人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

全ての人に後生(来世)はあるのか???

私は子供の頃に臨んだ声から、魂の一生は長い。人は死んでは生まれ変わり。死んでは生まれ変わりを繰り返している。その時々において楽な人生の時もあれば、辛くて悲しい人生の時もある。だが、それは魂の長い旅路からすると一時のことでしかない。僅かな時間である。
その僅かな時間の人生に置いて、どれほど辛くて苦しくても、瞬間の快楽や刹那心に溺れてはいけない。もしも溺れれば、自分の魂を腐らせたり潰して永遠の魂の命を失うことになりかねないと告げられたのです。

だが、潰れたり腐ったりした魂が、その後にどうなるのかは聞かされておりませんでした。

2番目の師匠の元に居た時、その師匠は潰れた魂は全て破砕されて、ボウフラ状態で漂っている。雨等に打たれて地に落ちて、雑草や蚊とか蟻のような小さな虫の命と成ると言います。そうしたことは神社等に行けば、ボウフラの様なものが漂っているのが解ると言います。確かに神社等に行った時、そうしたものが見えて、自分の目に異常が起きているのかと思ったことがあります。それはその師匠だけでなく、他の霊能者の方達の中にもそうしたことを言われる方達はあります。

仏教において万物に命ありと説かれますが、命という観点から見れば誰も死んではいないのです。言うなれば食物連鎖に近い循環と言えます。一部の霊能者の方達の中には、人は死ねば窒素や燐などの元素に戻ってまた再生される意味が輪廻転生だと言われる方がありますが、それは仏教で言う輪廻転生の意味とは違っているでしょう。

そうした破砕された魂は、野菜や魚等の肉等として私達の肉体に取り込まれて私達の細胞と成り、精子などになって、男性の一回の射精で出る何億の精子の中の一体だけがこの世に出られる。私達が人として産まれ出ることは希有の存在なのであると説いておられる精神世界で有名な方がおられますが、それは根本的な誤りの中に居られると言えます。
それならば、仏教で説く過去(前世)・現世・来世(後生)の3世の教えさえ何の意味も為さないからです。

魂とは、精子と卵子が結合した時に出来る物質的な物ではないからです。霊界と呼ぶ外の世界から肉体に直接入って来る存在なのです。精子云々ではないのです。
ですから、皆さんの魂には過去世かあり、今世があり、来世(後生)も存在しているのです。


しかし、雑草のような草や蚊のような虫になって生きているとなっても、それは魂は永遠に不滅ですと言うこととはかなり意味合いが違います。また、輪廻転生の転生と呼ばれる事柄とは、そうした雑草や虫の命となる意味合いでもないのです。

私が最初の師匠の元を離れて2番目の師匠の元に行った時、その2番目の師匠が私の最初の師匠を霊的に見て、お前の最初の師匠はその魂が白狐に食い破られているではないかと言います。
私は白狐に魂を食い破られていると聞いて、?。それは違う。最初の師匠は元々が白狐の出身であって、幼い頃は友達は全て白狐だと語る様に、今生は人間界に転生して、最初はお不動様に仕え、次は豊受様の御代としてよく仕え、死後は豊受様系の下位神の座を約束された存在なのです。別に魂が食い破られたのではないのです。本来が白狐なのです。2番目の師匠に向かって若僧が反論するのもなんだからと止めておきました。
白狐も大神(おおがみ)に仕えて、霊界修業を積んで神上がりして行く存在なのです。

私の最初の師匠の著本は伏見稲荷大社の参集殿や伏見稲荷山の茶店の一部で売られていますが、その著本に自分は神様達は蛇や狐だと思っていますと書いています。神様達は蛇や狐?。別に驚くことではありません。その著本自体、豊受様がその師匠にお前が死ぬ前にと命じて書かさせたもので、豊受様自身が今の世に出ておられる神々は蛇や狐だとその師匠に書かさせたのです。
大本教の神諭に、世に出ておられる神々が四つ足であることを暴くぞとありますが、世に出ておられる神々は人型の姿だけでなく、狐や狸や犬や猫の四つ足であったり、羽根を持った鳥(西洋で天使等と称する霊)や爬虫類の蛇の姿であることは、私のブログに「狼がくれたまつげ」にも書いています。
すなわち、自分の「良」心神を毛物(獣)化にすれば「狼」であり、その狼によって、優れた霊能者にはそうした姿で見えるのです。こうしたことが「身変える」の本来の働きなのです。

