みろく神の教えには、「米」と「麦」と「芋」の3種類があります。
大本教の出口王仁三郎聖師は、日本人は「米」が主で、西洋人は副食の「パン」の教えと残されています。これを食べ物のことだと思うと、神の仕組みが解らない者となってしまいます。
出口王仁三郎聖師さんは「米」の仕組みの教えそのものは説かれませんでした。パンの教えとはイエスのことですが、旧約聖書では「米」ではなくて「小麦」刈りとなっています。それはキリスト教では「真理」には辿り着かないなのです。では、大本教は何を残したのか?。そこに「芋」の教えがあったのです。
私の元にある方からメールが来ました。それはその方が数年前に見られた光景の話です。港には「みろく世」行きの船が多数停泊している。その船に上空から焼夷弾のような火が雨の如く降って来て、せっかくの「みろく世」行きの船が次々と沈んでいく光景だったそうです。
実は私もそれと関連すると思われる夢を見たことがあります。が、その光景とは少し違っておりました。海に多くの人が溺れていて何かを掴んで必死に溺れまいとしておられる。そこに一隻の船が高速で走って来るのですが、普通ならば船は溺れている人達を見た時には自船を止めてでも助けるものなのですが、その船は海で溺れている人達を見ても誰一人として助けようとはせずに全速力でその海域を離れて行きました。
どうやら、その船に乗っている乗客を安全に送り届けることが最優先のようで、沈んだ他の船にかまっている余裕がないようです。その船を見ると、その船はみろく大神を乗せる船で「最終便みろく丸」となっていました。
どうして海で溺れている人達を助けようとしないのか?。この海で溺れている人達はどういうことなのか?。みろく大神はそうした人達を捨てて行かれるのか?と、その光景を見ていました。
ある霊能力者の方とその話をしていた時、「最終便みろく船」は霊界の大海原で溺れている人達を見ても助けることなく去って行くと言われます。だが、何故にその人達は霊界の大海原で溺れているのかの理由がさっぱり解りませんでした。
その方のメールで、私が見ていた光景には【火の雨】が降っている場面がなかったと解りました。その方は港で「みろく世」行きの船が沈む光景を見ておられたのですが、私は既に港を出ており、「火の雨」によって沈んで海に投げ出されている人達の光景を見ていたことになります。
私が見た光景には天から降って来る「火の雨」の部分が抜けていたことになります。
ただ、こうした光景は霊界に存在する「アカシック(虚空)レコード」と呼ばれるものから来ているとされますが、巷で自分はアカシックレコードを読むなどと言って、何月何日に大地震が来ると予言されてもほとんどそうした方の予言は当たった試しがありません。
大本教の出口王仁三郎聖師の予言はその的中率の高さを誇りましたが、あれほどの存在の方は残念ながら見当たりません。
その大本教の出口王仁三郎聖師ですら、霊界に現れる映像は必ず現実になるが、それが千年先になるのか二千年先のことなのか解らないと語られています。月日の限定は難しいのです。そうした意味で言えば、
聖書の「ヨハネの黙示録」の内容も新しい地球での天地の到来を語ってはいますが、それが何時なのか解らないままに今日迄、時を経過して来ていると言えます。
火の雨に関しましては、大本教出口王仁三郎聖師は広島・長崎に新型爆弾(原子爆弾)が投下されて、広島や長崎に火の雨が降ると予言されて、その予言そのものは当たったのですが、信徒からその原子爆弾が「最後の火の審判」ですかと聞かれて、最後はあの程度の火の雨ではない。途方もない火の雨だ的なことを答えられていますが、核爆発を上回る火の雨とは、それは無数の隕石による火の雨ではないかと推察は出来ます。
最後の「火の審判」を核戦争だと思っておられる方が多数ありますが、私にメールを下さった方が見られた焼夷弾のようなもの、たぶん太陽の爆発か月の崩壊かは定かではありませんが、小さな隕石的な存在の火が雨の如く天から降り注いで来るのだろうと思われます。しかし、それは霊界での映像であって現実界も同様とは言えません。
その方とは別の違う方からのメールですが、その発信元の神は奈良県桜井市の三輪大神からと言うことで、その三輪大神の真偽までは判りかねますが、何年何月何日に天から隕石の雨が降って来るとメールが来ました。私が見た霊界の映像にもその日が終わりの開始と出ていましたが、「その日には何も起きません。いくら三輪大神であろうとも間違われることもあります」と返事して起きました。
