人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

地獄に堕ちろの捨てセリフ、地獄ってあるの?

 よく私達はどうしょうもない悪の人に「地獄に堕ちろと」捨てセリフを吐くことがあろうかと思います。自分は無いと言う方は、それはそれで結構なことです。

私の知人は人間的に大変素晴らしい人ですが、自分が犯罪者になってでも、機関銃があればそれで世に毒害を垂れ流している人達を撃ち殺したい。警察は甘い。裁判所の刑は軽すぎる。そうしたことを言われます。で、この方に愛が無いのかというと、とんでもない、私欲の愛ではなくて公の愛がとても強い方です。誰に対しても親切な方です。ただ、正義感をお持ちで、罪は償いをすべきものと考えておられるのです。
正義感が強いとそうした言葉も吐きたくなるのが今の世です。快楽を求めて魂を落としている人が増えて来ているのは明らかな話だからです。

一方、全てのスピ系の方ではありませんが、地獄など存在しない。霊界では好きなように出来るのですと説いておられる方がどんどん増えています。現実にはそうしたスピの人達が大衆受けをされるわけです。苦い薬は誰も求めない。

その根本には、神は愛だから何をしても赦してくださるがあります。何をしても神の愛で赦されるのですから、殺人、強盗、レイプ、放火。やりたい放題でいいわけです。そうしたことをする方はその被害を受ける人のことは考えず、自己の快楽にふけることが出来るわけです。そうした人にはそうした神の愛で何をしても赦されるは、まさにパラダイスの教えと言えます。
一部のスピの人達は、良心など捨てなさい。良心の呵責は重いから為にならないとまで説かれています。だから、スピの人達は愛は言っても良心は言われない。

大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語において、信徒を天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次者。見ているオニは気の毒でならないと述べておられます。

こうした内容は、神は愛だから何をしても赦してくださるし、地獄など無いと主張される一部のスピの人達からは、既存の宗教のデッチ上げだと聞こえて来ます。

すると、問題は地獄が存在するのか?、しないのかです。当然、そうしたスピの人達は地獄など無いと言われているのですから、無いと言っている物を証明することは出来ないとなります。
それは、地獄はあると言う側にしても同じです。私は一部の地獄を見聞しましたが、それは私の脳内妄想だと言われてしまえばそれで終わりです。

では、何を持って証明すればいいのか?。

証明は、言葉で正しく明らかにするなのです

獄の字は、「犭・言・犬」から成り立ちます

これは「犾(獣)」の字を「言葉」が割っているのです

私が「HP」を出した頃は、この第三・第四水準の漢字がPCに出ない機種が出回っていましたので、Jpgで文字を画像化していましたが、今は多くの機種でこの漢字が出るようなので第三第・四水準漢字で出しています。もし文字化けするようであれば、機種を変えて見てください。

この「獄」の意味を知るには、

人の顔をしていても、その魂は獣(毛物)

を知る必要があります。

私は「玉思惟(魂)」を説いています。私達が持っている魂とは、「光の玉」です。しかし、通常の人の目では見ることは出来ません。カメラだと時には写すことがありますが、巷で出回っているオーブ写真と似ているものもありますが、ほとんどのオーブ写真は魂を写しているのではないのです。
よく写真家から、スピの方達のオーブ写真と称するものは水滴とかチリ・ホコリの類を写していると批判されますが、そうした水滴とかチリ・ホコリの部類が
多々あります。他に魂では無くて残留信念と言われている類のものもあります。御本人はオーブだオーブだと写真を出されますが、その多くは魂の写真ではないのです。為に毛物が解らないのです。

私達の持っている魂は「光の玉」と呼ばれる様に、本来はその魂の表面は透き通って見えるようなものです。
ところが、その魂を汚して汚れが積もりに積もって来ると、魂の表面にカビのようなものが発生します。そのカビの様な物が積もり積もって来ると、魂の表面に毛物が出て来ます。そうした毛物によって魂が覆われた時、人の魂であってもその魂は「獣」の姿を取るのです。この状態が「獄」なのです。
蛇霊や狐霊や狸霊等で見えると言われるは「獄」による魂の「身変える」の症状なのです。
それは神の教えの「言葉」を無視しているからです。

