私が子供の頃に臨んだ声は、【私は今の世の幕を降ろし、新しい世の幕を開ける。】と言われます。しかし、その時は何時でしょうとお聞きしても、【その時期は何時とは言えないが、そなたは間違いなくその時を体験する。そなたは今の世が終わり、新しい世となる証人にならないといけない。】と言われます。
私は霊世界の修行に入った時、豊受様の御代である師匠を通じて、この件に関して伺っていただいたところ、豊受様は【その時は何時とは定かには言えないが、世に立替と呼ばれるものは起きる。間違いなく言えることは、貴方はその立替の嵐の中を突き進んで行かなければならない者。立替をその目で見る】。
そこで、私はさらに伺いを立てました。【その立替から人類が助かる道は?】。するとその答えは【人類に助かる道などはない】と言われます。
私は子供の時に臨んだ声は、【新しい世に向かうに当たって、そなたは人類を新しい世に移しなさい】でした。だが、私に臨んだ声は、その方法を何一つ教えてくれませんでした。ただ、【そなたには、この私の仕組みを教える。その仕組みを人々に告げなさい。】だけなのです。その仕組みに【新しい世に移るヒント】があるということなのです。
だが、それは豊受様が言われる「人類に助かる道は無い」と言われる言葉とは異にします。豊受様は私がその嵐を乗り切るとは言われましたが、私が子供の時に聞かされたのは今の世は終わるが新しい世が来るであり、それとどう結びつくのか私には理解がもう一つ出来ませんでした。
私はいくら新しい世に生きると言われても、その新しい世に行く道が解らないでは人類は滅びてしまいます。豊受様によれば、私の背後神は「国常立尊」様ということであり、何人もの霊能者からもそれは指摘されました。それは世の立替の大本教で知られた神です。大本教神諭では助かる者は三分と言うことで、出口王仁三郎聖師はそんなことがあってたまるかで、人類を助けることに働かれたと同じように、あってたまるかです。そこで、私も豊受様に対して、【私は人類が助かる道を探します】と言ったのです。
すると、豊受様は【人類に助かる道があるのならば、私も知りたい】と言われます。
人類に助かる道はないのかと探しましたが、そんな道はどこにも見つかりません。師匠から【豊受様が、人類の助かる道は見つかりましたかと聞かれておられますが】と言われて、ますます落ち込んでいました。
私が住む家は、大本教の出口王仁三郎聖師さんが大正9年頃に某信徒さんに、神界の大事な土地なので教団に内密でその土地を死守してくださいと言われて、そこに家を建てられたがその子孫の代に私の母が古家として買った土地でした。私の師匠は、その土地は今の世に出ておられる神々ではなく、今の私達人類が知らない太古の神々が押し込められた土地で元の出雲屋敷地とも言われます。
また、幾人かの霊能者や神通力者やサイキッカーの方からも、今の世に出ておられる神々ではなく太古の神々が押し込められている秘密の神界ゲートが存在する場所との指摘も受けて来た土地です。しかし、その太古の神々とは如何なる神なのかは、未だに不明なのです。ただ、私はその霊達の浄霊をしているでした。
仮に押し込められている存在が太古の怨霊であったとしても、出口王仁三郎聖師がその土地を大本教で所有して、それらの霊を鎮める為に社などを建立してお祀りをなされなかったのかは不明です。
その私の家の台所の窓から、他の方が所有されている畑地を見ていましたところ、その土地に霊的に八角形の夢殿が建っているのです。夢殿?と見ていましたところ、その屋根の真ん中に豊受様が立っておられる。ますます?で、その夢殿を見ていましたところ、その中心点から天に向かって綱が伸びている。その夢殿の真ん中から綱で天に登ることが出来るなのです。
豊受様は人類に助かる道などは無いと言われましたが、逆に天に登る道はあるのですよと形で見せてくださったわけです。
私達の魂は高次元界に進む為に「輪廻転生」をして来ています。三次元物質界のこの世にしがみつくことが目的ではなく、更に霊界の高次元世界に生きることが目的なのです。
三次元物質界の論理に支配されて、この世に執着を続けるのでは「輪廻転生」を免れることなど出来ません。
その意味では多くのスピの方達が、新しい時代に向かって三次元から五次元に移行しようとしている言われるのは間違ってはいなのです。
ただ、何もしなくても自動的に五次元に行けるのであれば、誰も「警告」する必要がないのです。何故に警告する必要があるのか?。そこの問題なのです。
警告=言葉の敬いを告げる
考えてみてください。信仰する者達は神と呼ばれる存在を自分達よりも高次元の存在だと認識しています。私の最初の師匠は常々言っていました。この世でいくら辛くてもたかだか50年ほどの辛抱。この世の修業しだいでは神様ともなれます。どちらが得かなのか考える余地などありません。神様と成った方がいいのに決まっています。しかしその神に成るは、この世で遊んでいて成れる道ではないのです。
人で生きるより神と成って行く。その神と成る道を皆が進めば、今の世がどうなろうと、どうということもない問題なのです。それで私は人類滅亡などの悲観論から離れたわけです。
未来は明るいなのです。問題は神と成れる道です。その道の模索に入ったしだいです。
では、そこに夢殿を建てればいいのか?。そういうことではないのです。私はその夢殿の意味を図式化してみました。
これだけでは意味は掴めないと思います。そこに秘められている意味は「八角形」なのです。八角形の屋根を見ることなのです。六角形ではいけないのです。綱は天と繋がる霊子線です。
スピの方達は、何かと言えば「天使の羽根」だと言われます。それは【鳥違い(取り違い)】を起こしています。何故ならば、日本の神々でも仏教で説かれる如来・明王・菩薩さんでも、鳥の羽根など持っていないことからそれは解るでしょう。
