私は先だって、朦朧とした夢の中で北島三郎さんが歌う「薩摩の女」が聞こえて来て、薩摩の天文館に行き、その足で鎌倉の鶴岡八幡宮に飛び、折り返す形で阿波の国の一宮に参り、その阿波の国の一宮を全国の一宮参りの起点にするという不思議な夢に誘われて、自宅は大本教発祥の綾部ですので、急遽伊丹空港から鹿児島へ、羽田空港から鎌倉へ、羽田に戻り徳島空港へと3日間連続空の旅をして来ました。
私はこれまで御神霊から神示を受けるとかではなく、言葉の仕組み、言葉に秘められた謎解きをして来ましたので、これも言葉の仕組みの謎解きの一つの判字ものであろうと、その意味を知る為にも飛んだしだいです。
伊丹空港に向かうのに福知山線に乗りますと、車窓からは桜並木の花景色。桜の咲く時期に桜島に向かう「咲く良」かなと読んだりしていました。
私、今年は数えで70歳になる老体ですが、実は飛行機は20代の前半頃に三宅島から東京に帰るのにYS-11という国産初のターボプロップエンジンのプロペラ機に一度乗っただけの浦島太郎状態の者なのです。空の旅は四十数年ぶりです。
鹿児島のホテルで旅装を解いて、市電で天文館に行ってみましたが、そこには過去に天文館という建物が在ったと石碑があるだけで、そこに何が有るのかと言うと何も無いわけです。
ただ、天文館の名が示すのは「時(暦)と宇宙」ということになります。その天文館通りを少し歩くと、一つのビルがありました。それは宇宙科学館という名前だったと思いますが、この鹿児島が日本の宇宙に飛ぶロケット基地で有ることを語る無料の科学館でした。
宇宙科学館は既に閉館時間が過ぎており、翌日に行ったところ休館日で中は見れませんでしたが、天文館に行けという意味は、日本における宇宙に向かうロケット基地は鹿児島や種子島の薩摩藩であり、宇宙に飛び立つ時が来たの示しかと気づいたしだいです。
私の以前のブログに○に十字の薩摩印は地球と言う天文記号であり、世に宣伝された大立替後の「みろくの世」とは、宇宙を舞台にする神の維新でもあるわけです。だが、その時が予告ばかりで不明だったと言えます。
今回、私が急遽飛んだのには、少し前にある出来事があったのです。
この3月の末に、ある人気ブログを書いておられる尾張の女性がお仲間と私の元を訪ねて来られて、その方が私の自宅の神前で長く拝しておられたので、何を見られたのかと聞きましたところ、私の家の神前に金の置物の鶏が現れて、その方が5年前に尾張国一の宮の御祭神から受けられた霊的鍵をその金鶏の鍵穴に差し込んだところ、その金鶏がバラバラになり、時計の歯車に成ったと言われます。
私の家の神棚は三社形式の誂え物ですが、その方が見られたところ、向かって右は今は誰も居られず、左側にも見られない。ただ真ん中から無数の白狐達が出て来たと言われます。私の家の神棚は真ん中は「豊受様」となっています。稲荷大神首座神でもあります。その豊受様を祭るところから白狐達が金鶏を担ぎ出して来たそうです。豊受様は「カゴメ」紋になります。
それも言うならば、カゴメ(豊受様)が持っておられた金鶏ということになります。それが時計の歯車と化したとなると、カゴメの中の鶏が時が告げたとも解せるわけです。その尾張の女性と夜明け鶏はこの金鶏のことなのかと語ったしだいです。
その尾張の女性はその方に降りた神示に従って今後は行動されるとのことで、その前に私に出会う為に急遽訪れられたわけです。
しかし、それが尾張の一の宮の御神霊から渡された霊鍵を私の家の神前に出て来た金鶏の置物に鍵を挿すこであった等とは、私にしてもその尾張の女性にしても考えもお呼びつかない出来事でした。私は全国の一の宮を回るでお互いの神業をしましょうとお別れしたしだいです。
私が鹿児島に行くのは高校生の修学旅行の時と20代後半の頃に東京から友人と訪れた時であり、四十数年ぶりです。鹿児島と言えば桜島ですが、ホテルの窓から桜島が見えてまるで額縁絵でしたので、ホテルの窓からの一枚。
ホテルの窓から桜島を見る。
天文館と呼ばれる処にあるのは、単なる碑でしかありません。これ自体に意味はありません。
翌日、この天文館跡から天文館通りを少し歩きますと【照國神社】があります。照國神社の御祭神はと言いますと、薩摩藩11代藩主「島津斉彬公」を神として祭った神社です。歴史などで「島津斉彬公」の名前は多々知るところではあります。
しかし、明治維新と呼ばれるものを知る時、私達はどうしても「西郷隆盛」とか「大久保利通」を思いだしてしまいます。
だが、よくよく考えれば明治維新の旗印と成る「薩摩藩」を動かしたのは西郷隆盛でもなければ大久保利通でもないのです。藩主で有った島津斉彬に認められた下級武士の西郷隆盛は頭角を現したが斉彬公死去後失脚、後継の藩主から奄美大島や沖永良部島に島流しに出遭っています。藩を動かすには藩主が同意しなければ出来ないことであり、西郷隆盛は島津斉彬公の意志を受け継いで活動したと言えるわけです。もしも西郷隆盛が後継藩主から死罪を受けていれば、明治維新の活躍も出来なかったわけです。
