人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神は怒らない???、神の怒(女の又心)は天の岩戸開け

一部のスピ系方達は、神は何をしても怒られないと言われるようです。しかし、それは大きな誤りだろうと思われます。それは「怒」の漢字が物語っているからです。

私が子供の頃に臨んだ声は、日本神話の天の岩戸開けなどは、そうした事実があったのではない。この私が神の仕組みの為に創作させた話である。そなたは、天の岩戸の意味を解読しなさいと告げられました。その時、何も教えないで私に意味を紐解けとはどういうことだろうと思っていました。

私は豊受姫の神から、貴方は「言葉の○」と呼ばれる方で、言葉をもってして神々に教えを説く方ですと告げられました。私の最初の師匠は神界のイロハから豊受姫様から細かく教えて貰われていましたが、貴方には教えが出来る神などは居ないと言われて、誰も教えてくれませんでした。
それどころか、豊受姫の神は神々に対して私に直接に口を効いてはいけないとまで命令されたと師匠は言います。大国主命さんが私の前に姿をチョクチョク出されるのですが、私に対しては直接には一言も言われませんでした。出雲大社教の先生から私に対して出雲大社からの伝言がありますと告げられて、その内容に驚いたことがあります。
自分が神霊と直接に会話が出来たならば詳しい意味が解るのに、会話が出来ないで意味不明で終わってしまいます。そうしたことは、私に要らぬ知恵をつけさせない為であったのかも知れません。ただ、仕組んであるとしか解らないのです。
ある霊能者の先生からも、最初の師匠と同様に貴方に教えが出来る神は存在しない。貴方は宇宙の最高神と繋がっていている。為に貴方は自分で自分の道を切り開かないといけないのですと言われて、途方に暮れていた時期もありました。だが、「言霊」とは何かと知った時、私のこれまでの神観は完全に別物となりました。
もし、豊受姫が「言葉の○」と告げておられなかったならば、私は言葉の仕組みに気づかなかったかも知れません。

怒りの「怒」とは、女の又心と書きます。

日本神話において、天照太御神が素戔嗚尊の乱暴狼藉に天の岩戸に隠れられた為に太陽が隠れてしまったとなっています。
そこで、元祖ストリッパーと言われる「アマノウズメ」命が岩戸の前で女性の陰処を露わにして踊った。そしてその周囲でその踊りを見ていた八百万の神々は大笑いをした。そこで何事かと思った天照大御神が少し戸を開けたら、そこを手力男命が一気に岩戸を開けたことで太陽が出て来たです。
つまり、この天の岩戸開けに秘められた神話は「女の又心」を知ることなのです。最初から天照大御神が岩戸にお隠れになったなどの事実は存在しないのです。そうした神話に引っ掛かっていると、神の罠に嵌まってしまうのです。
罠とは、民(私達人間)の上には網(四)的なものが上から被せてあり、神の世界が解らない様になっているのです。このことを大本教神諭や日月神示は、艮が神々を誑かして使っているなのです。誑かすは言葉が狂っているで、真実の言葉は伝えてはないのです。それには、言葉の意味を正す必要があるのです。

天の岩戸を開く意味は、日月神示において、岩戸は「一八十」で示されました。い(一)は(八)と(十)です。また、グレンとひっくり返るとあるように、岩戸に秘められた意味は【百八十度】回転の意味なのです。
それ自体は、私が子供の頃に臨んだ声は「回り舞台ぞ。観客が観ている舞台の裏側に別の舞台が用意されていて、180度回転するとこれまで隠れていた【裏の舞台】に切り替わる。その裏の舞台は神々も人民も知ることではない。表の舞台で演じていた者が裏に回り。裏の舞台の者が表となって舞台は永遠に続く」と聞かされていたのですが、それが岩戸「一八十」開けを意味するとは当時は考えてもいなかったわけです。

多くの方が日月神示は読まれたでしょう。そこにイワト(一八十)と書かれていても、180度の概念を持たれた方はいなかったようです。ですから、グレン返しとあっても意味が解けなかったわけです。これなどは忍者屋敷の壁などを押すと180度回転して隠れてしまう。言葉での理解度の問題なのです。

日本神話の天の岩戸開けの部分に関しましては、これから起きる「予告」だという意見が多々あります。

多くのスピの方達は、光に向かおうと盛んに言われます。私自身驚いたのは、そうしたスピの方達が言う光とは、霊界の太陽すら見ていないで、一瞬の光に惑わされて光だ!。光だ!。と言っておられる方が多々あることです。
私は多くのスピの方達がてっきり「霊界の太陽」を見た上で、光だ!。光だ!。と言われているものだとばかり思っていました。
このブログの前の方で、光だと思ったら天狗さんの記事を書いていますが、自分ほど凄い神通力者は居ないと豪語する方でも間違えるのです。天の岩戸神話に秘められる隠された光を見たならば,何故に神が「光を隠した」の神話を創られているのかが解って来ます。
天の岩戸開けと呼ばれる「光」が出たならば、その「光」に魂そのものが殺される溶解されてしまう。そこまで覚悟が必要なのです。凄まじい光なのです。私達が見ているお天道さんの光の比ではないのです。

