人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

空の神兵。【恐怖の宇宙大王は天下る】の「マルス」とは

最近、眠りに就こうとした時、なんとなく【恐怖の宇宙大王】を考えていました。霊能者の方からは恐怖の宇宙大王は「隕石の雨」だと言われる意見もあります。大本教の出口王仁三郎聖師が言われる最後の「火の雨」は、太陽爆発か月が崩れることによる隕石の火の雨と見ることも出来ます。

しかし、ノストラダムスが予言した「恐怖の宇宙大王」とは、それとは違うと思われます。それは「大王」と言う言葉の表現からです。私はこの「恐怖の宇宙大王」という言葉を知った時、即座にこれは「宇宙創造神」のことだと感じました。それが解らない人達は、どうかしているとまで思っていました。しかし、何故に宇宙創造神が【恐怖】の存在なのかは、さすがに意味が解りませんでした

すると、ある曲が私の脳裏に出て来ました。それは第二次大戦の時に日本で歌われた落下傘部隊の「空の神兵(しんぺい)」という軍歌です。

今の若い方は御存知がない曲なので、ユーチュブからお借りします。
https://www.youtube.com/watch?v=sZwRg-rNnzs&list=RDsZwRg-rNnzs#t=6

その軍歌は落下傘部隊を歌ったのですが、空から落下傘部隊が天下るのではなく、その歌詞にある

【わが皇軍は天下る】
【わが皇軍は天下る】


この軍歌の歌詞の皇軍とは日本の天皇の兵のことですが、本来の【皇軍】とはスメラ【皇】の軍の言葉であり、すなわち宇宙の皇たる天帝の神軍(神兵)のことです。この飛行部隊は皆さんが【UFO】と呼ぶ存在です。
ただ、UFOと言っても、天帝に所属する存在もあれば邪神界と呼ばれる世界に所属するものもあります。最終的には天帝軍と反天帝軍とがぶつかり、宇宙開闢以来の最終大戦争も起こり得ます。すなわち【三千世界の大立替え】です。

三千世界の大立替えとは、別にこの地球だけと言う狭い範囲に起きる意味ではないのです。三千世界とは全宇宙の意味だからです。


スピ系の方達は、よく自分は最後には「UFO」によって助け出されるのだと言われます。
私は子供の頃から時たまなのですがUFOの夢を見ていました。が、私が見る夢の中のUFOは人類を助けるのではなくて、人類を総攻撃する部隊でした。それが空を覆うほどやって来る。夢の中の私はそのUFOの総攻撃から必死に逃げ回っていました。それは【恐怖】そのものでした。彼等はいったい何者か?。何故に攻撃をして来るのか?。
それは私だけで無く、やはりそうしたビジョンを見られた神通力者の方達もあります。

だが、私が最後に見たUFOの夢では私はUFO部隊に捕まってしまいましたが、捕虜かと思ったら助けられていたのです。だが、他の人達は容赦なく攻撃されて行きました。私はその光景を見て、愕然としていました。どうして私は助けられる者なのかです。
一部のスピの人達が自分はUFOに助けられると言われているのは、その方は正神界なのか邪神界かは解りませんが、そうした宇宙の存在に助けられるグループに入っておられるだけであって、全人類がUFOに助けられるのではないと見ます。

ただ、肉体は殺されたとしても、それは魂の死ではありません。聖書に示される最後の審判とは、肉体を脱いだ後の魂に対して行われるものであって、聖書には第一の死(肉体の死)、第二の死(魂の死)が記載されますが、その第二の死でないと魂は消滅には至りません。第一の死だけだと、例えこの地球が終わっても、宇宙の他の星に転じることも出来ます。
 

ノストラダムスの予言にある「アンゴルモアの大王」は、今日では各種の研究によってアンゴルモアの言葉はモンゴル大王を間違えた記述とも言われる様に、大本教の出口王仁三郎聖師が「源の日出雄」と名乗って蒙古に渡られた型演技で、それは「源の義経(モンゴル大王になったとする伝説)」の意味だということは、かなりの人が知っておられます。
為に、世の中には自分の前世は「源の義経」だと自称している霊能者の方達も少なからずおられます。そうでなければ、「源の義経」と名乗ってもさほどのメリットはありません。同じ名乗るのならば、自分は「仏陀」だとか「キリスト」だとか「みろく」などと名乗っていれば、世に言うバカがどんどん引っ掛かってくれます。私達はオウム真理教の仏陀の再来と称した麻原で、そうしたことを学んだはずです。

自分が源の義経などの名乗りの真偽は、しても意味がありません。名乗っている方は、自分がそうだと言ってその主張を降ろされることもないでしょうし。また、それを証明することも、否認することも誰にも出来ないからです。
しかし、「源の義経」とは平安期に出た武将であって、現代人ではありません。そこに聖書に書かれる「我れは羊(義)の経」に意味があります。旧約聖書の神は告げられています。私は「義の者」が一人でも居るならば人類を滅ぼさないと。


