人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

牛虎金神の「虎」は激情(劇場)型で武闘(武塔)神、ス神に隠された天帝の仕組み

大本教神諭にこの「ウシトラ(艮)」は【牛虎】もあるぞよとあります。この牛は仏教の「祇園精舎」の御守護神である【牛頭天王】であることは間違いないのです。だが、この牛頭天皇は祇園神社の御祭神である「素戔嗚尊」と混同されて来ましたが、その原因は全国一の宮で備後国にある素戔嗚尊神社に参拝して来て、明治に起きた廃仏毀釈令に起因していると解って来ました。

しかし、牛頭天王の「牛」はよいとしても「虎」の意が解りません。インドでは牛と虎は共に神の化身として崇拝されています。だが、何故に虎が神の化身として崇められているのか?。蒙古などのチベットからの仏教要素を見ると、牛頭が虎を敷く形になっています。「牛虎」は出ているとしても、それだけでは何とも意味が解けないのです。

日本における素戔嗚尊は、蘇民将来で知られる「武塔」神で「武闘」の神であることまでは解ります。言うなれば「荒ぶる」神です。そこに素戔嗚尊は「荒魂」と考えられますが、誰の荒魂かとなった時、日本神話では無理なのです。
私達は素戔嗚尊に関して、どうしても日本神話の記述がまるで真実の如くに囚われて、素戔嗚尊は女神の天照太御神の弟君という概念でそう思い込んでしまったのです。

一部の霊能者の方達の中には、天の岩戸に隠れてしまわれた神とは「素戔嗚尊」のことであり、素戔嗚尊こそ【真性天照大御神】様だという説があります。

完全な真偽の程は掴めませんが、天帝の呼び名に「天之御中主・国常立尊・素戔嗚尊」があるということが「シリウス」の使いと称する方から持たされました。同じ神を「天之御中主」と呼ぶのも、「国常立尊」と呼ぶのも、「素戔嗚尊」と呼ぶのも、それは天帝の働きを意味する神名に過ぎないという情報です。

大本教では天帝として「ス」の神を出しました。世界救世教を始めとして、多くの新神道系の教団では「ス」の大神を最高神として説いています。その「ス」神とは素戔嗚尊のことであり、出雲神話における素戔嗚尊を説いているわけではないのです。「ス」神に出雲神話の素戔嗚尊を持ち込むと、どうしても伊勢神宮の天照太御神の弟君から抜けきれないのです。

その一因として、大和朝廷が掲げる「天照大神」と出雲王朝が掲げる「大国主命」との争いがあります。三輪大神の御使いと称する方から、伊勢の天照大御神は「オオムナチ」様だとメールが来ました。確かに、伊勢神宮は天照大御神を奉祭した倭姫が大和の三輪山から出発して、最終地を伊勢としたのであって、三輪山を御神体とする神である以上、それは「オオムナチ」さんとも言えます。
それは大和朝廷を創り上げた九州からの勢力と裏日本を支配していた勢力との戦いで、裏日本の勢力が出雲の片隅に押し込められた構図から出来上がった話の可能性が出て来ます。

私が稲荷神界で修業のお世話になっていた時、豊受様の御代をしていた私の師匠が不思議なことを言います。それは、豊受様が内宮に祭られている「天照」は豊受様より格下の神の存在だと、豊受様自身が言われたと言うのです。
そうしたことは伊勢外宮の神官であった度会神道でも、豊受様が内宮の天照より上位の神で在ると述べられていますが、それは内宮に対して外宮の神官であった渡会氏のやっかみだとぐらいにしか受け止められていませんでした。
また、その師匠は伊勢内宮の天照太御神は女神ではなく男神だと言います。では、その男神はどなたなのですかと尋ねたところ、豊受様はその質問に対しては何も答えてくださりませんと言います。

私自身も伊勢内宮から出る大神霊行列を見せていただき、その後に伊勢内宮の御神霊を見させていただきましたが、その答えは男神としか言いようがありませんでした。
だが、伊勢神宮内宮の御祭神を見ることが出来た霊能者の方達の多くの答えは女神であると言われます。一部の霊能者の方達の中には、伊勢神宮の内宮の天照大御神は男神だと言われる方もあるにはあります。また男神と女神の両方居られると言う方もあります。では、女神として出て来る方はどなたかとなりますと、卑弥呼さんか若稚姫さんではないかという説もあるのです。
私が知る非常に優秀な霊能力を持ち豊受様の御御霊を受けておられる女性が、豊受様に導かれて伊勢神宮に参られた時、最初に女神としての天照太御神が出て来られて、御簾の中に入られると、その御簾の中から今度は男の天照太御神様が出て来られて、女神として出て来られる天照太御神は、男神としての天照太御神を覆い隠す仕組みではないかと言っていました。

