私の最初の師匠は伏見稲荷大社講務本庁に所属する稲荷行者で、某市に存在した藩主が建立した由緒正しき稲荷神社で神主をしていました。その神社の御祭神は「豊受姫」であり、その師匠は「豊受」様の御代を勤めていました。
それは多くの神社で見られる世襲の神主ではなくて、学歴など無かったので神社本庁が出す神主免状など貰えもしませんので、神社庁には所属しない単立の伏見稲荷大社講務本庁が認定する教師資格での神主でした。
どうしてそれで由緒ある稲荷神社の神主に成れたかと言いますと、その神社には世襲の宮司がおらず、豊受様がその師匠に神社の神主をさせると言って、豊受様自らが動かれて、その様に取り計らわれたのです。ですから、その神社の御祭神である豊受様と常に寝起きを共にされていたわけです。
その師匠は、
私に日本古神道の本をいくら読んでも学者が書いた本には意味がないと言いましたが、大本教の出口王仁三郎聖師以前の日本神道にはさほど意味はありません。大切なことがほとんど世に出されていなかったからです。
著名な某日本古神道家の方が、大本教出口王仁三郎聖師の神界における罪を糾弾されていました。一子相伝の形で神道家だけに独占されて受け継がれた神界の秘密を、神界の許可も無くかってに世に公表してしまったとの糾弾です。
しかし、それは反面的に言えば、これまで世に出されていなかった神界の機密に当たるようなことを、私達大衆に知らしてくれたということです。
大本教霊学の骨頂は、私達が知ることが出来なかった神界の秘密を知り得ることなのです。
だが、この古神道家の方は大きな勘違いされています。
神界の秘密として世に出されていなかったことの公表を許可されたのは「国常立尊」であり、それに文句があるのであれば「国常立尊」様に直接に言いなさいとなります。
そうした日本古神道家達が「国常立尊」と呼ばれる神のことを、どれだけ理解していたかとなると疑問を抱かざるにはおられません。
国常立尊様を隠し葬って来たのは、そうした日本古神道家であると理解しなければならないのです。国常立尊様を知らずに、楯突く勇気があるならばそうした批判もいいでしょう。自分は歴史ある由緒正しき古神道家だとあぐらをかいているような者では、「国常立尊」様に仕える者にはなれないでしょう。
私の以前のブログに書いていますが、自分は千年以上続く高皇産霊尊(高木神)を祭る日本古神道の家柄で、おまえは生意気だから自分の仲間の神官達と一緒におまえの家に行って殺してやるとネットの板で公言して、実際にその生霊が仲間の神官達の生霊と一緒に刀を振りかざして私を殺しに来ましたが、あえなく閻魔庁(国常立尊が閻魔大王として取り締まる)の役人に御用と捕まって、その神官の背後に居た天狗霊は羽落としの刑、その生霊は臭い処分を受けてネットの世界から消えていかれました。
大切なのはその肩書きでなくて、実際に神霊とどの程度関われるかです。
その師匠は多くの霊能者が本を出版することを苦々しく思っておられました。私の兄弟子に当たり、御本人は私のことを御存知ではないのですが、現在は数万人の信徒を持つ某新興宗教の管長をされている方が神霊写真集を出版された時、そのことを強く批判をしていました。
だが、その師匠の晩年に出会った時、私も豊受様の御命令で本を出版することになりましたと言われます。その著本を書く手伝いをしてくれる若い女性が自分の元にやって来て、神社の境内にある師匠の家に居候をしながら著本造りを手伝ってくれたそうです。それも豊受様が直接にその女性を動かされたとのことで、本が書き上がるとその女性は帰ってしまったと言われます。
もしかすると、その女性は白狐の化身であったのかも知れません。私もそうした白狐の化身と出会い、最初の師匠からも2番目の師匠からもその女性は白狐の化身だと指摘されて納得したことがあります。
その師匠の著本は伏見稲荷大社参集殿の売店や伏見稲荷山の各茶店などで売られていました。他にアマゾンなどからも買えました。
私はその著本を読んで、驚いた内容があります。それは、
【私は神様達は蛇霊や狐霊だと思っています】と堂々と書いてあることです。
私がもっとも驚いたのは、
それを豊受様が師匠に命じて書かせて世間に公表させたことに対してです。
無論、その師匠は豊受様が狐霊だと言っているのではありまぜん。豊受様そのものは宇宙神だと書いています。
私は自分のHP「神言会」の中で、
【蛇や狐は神に成れるのに、どうして人間は神に成れないのか?】
