人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

何故に魂は輪廻転生して来たのか!。魂の更生の為に甦(更生)り

精神世界のランキング等を拝見していますと、ほとんど書かれていることは「愛」一辺倒のようなところがあります。別に愛の教えがいけないと言うのではなくて、愛と言う言葉を言うだけで「真理」に向かわないことが問題なのです。


私達の魂は「輪廻転生」の中に組み込まれています。自分では仏教を深く学んだと言う方が「輪廻転生」などは存在しない。仏典にはそんなことは書かれていないと主張されます。元々仏教は輪廻からの解脱を説いているのであって、法華経をよくお読みになれば、お釈迦様は弟子に対して○○は未来に何々になるだろうと生まれ変わることを説いておられます。

お釈迦様の元弟子に提婆達多(だいばだった)という悪人がおり、お釈迦様を殺そうとしたりしました。しかし、お釈迦様は提婆達多は自分の過去世においては自分の師匠だったこともあったと述べておられます。

そうしたことが仏典に書かれていても、輪廻転生があると仏典には書いてないと言い張って、自己主張続ける方があります。仏典に輪廻転生の仕組みが詳細に解説されていないから、無いのではないのです。仏典も読み解けば輪廻転生を説いていると解ることです。

否定論者は、最後には仏典は方便であるからそれらの内容は嘘であって、真実ではない。人は死ねば終わりだ。霊界などは存在していない。そうお坊さん達が言っていると言われます。
その方は日蓮正宗の某寺院を信仰する方で、日蓮正宗のお坊さんからは日々そうした教えを受けていると言われます。確かに法華経は方便品と示されています。方便を持って説くです。

しかし、方便とは本来は無い存在を「在る」と嘘を言うことではないのです。その存在を理解出来ない人達の為に、導く為の手段を指すのであって、その目的の為ならば時には嘘も許されるの意味です。ですから法華経のお釈迦様の教えは嘘だと決めつけにはならないのです。嘘だと決めつけるのであれば、何故に貴方はその法華経の教えを信仰しているのですかとなります。


こうした方の魂は、まず捻れています。魂(意識の考え方)が柔軟であれば、仮に魂を汚れで「毛物(獣)化」させていても、浄化すれば済む事柄です。だか、魂が捻れた方は考え方がそのものが剛直であり、柔軟性が存在しません。魂とは丸い「玉思惟」なのですが、なんでこんなに魂が捻れているのかと首を傾げることになります。

そうした玉思惟は、今生を終えると粉々に粉砕されてしまいます。それこそ死ねば終わりなのですが、完全なる死ねば終わりではないのです。一寸の虫にも五分の玉思惟などと言いまして、そうした玉思惟の粉片が入る肉体の容器は微たる小さなもので、小さな虫の魂などになってしまうと霊学では言われています。
蚊などの様な小さな虫の玉思惟として出発です。 そうした小さな虫の玉思惟から、また元の人間の様な玉思惟の大きさに戻るにはこの世の時間にして一億年ぐらいかかるという説もあります。

そうした魂が粉砕される話を霊能者の方からは聞きますが、ブログなどではスピと称する方達が何をしても神の愛で救われるのですと説かれると、果て(?)、どういうことなのだろうと考えてしまいます。蚊などの虫の命に転生することが神の愛なのか?、です。
まあー、蚊などの魂になってから、自分は過去世で人間だった等とは記憶のスミにも無いでしょうが。いくら万物は同体だと言っても、人間として顕現することと昆虫等となって顕現することは、同列に論議する事柄ではないのです。

魂の世界で人として出して貰うには、大変な苦労。過去世で汗水を流して来ているのです。

それを今生を持って水泡に帰していいのですか!

