あえて”しない”を選ぶこと
今ちょっとホヤホヤな感情を残しておきたいと思い、記事にする。
取って出し、ならぬ「吸収してすぐだし」だ。
感情は生物。それなら早い方がいい。
私は仕事で大学生と面談をすることがある、というのは過去に記事で書いたことがある。メインの障害のある方への就労支援業務を行いながら、すき間時間を見つけて学生と面談をしてきた。
そして最近はそこに加えて面接もするようになった。
面接をし始めて気づく。
「面接する側もすっごい緊張するやん」
と。わからない。中には緊張しないタイプの人もいるのかもしれない。でも少なくとも自分は緊張するタイプだ。
学生時代、面接を受けるのにめっちゃ緊張してたのに、採用する側になってもめっちゃ緊張するなんてお互いめっちゃ緊張してるじゃんって考えると、ちょっと気が楽になる。
自分はどちらかというと事前に相手をすごく調べるタイプだ。
手札なしで臨むのがすごい不安だから。面談や面接をする前に、一度その人を知って、その人を好きになる感覚。
それによってすごい親近感が生まれて、相手がいい人に見えてくる。
これだけ聞くとめっちゃいいことのようだが、実はその裏に難しさがあって。その難しさというのも、
”全員が本当にいい人に見えてくる”
のだ。
これは困ったものだ。だって選ばなきゃいけないのに、全員がいい人に見えるのだから。
そんなことを、ある尊敬する方に相談した。
「選ぶ」ってどうしてますか、と。
するとその方はこう言った。
「あえて何も準備しないでいってるよ」
と。目から鱗だった。
あえて準備をせず。まっさらな状態で臨むから、その人に集中する。その人に集中しているといろんなことに気づけてくるという。
「この人はこんな人なのかな」
「あれ、一貫性ないな/中身ないな」
「言葉は途中つっかえちゃうけど、想いは伝わってくるな」
「相手」がよりフラットに入ってくるのだ。
たしかに思えばそうだ。
相手を事前に調べる、ということは「〇〇さんってこういう人なんだなぁ」という眼鏡をかけることになる。そうすると見えているはずのものも見えなくなっている可能性がある。
じゃあなんで準備しちゃうかって、やっぱり自分が怖いからだけだ。
無防備な状態で行く怖さ、何も知らない状態で行く怖さ。
結局は自分が傷つくことが怖いだけなのかもしれない。
もちろん下調べして先方とお会いするケースが望ましい場合もある。でも敢えてフラットにいった方がいい場面もある。むしろ「相手を知る」ことを主体に置くのであれば、何も知らない状態で臨んだ方がいいんだろうな、と思い始めた。
自分の見られ方とか、体裁とか一切無視して相手を0から知りたい!という想いでいる。だから何も調べないでいく。もちろん怖い。怖いけど、でも情報は新鮮に入ってくる。それにより細部に注目するはず。
次の機会がある時は、思い切って準備しないでやってみたい。
そんな備忘録的な記事になった。
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