この3月3日。私に3月3日は「豊受の命日」と入って来ました。豊受様の命日?。通常の命日とは「人」が亡くなった日のことですが、神仏の世界における命日とは、その御神霊のお祭り日のことで縁日と言われています。
よく知られているのが、お不動様の縁日は「28日」と言われ、観音様の縁日は「18」日と言われていることです。仏教ではそうした縁日がよく言われるのですが、日本の神道ではあまりそうした命日は言いません。聞き及びません。
が、日本神道の場合は、御神霊を命(ミコト)とお呼びしますから、命日と出たのでしょう。命(ミコト)の日です。すると、3月3日は豊受様のお祭り日となります。それは偶然に「桃の節句・雛祭り」と重なっていたのでしょうか?。
ただ、数年前になりますが、豊受様が私にある光景を見せられたのです。それは3月3日の雛祭りに飾る雛人形を並べた「雛飾り」でした。
その雛壇の最上段には「男雛」と「女雛」があります。男雛は天皇を現し、女雛は皇后を現したものとされています。私に出たのは男雛は「天照大御神」であり、女雛は「豊受」様で、その二人は夫婦だと出たのです。一般的には豊受様は独身の女神と思われています。
そのこと自体は私の最初の師匠は豊受様の御代をしていたので、豊受様の御主人は「天照大御神」様になると言っていました。ただし、その天照大御神とは伊勢神宮に鎮座されている私達が言うところの内宮の天照大御神のことではない。豊受様は伊勢神宮に鎮座している天照大御神とは自分より下位の神であると言われるが、どなたであるかを言われないと言っておりました。
その真性「天照大御神」とは、いったい如何なる存在なのかとなります。一部の霊能者の方達は、それは「素戔嗚尊」様のことだと言われる方もあれば、西洋で言う「ルシファー」だと言われる方もあります。どちらも神界を追放されたということから見れば、そうした説も成り立つでしょう。そして、西洋でルシファー=サタン説が起きました。素戔嗚尊=悪神説と同じことです。
しかし、そのルシファー=サタン説は、ヘブライ語とギリシャ語の翻訳の過程で翻訳者が間違えていたことが今日では解って来ています。ルシファーとは「明けの明星」の金星で言われています。一方、サタンは「土星」を指しており、根本的に金星と土星では別の星です。普通ならば、火星と土星では別だと気づきそうなものなのですが、人の思い込みとは激しくて、ルシファー=サタンから抜けられなくなってしまっている人が大半のようです。
金星は古来から救世主の星とも言われて来ましたが、国常立尊様は金星を経由してこの地球に降り立たれた神と言われています。そして豊受様も金星からと言われていますが、元の星は「シリウス」でないとか考えられます。
そうしたこととして、国常立尊(エホバ・エロヒム)様は宇宙人説も流れています。だが、一般的宇宙人とは霊人であっても生死が起きる存在であって、神と言う存在とは違うのです。
一部のスピ系の方達は、何かというと宇宙人とのチャネリングを言われます。そして、神はUFOでやって来る宇宙人だという説も世界で言われています。私の最初の師匠は豊受様の御代をしていましたが、豊受様は宇宙神だと言っていました。
それ自体は日本神道で「天津神」と「国津神」を言いますが、天津神はすべて宇宙のどこかの星から来たなので「天津(宇宙)神」なのです。しかし、天津神=宇宙人ではないのです。それは通常の宇宙人とは霊人に分類されますが、私達同様に生死とか輪廻転生から逃げられない存在だからです。
霊人という立場では宇宙人も神霊も括れるでしょうが、宇宙人=神としてしまいますと、神とは実に小さな存在になりかねません。また、宇宙人が長年に渡って日本語であっても「言葉の仕組み」をして来たなども考えられないからです。
創造神に対してもっとも忠実であったとされる光の天使長が追放された意味は、ヨハネの黙示録から来るのですが、何故に追放されたかは皆さんが思ってることとは事実は違うようです。堕天使ではなくて、人間と呼ばれる存在をどう捉えるかの問題だと神霊から聞き及びます。霊界物語に書かれる神々の反乱は、ルシファーの話とは関係しません。
天の岩戸に隠れてしまった存在が、ルシファー(天照大御神)だとするならば、ある意味神話も非常に解り易かったでしょう。神話とは別に事実を語っているのではなくて、神の世界の思惑であり、邪神による書き換えもそんざいします。
