この3月4日。前日の3月3日は「豊受の命日」と入って来たのに続いて、とある光景が入って来ました。
それは○十の薩摩紋が入った木札です。その紋章は大本教出口王仁三郎聖師が霊界物語の中で「○に十字はみろくの神の御紋章の定めなり」と書いて残しておられますが、薩摩紋は「みろく」神の紋所と同じになります。
ただ、私はブログのマークには青色で○に十字のマークを掲げていますが、霊界物語を読んで勝手に使っているのではありません。それは私が関わっている神界から
私に霊的に「青色の玉」に白十字が入った物が下りたのです。が、他に別色の玉もあるかと考えられます。何を意味しているのか確定的なことは未だ解りません。それでその「型」として使っているのです。ですから、私はずっと「みろく」の仕組みを説いて来ました。
私のブログがいたって面白くないのは、明けても暮れても「みろく」ばかりを説いているからです。だが、これまでは「輪廻転生」で上の世界に行けた道が、固定化された地位になるので、魂にとってはとても重要なことだからです。
私に出て来た薩摩紋の木札と言っても、江戸時代などに鍵が紛失しても解るように大きな五角形をした木札に鍵が結びつけられていました。
平たく言えば江戸時代の伝馬町の「牢番」の鍵のような木札です。木札だけで鍵そのものは見えませんでしたが、間違いなく紐の先には鍵がついていたようです。
その映像には、
この鍵を用いないと、「みろくの世は開けられない」と出ます。そして、その鍵は既に私の手中にありと出ます。
その薩摩紋の鍵で「みろくの世」を開ける???。
それは私にはもう一つピンと来ない出来事でしたが、下手な図を描いてみました。
それは霊的な鍵であって、現実界に存在する錠を開ける鍵ではありません。しかし、いくら目に見えない「霊界の鍵」と言えども、私はそんなものを持った覚えがありません。既に私の手中に有りと出ても、そんな物は知らないですとしか言いようがありません。
しかし、あることが言えます。それは
大本教の出口王仁三郎聖師が、真性「みろく神業は綾部市上野町から起きて来る」と予言されていることです。
大本教そのものは上野町ではなくて「本宮町」と呼ばれる場所から発祥し、みろく殿や事務方があります。ただ、平成に成って造営された「大本長生殿」は上野町上野にあります。
その長生殿の場所は私が子供の頃は綾部小学校で、そこを卒業しました。それ以前は大本教の所有地でしたが、第二次大本事件で教団が壊滅して、その土地が当時の綾部町の物となって小学校が建てられたのですが、裁判で無罪と成ってその土地は本来は大本教に返却しなければならない土地でしたが、既に小学校が建っているので建物が老朽化するまで綾部小学校として使われていました。
出口王仁三郎聖師予言に、上野町に天の御三体の神様をお迎えする場所が出来たならば綾部は「神の聖都」となるの予言があり、その型造りとして、そこに大神殿が造営されたのでしょう。
しかし、
私が神から見せられた綾部が「神の聖都」の光景では、その場所は同じ上野町上野でも、大本教さんが神殿を建てられた場所ではありませんでした。明治44年に原蚕種試験場として設立された国の機関がある場所でした。今も国の施設が各種建っていて、現実論としてそこには誰も宗教施設など創ることは不可能です。国から買収しなければ無理な土地です。
私が綾部が「聖都」の光景を見せられた時、南北が正反対に位置していましたので、これは今の世のことではなくて、地球が百八十度ひっくり返った世か、もう一つの地球と呼ばれる世界での話だと見ておきました。私自身は、神からもう一つの地球に人類を移すと聞かされているからです。
だとすれば、大本教で天の御三体の神様を祭る平成神殿を造ったとしても、それは真性「みろく」神業とは言えることではありません。
上野町から真性「みろく神業」が起きて来るの出口王仁三郎聖師の予言は別の意味とも考えられます。それは、もう一つの地球でみろく世」に移行することかとも考えられるからです。
