明治25年(西暦1892)年に発祥した大本教は、世の大立替(最後の審判)を打ち出しましたが、その当時の大本教神諭ではその立替で残る者は3分と書きました。この3分は通常1/3と理解されているようです。
しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は、ある方のブログに、「残る人類がたった3%などあってたまるか」と努力を続けられとありまして、出口王仁三郎聖師はこの3分を3%と思っておられたのかも知れません。この三分をどう読むかという点はまだ残されています。
通常1/3であれば、3割3分3厘です。割分厘で考えれば、三分は確かに3%になります。今、私と同様に国常立尊による立替を説いている方達の中では、救世の宇宙船(別地球)に移る人は全人類の2%に達するとか達していないとか、1億人は越えたが2億人に達していないなどの諸説が出ているようですが、
誰がその数をカウントしているのかがはっきりしていません。現状のままで審判を受ければそんなものかも知れません。
今回の仕組みは大本教神諭に、肝心要のことはどの神様も御存知無いとありますが、低次元の宇宙人とチャネリング程度で解る話ではないのです。何故ならば
三千世界の大立替と呼ばれるものは宇宙的規模、この宇宙開闢以来と予告されたもので、それを起こすのは宇宙の中枢に存する天帝神で宇宙人だから知る問題ではないのです。
日月神示に、この艮金神が人民に代わって天の大神様に日々お詫びをしているという内容が存在しているようで、私に送られた来たメールで一番上位と思われる艮金神国常立尊様より上位の創造神様があるのですかと質問を受けたことがありますが、存在されているのです。
しかし、人類がその神を知ることはないのです。宇宙の中枢に存在しておられます。
豊受の神様が、私に対して貴方はこの神(豊受姫)をもってしても見通せない霊界の壁の向こうから来る力にコントロールされていると言われましたが、神々にも見えない神界が存在しているのです。
大本教神典では幽の幽、幽の顕、顕の幽の神を説きましたが、幽の幽に存在する段階の神のことは、この世に出て居る神々にもよく解らないのです。
ただ、人類の歴史上でこの神を本当に知っていたのは、アメリカで出たインディアンの酋長唯一人であったとは伺っています。ポピ族の酋長かも知れません。
ただ、言えることは助かる人数は聖書に書かれる14万4千人程度の僅かな人数ではないということだけです。
大本教が開かれた当時、別地球で何億人でも収容出来るでも、何億人でも収容出来るとてつもない大きさの救世の宇宙船だでもどちらでもかまわないのですが、その事柄を世に出せなかったのは当時は時期早々だったからでしょう。まだロケットもない時代ですので、UFOなど言っても理解にはほど遠い時代だからです。
ただ、ノアの箱船は、本人に乗り移る気がなければ如何ともし難しなのです。
私が出した「米」教とは、朝鮮に残された予言に、【最後の審判前に、救世の為に「米」一字を説く教えが起きる。審判が始まると、その「米」一字の教えに従った者達の上には神の罰は降りない。だが「米」の教えに従わなかった者達の上には神の厳罰が降りるが、その厳罰の最中に「白十字」が現れて、その白十字によって救われる】とありました。
私が説いている「米」教とは、その「米」の教えに従う者達の上には神の厳罰が降りない為のものであり、五六七世の高次元界に進む為のものです。が「白十字」によって救われる方達も厳罰を受けても五六七世には行くことも可能なのです。
審判時に神の厳罰を受けている人がどのような形で「白十字」によって救われるのかは、私も知る話ではありません。基本的に「米」の教えに従う者には関係ない出来事だからです。と言って投げ出してしまうと、私もいささか無責任にもなります。いくら「米」の教えに従っていても、その時の光景は私も否が応でも見なければならないからです。
豊受の神から、貴方は立替(最後の審判)の嵐の中を通らないと行けませんと言われていますが、
子供の頃に私に臨んだ声からも、この世が終わる様を最後まで見届けよと言われていますので、私もその嵐の中を皆さんと一緒に最後まで通ります。
為に神罰を受けても白十字によって助かる人達が出て来ますので、何人助かるなど起きる前から掴むことなど出来ないのです。例え神罰を受けても、
主に対して一人一人が心からお詫びをするならば全員が助かるかも知れないからです。
私の推察は、大本教神諭「どうしても解ろうとしなければ、ラチをつける」の解らせる為に、思い知らせる厳罰であろうと推察するだけです。
では、何故に三分の数字が使われたのでしょうか?。