皆さんが、その光の天使長を封じ込めた意味を本質的に知る必要はないでしょう。知らなければならないのは、天の岩戸を開けると光の天使長で表現される光の存在を受けなければならないということなのです。それはスピリチュアルを言われる人達が見たであろう光の存在とは比べようがないものなのです。
スピリチュアルを標榜している方で、たぶん天の岩戸の光を全面的に受けても平気な方はおられないでしょう。
私はそうしたことから、伊勢神宮に鎮座されている「天照大御神」様はいったいどなたなのかの謎を追っていました。
豊受様が伊勢神宮の天照大御神が本当は誰かと言うことを告げようとなされなかったのは、特別に意味があったようです。と言うのも、私の元に伊勢神宮の天照大御神様の御代と称する方からメールが来まして、自称なので完全なる真偽は解りませんが、伊勢神宮の天照大御神は本当は○○○様です。伊勢神宮の天照大御神様自身がそのことを貴方に告げられるように言われましたので、お伝えしますとメールが来たからです。
豊受様は、その事柄を伊勢神宮で天照大御神として鎮座されている御神霊が私に直接伝える日まで、それがどなたかを隠しておられたかったのかも知れません。
それはある意味、天の岩戸開けが近づいているのかも知れません。それまでの間をその御神霊が「ニセの天照大御神」を勤めて下さっていたということになるからです。
そうしたことが何故に一介の私に言えるかと言いますと。私が拝謁した伊勢神宮の天照大御神様の服装には、胸には金鶴の刺繍。裾は「亀の亀甲紋」の金刺繍があしらわれていたからです。
私が子供の頃に臨まれた声は「カゴメ歌」が重要と告げられましたが、伊勢神宮の天照大御神として鎮座されている方の着物に鶴と亀が存在していたわけです。それで「カゴメ歌」の鶴と亀の意味は、このことかと気づいたしだいです。
伊勢神宮の天照大御神様は、私にわざわざ「鶴と亀」の着物で臨んでこられたと言えます。それは創造神の遠大なる計画の一環だったと考えられます。創造神の偉大なる計画はそれだけではありません。
大本教から、当時天下の大秀才と言われて後に日本の心霊主義運動の父と称された「浅野和三郎」氏や成長の家の開祖と成った「谷口雅春」氏や「友清」氏らが中心となって、「大正十年(明治五十五年)世の立替」が大宣伝されてました。
この問題が、後に浅野和三郎氏の独断だと言った出口王仁三郎聖師に対して、自分は出口王仁三郎聖師の裁可を受けたという浅野和三郎氏は仲違いし、浅野和三郎氏は自分に責任を押しつけた出口王仁三郎聖師ほど大悪党は居ないと、その直弟子に言われています。私はその直弟子さんからその話を直接に聞きました。
この「明治五十五年世の大立替」の原因となったのは、大本教神諭の【明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日であるから、それ迄はこの大本の中は辛いぞよ】。この文章が当時の大本教幹部に世の大立替日だと解釈されてしまったわけです。
後に大本教の出口王仁三郎聖師は、「三月三日」は「三ツの御魂なる月の大神の示顕が、天地人三体に輝きわたる日」のこと、「五月五日」は「月光世に出て万界の暗を照破す、これ言霊学上の五月五日」と解説されたそうですが、それはかなり苦しい解釈と言えます。
出口王仁三郎聖師は、それとは別の箇所で「三月三日は桃の花。五月五日は桃の実」と残しておられますので、かなり周囲を煙にまいておられたことになります。
よく、神が現れて、この神が言ったことは「努努(ゆめゆめ)疑うことなかれ」があますが、逆に疑って疑って疑ってかからなければならないのです。おまえに御褒美を上げようなどは、欺されたところでどうということもありません。だが、立替論ともなれば、そんな「努努疑うことなかれ」では済まないのです。
仮にそれが嘘や騙しであったとしても、ここまで「言葉が仕組んである」ということは、どういうことなのか原因を追及する必要があります。世に出ておられる神霊のお力ではとうてい無理な言葉の仕組みがなされているからです。
この「明治五十五年」とは、年号の明治の意味ではないのです。太陽(日)と月の「明」で治める「五十五年」の意味なのです。太陽と月を一新させる「明治」なのです。五十五は、「一~十」まで合計すれば「五十五」のはずです。五十五は全てという意味を含みます。
全てを一新させるが「明治五十五」の意味だったようです。