その日は何もなく通過しました。未だ人類の上に隕石が火の雨の如く降り注ぐには時期が早いからです。それまでには前段となるものが必ず出て来るはずです。その時には警告を発し続けなければなりません。
少し前にロシアで隕石が墜ちて凄い光を放って音波による衝撃をもたらしましたが、そうした隕石が雨の如く降り注いでくれば、地球の半分は壊滅します。その火の雨の時間が長ければ、地球は自転している関係上、残りの半分もやられてしまいます。地中の中でないと助かる者はあまりないかも知れません。
ある時、私に【最後は火の雨が降る。その時には「富山」に逃げなさい】と出たのです。富山?。
審判の最中(越中)の富山に逃げて、人類が助かる。そんな道などあるはずがないのです。何の意味かと首を捻っていましたが、この富山は「十三(富)」山の意味だとは気づきました。しかし、「十三(富)」山に逃げるだけでは意味が解けませんでした。
私に【火の雨が降る】時には「十三(富)」山に逃げよと出たことで、大本教で出したイロハの終わりは「ス」であり、出口王仁三郎聖師が霊界物語第十三巻で、この大本教に現れた変性女子はニセ物と発表されましたが、アイウエオで第「十三」番目にある「ス」の神が「救世主」の役割を持つことになる仕組みとは解って来ました。
大本教から「ス」の神が出されてから、大本教で学んだ世界救世教開祖の岡田茂吉師の流れから幾多の新興宗教が起こり、それらの教団は「主」の神と書いて、「ス」の神として説いておられます。
そうした新興宗教の開祖さんで、著名な某教祖様は「ス」の神は岡田茂吉師が始めに世に出されたものだと著本に書いておられのを見て驚いたことがあります。別の新興宗教の教団も「ス」の神は岡田茂吉師からと言っておられます。各宗教の教祖様の勉強不足には、ただただ驚くより仕方がありませんでした。
大本教で「ス」の神を「素戔嗚尊」としたことで、それらの教団も「ス」の神様は「素戔嗚尊」と言うことにしておられます。それはいいとしても、その素戔嗚尊とは出雲神話上の素戔嗚尊のことではないのです。
ただ、それによって巷には自分が「素戔嗚尊」だと名乗る方が数多く出て来られるようになりました。だからと言って、その方はニセ物だと頭から決めつける必要もありません。
大本教の出口王仁三郎聖師さんは、「救世主は素戔嗚尊」だと述べておられますので、要は「火の雨が降り注ぐ時、人類をみろくの世に逃がさせる存在」が本当の素戔嗚尊たる存在になります。その「火の雨が降り注いでいない」状況下で、誰が本物かなど誰にも解ることではありません。
が、仮に救世主が「素戔嗚尊」様だとしても、では「素戔嗚尊」様お助け下さいと唱えていれば、その時に助かるかと言ったら、それも変な話です。かなり意味が違うのです。
だが、この方から私に下さったメールで、やっと意味が解けました。
この方は「ス」神を説く某教団に所属されており、その教団では現在の教祖様を「みろく」神の現身としておられるようです。それだと、その教団がいくら「みろく世に行く船」を仕立てても、全て火の雨の時には沈んでしまうでしょう。それで、メールの主はその教団に所属する信徒達の行く先の光景を見ておられたのでしょう。
この方の前に現れた霊がこの方に怒って、
どうして鹿児島に「西郷隆盛」の像が立っているのか?。その意味が解らないのかと言ったそうです。その霊からすれば、その方が所属する教団の教組の「みろく」様では、火の雨が降る時には助からないと、その方に教えておられたのでしょう。ス神を出した本家本元の大本教を見れば、そこにその答えは出ているからです。
私は「上野公園」と名乗っているので、私の前世は「西郷隆盛」さんですかと尋ねられた方がありますが、西郷隆盛さんと言えば、誰しも東京の上野公園の銅像を思い浮かべてしまいます。
私の前世に西郷隆盛さんの時はありません。私の上野公園の名乗りは東京の上野公園の「西郷隆盛」さんの銅像に引っかけてはありますが、その意味は「薩摩」で有り、出口王仁三郎聖師さんが予告された真性みろく神業は「綾部市上野町」から起きて来るの上野であり、〇十の「みろくの神の御紋章」を掲げることが許されているから上野公園なのです。
少し前にある光景が見えて来ました。それは私の正守護神である私の前世霊が、戊辰戦争時の官軍の部隊指揮官である白の熊毛を着用していました。白熊毛を被っていたのは「薩摩藩」の部隊の指揮官であることの証明ですが、それに従っていたのが何と白狐達ばかり。
それらの白狐達は皆背中に「〇十」の旗指物をしていました。一部に薩摩藩の官軍指揮官は黒毛と言う人もあるようですが、風俗史学第33号で薩摩藩の官軍指揮官は白毛の被りものとされています。
