得られないことを重視します。親切とか社会貢献とか。多くの人が喜んでくれる、これまた嬉しい。

そして自己責任論を持論としています。これは、「失敗を人のせいにしない」ということ。つまり、たくさん行動して、失敗から学びます。そのため、「人生をつまらない、と思う人」に比べて、人生における問題の大抵はコントロールできています。

しかし真逆の、社会の嫌な部分を拡大して行動しない人は、結果として自尊心が喪失し、さらに「喪失した自尊心」を補うために、他人や社会の悪い部分を拡大批判します。

そういう思考の人たちは「人生をつまらない」と語ります。そして自己責任論を否定する。つまり、自分の失敗の全てが、他人や社会の責任なんですよ。ですから失敗からは、ほぼ学びません。だから、人生の問題の多くをコントロールできません。

※ 近年、安易に自己責任論を否定する風潮も感じますが、それは自己責任論の本質的な理解に欠けているからでしょう。

また、他人をディスる目的で自己責任論を用いるのなら、それも本来の論理の適応範囲を間違えています。

結論から言えば、楽しくする工夫を怠っているからです。

客観的に見ても「人生を楽しい」と思っている人たちのグループは、アイデアが豊富で何でも興味のあることはやりたがります。発想も自由で、大抵はお金も持ってますね。だからお金で時間も買ってます。お金で得られる自由は得ています。

それだからこそ、お金で得られないことを重視します。親切とか社会貢献とか。多くの人が喜んでくれる、これまた嬉しい。

そして自己責任論を持論としています。これは、「失敗を人のせいにしない」ということ。つまり、たくさん行動して、失敗から学びます。そのため、「人生をつまらない、と思う人」に比べて、人生における問題の大抵はコントロールできています。

しかし真逆の、社会の嫌な部分を拡大して行動しない人は、結果として自尊心が喪失し、さらに「喪失した自尊心」を補うために、他人や社会の悪い部分を拡大批判します。

そういう思考の人たちは「人生をつまらない」と語ります。そして自己責任論を否定する。つまり、自分の失敗の全てが、他人や社会の責任なんですよ。ですから失敗からは、ほぼ学びません。だから、人生の問題の多くをコントロールできません。

※ 近年、安易に自己責任論を否定する風潮も感じますが、それは自己責任論の本質的な理解に欠けているからでしょう。

また、他人をディスる目的で自己責任論を用いるのなら、それも本来の論理の適応範囲を間違えています。

閑話休題

それぞれの傾向を持つ人たちに触れれば、分岐点がわかりますよ。

私的には、やりたいことが多くて人生は楽しいです。

絵画や音楽のように、人生という白紙のキャンバスにおいて、無から有を想像することは楽しいことです。

詰まらないのは恵まれているからですよ

家があって、電気がついて、水を捻れば飲めて、お腹が空けば買い物できて、バイトぐらいならすぐに仕事は見つかって、手足は自由に動いて、言葉も話せて、明日自分が殺される心配もない

日本は豊かです、豊か故に何か大きなものを見失っている感じています。

フィリピン多くはスラムになっているのが現状です。知っていますか?セブ島も半分以上はスラム化しているんですよ。でもそこで生活を余儀なくされている人達はみーんな笑顔です。日本でこんなに嬉しそうに笑っている人は稀です、皆なにかに不満を抱えながら生活をしている様に感じます

ドブ川が流れ、ゴミが散乱し、墓石をベッドにし眠る人もいるそうです。彼らがじゃあ何故生きる希望を持っているのか?それは貧しいから何ですよ。貧しいから生きる希望を捨ててないんです

日本も確かに貧乏な人達が増えています、でも豊かでもあるんですよ。コンビニのお弁当なんてその人達からすればレストラン食事です

人生詰まらない感じる事は今の世の中普通です。貴方が特別間違っているわけじゃありません。ただ少し見方を変えるべきだと僕は思います

自分が不在だからだと思います。自分がおり、人生は自分が決める、その主体性が、人生を素晴らしいものにします。

それは、貴殿が貴殿の人生がツマラナイ事に気付いたからだよ。

つまり、貴殿がツマラナイ奴に、自分で勝手になっただけだよ。

人生を楽しくしたいなら、貴殿が自分の人生が楽しく思える人物になれば良い。

人の幸、不幸とは、その人物の心が作り出した幻影で有る。

今の自分が、最高に幸せで、楽しい事に気付けば、その瞬間から、最高に楽しく、幸せになる。

反対に、最高に不幸で、つまらない事に気付けば、その瞬間から、そうなる。

気付くか?