五月五日は【粽】の節句です。大本教神諭予告に、世界に一人だけ「九つ花」を紐解く者が居ると予告されていますが、私は「米」型で「宗(ムネ)」の教えを出しました。「粽は米・宗」。この粽で「米」型と気づきました。
その中芯は「天之御中主」を示しますが、「ラ」神論で真性「天照大御神」としても語るわけです。五月五日は太陽神で「男子」型でないといけないのです。
さらに、これはみろく世に渡る新しい魂に「誂える」桃の実ともなります。それは私自身が西王母と拝謁した時、桃の実が貰えるのかと思ったら、頭をなでなでされて終わったことから、桃には別の意味があると気づいたしだいです。
一方、難しいのは三月三日の【桃】の節句です。こちらは女子型です。豊受様が私に見せて下さったのは「雛人形」で、女子の意味です。雛祭りには桃の花ですが、それだけでは「桃の花」の意味が解けませんでした。百(モモ)の十×十で百点であっても「真柱」が出ないからです。
だが、この三月三日に「豊受の命日」と出たことで、豊受様の担当は【食物神】ですが、「衣食住」も司るお役です。いくら新しいみろくの世と言えども【衣食住】が完備されなければ、決して「嬉し嬉し」の世とはなりません。
いくら宇宙人だ宇宙人だと言っても、その世界に入った時、如何なる生活の保証がなされているのか、何も知らずに宇宙人だ宇宙時だでは無責任過ぎません。
三月三日で、三三九度の「九霊界」が成り立って来ます。この「九霊界」に関しては既に「米」で説いておりますが、この亀とは「龍宮の乙姫」のお遣いを語っていまして、この「九霊界」を展開すれば「九つ花」となります。
単に五月五日で「粽」は解っても、九つ花を知るには「九霊界」が解っていなければ「米」教は出せません。その九霊界を展開していけば「みろく(369)」となり、「五六億七千万」も出せるわけです。
この「九霊界」の読み方は、右から読んで【憎し(二九四)なごみ(七五三)】と覚えます。これは「豊受」様の型なのです。
なお、この亀の甲羅に現れたのはアラビア数字ではなくて、その位置に○の数があったなのですが、便宜上数字で書いています。
五月五日の真性「天照大御神」に、三月三日の「豊受」様。豊受様が本当の「龍宮の乙姫」様であることは、これまでに豊受様からいろいろ見せられて解っておりました。しかし、私が接して来た豊受様に大本教神典にある「財宝を貯め込む欲深い龍宮の乙姫」様のイメージではなかったので、そこに行き着かなかったと言えます。
みろくの世に人々が困らないように財宝を吐き出して下さるのが「豊受」様の意味であったと言えます。
私が御劔大神から聞かされた「みろく世」に成るには、全神々の参列の元に行われる【神界の結婚式】。それが非常に重要であり、それは真性「天照大御神」様と「豊受」様の結婚式のことだったようです。
何故ならば、この真性「天照大御神」様が【神代八代目の日の大神】、神代七代目の伊弉諾様の立場となり、豊受様が【神代八代目の月の大神】、神代七代目の伊弉冉様の立場に昇格されて、神代八代目の世界。すなわち「みろくの世」となって来るからです。
大本教では「ダルマ」を説きましたが、このダルマとは【七転び八起き】で、神代七代目の世は転び、無限(∞)となる【神代八代目】が始まる意味なのです。
私は多賀大社の「伊弉諾」様からお呼び出しを受けて、あることを告げられました。それは大本教神諭にある「日之出神」と「龍宮の乙姫殿」のそろい踏みのことでしたが、日之出神と龍宮の乙姫殿のコンビと真性「天照大御神」と豊受神のコンビとの関係がその当時はよく掴めませんでした。今は解っていますが、その推移を見守っています。
この八代目がよく解っていないと、「五六億七千万」の意味もよく理解出来ません。
私自身、神から言葉の仕組みの解説を仰せつかりながら抜けていたのは、HP等には書いていても【神代八代目】の重要性を抜かしていたことです。単に「みろくの世」ではなくて、【神代八代目】の世です。
大本教神諭。
明治五十五年 五月五日と三月三日は誠に結構な日の意味となるでしょう。
そんな昔のことを今更解いてどうするのだと言う意見もあるでしょう。だが、大本教神諭は「九つ花」を紐解く者が出て来なければ、この神の大望は解らないと予告されて来たことです。
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