港に停泊している「みろく世」行きの船というのは、みろく世に渡るには今日までの個々の方が死の時に渡っていた「三途の川」ではなくて、大量の人を一気に新しいみろく世に渡すので、宇宙の霊的大海原を行くので大きな船が出る光景はそのことを意味しています。私も幾度となく、みろく世行きの大船の夢を見ています。
今の霊界ですと「三途の川」が出て来ます。これは「三つの川」があるのではないのです。川としては1本なのですが、死後に渡る世界が「三途」なので三途川と呼ぶだけで、人によっては小川程度の川が出ていても川であることを見落とす方もあるでしょう。時には大海のごとく出る場合もあるのです。
以前のブログでも書きましたが、地元の神社に石鳥居を寄付するほど信仰深かった私の大叔父は、三途川ではなくて大海原を「龍船」に乗せられて渡っていました。大叔父の地元の氏神様にどの高さの霊界かと尋ねたところ、その氏神さんでは及びもつかない高い霊界に行かれたと言っていました。
大海原として出る場合は高い霊界に進む意味だとされています。地獄界に行く方は、この川が濁流が渦巻く恐ろしい流れとなって小舟は飲み込まれるのです。
しかし、みろく世行きの船に乗るということは、今日までの「三途川」渡しではなくて、誰がみろく世行きの切符を発行したかは別として、既にみろく世行きの切符を貰った人達だけのはずです。宇宙霊界の大海原を行く船です。その人達が「みろく世」に行く前に、天から降って来る「火の雨」でみろく世行きの船が沈んでしまうとなると由々しき問題になります。
そのみろく世行きの切符を発行された方が、仮に「ニセ物のみろく神」であったとしても、信徒さんは「みろく大神」だと信じて信仰された以上、そうした方達は救わなければいけない存在になります。
だが、おかげをもちまして、やっと【火の雨から逃げる富山】の意味が解りました。
私は薩摩紋(〇十はみろくの神の御紋章の定めなり)を見ていて、薩摩は芋で隠語は「十三」、薩摩の【芋】の教えに如何なる意味があるのかと長い年月考えあぐねていました。
【米】の教えは、真柱神たる良心神を立てる「メシヤ」の教えです。
【麦】の教えは「パン」の教えと言い、公平の愛の教え。されど「真柱」神は立たずになります。
米は「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですが、麦は自分が頭を突き出そうとします。自分が一番式となって、自己の「真柱」神に気づけなくなります。愛の教えでは、どれほど愛の方でも最上階天国は望めません。無理です。
【芋】の教えは、芋に別に教えなどありません。芋だからです。
私は芋に教えがないことから、芋の意味が掴みきれませんでした。芋は「薩摩芋」です。ですから薩摩は「〇十」と同じ紋所だったのです。
私に【全国一の宮】を巡れと出た時、一番最初を「阿波国」として、次に鹿児島の「天文館」に行き、その足で「鶴岡八幡宮」に行くように出ました。薩摩の天文とは「〇十」です。天の紋。
ある方からメールで、その三カ所を回ることで「大結界」を張られましたねと告げられましたが、まだ意味がよく解りません。私が鶴岡八幡宮で見たのは「剣の神」だったからです。
芋の教えとは、【みろくの神の御紋章】を掲げるだけで救われるなのです。
映画「十戒」の中にある場面がありました。旧約の神から示されたある印を書いた旗を掲げた家には何事もなく、そうでない家に住む者達は滅びるでした。その型は日本では「蘇民将来」の札で語られます。
蘇民将来とは【将来、その民は蘇る】です。私は聖書の「旗の印」は何だったのだろうと考えておりました。
私が子供の頃に臨んだ声は告げられました。
この私を神と仰ぐ者は、この神と共に永遠の未来の世界へと進む。
されど、この私を神と仰がない者達は、私とは永遠に離れる世界の者となる。
メールを書かれた方の、自分が「みろく神」ですと名乗っていた教祖様は、本当はみろく神のことなど何一つ解っておられないことから、自分が「みろく」神などと名乗ってしまわれたのでしょう。
それは、大本教の出口王仁三郎聖師に「みろく」神だと降りたことで、それで自分も同様に「みろく神」と名乗れば良いと思う引っかけ問題に嵌まってしまったようなものなのです。それでは、最後の「火の審判」の時はそれから逃げられなくなってしまうことになります。
