人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

一厘の秘密と九つ花に咲く一輪の言霊の経綸の違い

よく【一厘の秘密】とか「一厘の仕組み」と言うことが言われています。精神世界のブログを書いておられる方の記事の中には、〇〇先生が有料セミナーで「一厘の秘密」を聴衆に明らかにされる講演がありますなどの記事が見られますが、ハッー?。何を言っているのだろう?。となります。
一部に一厘は100-99だから、百-九十九で百から「一」を取ると百の字ではなくて「白」の字が秘密などと言う、バカげた話しでもないのです。

私は、大本教神諭「明治31年旧11月5日」。【九つ花は誠から咲せる花であるから、三千年の経綸を致した。誠の本であるから誠の人の世話でないと、このお世話は出来んぞよ】。
同じく大本教神諭「明治31年旧12月26日」。【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ】。とあります。
同じく大本教神諭「大正 7年旧正月12日」。【一輪の火水(言霊)の経綸(しくみ)がいたして在りて、綾部は三千年余りて昔からの神の経綸の致してある結構なところ】。とあります。

私が「誠(言で成る)」を持って【誠で咲いている九つ花の一輪の火水(言霊)の経綸】を紐解いて、皆様にご説明して来た内容は朝鮮に残された予言、最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうで無い者達の上には天罰が降りるということに関してなのです。為に「米」の型を説明をして来ましたが、残念ながら聞く耳を持つ人は皆無でした。
それ自体は私が三十数年前に豊受様から、貴方の言葉による教えは天帝の詔と同じ事であり、その言葉による教えに従えないと言われる神々は、如何なる神であって天帝により滅ばされるでしょう。と言われたことと同様です。

天人達が【最後の審判】は各自の「良心」神の判定だと言われていることと奇しくも同じことなのです。神は愛だから!。何をしても赦される。そうした内容は【最後の審判】時には一切通じないからです。だからこそ【最後の審判】なのです。

この「九つ花」は世に出ている神々をもってして、誠では紐解けなかったものです。ただ、私より前に「九つ花」の仕組みで「ラ」神論までは世に出された方はあります。しかし、それが人に内在する「良心」神にはならなかったのです。
これは一輪の言霊の経綸で、「ラ」の言霊が何を語っているかの言霊の経綸が解らないと意味を為さなかったからです。そこに【十三に消えた良】があったからです。それを間違えると「ヒフミで41番目にあるスのス神論」で終わってしまうのです。多くの神々が「ス」の神論から一歩も抜けられなかったのもそこにあります。と言うことは、それらの神々は本当の「国常立尊」を御存知ではなかったのかも知れないのです。

しかしながら、私が紐解いたのはどこまでも「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」であって、世に言われているところの「一厘の秘密」のことではないのです。
私が見るところ、多くの方は岡本天明氏の【日月神示】に踊らされしまわれたようです。元々、この一厘の秘密とか一厘の仕組みは大本教霊界物語の中にありまして、日月神示に書いてある一厘の仕組みとはでは内容が違うのです。

霊界から降ろされる神示とか霊示は受け取る方の神格とか霊格で見なければならない面があります。岡本天明氏は大本教機関誌の編集長として大本教に雇われた方であり、霊界での地位が大本教の出口王仁三郎聖師を越えるとか同格の方ではありません。そうした霊格の方に大本教神諭以上の中味を持った内容の神示は降りないのです。そうしたことは霊界を見聞して来ると解ります。天明氏御本人が大本教の内容と整合性が取れていないことに気づかれなかったようです。日月神示は艮金神風の言い方は似せてはありますが、大本教に降りたものとは違うのです。

一厘の秘密とか一厘の仕組みは、大本教霊界物語第一巻。霊主体従 子の巻。その第三五章に「一輪の秘密」として書かれています。若狭湾の舞鶴沖にあります「冠島(別名龍宮島)と沓島(別名鬼門島)」の両島に三つの神宝を秘め置かれた。
【いづれも世界の終末に際し、世界改造のため大神の御使用になる珍の御宝である。しかして之を使用さるる御神業がすなわち一輪の秘密である】。日月神示に書かれている内容とは、まったく違うことが解るでしょう。
次の第三六章に「一輪の仕組」が出て来ます。【その三個の珠の体のみ両島(冠島・沓島)に納めおき、肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、何神にも知らしめずして隠し置かれた。これは大神の深甚なる水も洩らさぬ御経綸であって、一厘の仕組とあるのはこのことを指したまへる神示である】。とあります。これもまた、日月神示とかけ離れた内容であると解るでしょう。
つまり大神(国常立尊)がシナイ山に何神にも解らない様に隠されたものなのど、誰をもってしても解らないのです。ただ、大神のみが知るなのです。

一厘の秘密、ドンデン返しとは、この隠し秘められた神宝を使うことなのです。九分九厘までは邪神達に走らせて、神宝でひっくり返すことが出来ることなのです。
では、一輪の言霊の経綸は何の目的を秘めているのかです。その言霊を知ったからと言って、それで世の中がドンデン返しになるなどはありません。それは最後の審判において「基準」と成るのが各自の魂の良心神の存在であるので、九つ花そのものは「龍宮の音秘め」のことなのです。