私の母親が夢で、私の最初に師匠に楽しい世界がありますからと誘われて、行った先では白狐達が楽しく遊んでいた。その師匠が私の母親に、貴女もこの世界に入りませんかと言うので、母は白狐の世界に入る気はさらさら無いと断って帰って来た。あの先生は白狐なのと私に聞きますので、私はそうだと答えておきました。
ある白狐は自分の前世を語りました。自分は生前武家の妻であった。だが武家の夫が死んで後を継げる子供は幼く家禄は没収。幼い何人かの子供を育てる為にお稲荷様に仕えて、無事に子供達を育てることが出来ました。その御礼として、今は霊界で白狐となって稲荷神に仕えていますと。こうしたことが転生なのです。
大本教霊界物語に出口王仁三郎聖師が霊界修業で、白狐達に今度は人間に成らないかの記述がありますが、その働きいかんでは人間界に出られる立場なのです。そしてその逆もあるのです。

少し外れますが、私が非常に勉強になったのは、自称救世主の青年に、貴方が救世主だと言ったのはどこの誰ですかと聞いたところ、「猫」人だと言います。猫人?。なるほど、霊的に見ると確かに猫人でした。だが、何故に猫人?の疑問が湧きました。が、あることで猫の意味はそういうことかと解ったのです。

ただ、そうした蛇霊や狐霊はこの世の蛇や狐のことではなくて、自然霊だとの説があります。私のブログに観音様に成りたいと言った大白蛇霊の話を載せましたが、この大白蛇霊は自らは自然霊だと言っています。それは白狐の中にも自分は自然霊だと言う白狐達もあります。だが、そうした蛇霊や白狐は自分達は人間より高いとか偉い思っています。残念ながら多くの霊能者の方は、そうした存在を神と思っておられるのです。
元は全て霊界と呼ぶ自然霊から、この世と呼ばれる現実界に写し出されただけのことなのです。で、この世は【写し世】と呼ばれるのです。

私自身も「牛」であった時も有れば、神代の時代には地球守護職の任たる「白龍」神として活動していた時代もあるのです。私の最初の師匠は私を見るなり、貴方は白龍神の御子だと言いましたが、そこまで見える霊能者の方は数少ないのです。
そうした転生は、
輪廻転生の長い魂の旅路の中では起きて来たことなのです。ただ、人は【神に似せられし者】と言うように、この世の人の姿の時に神位を保有することが可能となります。一度保有すれば、それで失われることはありません。大本教の出口王仁三郎聖師が【この世は天人の苗床】と言われたのもそのことなのです。ただ、この世はどこまでも苗床であって、この世に生きたからと言って天人には即成れないわけです。それはこの世での生き方しだいなのです。

私達は誰しもある不思議を知ります。神が正義であると仮定するならば、何故に悪神とか邪神が存在するのか?。

一度神位を保有すれば、魂は汚すことだけでは神位は剥奪されず魂の消滅はありません。例え魂を汚した悪神であろうと邪神であろうと、魂を潰したり腐らせていなければ消滅はないのです。そうした事柄を地に墜ちた天使とも言うのです。
何故ならば、如何なる悪神も邪神も悔い改めれば魂の浄化が出来るからです。だが、その魂を腐らせたり潰してしまえばそれで終わってしまうのです。

私自身は、現に生きている方の腐った魂や潰れた魂を見させて貰いました。その人達はこの世を去れば天国に行かれましたではなく、潰れている魂は破砕されるとは知りましたが、腐った魂がどうなるのかは私が出遭った霊能者の方達からは聞いてはおりませんでした。
仏教で腐った魂は「ダキニ天」に食べられるとします。このダキニ天とは日本では豊川稲荷とされています。で、そこから稲荷に関わると恐いと言う方達があります。稲荷を信仰すれば自分の魂が食べられてしまうです。
私自身は幼少時は豊川稲荷さんを指導神としていましたので、腐った魂を豊川稲荷様は食べられるのかと疑問に思い、豊受様並びに豊川様の御代をしていた師匠に尋ねましたところ、豊川稲荷とダキニ天では意味が違います。豊川稲荷として神道で信仰するのはよいのですが、仏教のダキニ天として信仰してはいけないと言います。
あまりにも不思議な内容なので意味を教えて下さいと言いましたところ、いずれ貴方もその意味が解る時が来るでしょうと教えてくれませんでした。

