北村遺跡は、長野県安曇野市(調査時は、東筑摩郡明科町)に所在します。長野県教育委員会による発掘調査が、1987年から1988年にかけて行われました。この遺跡からは、縄文時代中期から縄文時代後期にかけての人骨が190体も出土しており、長野県で最大級の縄文時代人骨が発見されています。発掘報告書は、(財)長野県埋蔵文化財センターや長野県教育委員会による編で、1993年に『北村遺跡』として出版されました。
図1.北村遺跡平面図の1つ[(財)長野県埋蔵文化財センター編(1993)『北村遺跡:図版編』を改変して引用]
人骨が検出された墓坑は、合計279基ありました。この中で、埋葬姿勢が判明したものは117基・人骨と判断できる程度の部分骨が出土したものは51基・何らかの骨片が出土したものは111基です。埋葬姿勢が明かな135体の内訳は、屈葬が105体(77.8%)・伸展葬が2体(1.5%)で、屈葬が多いことが確認されました。
写真1.取り上げられた北村遺跡SH1172人骨:胸部には猪の牙製の装身具が置かれている[(財)長野県埋蔵文化財センター編(1993)『北村遺跡:図版編』を改変して引用]
ところが、人骨の多くは水分を含んだ焼き豆腐のような状態で、そのまま掘ると崩れてしまいそうでした。これは、海岸部の貝塚に埋葬されている縄文時代人骨や洞窟に埋葬されている縄文時代人骨とは明らかに異なる保存状態です。そこで、調査団は、埋葬状態が良いものについては、人骨の周囲を掘り下げ、段ボールや和紙で覆い、ウレタンフォームを流し込んで取り上げました。その後、人骨は約1ヶ月乾燥され、人類学報告を担当した獨協医科大学(当時・現京都大学名誉教授)の茂原信生の元に持ち込まれます。茂原信生は、解剖用メスで人骨を掘り出したり実測を行いました。また、保存のため、セメダインCを使って硬化させたそうです。
写真2.研究室で解剖用メスを使い発掘中の茂原信生[(財)長野県埋蔵文化財センター編(1993)『北村遺跡:本文編』を改変して引用]
人骨を報告した茂原信生によると、個体数は190体。性別は、男性51体(26.8%)・女性71体(37.4%)・不明68体(35.8%)でした。性別が判明した個体内では、男性41.8%・女性58.2%です。
死亡年齢は、保存状態が悪いために歯の咬耗度で推定されました。その結果、新生児1体・幼児3体・少年少女7体・思春期19体・青年21体・壮年20体・熟年40体・老年7体・成人31体・不明41体という内訳で、熟年と老年を併せると47例(約40%)と、高齢が多いことが特筆されます。
さらに、俗に虫歯と呼ばれる齲歯が少ない点が特徴的でした。東京大学(当時)の赤澤 威等による同位体による食性分析では、C3植物を多く摂取しているという結論が得られています。このC3植物として、クリ・トチ・コナラ等が推定されています。これにより、海岸部と異なり山岳部の縄文時代人の食性が明らかになりました。
北村遺跡出土縄文時代人骨は、190体という長野県でも最大級の人骨が出土しました。実際には、1つの遺跡から出土した縄文時代人骨としては国内でも最大級だと言えるでしょう。それは、多くの関係者による努力の賜でした。
*北村遺跡出土人骨に関する資料として、以下の文献を参考にしました。
- (財)長野県埋蔵文化財センター編(1993)『北村遺跡』
- 茂原信生(1993)「第6章.人骨の形質」『北村遺跡』、pp.259-402
- 赤澤 威・米田 穣・吉田邦夫(1993)「第8章.北村縄文人骨の同位体食性分析」『北村遺跡』、pp.445-468