東京都内でビル建設ブームが起きていた1951年3月9日の正午頃、東京都中央区日本橋室町の三井別館建設工事現場で、ある人骨が発見されました。この人骨の発見の第一報は、早稲田大学(当時)の直良信夫[1902-1985]へ届きます。直良信夫は、昼食中でした。しかし、第一報から約1時間20分後、直良信夫は居合わせた立教大学の石嶋 渉[1906-1980]と共に、工事現場を訪問しました。二人の目の前には、下肢部が失われた人骨が横たわっていました。
写真1.日本橋人の出土地点:赤丸が人骨発見地点[直良信夫(1965)『古代人の生活と環境』]
直良信夫は、この遺骨は漂着遺体と推定し、下部有楽町貝層から出土していることから、更新世であると考えて、発見地の地名から、ホモ・ニッポンバシエンシス(Homo nipponbashiensis)、つまり、「日本橋人」と命名しました。この時の事情は、直良信夫と親しい間柄にあった人類学者の清野謙次[1885-1955]の『故清野謙次先生記念論文集第三輯:随筆・遺稿』に、「将来或は第二、第三の古代人骨が東京から発掘せられるかも知れぬと思ったので、此女性人骨を日本橋人類とするがよいと思った。」と書かれています。実際、1951年3月25日と同年4月7日には、東京都日比谷の日活国際会館の工事中に人骨4体が発見され、「日比谷人」と命名されました。1951年当時、日本国内で古いと考えられていた人骨には、「明石」と「葛生」があり、どれも直良信夫が関わっていました。
写真2.日本橋人の頭蓋骨左側面観[直良信夫(1954)『日本旧石器時代の研究』より改変して引用]
直良信夫は、この報告を1951年に『武蔵野手帖』に発表しました。また、清野謙次は、1954年に出版された『人類の起源』の改訂版で、日本橋人骨について計測値も掲載して報告しています。
ところが、東京大学の人類学者・鈴木 尚[1912-2004]は、1956年に発表した論文で「いわゆる日本橋人類は発見地層のほかプログナート(註:突顎)を有力な根拠として縄文時代以前に由来すると見なしたが、私が実見した所では本人骨のプログナートは上・下顎ともに中世および近世のものと同型であって、いわゆる、Alveolare Prognathise(註:歯槽性突顎)に属し、古人骨のプログナートとは区別さるべきで、単に「そっぱ(註:反っ歯)」であるに過ぎない。又頭骨の大さ(註:ママ)は歴史時代日本人女性の変異内にあり矮小人種を考える必要はない。本人骨の形質には全体として石器時代人的な何らの特徴がないのみならず、中世又は近世初に由来する頭骨の形態に類似しているところから、私は恐らくこれらの時代に属する人骨と見倣している。」と注に書いています。
清野謙次は、多数の縄文時代人骨と古墳時代人骨の報告を行ってきましたが、中世人骨や近世人骨の報告は行っていません。そもそも、日本人の起源の問題は、保存状態が良い縄文時代人骨と古墳時代人骨を現代日本人骨と比較する事で行われてきました。鈴木 尚は、この日本橋人骨が発見された年の1951年7月に東京大学医学部解剖学教室の骨格標本室で奇妙な人骨を見て、それは、東南アジア出土のものだと考えました。ところが、後にこれは大正時代に鍛冶橋で出土した中世の室町時代人だと判明しています。
1954年頃から、都内で多数出土した近世人骨を研究した、東京慈恵会医科大学の河越逸行[1903-1977]が出版した『掘り出された江戸時代』には、「埋葬の深さも、当時は身分によって異なり、一般庶民は約一メートルぐらい、それより身分が高くなるにつれ、深くなっている。その一例として、三百石以上は約二メートル、家老は約二メートル半、殿様は約三メートルぐらいともいわれる。」とあります。
恐らく、この日本橋人も日比谷人も、中世か近世の人骨だと考えられます。しかし、これらを古いと考えた直良信夫や清野謙次を責めることはできません。1951年当時は、後に日本人の時代的変化をまとめた鈴木 尚でさえ、とても日本人では無く東南アジア人だと考えていたのです。直良信夫や清野謙次は、縄文時代人骨や古墳時代人骨については深い知識と経験を持っていましたが、さすがに、歴史時代人骨については知らなかったのです。
この日本橋人は、実は、現在所在が不明です。直良信夫によると、ある弟子が南山大学に持っていったままだそうです。この日本橋人と日比谷人の問題に決着をつけるには、その所在を確かめて、年代測定や形態の再検討が必要でしょう。
*日本橋人と日比谷人について、以下の文献を参考にしました。
- 直良信夫(1951)「日本橋人類について」『武蔵野手帖』、2
- 清野謙次(1954)『人類の起源』、弘文堂(アテネ新書)
- 鈴木 尚(1956)「縄文時代人骨」『日本考古学講座3.縄文文化』、河出書房、pp.353-375
- 鈴木 尚(1963)『日本人の骨』、岩波書店(岩波新書)
- 河越逸行(1975)『改訂増補版・掘り出された江戸時代』、雄山閣出版
- 直良信夫(1981)『学問への情熱』、佼成出版社
- 直良信夫(1985)「日本橋人類について」『日本旧石器人の探究』、六興出版、pp.168-173
- 春成秀爾(1985)「解説」『日本旧石器人の探究』(直良信夫)、六興出版、pp.331-353