私が子供の頃に臨んだ声は、私のどなたですかとの問いに、私は「旧約聖書」の神であると答えられました。その事自体は、私には本当に旧約聖書の神であられたのか、はたまたニセ神であったのかは解りません。
だが、その神は言われたのです。私の仕組みは「肝心要のことは人民や神々にも解らないようにしてある。その内容を知るのはこの私だけである。そなたにも教えることはない」。と告げられたのです。ただ、そなた一人にはこの私の仕組みを見せて行くです。それによって、暗号化されたような意味不明の映像から「九つ花」を紐解いただけの話です。
そして次の様に言われたのです。神の舞台に立って演じる役者にもその筋書は教えない。神の舞台の役者はその筋書きを知らずして、神の舞台を演じるべし。
例えその筋書を知らなくても、神によって知らず知らずに演じさせられているのです。ですから、私も肝心要の仕組みなどは解りません。

この神が主の神であったと仮定して、大本教神諭同様に「諸神や守護神や人民の知ることでは無い」。なのです。豊受の神ですら、その立て替えの筋書は解らないと私に告げられたほどなのです。ただ、豊受の神はある程度は御存知でもかなり口が堅いのかも知れません。
為に誰が本当の神の舞台の役者を演じているのか?。はたまた、ニセ神による役者を演じているのか解らないところがあるのです。それはニセ神であろうと邪神であろうと「九分九厘」までは明らかにされており、演じることが出来るからです。要は騙していないとか騙されているではなくて、「九分九厘」まで理解すれば、後の一厘は主が知るのみなのです。

これは大本教神諭(明治25年旧正月)、【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】。がありますが、神々も私達人民も仕組みに関してはよく解らないのです。それがどうして解ると言って有料セミナーが出来るのでしょうか?。
守護霊さんと呼ばれる段階では、霊界での地位がかなり低く、本当のことは解っていないということ理解する必要があるのです。


一厘の秘密を知るのは主神のみで

守護神とか諸神の知ることにあらず


ある時、無数のヤクザ的な霊と言えばよいのか邪神達が私の家に押しかけて来て、「お前は神宝を持っているだろう。それを俺達に差し出せ!」と威嚇して来ました。神宝?。と言われた私は目をパチクリです。何の意味なのかさっぱり解らなかったからです。だが、彼等が言うのは十二の神宝の内、十個までは我々が持っている。残るのは後2個であり、それさえ手に入れば悪神達の天下に成ると言っていましたが、これは別の宝の話のようでした。
私は自分は男だから金の玉ならば二つありますが、それ以外には玉などありませんよと答えると、ふざけるなと言っていましたが、こいつは本当に何も知っていない。神宝は持っていないようだと引き上げて行きました。

その後、私の住む近くの土地に大本教出口王仁三郎聖師がみろく神業に使われる神宝が埋まっている場所と弟子達に遺言された場所があり、その直弟子達がその土地を掘り返したが何も出て来なかった土地があることを知りました。
私の最初の師匠によれば、そこにあるのは【如意宝珠】で人の目には見えない精霊玉であり、その時期が来れば自然に地上界に上がって来るでしょうとは言っておりましたが、目には見えない精霊玉ではどうなるのかはよくは解りません。私の元に来た悪神達は、それを私が持っているとでも思ったのかも知れません。
大本教神諭に綾部に仕組んであるという話は、この【如意宝珠】の玉らしきものの話なのかも解りません。

大本教出口王仁三郎聖師があることを述べられたと大本教宣伝宣伝使が語っていたことがあります。それは独国(ドイツ)に埋められた如意宝珠の空玉。その精は日本から発動するです。すると、その精霊は日本にあるとなります。
この「如意宝珠」に関しましては、仏教ではよく語られる菩薩や観音様が持たれておりますが、霊界物語を見ますと第22巻第一章「玉騒疑」に、「大洪水以前はエルサレムを中心として神業を開始給ひしが」と続きまして「顕国玉の精より現れ出でたる如意宝珠をはじめ、黄金の玉、紫の玉は神界における三種の神宝として、最も貴重なる物とせられているとあります。
そして、この三つ玉(如意宝珠・黄金の玉・紫の玉)を称して【瑞の御霊(瑞霊)】と言うあります。
すると瑞霊の意味がガラリと変わります。大本教の出口王仁三郎聖師は自分が「瑞霊」だと称しておられましたが、本当は上記の玉のことにもなります。ですから、現実にはこの三個の玉を保有しておられなかったので「ニセ」型とはなるのです。

その三個の神宝の中の顕国の玉とは、一般的には【大国主(大物主)命】のことだとされていますが、大本教霊界物語の第1巻第38章に、【この御玉(顕国玉)は、ある尊貴なる神の御精霊体である】とありまして、明らかに別物です。
さらに霊界物語第22巻には、三千世界一度に開く梅の花の春を待ちて三個の神宝を世に現すべしとありければ、言依別命(ことよりわけのみこと)はひそかに神命を報じて、自転倒島(日本)のある地点に深く隠したまひしとあります。まだ隠されていると言うことです。

すなわち、三千世界一度に開く梅の花には、この玉が要ることになります。

三千世界一度に開く梅の花と三個の神宝(如意宝珠・黄金の玉・紫の玉)は連動しているのでしょう。そしてこの三個の神宝を持つ存在が本当の「瑞霊」となるようです。

豊受の神が綾部に戻られたという話は、この玉と関連してなのかも知れません。


大本教神諭以後、雨後の竹の子のように色んな神示が出て来ましたが、おそらくどれも「玉」の話は出ていないでしょう。

かなり話が煮詰まって来ているようです。

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