実に変な夢を見ていました。それは、豚小屋の救世主で、その主は女性でした。
馬小屋の救世主と言いますと「イエス」のことですが、イエスが「救世主」であったかと言うと、それは「イエス」でなくて「ノー」と言わなければなりません。何故ならば、その当時はインドも中国も古代文明が栄えていましたが、別に特別の天変地異的な物が起きたというような報告がなされていません。
マホメット(ムハマンド)がイエスをアブラハムと同様の偉大な預言者として尊敬しなさいとしていますが、イエスは預言者であったと見るのが妥当でしょう。ですからイエスが私達に忠告してくれたことは、素直に聞く耳を持つべきなのです。主は何時花嫁の元に来るか解らないということです。油断をしていれば、主の訪れが解らないのです。
では、何故に「救世主」と呼ばれる存在が語られるのでしょうか?。異端ではありましたが滝の行者として名高かった金井南龍師は、救世主とは「スメラミコト」のことであると述べておられます。漢字では皇(スメラ)尊(ミコト)となりますので、「皇尊」となります。
一般的にはスメラミコトは「古代の日本の天皇」を指すとも言われています。為か、一部の人達ですが今生天皇(平成天皇)が救世主であられるとか、現皇太子である徳仁(なるひと)さんが救世主だと唱えておられる方達もあるようです。また「愛子」さんだと言っておられる方達もあるようです。
一部の方達は、既にスメラミコトたる存在は降臨していると言われます。では、どうしてその存在が人々に解らないのかとなりますと、本人が自分はスメラミコトで有ると自覚していないのか、自覚はしていても名乗らないのだという両説があります。本人が自覚していないと言われる方が多いようです。
金井南龍師は本人が名乗らないので、自分からその人物を見つけに行かないといけないと弟子達に言われています。ただ、金井南龍師はスメラミコトは男性だが、それと母なる神の徴と言うべき女子とのコンビと言われています。私の最初の師匠も世に救世主と呼ばれる存在は「複数形」で、一人では無いと言っておりました。
別に救世主等と言う存在に頼らないで、自力で「神位」を得るであれば、そんな存在に触れる必要もありません。しかし、それはどのくらいの数の人でしょうかとなると、残念ながら僅かでしょう。
しかし、救世主を探せと言われても何を基準に見ればいのかがはっきりしません。世に自分が創造神だとか救世主だと言っておられる方は、ゴロゴロおられます。私の二番目の師匠も、自分が次期天主であると名乗っておられましたが、そこへ自分が本物だと名乗る霊能者や行者さんが多数押しかけて来られました。
よくもまあー、こんなに自分は凄い者だと言いたい人がいるものだと感心しましたが、ニセの国常立尊さんなど、いくらでも存在しておられるわけですので、何が本当で何が嘘なのかよく解らない世界とは言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は一時期自分は「救世主」だと名乗っておられました。途中で救世主と名乗らずに「聖師」の名称にに変えられたのですが、一時期でも何故にそのように思われたのかとなりますと、ある存在が出て来ます。
それは大本教霊界物語に「玉照彦」の名が出て来ます。出口王仁三郎聖師は自分がその「玉照彦」だと名乗っておられます。この「玉照彦」とは、霊界物語では主神の末っ子のことです。神の世界では長兄相続ではなくて、末子相続と言われています。
旧約聖書には最後の審判時に主の御子を使わすとありますが、出口王仁三郎聖師が演じられた型を見ますと、それは主の末子である「玉照彦」を送ることになります。この玉照彦とはイエスのことではないのです。
大本教霊界物語の「如意宝珠」の中に【妾は言照姫の命、様子あつて本名は今しばらく名乗りませぬ、奥に寝ませらるる玉照彦様は遠き未来においてミロク神政成就の神業に参加遊ばす尊き伊都能売之御霊、其方は大切に奉侍し、世継王山の麓に在す国武彦の命にお届けあれ、しからば其方は云ふに及ばず高姫、黒姫一派の、今迄瑞の御霊の大神に射向かひまつりし重大の罪を赦され、神界の御用に参加し、偉勲を建つる事を得む】。とあります。
金井南龍師は大本教は予告編で、やがて本番が出て来ると述べておられますが、出口王仁三郎聖師は偉大な預言者として、本番の登場役者を示唆されているわけです。
しかしながら、ミロク神政に活動されるのは別に玉照彦(伊都能売之御霊)だけではないはずです。大本教出口王仁三郎聖師は、信天翁の中で【みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本は駄目だらう 前途を見こして尻からげ 一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと 目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の 一人の目明きが気をつける なぞと慢神してござる 王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり】と残しておられます。
これが世に自分は「美濃か尾張」の国の出身だから、自分のことだと名乗りを上げる方を輩出させたわけです。これは、大本教神諭予告「九つ花」に咲く一輪の言霊の経綸を紐解かせますが、創造神とは人間の浅はかな知識で神が解っていると言える様な存在ではありません。これは美濃か尾張ではなくて「身の終わり」の時に出て来る救世の女神たる存在も指すのです。
私はこの女子の存在が「宝の塚」の意味であるとは以前に掴んでいましたが、夢で馬小屋の救世主ではなくて「豚小屋の救世主」であると知って驚きました。別に豚小屋で生まれたではないのです。
ユダヤ教やイスラム教と言うよりも旧約聖書では、牛や羊のようなヒヅメが分かれている反芻(はんすう)動物意外は食べてはいけないとなっていますので、「豚肉」は食べてはいけないものとなっています。で、「豚」を見ていても意味がよく解りません。創造神ともあろう存在が、そんな事を言うはずがないのです。何かの暗号なのです。牛や羊の意味は「宇志や善」の意味ですから、当然に「豚」もそうした言葉の意味を探る必要が出て来ます。
豚とは「猪」のことです。獣(犭)の者。
世の大立替(最後の審判)においては、人の顔をしていてもその魂は獣(毛物)の者は未来が開かれません。当然に自分の魂を磨いていないので、自力で神位の取得も出来ていないことになります。どうしても他力にすがらないと行けなくなります。
私が出しました九つ花」に咲く一輪の言霊の経綸で知ることは出来る良心神は、自力の道であり他力の道ではありません。ですから、自力の道を行こうとしない人には私の教えは無意味な教えです。聞く耳無しと言われてしまいます。
豚にある「豕」は、「家」にあり、「琢」磨にあり、そして「塚」にあるのです。それを単なる「豚」と思っていたから、これも気づかない一つでした。
ほとんどの人は「良心神」を言うと、厭な顔をされます。言葉でこれだけ仕組んであって、誰がここまで仕組めるのかすら考えようともされません。
出口王仁三郎聖師が長く待っておられた「みのか尾張」の国から出る女子、金井南龍師が「母なる神の徴」と告げられた女子によって、魂が獣と化した者(猪)にも救いの道が見えて来たのかも知れません。
単に私の夢見ですが、それで一つ「言葉」を知りました。何故に神は、牛だ羊だ虎だ鹿だ豚だ猫だ狐だ蛇だ鳥だとかを創られたかです。そうした動物が「言葉」の意味を教えて来るのです。

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