気付かないか?

ただ、それだけの事だ。

By 逆転地蔵 ♪♪(=^・^=)♪♪

うーん。小学生の時に、スーパーマリオブラザーズが新発売されました。もの凄い衝撃で人生が一変しました。

なので、普通に生活していても時々もの凄い事って勝手に起きるんじゃないのではないのでしょうか?!

つまらなくない人生要素にまだ出会えてないのでしょう。

昨日と同じような今日。そして今日と同じであろう明日。

あくびが出るような退屈な日々の中でスリルを求めて行動するも映画や絶叫マシン程度で今の生活を壊したくもない。

人は無い物ねだりで合理的である反面、とても不合理な生き物。願った人生と叶った人生が大してズレてないが良くも悪くも慣れていく。

それが平和なんだよ!なんて思うが正解には程遠い気がする。

とどのつまり、満足不感症候群なのかな?私もあなたも。。

エエ👀‼️人生がつまらない⁉️身体は元気なんやろ💪

何でそんな事思うの🙄昼間しっかり働いて。夜はぐっすり眠って。朝は気持ち良い目だめで、もう其れだけで十分やないの❗後時間が有れば。頭の中のアンテナ📡フル回転して、町に出掛けたり。田舎にでも行ったり。気の合う友達居れば。他愛ない話しをしたり……、多分今は幸せの中にどっぷり浸かって居るのんかな🛀と思うな~、だから其れが物足りないのかも☺️もっともっと何て気持ちで、欲張り出したら。あかんよ😀私ね色んな人の行動見るのが好きやねん。町に出れば杖ついた人とか色んな障害の有るかた見ます

そんな時に❗自分自身で幸せやな❤️って思うねんな。

健康で過ごせるだけでも。つまらない何て言わんといて欲しいな、今からあなたの背中押してあげるね😀頑張ろうよ

つまらないのは世界との関係が薄れている証です。私はそう思います。

人間社会はやたらとコミュニケーションを推奨してますが、私はどちらかというと一人の方が好きです

それでもつまらないとは感じません。

Quoraに質問すれば誰かが答えてくれるし、Yahooニュースは常に新しいニュースがあります。

外を見れば誰かが歩いているし、最悪ヒトじゃなくても野良猫や虫がいます。

ヒトとの関係は無くてもいいですが、世界との関係は意識してもよいのかなと私は思います。

風は吹くし、雨は降る、夏は暑くて冬は寒い、自分の知らないところでこんなにも色んな出来事が起きています。

変化がないとつまらないと思います、何もしなくても日々変化してますから

変化を感じ取ってみて下さい!今日は天気が良いですよ!

なので、楽しくなるように自分でする、ということではないですかね。裏を返せば、どうせ数十年後には死ぬわけで、金や名誉はあの世に持っていけないのであるから、この世を謳歌すればよいのだと思います。大学に入り直すのもよし、格闘家デビューするのもよし、政治家になるのもよし、セクシー男優になるのもよし、芸人になるのもよし、ビッグダディになるのもよし、傭兵になるのもよし、好きなように生きてみたらこの世は楽しくなると思います。

意識が有る、「自分」が意識される、ということは他の全てから切り離されているからです。すると、それに対して、自他一体の素晴らしい世界があった筈だ、また、あるはずだ、という幻想がどうしても湧いてくる。そして、現状とそれとを比較するから、どうしても現状をつまらなく感じてしまうことになります。これは人間の宿命な訳です。