照國神社は薩摩藩の紋所だらけと言えます。写真は照國神社。
その照國神社の正面口に不思議な献木がありまして、何かと思いましたら「鶴」をイメージした献木なのです。その名前を斉彬公から「斎鶴」としていました。
私達は日本の国旗は「日の丸(日章旗)」として知りますが、この日章旗を定めたのは「島津斉彬公」なのです。これは歴史で学ばれた方は御承知のことではあるでしょうが、「日の丸」の国旗は薩摩からとなります。
大本教から世の大立替が予告され、霊界物語にみろく大神の御紋章は「○に十字」の定めなりとありますが、それは薩摩にも型の示しがあったと言えます。この立替は「宇宙」が演じて来るからです。
薩摩と言えば「薩摩芋」。これを「九里(栗)より甘い十三里(芋)」と言いますが、十三の「ス」神。素戔嗚尊で動いて来るのです。私は少し前、私のブログに禊ぎの阿波を書かせて貰いましたが、その阿波の立て役は「素戔嗚尊」となっていました。
薩摩での旅を終えて羽田に飛び。鎌倉の鶴岡八幡宮に行くのに一人旅なので、泊まるところはビジネスホテルぐらいなどになりますので藤沢で宿をとりました。朝方、鎌倉に行くのに一度も行ったことがない江ノ島弁天さんを素通りするのも何かと思いお参りしたところ、白蛇ではなく白龍に乗った女神を拝謁しました。それが弁天さまかどうかは解りません。
ただ、実に珍しい服装で有り、よくスピで何かと描きたい女性達が描かれるアニメチックな弁天さんの服装とは異にしていました。その服装だけが印象として私に残ったしだいです。
以前、ある女性が御神霊から神業を命じられて、私も宗像に一緒に同行したことがあります。その女性が宗像に入る前に九州の宮地嶽神社で御神霊から御神刀を賜れた時、その時に出て来られた御神霊の服装があまりにも変わっていたと言い、その服装を私に説明してしてくれたのですが、それと同じ様な感じの衣装でした。
私自身は、以前に弁天さんの御使いである大白蛇霊に遭遇して、その吐く息の霊的臭さに閉口したことがありますが、白龍でよかったはと胸をなで下ろしたしだです。
鎌倉八幡宮に参拝したのですが、何の為に薩摩からなのかはさっぱり解りませんでした。薩摩の斎鶴と鎌倉の鶴岡八幡宮に共通する鍵は「鶴」だったのかも知れません。薩摩島津氏の祖とされる島津忠久が源頼朝から地頭に任じられたことが薩摩島津氏の起こりですが、島津忠久が頼朝の御落胤であったという説は今では偽書だと言われており、鶴岡八幡宮と薩摩の関係は掴めませんでした。
鎌倉に行けが江ノ島の弁天様が私に用があったのならば、最初から江ノ島と出たはずですのでそれは関係ない話かも知れません。そして羽田に戻って徳島に泊まらせていただきました。
下調べの段階で解ったのですが、単に徳島の一の宮とすれば、徳島市一の宮町西町に一の宮神社があります。ここも阿波国一の宮と名乗っていますし、町名が一の宮で紛らわしいのですが、祝詞本に書かれる阿波国板野郡「大麻比古神社」に向かいました。
徳島からロカール線で「板東」に行ったのですが、私が電車の時刻は正確に記していたのですが駅名を「板野」と書き間違えていたので、二つも先の板野駅に行ってしまいました。幸い降りた駅にタクシーが停まっていたので、タクシーで阿波国の一の宮「大麻比古神社」に行くことが出来ました。
神社そのものは清々しく良いのですが、何故ここから始めなのかと首を傾げていました。神社の裏側に行って、一本の木に書かれた説明書を見ていて、「巣立ち」かと感じたしだいです。
ス神が禊ぎの阿波岐原としての「ス立」です。そうなると俗に言われる鳴門神業の意味も違うのかも知れません。
阿波国一の宮「大麻比古神社」
神社の裏にある「すだち」の木。かなりパワーがあるようです。
すだちの説明書。すだちには意味があったようです。
なお、この阿波国の板東には四国八十八ヶ所巡りの一番札所。「霊山寺」も存在します。四国遍路旅の発願寺なので、ここはお参りの方が多いです。大麻比古神社から徒歩で10分ぐらいの一本道です。
弘法大師様がこの地を何故一番寺とされたのかはお寺の説明書に書かれていますので、仏的にも意味がある土地と思われます。
板東から徳島に帰り、そこから大阪に向かう高速バスで鳴門大橋を渡って帰宅いたしました。帰って来ても、未だ桜は散ってはおりませんでした。
今回の旅で、私の判字としての紐解きは、十三の「ス」である素戔嗚尊の活動開始ではないかと感じたしだいです。
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