一部のスピの人達が光に向かって行って、その光に自分の魂が溶解されることが輪廻転生を離れて光と同一化することで「エクスタシー」だと言われることは、確かにその通りでしょう。
しかし、それは自分と言う「個」を滅失させることになります。何故、自分はそうした光から離れて「個」として存在するのか?。そこを考えるべき話でもあるのです。

また、それは創造神の「怒」りが起きなければその光は開け放たれはしないでしょう。

ある女性がスピの女性達から貴女は「天照」様の魂だと盛んに言われておられました。そのスピの人達から見ると天照大神に等しき「光の存在」の様に見えているようでした。だが、私はその女性にスピの人達が言う言葉に乗ってはいけないと忠告しました。
すると、ある優れた神通力者さんが、その女性に貴女は凄い光の方だと持ち上げに入られました。で、その神通力者さんが私のことをあれはたいした光の持ち主ではない。その女性に貴女より光が下の者(私)の言葉など聞く必要が無いと言われたので、その神通力者さんにそこまで言われるのであれば、私の背後に誰がおられるかはっきり見なさいと申し上げましたところ、想像を絶する光で光に殺されてしまうと震え上がられて、お詫び申しますと言ってこられました。
その神通力者さんが「光に殺される」と言われた様に、光だ!。光だ!。そんなことばかり言っていれば、天の岩戸開けと言われる「光」の世界に耐えられないのです。光の質が違うからです。
私が「良心神」を説いているのは自己の魂に良心神の光を持たないと、その事態に対処出来ないからです。

大本教神諭に天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいとあります。天の岩戸と呼ばれる光の世界を開けることは、自分の魂が溶解して消える覚悟があれば開けられるでしょう。しかし、閉める役は難しいのです。そこに近づくまでに、自分の魂が光に溶解されて辿り着けないが起きるからです。すると、人類の魂は総て光に溶解されて魂を持った人類が居なくなってしまいます。それは神が望まれる話ではないでしょう。
その閉める役は大本教の出口なお開祖も出口王仁三郎聖師にも出来ない役目であったので、予告だけされたて来たわけです。
それが出来る女性が出口王仁三郎聖師が言われるところの「みのおわり」の女子なのかも知れません。

いずれにしても、それに該当する女子が出なければ、天の岩戸を開ける役は男子でしょうが、それも発動しないと考えられます。

大本教神諭に「水晶魂」が出て来ます。一部のスピの方達の中には、自分はその「水晶魂」を既に保有していると言われる方達があります。たぶん、それを言われる方達は「国常立尊」様に繋がっている方達かと思われます。
何故ならば魂は「鬼が云う」であり、ウシトラ金神国常立尊とか閻魔大王とも言われる様に、天帝に属するものだからです。弥勒の世とはその「水晶魂」を授けられることで、これまでの様に魂が腐ったり潰れて永遠の命を失うが起きなくなるわけです。で、弥勒世は永遠とも言われるわけです。
私が見せていただいた水晶魂は、聖書派用もあれば日本神道派用も仏教派用もありまして、別に宗教宗派を問うてはいません。必要なことは、万物の創造神たる神の存在を信ずることなのです。総ての魂の総親神です。


私が子供の頃に臨んだ声は、「私は旧約聖書の神である」と名乗られました。その聖書には「性器の割礼」があります。私は裸の女性の陰処に男性の性器が立っている不思議な映像を見せられて、まさに??????となりました。一瞬、大本教神諭の「女子の根本を立て直す」の意味かともよぎりましたが、その時は深い意味が解けませんでした。
私は言霊に触れて、男子の性器が棒になった時などを隠語として【マラ(摩羅)】が立つと言いますが、その時の光景に女子の陰処に「摩羅」が立つていたわけです。そこに秘められた意味は「魂の心棒」です。すると、ユダヤ民族がしている性器の割礼は意味を間違えていると解って来ました。
また、日本神話の「アマノウズメ」命と結婚されたのは「猿田彦」命ですが、この猿田彦命の鼻は天狗鼻で、男性の「性器」を意味しているでしょう。ここから見ても、「アマノウズメ」命が意味すること女性の陰処で「女の又心」なのです。

私の言葉を紐解くは単に辞書を見て漢字の意味を考えているのではなくて、霊的な映像が現れて、その意味を探って行くのです。つまり、それが想像神か霊界は解りませんが、見せられたものに対する言葉の紐解きなのです。



今や、多くの女性が写真や映像に自分の「陰処」を見せて、早く天の岩戸が開きなさい。天の岩戸が開きなさいと踊っておられます。何をしても自由だという風潮が、私達の永遠性の性器である魂を汚しに汚しているのです。
性(性器)の乱れとは、生まれながらの心の器たる魂を乱すことなのです。
聖書に【自慰】をしては行けないとあります。この意味、間違えたでしょう。自分の魂に刹那心からの慰めをしては行けないということなのです。魂を意味している言葉なのです。
悔い改める働きの良心神(真柱)を自分で慰めるは、悔い改めないということなのです。

それでは創造神の「怒」が起きないはずはないのです。


精神世界

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。
この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。

» この記事へのトラックバックを見る

このブログの人気記事ランキング

JUGEMおすすめブログ

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< May 2025 >>