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人類学のススメ

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日本の人骨発見史7.新町遺跡(弥生時代):埋葬形態と被葬者の形質が異なる人骨

2014年01月11日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 新町遺跡は、福岡県糸島郡志摩町(現・福岡県糸島市志摩新町)に所在します。志摩町教育委員会(現・糸島市教育委員会)による発掘調査が、1986年10月から1987年1月にかけて行われ、弥生時代早期及び前期の支石墓や甕棺墓等57基が発見されました。この内、人骨は14体が検出されています。

 1987年に、志摩町文化財調査報告書第7集『新町遺跡:福岡県糸島郡志摩町所在支石墓群の調査』として、志摩町教育委員会から出版されました。この中で、出土人骨の報告は九州大学医学部(当時)の中橋孝博と永井昌文により報告されています。

 出土人骨14体の性別は男性6体・女性2体・不明6体で、死亡年齢は幼年1体・少年~若年1体・成年~成人9体・熟年3体という内訳です。これらの人骨の内、保存状態が良い9号人骨は、支石墓に埋葬されていました。この支石墓は、中国大陸や半島で良く認められる埋葬形態で、土坑墓の上に大きな石を置いているのが特徴的です。

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写真1.新町遺跡9号墓検出状況:支石墓[志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真2.新町遺跡9号墓人骨検出状況[志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

 大陸や半島と同様な埋葬方法であることから、被葬者も、恐らく渡来系(弥生系)の形質を持っているだろうと予想されていました。ところが、この熟年男性と推定された9号墓出土人骨は、予想に反して頭は前後に長く(長頭)・顔面部は低顔性・低眼窩・鼻根部の陥凹という、在来系(縄文系)の形質を持っていたのです。男性3体の身長は、平均で157.1cmと低く、この点でも在来系の特徴を示していました。

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写真3.新町遺跡9号墓出土人骨前面観:眼窩が低いことに注意[志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真4.新町遺跡9号墓出土人骨上面観:前後に長い長頭であることに注意[志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真5.新町遺跡9号墓出土人骨右側面観:鼻根部の陥凹が強いことに注意[志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』より改変して引用]

 何故、渡来系(弥生系)の埋葬形態である支石墓に、在来系(縄文系)の被葬者が埋葬されていたのかはわかりませんが、縄文時代から弥生時代への移行期に、元々いた在来系が何らかの貢献をしたことが推定されます。

*新町遺跡に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 志摩町教育委員会(1987)『新町遺跡』、志摩町教育委員会
  • 中橋孝博・永井昌文(1987)「Ⅱ-3.福岡県志摩町新町遺跡出土の縄文・弥生移行期の人骨」『新町遺跡』、志摩町教育委員会、pp.87-105

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