これを三分(さんぶ)と読むと、どうしても3割、3分、3厘しか思考が行かなくなるのです。さんわけ(三分)の意味合いなのです。
そこには、ある意味が読み取れます。「天下三分の政策」です。大本教神典の中でチョコチョコと「一厘」の話が出て来ます。その一厘とは、大本教神典に正神界1000に対して邪神界999で、一厘の違いで正神界の勝ちは元から定まっているとあります。確かに、一厘とは1/1000の話です。
一厘の秘密とは1/1000です
私自身気がついたというか、遙かなる昔の記憶として思いだしたのは、私は国常立尊様に仕えるところの神司(天使)の一員であった時があります。
その当時の地上神界の神司(天使)達は国常立尊様に忠誠を誓う勢力が約1/3、国常立尊様はあまりにも悪に対して厳しすぎると、鬼だと反旗を翻している神司(天使)達が約1/3、中間派が約1/3でした。
その中間派が反国常立尊派となって、国常立尊様に仕える神司(天使)達は1/3のみとなって、国常立尊様は地の主宰神の立場から追われることとなったのです。そうした仔細をを書いているのが大本教の霊界物語です。
その当時に国常立尊様に仕えていた神司(天使)達は主君を失って、私も含めて全員地に落ちてしまったのです。無論、今の人類が知る歴史以前の遙かなる昔の出来事です。
一部のスピの方達が国常立尊は悪神だと盛んに言っておられるのは、元々国常立尊を悪神として追い出した勢力は太古より存在しているからです。
そこにある論理は勝てば官軍。負ければ賊軍の定めです。
これは図解しますと【3分】意味が解りやすいのです。
これは実際の人類の人員の割合の意味ではなくて、私達の魂の中に存在する正神と邪神の割合をも意味するのです。
善悪二元論ではないのです。私達の心の中では常に良心神に属する善の力と反良心神の邪神・悪魔の囁きが拮抗しており、どちらもいえない力が1/3あり、中間の流れによって善で行く人もあれば邪悪に行く人もあるわけです。
この構図が天国・中有界・地獄の3分(さんわけ)となるのです。
聖書において「666」は悪魔・邪神の数字とされていましたが、大本教の出口王仁三郎聖師は「みろく」大神として、この「666」の数字を使われました。
その時、世間では非常に驚きの念を持たれたわけです。どうして聖書と相反する意味で「666」を使われたかです。
単に三つの六で三六(みろく)ではないのです。
また全てを合わせても「999」にしかなりません。これは全ての神(天使)が仮に反国常立尊となったとしても、主の一柱(1000)の力で勝てることが出来るなのです。
私が子供の頃に臨まれた声は不思議なことを告げられました。それは、全人類の中でそなたたった一人だけであったとしても、この神のことが解ればそれでよいと告げられたからです。それは主には1000の力であっても、全神々が集まっても999の力にしかならないのです。
【一厘】の違いで勝負は決するのです。
大本教出口なお開祖霊が、大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第と言われましたが、まさに料理人の腕次第なのです。
一厘の違いはとは、100-99=1ではありません。
1000-999=1の話です。
割・分・厘も解らないで、一厘を100-99等と言っている方は、数学の勉強を元からしましょう。
今回の私の任務は、国常立尊様が表舞台から退かれた後、主君を失って世に墜ちた国常立尊様に仕えていたかっての私の同志であった神司(天使)の仲間達や霊を元の地位に復帰させる為の役でもあるのです。
今の世は何をしてもいいのだとか、我れさえよければ他人のことなどどうでもよいというものの考え方が強いのは、主の神が表舞台から退かれてから起きて来た意味なのです。
で、天帝(みろく大神)降臨により、悪が良いと言っていた人達の上には神罰が降りることになるのです。その神罰を受けることによって、どれほどの方が改心に向かわれるのかは、実際に起きてみないと判断が出来ないのです。一人残らずみろく世を望むのか?。自分は絶対にみろく世には行かないと言う方も出て来る以上、予測は出来ないのです。
だが、今の現状のままで審判されてしまうと、助かるのは僅かでしょう。為には【宇宙大王】の降臨を待たないといけないのです。私は物心ついた頃から、この神を【宇宙総統】と思っておりましたが、【宇宙大王】でも同じです。
大本教神典ではこの存在を【天之峰火夫皇太御神】と記しています。
火の皇太御神なので、この神の審判は【火の審判】と呼ばれるのです。
貴方は、どちらの666を選びますか?
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