逆に言うならば、天帝は「義の者」だけを一人残らず救い出せば、後の人類は滅ぼすともなります。出口王仁三郎聖師が告げられた【鏖殺】にと入れるわけです。

三千
世界(全宇宙)一度に開く梅の花。開い散りて実を結ぶとは、全員死んで魂となってみろく世に「復活劇」に入ることなのです。

すると、残る謎はノストラダムスが告げた「その日まで、人々は「マルス」の名の元に暮らすであろう」の「マルス」です。
この「マルス」とは、一般的には「火星」とか「軍神」の意味で捉えられています。しかし、それでは意味が解りません。通じません。
一部のスピ系の人達から「マルス」とは、大本教の出口王仁三郎聖師が出された「○に黒丸の点」で示された「ス」神の「マルス」ことであろうとの解釈がありました。かなり、よい見方ではあるとは思われますが、完全ではないと感じられました。
マルスはローマ神話の軍神とか、火星のことを意味するラテン語です。それを無理矢理に日本語で読むのもどうかと思っていました。
 

最近になってある夢を見ていて、やっと「火星(マルス)」の意味が解けました。それはまさしく「火星」の名で表現されていますが惑星の「火星」ではありません。その存在が「火星」と呼ばれていることを知るのは私の年代から上の日本人のみです。説明すれば、私の年代以上の方であれば「あゝ、その存在は火星でしたね」と納得出来ます。しかし、今の若い方はその存在が「火星」と呼ばれていることすら御存知ないでしょう。まして西洋人が知る話ではありません。
これは日本語で解る「言葉」の仕組みであり、その「火星」と呼ばれている存在は通称であり、本来は「義」の意味であり、そして大本教が出した「日之出」神の言葉の意味を含めていたのです。

その「火星」の意味を公にすれば、このマルス(火星)の意味は、神はそこまで仕組んでおられたのかと解ります。そして、聖書と大本教神典が連動していることも解ります。ただ、どうしてそれが「日本語」で仕組んであるのかは、日本語は神の言葉であることを知らない人には納得は出来ないでしょう。
この「火星」と呼ばれる存在を公にすることは出来ません。墓場まで持って行く部類の話です。

大本教の出口王仁三郎聖師は救世主と称して蒙古に渡る時、「源の義経」とは名乗らずに何故か「源の日出雄」と名乗られました。その「義の経」が意味するところが「源の日出雄」だったのです。私はその「火星」と呼ばれる存在が夢に出て来て、やっと意味が解りました。
そんな「源の日出雄とか日之出神」などの神は居ないぞと言われたら、確かに「源の日出雄」という神は存在しないのです。出口日出麿さんが演じた「日之出」神も、伏見稲荷山に行きますと日之出神と彫られたお塚がゴロゴロしていますが、そこに居るのは単に「日之出」のめでたさを名付けた稲荷神達であり、出口王仁三郎聖師が演じられた「日出雄」でもなければ、大本教の日出麿さんが演じた「日之出」神でもないのです。


何故に大本教は「日之出」神とか「日出雄」などの存在を説いて来たかと言いますと、それは世にはまったく知られていないある神の名を隠す為でもあったでしょう。今の世に出ておられる神で、このことを御存知だったのは豊受様。それに大国主命さんも御存知だとは思いますが、後はどれほど居られるかでしょう。私自身、それを知った時、神の底の深さは私達が思っているような底の浅いものでないことをつくづくと知りました。

マルスとは「義」の意味だったのです。

ノストラダムスの予言は、予言の年月日はもう過ぎた日時でありその日時は関係無いのですが、「義(我れは羊)の経」の者達を呼び起こす為に、鏖殺の恐怖の皇の宇宙大王麾下の大神軍団(空の神兵UFO部隊)は天下る。その日までは、人類は義の人がこの世に存在することによって、平穏に暮らせているだろうなのです。

他の人の命を救う為に、我れの命を犠牲にして来た者達は「義」の人であり、それが神の為にその命を捧げたともなれば、「神の祭壇に牛と羊の血の捧げ(犠牲)」となって、創造神と呼ばれる神の側近くに行くのです。
【犠牲】という文字を読んだ時、牛と我れ羊は「犠」、そして牛で生きるは「牲」となっていることに気づくべき話ではあったのです。牛は大本教が出した「牛」であり、聖書は「羊」となっているのです。

牛虎金神(大本教神諭)。羊猿金神(聖書)。
 

ただ、こうした霊界に現れるビジョンはどこまでもビジョンであり、それが絶対にこの世で起きるとは限りません。
ただ、そうしたことが起きた時、それは霊界にある立替のビジョンの一つが実施されたことを意味するのであって、世が立替に入ったということなのです。

私はこうしてブログを書いている中で、それはビジョンに過ぎませんが、これまで解らなかったこと気づかなかったことを解読させる物が出て来ます。私が子供の頃に臨んだ声は、この日本は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり、この私の仕組みを知るのに外国の宗教書を必要とはしない。その仕組みをそなたには見せて行くと告げられましたが、言葉を仕組んだ神から見させられているのだとは思うのです。

 

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