伊勢神宮の天照大御神が男神であり、「オオムナチ」様だとすると、豊受様の伊勢の天照大神は自分よりも格下の神だと言われることも納得出来ます。
それが事実であるならば伊勢神宮の謎は片付きますが、天帝としての「ス」神である素戔嗚尊の謎が解けません。

大本教の出口王仁三郎聖師は、自分が「素戔嗚尊」だと名乗っておられました。しかし大本教霊界物語の【第十三巻】の信天翁(あほうどり)の中で、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】と発表されました。第十三巻に出された意味はアイウエオの第十三番目の「ス」神がニセ者の意味ではなく、出口王仁三郎聖師さん自身がニセ者を演じられた意味でもあるのです。

これは、今回「牛」と「虎」の意味を見ていて、やっと私も気づきました。それは大本教霊界物語にある【主の神、三五万年前に御引退】で、この意味を神界時間で割ると「40」の数字が出て来ます。
モーゼやイエスの「四十」荒野のさ迷いは、その「四十」の型を演じさせられたことは理解出来ます。四十一番目に「椅子ラ得る」と「主の御子(天帝の分魂)」と成るです。
しかし、そこに何故に主にも【四十】荒野の彷徨いの必要があったかの謎が残っていたのです。

通常、迷いのさまよいならば「さ迷い」です。だが、不思議なのは【彷徨】いの漢字なのです。この「彷徨」は【皇神たる方が行く道】となっています。
これが解らなかった原因は、大本教出口王仁三郎聖師の【素戔嗚尊は豊雲野尊の精霊から出られた神】だから、本来は女神だから男神であることは「変性女子」だという演技と、もう一つには厳霊と瑞霊を別神の様に扱ったことです。これが目眩ましとなっていたのです。
素戔嗚尊は伊弉諾尊単独から出られた貴い三神の一柱であるという日本神話は完全な作り物です。これ自体は、私が子供の頃に私に臨まれた声が、日本神話の神話の部分に関してはその様な事実はどこにも存在しておらず、全てこの私が理由があって創り上げた話である。そなたは私が何故にあのような日本神話を創り上げているのか、よく学んでその意味を紐解きなさいと告げられています。
そして、豊受様の御代をしていた私の最初の師匠も、日本神話の神代の話は事実ではないと語っていました。

私は以前のブログで、三角形(△)の図で、天之御中主と国常立尊と豊雲野尊で説明しています。その中で豊雲野尊の下に()で素戔嗚尊を入れようかと思いましたが躊躇しました。それは出口王仁三郎聖師が説かれた素戔嗚尊は豊雲野尊の精霊体である記述からです。
だが、それだと私がシリウス星のメッセンジャーの方から受けた、天之御中主と国常立尊と素戔嗚尊は天帝の呼び方の違いだと言う内容と合致しないだけでなく、根本的に「四十荒野の彷徨い」が出て来ないのです。
大本教から、「国常立尊=天之御中主」は既に出されています。最大の謎は何故に素戔嗚尊を「ス」の神として説かなければならなかったかなのです。
主の四十荒野の彷徨いは、国常立尊として素戔嗚尊として顕現することにあったわけです。すなわちそれが「牛虎(ウシトラ)」だったのです。素戔嗚尊が暴れまくった意味合いは「虎」だったのです。

虎は「寅」で「演じる役です」。演技は「劇場」なので、やはり「虎の虍(とらがしら)」が入ります。それに「荒魂」なので、その性質は激情型になります。蘇民将来は助けて、巨旦将来は滅ぼすです。



これは大本教神諭が予告した【九つ花】と【言霊】が解っていなければ、その意味は解けないのです。




主は天では「天之御中主」で現れて、地上主宰神として「国常立尊」と顕現し、日本では「素戔嗚尊」として現れたなのです。
大本教は「イロハ」を説きました。だが、この仕組みは「イロハ」や「ヒフミ」では説けないのです。「アイウエオ」で紐解くようになっているのです。そこに、大本教の出口王仁三郎聖師は、アイウエオの第「十三」の「ス」神と、「美濃か尾張の国の中から現れる」の第四十一番目の「ラ(良)」の予言を残されたわけです。 

全ては【言葉の仕組み】なのです。


大本教神諭は予告しました。
明治31年旧11月5日
九つ花は誠から咲せる花であるから、三千年の経綸を致した。誠の本であるから誠の人の世話でないと、このお世話は出来んぞよ

明治31年旧12月26日
出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ

この「牛」とは火(ヒ)の神で「厳」霊の部分であり、「虎」は水(ス)の部分で「瑞霊」に当たっていたのです。そこで、素戔嗚尊だけを単独で演技しようとすれば、「変性女子」らの演技が必要だったわけです。
そこに大本教の出口王仁三郎聖師の自分は「瑞霊」で「変性女子」で「素戔嗚尊」と名乗られた意味が全て解けます。

そこに、実に恐るべき神の仕組みと、出口王仁三郎聖師の「名演技」があったことになります。


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