の項目に、そうしたことを書いていますが、実際に神霊世界に関わると蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等も出て来るのです。そうした意味は以前のブログに「狼がくれたまつげ」などにも記しています。
スピ系の女性でかなりの霊能力がある方が、自分の御祭神は某大社の摂社におられる御神霊だと言われます。すると、私は一度も行ったことがない大社ですが、その大社だと思われる上空からその大社を見て一つの摂社にズームインすると、その摂社に十二単衣を着た女神が鎮座されています。それを見ると、姿は人なのですが顔だけが猫になっていました。猫神です。
大社と言えども、その摂社は猫神さんに占有されてしまったのか、はたまた、その摂社の御祭神が何等かの理由で猫化したのかまでは解りませんが、そこも本来の機能を失った大社なのだなと見ていました。
しかし、その女性の霊能力は通常のスピの方とは比較にならない群を抜いたところがありました。猫系の霊能者の方はかなり優秀なところがあります。
私は常にそうしたことが出来るのであれば、霊能者の看板を上げているかも知れませんが、私はよほどのことでないと、そうした光景は見させては貰えません。
トドメノフミに、現在の神霊界は「全て狐狸の類い」と記されていますが、何故か蛇霊の言葉が抜けています。トドメノフミに狐霊でも最低「白狐」であれば赦すと書いてありますが、全ての白狐が赦される対象でもないのです。
大本教神諭にも、トドメノフミと同様に世に出ておられる神々が「四つ足」であることを暴くぞと書かれており、霊界物語の方だったと思いますが、国常立尊様の世の大立替には「白狐は下郎の役で奉仕する」とあり白狐は別となっています。が、豊受様自身、それは白狐の中でも半数だと語られました。
白狐の半数は国常立尊様派に仕えていても、稲荷神と言えども反・国常立尊派や邪神の稲荷も存在して、そうした神霊に仕える白狐達もいるからです。また大蛇霊や大狸霊の配下にも白狐達は存在しています。また、はぐれ白狐もいます。白狐だからと言って油断は出来ません。
私はトドメノフミにも大本教神諭にも「蛇霊」の存在が抜けていることに奇異に感じましたが、これは聖書に書かれる「龍神とは霊界の年老いた蛇霊」に関して、自分は霊能者でござい。スピリチュアルでございでは手が出せないので、混乱を生じさせない為にわざと述べてないのかも知れません。
大本教の出口王仁三郎聖師にしても、世間で龍神と呼ばれる存在の90数%は霊界の年老いた蛇霊と書いておられても、それ以上に深くは書いておられません。
私が直接に出会ったある霊能者の方は、私にある霊能者とは絶対に接触しないでくださいと言われます。いくら貴方でもあの霊能者の方と接触すると、貴方自身の「真柱」神が揺らいでしまいますと忠告されたことがあります。
私はそれを聞いた時、?と思いました。その霊能者の方は著名な日本のトップクラスの「良い霊能者」の部類で、決して「悪い霊能者」ではありません。御本人は人柄も良い立派な霊能者です。
だが、その霊能者の背後の御神霊は、ある御神名を名乗っていても「龍神」であることが解りました。その「御神名」を名乗る教団は全国のあちらこちらに存在しますが、その存在が「龍神」であった場合、私の中の「真柱」神であろうともその龍神の霊力で揺らいでしまうと忠告を受けたわけです。
世界救世教の開祖であった岡田茂吉師が、かなり大きな宗教組織で、その教団が表に出している「御神名」はさておいて、その御祭神の本当の姿は「赤龍」だと残しておられる教団があります。赤龍とはいかなる存在かは旧約聖書を読めば解るでしょう。
私には豊受神が何故に自分の御代であったその師匠を使って、「神々は蛇や狐」だと公表させたかの真意は謀りかねますが、そこには何等かの思惑があるのでしょう。自分は〇〇稲荷のミタマを受けたと言っても、実際にその方の元に行くほとんどが白狐だからです。
ただ、正神界所属の白狐と言えども、その白狐に家来のように使われている霊能者と白狐を家来として使う霊能者では、そこには天地の差があると言えます。
ある男性霊能者は白狐から家来のように使われていました。
一部の白狐達は自分達は【人間様より上だ!】という感覚を持っています。確かに次元的に言えば霊体である白狐の方が肉体人間より上の存在です。見えない世界の存在は人間と違って裏を読む力も先見性もあります。予知的な分野では人間は適わない。しかし、
四つ足や蛇の家来になっていたのでは、もっとも神に近いとされる人として出して貰っているのに恥ずかしくないのかとなります。