人生は自分で好きに選べますので、つまらないなら完全なる自己責任です

そらある程度は環境も影響します。金持ち家庭に生まれて人生イージーモードとか、貧乏家庭でハードモード、学校で虐められている、親に虐待されている

とは言え、虐めっこも親も殺すことが出来るし、現代の日本で貧乏とか言ったら、本当に貧困に苦しむ国の人たちに笑われますねw

例えば自分は結構いい専門学校まで行って、成績もそこそこ、そのまま卒業すれば自分の好きな機械系の業界に就職し、客観的に何も問題のない人生だったかと思います

しかし結果としては、途中から知識の勉強ではなく、就職訓練になってしまった学校を見限って中退しました

就職先としても、機械系は忙しくて正月も休めないぞ~みたいな冗談(事実ではある)を教師が言い続けていたので、そんな業界就職したいわけないですよねw

結果週2回、計16時間とかの仕事で、安アパートで好きなだけ趣味に時間を消費する最高の人生を獲得しました

そもそも中学なんて殆ど出席していないし、高校も2年ぐらい留年しています

これはグレてたとかではなく面倒で勉強しなかっただけですし(直接的には課題を提出しなかった)、卒業しない限り親の脛をかじれるという、何をどう考えても利点しかなかった論理的判断です

今ではアメリカ在住の父親の家に転がり込み、そこから自立して一人暮らし中、英語も喋れないのにアメリカでオンライン大学に通い始め、返す必要

人生は自分で好きに選べますので、つまらないなら完全なる自己責任です

そらある程度は環境も影響します。金持ち家庭に生まれて人生イージーモードとか、貧乏家庭でハードモード、学校で虐められている、親に虐待されている

とは言え、虐めっこも親も殺すことが出来るし、現代の日本で貧乏とか言ったら、本当に貧困に苦しむ国の人たちに笑われますねw

例えば自分は結構いい専門学校まで行って、成績もそこそこ、そのまま卒業すれば自分の好きな機械系の業界に就職し、客観的に何も問題のない人生だったかと思います

しかし結果としては、途中から知識の勉強ではなく、就職訓練になってしまった学校を見限って中退しました

就職先としても、機械系は忙しくて正月も休めないぞ~みたいな冗談(事実ではある)を教師が言い続けていたので、そんな業界就職したいわけないですよねw

結果週2回、計16時間とかの仕事で、安アパートで好きなだけ趣味に時間を消費する最高の人生を獲得しました

そもそも中学なんて殆ど出席していないし、高校も2年ぐらい留年しています

これはグレてたとかではなく面倒で勉強しなかっただけですし(直接的には課題を提出しなかった)、卒業しない限り親の脛をかじれるという、何をどう考えても利点しかなかった論理的判断です

今ではアメリカ在住の父親の家に転がり込み、そこから自立して一人暮らし中、英語も喋れないのにアメリカでオンライン大学に通い始め、返す必要のない奨学金で生活費まで賄って半分ニート生活中です

自分の人生は常に好き勝手やってますよ。アメリカに行ったときだって、英語が喋れないし、持ち金200ドル(約2万)が全財産でした

アメリカの大学に行き始めたときだって、2か月分ぐらいの貯金しかなかったのに、奨学金をあてにしてすぐに仕事を辞めてしまいました

周囲の人はみんな仕事はやめるなと言いましたが、仕事と勉強を両立するストレス生活なんて論外ですw

こういう人生は、何も考えず、何も選ばず、用意されたサラリーマン生活を受け入れただけの人には絶対に訪れません

人生がつまらないのなら、とりあえずアメリカに移住してアメリカンドリームでも狙ってみたらどうですか?

自分と同じく楽して生きたいタイプであるなら、バイト生活が最高に楽でいいですよ

コツは立地のいい安アパート(月3万円前後)を見つけること、自炊をして食費を最高でも3万以下に抑えることです

ちなみに貯金は1円も必要ありません。もし怪我や病気で日常生活が困難になれば、生活保護が貰えて超ラッキー!

アメリカでは無慈悲にホームレスになるだけなので、日本に住んでいるだけで人生なんて楽なもんです