人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

綾部に帰りたいと言われた豊受姫 考察

私は昭和五十六年の正月に初めて伏見稲荷山に上がりました。その翌年の正月だったでしょうか、伏見稲荷大社・豊受姫が私に不思議な言葉を告げられたのです。「綾部は神の聖都であり、綾部に帰りたい。綾部に帰りたい」。
それを聞いた私は、大本教の出口王仁三郎聖師が【綾部に天の御三体の神様を迎える場所が出来たならば、綾部は神の聖都】と予告されていたので、聖都であるが解らないわけではありません。問題は天の御三体の神様を祭る場所です。
しかし、神様は別に鎖に縛られているわけでもないのですから、帰りたければ勝手に帰ればいいことなのに、おかしなことを言われると聞いていました。それに綾部の八幡宮には豊受姫と御劔大神を祭った稲荷社が存在します。綾部に帰りたいの意味がさっぱり解りませんでした。

ところが、私の叔父が不思議なことを言います。豊受様は本当は綾部から出られた神だ。何とか自分の目の黒いうちにその証拠を掴みたいです。その叔父も確たる証拠を掴むこともなく帰幽いたしました。

豊受姫伝説は丹後風土記に「昔、比治の山の山頂に真奈井(まない)という美しい池があり、8人の天女が水浴びをしていた。そこに通りかかった老夫婦が1人の天女の衣を隠してしまい、天に帰れなくしてしまった。そこでその天女は老夫婦の子となって酒造りなどをした。それで豊かになったところで、その老夫婦は天女を追い出した。その天女は泣き泣き奈具の村(弥栄町)に行き、奈具村を住処とした」。
ところが、比治山峠は存在するのですが比治山そのものが存在しません。比治山峠から考えて比治山は久次岳のことではないかと推察されるわけです。その久次岳の麓の里である久次村で豊受姫を祭ってあるのが現在は京丹後市峰山町の久次にあります比沼麻奈為神社で、最初の「元伊勢」神社だと言われています。しかし、この麻奈為(真名井)神社は伊勢神宮の様に天照大神を祭った神社ではなくて、豊受姫単独から始まるわけです。
もう一つに、同じ京丹後市にあります旧大宮町の磯子山に舞い降りた天女伝説もあり、久次岳の麓の久次村は豊受姫様であり、磯子山の方は同じ天女でも「乙女」様となっていますので少し違いはあります。大宮町説は丹後風土記に書かれた比治の山を磯子山のことだと見るわけです。
私自身、伏見稲荷講に所属して、豊受様は幾度となく拝顔はしていたのですが、その中で「乙姫」姿が存在しました。無論、豊受姫様は天女さんだと言われているのですから、乙姫の様に見えても不思議ではないのですが、どうも龍宮の乙姫さんが引っ掛かるのです。
数年前に伏見稲荷山の豊受姫の滝と言われる清明滝で写真を撮った時、その写真を見た一人の霊能者が、これはどういうことだ!。ここは太古は海の中で、龍宮につながっている。魚や蛸が居ると言うのです。太古の時代にはそうであったのかも知れません。

その久次岳と磯子山は非常に近く、峰山から比治山峠に向かう途中で左に折れると磯子山なのですが、その中間にある五箇村鱒留神社も豊受社となっていて、本家争いが生じています。しかし、久次岳も磯子山も同じ比治山系とするのは、かなりおかしな話ではあるのです。

写真は京丹後市峰山町久次にあります比沼麻奈為神社。最初の元伊勢などとも呼称されています。


その社殿。


この神社は一部の方に非常に強いパワースポットとして知られていますが、交通の便はよくありません。駐車場も数台しか止めれません。

私も叔父と同様に豊受姫伝説を追っていまして、おかしなことに気づきました。それは「豊国姫」様の存在です。豊国姫とは、大本教が世に広めたウトシラ金神国常立尊様の妻神とされる坤(ヒツジサル)金神のことです。しかし、豊国姫が祭られている神社となると、見かけないが実態です。
私は霊能者とは言えるような者ではありませんが、希に少しだけ霊的な存在が見えることがあります。その私のつたない霊能力の範疇でも豊受姫と豊国姫は別の存在として捉えることが出来るのですが、時にラインとして重なり合って来るのです。それは豊受姫として祭られている神社で豊国姫様を見る時があるからです。