鳥は【酉】でも、酉は尊(御言)で「言葉」のことだからです。
豊受様は、私にこうした映像を見せられたわけですが、では、豊受様の御代をしていている師匠に、こうしたことを告げられるかと言いますと、それはないのです。豊受様は私を「言葉の○」と呼ばれる者で、神々に言葉の教えをする者と告げられましたが、言葉を解読するかしないかは私自身の問題だからです。
次ぎに、豊受様が見せられた八角形の夢殿が出て来ましたところ、その中で「鯉」が泳いでいます。その途端、その鯉は「龍」と化して、その八角形の夢殿の真ん中から屋根を突き破って天にと走っていきました。
それ自体は中国の故事。【黄河を上る鯉は龍と化す】の
【登竜門】の話です。下位に居た者が行政の中心部に登用されて行く道です。
図式化しますと、下記の話です。なお、八角形の夢殿の写真は、ウィキペディアにある法隆寺の八角堂の写真をお借りしました。
この意味は、神が新しい世に登用する神人の地位を教えているのです。つまり、八角形の屋根の意味。これを理解した者は新しい世で登用するなのです。
西洋で説く「天使の羽根」ではなくて、八根(屋根)の上に立つ者達です。
西洋で天使と言われるような羽根を持った者が出て来たならば、その「羽根をもぎ取ってやろうかと」言うと、逃げて行きます。本当の天使の羽根とは、もぎ取ることも刀で切っても切ることが出来ないものなのです。
大本教で、【3月3日の桃の花。5月5日の桃の実】と宣伝しましたが、その意味は解らなかったと思います。「3月3日」は桃の節句ですが、一般的に考えれば
「五月五日」は
「粽」の節句です。「粽(ちまき)」ならば、話も解りますが「桃」では誰が考えても意味が解らないでしょう。
私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされている「磐古」大神に拝謁しましたが、その前段に「西王母」と呼ばれている女神に拝謁しました。私はその時、西王母さんに私の頭をなでなでして貰ったのですが、桃の実が頂けるのかと思っていましたところ、何も下さらなかった。何の為に私は神界に飛んだのだろうと首を捻っていました。
桃の実は、日本神話において、黄泉比良坂(よもつひらさか)の意味なのです。日本の神社の境内地の中には黄泉比良坂と呼ばれている場所が多々ありますが、別にそこに意味があるわけではありません。
桃は、天国に渡る魂に「誂える」の意味なのです。桃の字と誂えに「兆」の字が入ります。こうしたことが解らなければ、神の仕組みなど解る話ではありません。
私が子供の頃に臨んだ声は、日本神話の話はそのような事実があったのではなくて、この私が神の仕組みの為に作為したものであると告げられましたが、言葉に隠された教えなのです。
一般的に龍神と呼ばれているものは、聖書に霊界で年老いた蛇霊とあります。私の最初の師匠は龍神様とは、蛇霊が海山川で各千年(海山火などの説もある)、合計三千年の修業を積んだものと言っていましたが、一般的にはそう言われているわけです。ただ、大本教の出口王仁三郎聖師さんは龍神と呼ばれる物の90数%は蛇霊だが、そうでない龍神も存在すると言われています。
私が見せられたものは、蛇霊からの龍ではなくて、鯉から龍の道なのです。蛇霊から龍に進んだとしても、それは霊力の誇示であって、真の神人の道ではないのです。龍神も浄霊しなければいけないと言われるのもその為です。
私の最初の師匠は、肉体で龍神浄霊を行ってはいけない。そんなことをすれば、即座に救急車で病院送りになるか、一歩間違えれば死にますと言いましたが、単に蛇霊を浄霊するのとは意味が違います。
五月五日の鯉のぼりとは、龍と化して神と成る。
だが、それには【八根の真ん中に立つ】が重要なわけです。
それは「粽」の節句。それは宇宙を示す「米」の字が教えているわけです。
しかし、私達は「鯉」ではありません。それは「里」の道から進むことなのです。
では、里の道はどんな道なのでしょうか。それはこれまでこのブログでも説きに説いて来ました大本教神諭予告「九つ花」に示された道のことなのです。
この「九つ花」は私のHPやブログで幾度も幾度も説いて来たもので、大本教の演技を解読させるものです。「米」教と言います。
言葉の意味が解る人達は、新しい世の指導者にと進んで行かれるでしょう。
巷ではスピの方や霊能者の方々が、いろいろ説かれるでしょう。しかし、そのほとんどは自分がどれほど偉い者かと誇っておられる内容です。
これは、そうした誇る人ではなくて、神が【日本語】という言葉を持ってして長年に渡って仕組まれたことなのです。これが出来るのはスピや霊能者の方が言われている西洋風の名を告げる天使とか宇宙人などと言う存在ではないのです。
神は言で示し申す
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信仰は、人は言を仰ぎなさい
八根の「米」型から、真ん中の「41」で天に登るは神と成る登竜門で、
その魂は神の魂に「誂」えられる桃の実。
米で立つの「粒」は小さくても、「りゅう」ではあるのです。
稲荷の実れば実るほど頭を垂れる稲穂かなは
他を救いて世根(米)となれの米教と「瓜」二つ
狐の意味が解りましたでしょうか?
神の「米」の収穫時は近づいているでしょう
聖書では、小麦の刈り入れ時と残しました
誰がこんな仕組みを考えたのだろうか?
それは日本の国に常に立つ「御言」で「国常立尊」と呼び
大本教神芝居でウシトラと言わせて「牛虎」で「魂」の字を伝えた存在でしょう。
日本の言葉であれども、仕組みに仕組んだその仕組みは、あまにも大きなスケールであり、そのスケールの大きさが解らないようでは、この神を認識することは出来ないでしょう。
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