私は捻れた魂の者が死後の世界でどうなったかの見聞は終えていませんが、腐った魂の持ち主が観音様信仰をされていたことで、数年後には元の魂に復活して、本当の霊界にと旅立たれるを見聞させて貰いました。


キリスト教では「最後の審判」の後、イエス一人が神の子だと信じる者達は死後から「蘇る」と説かれます。蘇生の方です。で、キリスト教の異名として「耶蘇(ヤソ)」教と言いますが、耶蘇の「耶」とは邪の俗字です。邪であるが故に蘇るなのです。

言い換えますと、もしも私達の魂に「邪」が何一つ存在しなければ、蘇り(輪廻転生)はしないということなのです。
輪廻転生そのものが必要無いのです。


本来、この「蘇る(よみがえる)」は黄泉の国から【黄泉(よみ)帰る】の意味です。黄泉とは、死者の魂が行くとされる地下の世界、冥土のことです。日本でも昔は死ねば草場の陰から見守る等と言い、死ねば天国等の説は存在しませんでした。

大本教の出口王仁三郎聖師は自分のことを「甦るの更正主」とされています。この甦りは、魂を更生させるの意味なのです。巷には自分が出口王仁三郎聖師の生まれ変わりだと称しておられる方が多々あるようですが、大本教で説かれた内容は「更正」しなければ解らないことがあるのです。単なる文章の間違いの「校正」ではないのです。
私は出口王仁三郎聖師さんが説かれた教えを基本として、「ス」神論などの解釈の間違いを「更生」させて、出口王仁三郎と呼ばれた巨星の教えを甦らせているわけです。


私個人は如何なる奇跡も見せませんし、ヒーラーと称して病気治しもしません。長い霊的世界の体験でチャネリングの危険性は知っていますので、チャネリングもいたしません。ただ、言葉の仕組みを解説するのみです。それは私が「誠」を基本とするからです。


この甦るの「更生」は、同じ復活でも蘇生とは意味を異にします。

更生は、反省・信仰などによって心持ちが根本的に変化すること。
過去を清算して、生活態度を改めることです。

反省がなければ、更生(後世)にはつながらないのです。
これまでの七(質)の世(81×7)における輪廻転生は間もなく終了しますので、新しい永遠(∞)の「後世」にと進むのです。

更生することが【後世】にと「甦る」



下記の図は、以前にこのブログに出した図ですが、再度、掲載します。図は極端な図にしてありますが、魂に欠点があると魂は中味的に丸くならないのです。魂の欠点を更生する為に、生まれて来なければならないのです。
神は愛だから何をしても赦されるのだ!。それでは自分の欠点の更生にはつながらないのです。前世では敵対同士であった存在が、今生では兄弟姉妹として同じ家に生まれ出るがあります。それらは前世における欠点を更生する為に同じ釜の飯を食べるなのです。

この世は縁によって「因」が生じているのです。

今生において何等かの問題が発生しているとすれば、それは前世からのつながりがあるからなのです。業と呼ばれるカルマもそのうちです。




魂の更生は後世の「公正(松の世)」に甦る

スピで説かれている天使とか宇宙人などは霊人のことであり、それらの霊が創造神を知るのではないのです。霊人には邪悪の者達も存在しているのです。

誰がコトバでこんな仕組みをしたのだろうか?
そこらの天使とか宇宙人と称する存在ではありませんね

ささいな霊的摩訶不思議とか少しばかりの霊感に囚われてしまいますと、魂の本質を見失って魔界に引き込まれるとも限りません。一度や二度、霊感者の言うことに助けられた。言うことがたまたま当たったと言って、その霊感者が言う言葉で道を踏み外してはならないのです。

闇の者達は光を知らないなどのスピの言葉は無知そのものであり、邪神もまた光を見せて来る存在なのです。
何時までも闇と光の二元論などを言っているようでは、そのお里が知れます。

ただ、邪神達には言葉の仕組みを創るだけの力は無いのです

あなたは創造神にと向かうのですか!
それとも奇跡を追い求めて道を踏み外すのか!



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