本当の獣は本能による攻撃はしても、人間の様な悪は犯さない。

獣にも「愛」はあるが、獣の魂に良心神は授からない。

悔い改めることが出来るのは、人間であった魂のみ。


ですから、蛇霊も狐霊も狸霊も、魂の汚れを取りますと元の天人姿に戻って行くのです。ただそれは、一部のスピの人達が言われる「光」を送れば魂の汚れが取れるなどは、現実論としてはどうでしょうか?。チリ・ホコリの「祓い」と罪の償いの「払い」は違うからです。
それらの魂の毛物を焼く光とは、天の岩戸に隠されているとされる様な強烈な光でないと無理かと思われます。

この蛇霊とか狐霊とか狸霊と呼ばれる存在は、別に殺人とか強盗とか放火とかレイプ犯のような兇悪の存在ではないのです。どちらかと言うと、その前世において神の世界に仕えていた者達、仏陀と成る為に修業を積んでいた修業者達の様な霊なのです。ですから、神の世界の力を行使することも出来るのです。

「蛇」の字も「陀」の字にも「它」がある

誰も「它」を見ないから「舵」が解らず

殺人とか強盗とか放火とかレイプ犯の様な犯罪者は、霊界で審判されて地獄と呼ばれる様な世界に墜ちて行くのです。決して一部のスピの人達が言うように、神の愛で何をしても赦されるとか、何をしてもいいのですはないのです。ただ地獄での刑期を終えれば出獄出来るのです。

スピでは、魂を磨きましょうと言っている方と、反対に魂磨きは辛いから止めましょうと言っている方があります。確かに、魂磨きは辛いのです。
だが、魂を磨かなければその結果は魂を汚していれば魂の汚れが取れずに「地獄」界にと向かうのです。
また、今生で魂磨きを止めたとしても、その汚れはカルマとして次の世に移るのであって、決して死ねば終わりでカルマは解消はされないのです。

神が愛で何もかも許されるのであれば、「カルマ」など存在しません。カルマがあることは、愛で赦すはないのです。

霊界がどのような層になっているかに関しては、現代では天国が三層。中有界。地獄が三層。この説が一般的であり、一部のスピの人達が地獄など無いと公言されているのは、御本人が知らない。無知。単に自分の感だけで言って、学ぶことをしようとしていないからと言えます。

あまりにも霊感・直感だけを言っていると、高次元界には進ません。それは仏教でも「如来」を言うように、如来の知恵を得られないからです。
如来(真理の世界から衆生救済の為に迷界に来た人)さんが、この世は遊んでいればいいのですと発言されたなど聞いたことがありません。
お釈迦様やイエスが、神は愛だから何をしても赦されますと説いたでしょうか?。

真理を求めずして、如来界には向かえない

スピをされている方の人柄の善し悪しではなくて、その教えが魂磨きを捨てる教えであれば、「地獄」界に案内されるのです。
そのスピの方達にいくら霊力があっても、それらの多くは蛇霊から来るものであり、他には狐霊とか狸霊とか猫霊とかいろいろあるのです。
神は愛だから何をしても赦されるで、カルマすら無視しているそんな教えはおかしいぞと気付かずに魂磨きを放棄していると、この世を去ってから泣いても後の祭りなのです。

神の慈愛とは、地獄に居る者も刑期を終えれば、再度人間界に出してあげる「羅」の話なのです。
ですから「宇志採羅(ウシトラ)」として、

宇宙の意志は「羅」を採る以上

節分に鬼は外と羅卒(鬼)に炒り豆をぶつけても

輪廻転生の羅(ラ)の花は咲くのです


神は人々が節分の炒り豆で鬼は外をしても、別にそれで罰してはいません。
牛虎の牛頭に虎パンツの「鬼」は、全て最後の最後に種明かしの仕組みなのです。
魂は羅(輪廻転生)を卒業しなさいの鬼の羅卒です。


人々の魂の輪廻転生が終わる時、節分の炒り豆にも花が咲くのです。
だが、その前が大峠。各自の魂が上に下にと異動する。


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