そうした私の疑問が数日前に少しだけ解明しました。それは大本教出口王仁三郎聖師が語られた内容を記したブログからです。その内容は私の記憶の中では大本教霊界物語の中には存在していなかったので、私も解らなかったようです。
それを記したブログの場所を記録に残していなかったので再検索でそのブログにはたどり着けませんでしたが、豊受姫が降臨された場所は綾部の本宮山(現在は大本教の聖地で立ち入り禁止)で、豊受姫が綾部から伊勢に遷座された後に、それに関する文献が峰山の久次の比沼麻奈為神社に移されたことで、その地が豊受姫降臨地と言われるようになった。比治山の磐座に神託を降ろされたのは豊国姫で、磯子山は豊受姫とあったようにうろ覚えをしています。
そこで更に検索していましたところ、別のブログに大本教初期の神霊界に書かれた【比沼真奈井神社の所在地は、太古は綾部の本宮山であった。そして天真奈井川原と云うのは、現今の和知川原の事である。丹波国丹波郡丹波村は現今の綾部の聖地である。中世、丹後国中郡久次村の真奈為が嶽の麓に、神社の旧蹟を移遷したと云う伝説が古来行なわれていったのである。】そうした記述が存在しました。

大本教の出口王仁三郎聖師さんの説が絶対的に正しいのかどうかは難しいのですが、それならば私が豊受様から聞かされた「綾部に帰りたい」の意味は解ります。また豊受姫を祭神としている丹後の神社の中には豊国姫が出て来られる不思議も納得出来る面があります。
ただ、これを突き止めるとなると、イザナミ尊と豊受姫との関係。イザナミ尊と豊国姫との関係。これらを立証しなければならない難しい話になります。

なお、大本教が聖地とする本宮山と言うのは、この土地が平重盛が所領した土地で、その風景があまりにも紀州熊野に似ていたことから、平重盛が紀州熊野を型として本宮とか新宮とか那智山という地名を付けたとされています。

本宮山は明治まで綾部の殿様であった紀州熊野の宇志採羅(ウシトラ)根真を祭る九鬼神道の九鬼家(紀州の熊野本宮別当家でもある)の城内地であり、大本教が跡地を買い取った後、大本教弾圧事件で政府に没収されて、その地に綾部小学校が造られて、私が子供の頃は小学校の裏山である本宮山に行き自由に遊び回っていましたが、綾部小学校の老朽化でその横の土地に移ったことから、土地は大本教に返還されて、大本教がその土地に平成新神殿を造るに当たって本宮山を立ち入り禁止にしてしまいました。
それでは、豊受姫様は綾部の本宮山に帰りたいと言われても帰れないわけです。本宮山を立ち入り禁止にしてしまうと、神もそこに祭られる意味を失います。しかしそれは一介の私が口にすることではなくて、神自身がどうにかされる問題です。

下記の写真は大本教が発祥した綾部で平成に造営された神殿群。その背後の小高い山が本宮山。手前に見えている建物等は戦前は国の蚕業試験場で、現在は近畿中国四国農業研究センターの一拠点。



だが、私が数年前に見せられたある光景はもっと不思議な光景で、何時の時代かは解りかねますが宇宙からある存在が岡山県倉敷市連島(大平山)近辺に降臨して、そこから一気に綾部本宮山に移っているのです。
その存在が如何なる神なのかは解りませんが、倉敷市連島の当たりは水島コンビナートや亀島の地名でも解る様に、近世までは海の中にあった連なった島だったとされています。奈良時代は「都羅之郷」と言われており、連島の大平山にあります篦取神社に行きますと、海神や豊玉姫を祭神としていて、連島が龍宮とかなり関係していると解ります。

大本教では「日之出神(太陽神)」と「龍宮の乙姫」殿の夫婦の揃い踏みと宣伝しましたが、私は大本教の出口王仁三郎聖師の亀岡は、もしかすると亀違いではなかったのかと推察しています。どこまでも私の個人的見解ですが。

問題は、私達人類がほとんど知ることのない太古の神達が、今はどこでどうしているのかなのです。
この太古の神々に関して、豊受姫は「人間が知る問題ではない。神の世界の問題であると言われます」。

神が語られないことは、私達人類が知るは容易なことではありません。
しかし、大本教の神芝居の中に、そうしたことを解き明かしてくれるのではないかと考えるのです。


精神世界

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。
この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。

» この記事へのトラックバックを見る

このブログの人気記事ランキング

JUGEMおすすめブログ

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< May 2025 >>