大本教の出口王仁三郎聖師自身は、西暦1945年に「みろく下生」が起きたと説かれています。ですから、自分がみろく神であったはニセ物であったなのですが、この西暦1945年誕生説は世界でも予言されていて、ベンジャミン・クレーム氏等か説かれている「世界教師」の該当人物がそれに当たっているとされています。これは「世界教師」で検索されると解るでしょう。
だが、私は【言霊】の存在を知って、日本語による言葉の仕組みを見た時、大本教神諭予告「九つ花」で「みろく」の意味も「キリスト」の意味も紐解けることから、これは人が自分がと名乗って出る存在のことではないと理解しました。
ただ、巷で自分が「みろく神」だと名乗っておられる方も多数ありますが、この「世界教師」と呼ばれている存在よりも、かなり劣っていると見受けられます。せめてニセ物を演じるのであれば、この方以上が要求されます。
自分が「いと小さき者」と知ろうとしない方は、どうしてもそうしたことに引っかかってしまいます。
下記の写真は拙宅の神棚の「幕」です。神棚そのものは伏見稲荷大社から正式にオミタマとして「豊受」様等を勧請してありますが、幕は稲荷の徴ではなくて、島津の紋所、「みろくの神の御紋章の〇十」にしています。
と言って、拙宅に「みろく大神」を勧請したとか、お祭りしているではないのです。
この幕そのものは平成21年に注文したものですが、まだ幕を出すのは時期早々と仕舞っておりました。写真撮影の為に出して来ました。
みろくの神とは、自分がお願いするとか助けを求める神ではありません。
私が子供の頃に聞かされた【この私を神と仰ぐ者は、この神と共に永遠の未来の世界へと進む】の神のことです。その神だけを神とする【証(あかし)】として、掲げるのが「〇十」なのです。
拙宅の神棚は一応は豊受様・豊川様・厳島の弁天様の三柱神に地神として大国主様となってはおりますが、これらの神々は「国常立尊」様派になります。みろく神の配下となりますので、時期が来ればお集まりにもなるでしょうが、今は神無月と同じになっています。
下記の写真は大本教で平成神殿として造られた建物にある「〇十」です。ただ、これだと薩摩紋との繋がりが読めないでしょう。
下記の写真は大本教の祭典の時に出される天の御三体神を祭る神殿周囲の提灯の「○十」で、
天の御三体の神様を意味します。
薩摩藩の紋としての「○十」にも、接しているのといないものがあります。
この「○に十」は、○に十字が接しているか接していないかで、それによって意味が違うのですが、接していないと【天文学上での地球記号】の意味合と、【月日を維新する】意味合いが解けなくなるのです。
みろく世に行くか行かないかは、私が子供の時に告げられた。
【この私を神と仰ぐ者は、この神と共に永遠の未来の世界へと進む】
【されど、この私を神と仰がない者達は、私とは永遠に離れる者となる】
そのどちらかですが、みろく神とは肉体を持った「人」のことではありません。
多くの方はスピリチュアルの○○のお告げとかメッセージと称するものに狂い、【みろくの神】を選ばれることはないでしょう。
そうしたお告げの方達に狂う人達が行く世界が真の天国かどうかは、行ってみなければ解らない話である以上、選ぶのは自分となります。自己責任となります。
白狐達でも○十の旗指物を背負っていたように、みろく大神とみろく世に進む意思ある人達は、大本教霊界物語に記載される「○に十字はみろくの神の御紋章の定めなる」を知って、自らも「○十」を掲げておけばいいのです。
旗を掲げることは、自分が「みろく」ですと名乗ることではありません。その神に従う意思表示です。
それが【蘇民将来(その民は将来に蘇る)】のス神の「十三」となります。
○は三元神を現し、十は「神記号」なので、○十で「十三」となります。
九つ花の「米」教の締め切りに間に合わなかった方、「米」教は難しかった方でも、みろくの神を神とするだけで、救おうと言うのがみろく神の「薩摩芋」の教えです。その芋の教えには難しいものはありません。ただ「○十」あるのみです。
私は何度も言いますが、誰がこんな仕組みをなされて来たのか?。
そのことに気づいて、この神の偉大さを知ってください。
自分が「みろく神」ですと名乗る者に狂うことなかれ。
永遠の世(霊界)での別れの時が迫っています。
みろくの神が創られるみろく世に行くのか?。
蛇霊や狐狸に支配されたスピリチュアルの者達が説く世界に行くのか?。
どちらの世界を選ぶのも自分自身です。貴方自身です。
みろく世とは別の世界を選ぶ自由も与えられています。
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