私が住んでいる場所も上野町ですが、大本教で元の金竜海とされ、昔は底なし沼の伝説があった元は池の淵で、現在は住宅地ですが、霊能者によれば陸の竜宮城の呼吸口とか、神界の機密ゲートがある場所と告げられた場所です。ここがそうした場所であると見たのは本格的霊能者の方達数名です。
隣接する場所は、大本教出口王仁三郎聖師がその直弟子達に、みろく神業に使われるお宝が埋められていると言い残された場所です。
ただ、そのお宝の場所は出口王仁三郎聖師が亡くなられてからだいぶ後に、出口王仁三郎聖師の直弟子達がショベルカーなどで掘ったそうですが、何も出て来なかったそうです。もし大本教文献にそのことが残っていないとすれば、一部の直弟子のみに伝えられた予言だったのかも知れません。
私の最初の師匠は、それは霊的お宝で「如意宝珠」でしょう。だが地中の奥深くに存在して、掘り出せる代物ではありません。その「如意宝珠」そのものが自然に上がって来なければ誰もそれを手にすることは出来ません。その「如意宝珠」はあなたの物ですよと言いました。
自然に玉が上がって来ると聞いて、自然にですかと問い返すと、豊受様の御代であったその師匠は、時が来れば玉が自然に上がって来ますと言います。大本教神諭の「おいでおいでをしなくても、叶うの時節がやって来る」の話かも知れません。
私が住んでいる土地は出口王仁三郎聖師が大正時代に、何人かの大本教の信徒さんに教団には内密でその付近の土地を死守しなさいと告げられた土地の一部で、そうした信徒さんの子孫の段階で私を含めていろんな方の土地となったしだいです。ですから、かなり内密にされて来た事案かと思われます。
私がその土地に住んだのは、私の母親がその土地を買ったことからであり、
豊受様がその土地は神界にとって最重要で、この神業は世に出ておられる神達には出来ない。この者(私)以外には出来ない神業ということで、何の神業かも聞かされずに住んだしだいです。が、私の家に出口王仁三郎聖師の霊が出て来られて、これは何事ぞとなったしだいです。
それは縁なのか、元々の神の仕組みであり定めなのかは解りませんが、大本教神諭予告「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸を誠で紐解く者が一人出る」になってしまったのですが、単に一輪の言霊の経綸を紐解くだけでは済まない立場になってしまいました。
如意宝珠とは、何でも「叶う」玉のことですが、そんな大事なことを証して誰かに取られないのかと言われても、霊的な物など私達の目に見える物ではありません。霊能者でございで、出せる物ならば出して貰って結構なのです。取って行けるならば取っていかれたらいいでしょう。私は別にかまいません。
仏教で各種の如来や菩薩像が「如意宝珠」の玉を持っておられます。で、そうした偶像を拝んでいたならば何でも願いが叶ったなど聞いたことがありません。つまり、本当の「如意宝珠」など誰も知らないわけです。そんなものに束縛されていたのでは先に進めません。
私はその仕事が出来る方が居られるならば、私の家ごと差し上げます。私は別にそこから立ち退いてもかまいません。神々でも鎮められなかったラップ現象は私が鎮めましたから誰でも住めます。私はそこを立ち退いたからと言って、別に住む家に困ることはありません。もし、大本教で絶対死守すべき土地であったならば、大本教さんでお持ちになっていたことでしょう。
神業と呼ばれるものは、それが出来るか出来ないかであって、出来る人に任せる方がより世に役立つからです。
その土地を霊視したある神通力者と某サイキッカーの方が、異口同音に肉体の私が死んだならば三次元世界は閉ざされて、五次元世界にと入る。その時、霊である私がその神界の機密ゲートに「鍵」をしてしまわれると言われます。その方達は別に国常立尊様系列の霊能力者ではありませんでしたが、私の背後に「国常立尊」様が有り、私はその国常立尊様の代理的立場の者との指摘がありました。