問題はそこではなくて、
大本教神諭の【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】にあるのです。
私達も神に成れるのに、一部の方しか成っていないことが問題なのです。
私の最初の師匠は私に向かって
、【人の一生はどんなに苦しくても、その苦しみの期間等たかだか50年程度です。今の一生を棒に振ったと嘆くより、それよりも神様と呼ばれる地位に昇格するほうがずっといいのです】と、言いました。
人の一生とはどんな生きても100年程度です。だが、神上がりすればそれ以上の年月が神であれば、そちらが得でしょうです。一理あります。
人は死ねば天国等と簡単に言われる方がママあります。だが、実際には死ねば天国天人界に多くの方は行けていないのです。
この世に生きている時、天国天人として行けるだけのことをされていないからです。しなければならないことをせずに天国等とは虫のいい話です。
スピリチュアルの講習会に行ったからと言って、天国への切符など得られません。
ほとんどの方は仏教で説かれる「三ツ瀬(三途川)」の教えの中有界で、【輪廻転生】の仕組みの中に入っているのです。
だが、「輪廻転生」が存在する限り、私達はまたこの世と呼ばれる世界に出て来ますので、そこに大きな問題は生じないのです。
しかし、
あちらこちらで盛んに言われる【みろく世】となると、そうは行かないのです。それは【輪廻転生】が終わるということなのです。もう一回【やり直し】などはないのです。今生が最後なのです。
お釈迦様が説かれた仏教とは、そもそもは「輪廻転生」から離脱して、もう二度とこの世には生まれ出て来ないことを目指した教えです。だが、それには仏教で説かれる【四苦・八苦】が邪魔して来ます。
四苦とは。この世で誰も免れない「四つの苦(生・老・病・死)です。
それに愛別離苦(あいべつりく)の愛する者と別れる苦しみ。怨憎会苦(おんぞうえく)の自分を恨み憎む者に出会う苦しみ。求不得苦(ぐふとくく)のいくら求めても得られない苦しみ。五蘊盛苦(ごうんじょうく)の肉体と精神が思うようにならないことと「四苦」と合わせて【八苦】と言います。
これらを全て修めないと【輪廻転生】から外れることが出来なかったわけです。
仏教に【四諦(したい)】という教えがあります。苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つです。苦諦(くたい)は「一切が苦」を悟ることです。集諦(じったい)は苦には原因があると悟ることです。滅諦(めったい)は苦は滅することが出来ると悟ることです。道諦(どうたい)は苦を滅する道があると悟ることです。
だが、ほとんどの方はこの「一切が苦(苦諦)」と言われても、何を寝ぼけたことを言っているのだと言われるでしょう。
この「一切が苦」を理解するには、この世をよく見つめる能力が無ければ難しいのです。よく「瞑想」を言われる方がありますが、瞑想で「一切が苦」を悟ることは出来ないでしょう。
お釈迦様はこれらを説かれたのは、私のHPの最初の方でお釈迦様の悟りとして書いておりますが、【悪魔は実態を持たない表れで有り、人には良心と呼ばれる神が内在する】。それがあって理解も悟ることも出来るのです。
大本教神諭が予告した「九つ花」とは【苦の花】であり、頭の知識だけではとうてい理解出来るものではありません。この「四諦」を理解出来るかにもあるのです。
良心神によって、この世は「苦界」と知り、苦に原因(カルマ)があると知り、苦を滅することが出来、苦を滅するには「他を助ける世根」の道があると解るのです。
この「良心」神とは、蛇霊や狐霊には存しません。人の身である貴方皆さんに天帝が授与されているのです。
現世御利益を授けてくれる蛇霊や狐霊を拝んでいても、良心神は出て来ません。偶像の仏像を拝んでいても、皆さんの良心神は育ちません。信仰深いからと言って、必ずしも天国門が開くのではないのです。
【人は神の子・神の宮】。
自分の中に天帝の分魂(良心神)があると理解してこそ、「輪廻転生」の道を外れて、新しい未来(みろく世)にと進めるわけです。
豊受の神が、【神々は蛇や狐だ】と、私の最初の師匠に書かせたことは、稲荷信仰者にもそうしたことを知って欲しいと思われたのかも知れません。
それは、豊受様は国常立尊の流れにあたる御神霊だからでしょう。
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