その師匠は自分の出身地に引き籠もられてからは疎遠となって、お出会いする機会もありませんでしたが、ある時、師匠の元に居られた豊受様が私の元に来られて、ある女性のことを言われるので、いい機会だからと思って、その豊受様にダキニ天とは何ですかと聞いたところ、すると、その豊受様がダキニ天とはこういうことじゃとある形相をされたのです。
その形相を見て、私は意味を理解しました。腐った魂を食べるの深い意味です。仏教は表面的にしか説いていなかったのです。大多数の人は単純な受け取り方をされます。私の師匠がダキニ天の意味を教えず、やがて貴方にも解る時が来ると言ったのも、当時の私ではまだ真の理解力に達していないと思ったからでしょう。
私もその件に関しては質問されても教えません。その意味を受け取れるだけの力量を持った者で無いと教えてもムダになります。もし、質問されたならば、腐った魂などどうでもいいじゃないかでチョンします。お釈迦様にしても、そんな腐った魂はどうでもよかったわけです。だから、救いの道を説かれなかった。

知識だけを得たいという頭でっかちではなく、そこに深い思考能力がないと神のスケールの大きさが解らないのです。大事なことは、自分の魂を腐らせない潰さないなのです。それは自己責任なのです。

そうしたことからも解る様に、全ての人に後生(来世)があるわけではないのです。人は死ねば終わりだ!。で、霊界に入らず消え去る方もあるのです。だがそれは、比較的犯度は軽い存在と考えられます。
人は死ねば終わりだからと言って、やりたい放題の悪事を犯すのであれば、仏教で説かれる無間地獄と呼ばれる恐ろしい世界が待っているかも知れません。
どうも無間地獄とは平面的に考えられているようですが、真っ暗闇で降りても降りても降り着かない霊的世界が存在しており、ただ墜ちるのみで底が果てる時が無い。這い上がれない世界のことではないかと思われますが、例え魂は腐ったり潰れていても、兇悪犯罪者であれば罰としてそちらに行かされるおそれもあるのです。

私は神を畏れて、悪事をせずに善でしか生きようとしない人は小心者かも知れませんが、汝、幸いなりし者と言います。神を畏れ敬い悪事をしない。それでは神も罰する手がないのです。

だが、神が心から欲する者とは、例えこの世で大悪をした者であっても大事をこなして功を為し、悔い改めし者なのです。小善で動かざる者では世は変えられず、例え大悪の者であっても世を動かす大事を任せることが出来る者なのです。
少善なる者は自分の小さな幸せだけを願い、国や人民をどうするか考えることもせず、ただ自分の価値基準だけで物事を言うわけです。例えば、織田信長は比叡山を焼き討ちにした。本願寺を攻めた。神仏に敵対した者であっても、肉親間ですら裏切りに裏切りで殺し合う戦乱の世を戦乱無き時代に導こうとしたわけです。

スピで神は愛で何をしても赦されると説く人が後を絶ちませんが、それならば腐った魂や潰れた魂も存在しないはずなのです。道理を見極めようとしないで、自分を聖人の如く見せる者はそれもまた「臭」い者となるのです。ですから、常に自分は「いと小さき者」と認識すべきなのです。

もし、貴方が後生(来世)を願うのであれば、お葬式の時にお坊さんが唱えるお経で極楽に行けるなどの信仰ではなくて、自己の中における神性とか仏性に目覚める。仮に困って一時の神仏頼みから信仰に入ったとしても、神仏は実在する存在として、自分はその神仏に対してどうあるべきなのか?。何が出来るのか?。そこに思考が入らなければならないのです。

それが、自分の目に神の存在は見えずとも、神の使徒として生きることとなるのです。

例え腐った魂でも、捻れ曲がった潰れた魂でも、魂の授け親たる「鬼が云う」の神ならば、その人達にみろく世と呼ばれる世界に入れる魂(鬼が云う)が付与出来るのです。そのみろく世に入れる玉が「水晶玉」と呼ばれるのです。永遠に腐らない潰れない玉です。

本来、創造神に「ウシトラ」金神などの名称はありません。
何故に「ウシトラ」の言葉を出されたのか?。よくよく考えることです。


神の仕組みの大きさが解らずに、己の僅かな知識を振り回すは愚かなり。


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