その神通力者さんも某サイキッカーの方も、私と同様に「もう一つの地球」でみろく世派なので、そうしたことを言われたのかも知れません。
大多数の霊能者やスピ系の方達は、この地球が五次元に自然に上昇した世が「みろく世」と説いておられますので、その場合は「ゲート」論そのものが必要ない論理であり、みろく世に行く「鍵」論そのものも起きえません。
私自身が子供の頃に臨んだ声に聞かされたのは、
【この世の幕を降ろして新しい世に入る時、全ての者を私が審判(みろく世における魂の階層決め)する。その時、そなたをこの私の横に置き、その審判の様をそなたには見せよう】。
その時は、私もこの世を去る時と聞かされているのであって、私が死ねば五次元世界に入るではないのです。ただ、それは最後の審判なので三次元世界は終わるということなのです。それは単に私の肉体の死と「みろくの世」に入る時がオーバーラップしているだけのことを神から告げられただけのことです。
その神通力者の方やサイキッカーの方が言われる私が三次元世界を閉めてしまう「鍵」を持っていると聞かされた時は、私はそんな鍵を知らないので、上の空で聞いておりました。
だが、
三次元世界を閉める鍵とは、言葉を逆に言うと、「みろく世」に入る鍵となります。まさか、ここに来て私がその「鍵」を持っていると出るとは思いもしませんでした。
私は私が住む土地が神界の機密ゲートであると言った神通力者やサイキッカーの方から「ゲート」の話を聞くまでは、実は「ゲート」の存在そのものを知っておりませんでした。
ある霊能者の方から、みろく世に入った時には自分を宇宙のどこかの「ゲート」の門番にする確約をくださいと頼まれて、私にそんな権限があるのかと不思議に思いながら「ゲート」の説明を詳しく受けて意味が解って来たのですが、霊だからどこにでも行けるではなくて、必ず「ゲート」を経由しなければならないのです。
ゲートの門番とは、もしも勝手にゲート破りをする霊が居るならば、その霊を捕まえて処罰する。神霊界の関所のような場所を「ゲート」と呼んでいると知ったのです。為に、そうしたゲートを守っている者は単なる門番ではなくて、強い権限を有しているのです。
通常の天使格ではゲートの守備任務には就けないのです。
スピリチュアルで宇宙のどこにでも行けますと言う方が多いようですが、これらは全て「ゲート」の存在を知らない論理だったようです。
私が既に保有していると出た「みろく世に渡る鍵」とは、その「みろく世」に入るゲート(門)を開く鍵の話かも知れません。
未だ、私がみろく世に入る鍵を持っていると言われてもピンと来ませんし、その鍵を使う「錠」があるゲートがどこにあるのかさえ解っていませんが、出口王仁三郎聖師さんの予言からすると、上野町と呼ばれる地域のどこかに「真性みろく神業」のみろく世に渡る機密ゲートがあるのかも知れません。必ずしも私が住む場所とは限らないからです。
いずれ、その「みろく世」に渡る「真性みろく神業」のゲート(門)とその「錠」は解って来るかも知れません。
それが「判明」すれば、私は躊躇なくみろく世に入るゲートを開けます。
みろくの世は、松の嬉し嬉しの世だからです。
宇宙の牛たる「牢」番は、その為にゲートの門番をして来たのですから。
私は朝鮮に残されていた予言、最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その「米」一字の教えが終わったならば、最後の審判にと入って来るにあった「米」一字は、大本教神諭予告「九つ花」で説き終えています。
ほとんどの霊能者やスピ系の方は、私のようなことは説かれません。よく、大本教の出口王仁三郎聖師さんと心中する気かと言われますが、無論、心中覚悟の所存で来ています。
霊能者やスピの大多数の説の中では私は少数の異端ですが、万に一もあろうかとは思っております。
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