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人類学のススメ

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日本の人骨発見史1.吉母浜遺跡(弥生時代):前頭縫合の多い人骨群

2013年11月24日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 吉母浜遺跡は、山口県下関市大字吉母に所在します。この遺跡は、1962年の第1次調査と1964年の第2次調査で、金関丈夫[1897-1983]を団長として調査が行われました。金関丈夫は当時、九州大学医学部を定年退官後、山口県立医科大学(現・山口大学医学部)に移籍していました。その後、1979年から1981年にかけて全部で8次にわたる調査が行われています。

 この第1次調査と第2次調査により、弥生時代中期の人骨8体が出土し、その後、工事中に出土したもの3体をあわせて合計11体が出土しました。人骨の報告は、九州大学医学部(当時)の中橋孝博と永井昌文[1924-2001]により、1985年に出版された報告書で詳細に報告されています。

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吉母浜遺跡1.弥生時代人骨出土状況[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]

 出土人骨11体の内訳は、成人男性5体・成人女性4体・未成年2体です。この人骨で特筆すべき特徴は、前頭縫合が成人9体中3体に認められたことです。前頭骨は、胎児や新生児では2つに分かれており、その間に前頭縫合があります。この前頭縫合は、通常、生後2年ぐらいで癒合して消失しますが、稀に、成人になっても癒合しない場合もあります。その比率は、報告者により異なりますが、日本人では約4.5%~約7.8%と報告されています。また、日本人頭骨研究班の報告では、現代畿内人男性に21.43%というのが最高の出現率で、通常は10%代かそれ以下でした。さらに、現代北九州人では男性6.32%、女性11.11%という報告もあります。

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吉母浜遺跡2.吉母浜5号人骨前頭縫合(成人女性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]

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吉母浜遺跡3.吉母浜9号人骨前頭縫合(老年男性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]

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吉母浜遺跡4.吉母浜D1人骨前頭縫合(熟年女性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]

 ところが、この吉母浜遺跡出土弥生時代人骨の場合、観察可能な7体中3体にこの前頭縫合が認められたのです。母数が少ないのですが、出現率は43%にも達しており、報告者の中橋孝博と永井昌文は、「吉母浜弥生人の遺伝的特徴に関係する可能性も考えられる」と報告しています。

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吉母浜遺跡5.吉母浜遺跡第1次調査スナップ[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]

 1962年の第1次調査と1964年の第2次調査には、団長の金関丈夫の息子で考古学者の金関 恕(現・天理大学名誉教授)も参加し、親子で調査した珍しい遺跡です。

*吉母浜遺跡の関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 下関市教育委員会(1985)『吉母浜遺跡』、下関市教育委員会
  • 中橋孝博・永井昌文(1985)「Ⅵ.人骨」『吉母浜遺跡』、下関市教育委員会、pp.154-225

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