【泉佐野市】衝撃。道端に「カオスな空間」出現。机、テレビ、スロット台...仕掛け人の意外な生い立ち
シャッターが閉ざされた店舗の前に、突如現れた異様な空間。
そこには、使い古された机と椅子、アナログテレビ、そして煌びやかなスロット台が...
え? どういうこと?!
ここ、道端やけど??
いやいや、おかしいでしょ。
テレビついてるし!(昭和世代でいう“砂嵐”ってやつです)
スーパーファミコンやん! え? やり放題?
ランドセルにソフトがぎっしり。
マンガも読めるし。
防犯カメラ?!
本日は、この「 世にも奇妙なパラレルワールド」の謎に迫ります。
ある「ボタン専門店」の存在が浮上
シャッターには、こんな貼り紙が。
田中ボタン店 ルールとおねがい
・使ったイスは、道路にはみ出ないように片付けてね!!
・店のおっさんに許可なく、中に入ったり、シャッターを開けたりしないでね!!
・つくえの上、キレイにしてくれたら うれしい!!
・雨の日、コミュニケーションノートを
ぬれないようにしてくれたらうれしい!!
・ご近所さんの迷惑にならない程度の音量、声量で楽しんでね!!
どうやら、ここは「田中ボタン店」というボタン専門店の店先のようです。
それにしても、一体なぜ、シャッターの前にこのようなモノが置かれているのでしょうか。
インスタグラムから仕掛け人に連絡をして、後日、この場所で直接お話をうかがうことに。
奇妙な仕掛け人に会ってみた
こちらが仕掛け人の塚谷 純(つかたに じゅん)さん、42歳。「ボタンやのおっさん(愛称)」として、若者を中心に地域の人々に親しまれています。
「田中ボタン店」は、塚谷さんのおばあさまが営んでいた創業100年を超える老舗のボタン専門店。塚谷さんが12歳の時におばあさまが亡くなり、その後は閉店状態が続いていました。
当初、塚谷さんは店を駐車場にしようと考えていましたが、想い出の詰まった店が荒れていく様子を悲しむ母親の姿に心を動かされ、2020年から片付けをはじめます。片付けを続けるうちに、だんだんと店に愛着が湧きはじめ、駐車場にすることを断念。現在は、認知症を患うお母様の介護をしながら、市内にある実家と店を行き来する日々を送っています。
やはり気になる「あのこと」をたずねてみました。
―いつ頃からシャッターの前をあのような状態に?
「片付けをはじめた5年前からです。みんなに楽しんでもらいたいと思って。今、地域に昔の駄菓子屋みたいに子どもも大人も集まれる場所が少ないでしょ。
というか、ほぼゼロに近いと思う」
―大人も遊びに来るのですか?
「夜は、酔っぱらった大人たちが遊びに来ますよ 笑」
「ほら」
―ホントだ! 大人たちが夢中になって遊んでいますね!
「こういう姿を見るのがうれしいんですよ。スーパーファミコンは、オールナイトでプレイできます。起動が早いのもポイント。すぐ遊べますよ」
―ほかには、どのような人が遊びに来るのですか?
「高校生が多いかなぁ。みんな、それぞれ何かを抱えていますね。片親の子たちが多いですよ」
コミュニケーションノートには、さまざまな想いが綴られていました。
「僕も似たような経験をしている」と話す塚谷さんは、ご自身の特異な生い立ちについて語ってくださいました。
不登校だった学生時代
不登校だった中学2年生の頃、塚谷さんはインターネットの世界にのめり込みます。
パソコンを教えてくれた亡き父親は、京都大学環境工学分野の博士課程を修了しており、認知症を患う母親は、英国総領事館にて商務官の職務を遂行し、その功績を称えられ、大英勲章を授与された偉大な人物。
父親はほとんど家には帰らず、寂しい日々を送っていたといいます。
「僕は、いつの頃からか成長が止まったまま」
寂しさを抱えながらも、寂しさを声に出せない子の話を聞いてあげる。なにも否定せず、ただ声を聴き続ける。
塚谷さんは、そんなことを5年間続けています。
親御さんや警察とも連携をとりながら
ふと、このような場所は、親御さんが心配するのでは?
と失礼ながらも質問してみました。
「店先と店内に、防犯カメラを数台設置して見守っています。実は、以前にシャッターの前に置いていたぬいぐるみが盗まれたことがあって、防犯カメラの映像を警察に提出したこともあります。最近では、親御さんとも連携をとって、安心してもらえるよう努めています」
SNSで連絡をもらえれば、気分次第でシャッターを開けることもあるそう。
高校生バンドが、店内でアコースティックライブを開催したことも。
夢をもつ若者が発信できる民泊施設を
「音楽が好きで、ギター、ピアノ、ドラム、バイオリン、といろいろ習い事をさせてもらったけど、すべて続かなかった。でも、10歳の頃、父親に教わったパソコンは楽しくて、4年間専門学校に通ってスキルを習得しました。自分で言うのもなんだけどパソコンの技術はかなり長けている方だと思う」
生まれも育ちも泉佐野市の塚谷さんは、地域の方から「純くん」と慕われ、ご近所の方からのパソコンの相談にも応じています。
「正直言って、親のお金でゆっくりさせてもらったことは事実。でも、そろそろ何かはじめないとダメだなぁと思って、ここを民泊施設にする準備を進めています」
1週間前に、個人事業主の登録を済ませ、地域活性化のための構想を練っていると話す塚谷さん。
「音楽をやっている子たちが、自分のバンドのCDを販売したり、服飾を学んでいる子たちが作品を販売したりする場も提供していきたい」と、夢をもつ若者を応援する姿勢をみせます。
奇妙な仕掛け人は、偉大なご両親をもつ心優しいボタンやのおっさん。
くすぶっていた時期を経て、確実に一歩を踏み出そうとしているわが街の異端児、塚谷 純さんでした。
泉佐野駅界隈にお越しの際は、ぜひ パラレルワールドにお立ち寄りを。