平成大維新と書きますと、通常は「平成(へいせい)」と考えますが、これは「ヒラナリ(平成)」大維新と呼びます。
明治時代に大本教という宗教が起きた時、その霊界物語の中に磐古大神(国常立尊が悪神とされて地上神界の表舞台から御引退された後、地上神界の主宰神の地位に就かれたとされる中国で創造神と言われている神)から、国祖・国常立尊様に神政の【大政奉還】という内容が出て来ます。
私は鍾馗神のご案内で数千の将軍を引き連れた「磐古大神」という神霊に拝謁した時、何が何だかさっぱり解りませんでした。当時、師匠から豊受様から貴方の元に鍾馗神が貴方の守護に行かれたと連絡を受けていましたので、その鍾馗神による伝(ツテ)だろうとぐらいしか思っていませんでした。
私はこの大政奉還の文章を見て、?、どうして創造神とされる国常立尊を国祖にしてあるのか?。霊界物語でも尊とは「御言」であり言葉であると他では示されています。それを国祖にする必要があるとすれば「日本語」の意味になります。
その国祖・国常立尊の意味は「日本語」と解釈し、磐古大神は「漢字」の意味が第一義であると理解したしだいです。日本語は「漢字」が無いと「感じ」が掴めないからです。その漢字を日本語に「変換」する意味が「返還」であると。
大本教出口王仁三郎聖師は漢字の研究に没頭され、出口なお開祖派の信徒からひら仮名が大切なのに漢字をと攻撃されて、その研究書を焼かれてしまわれて、開祖派の信徒達は何も解っていないと嘆かれたのですが、日本語のひら仮名は「漢字」から創られているわけです。大本教出口なお開祖派の信徒さんはひら仮名の元が解っていなかったわけですが、本質を考えないそうした人々は何時の世にも出ます。
私は人に内在する良心神を大本教神諭予告「九つ花」から見つけたしだいですが、それだけだと単に「ら」神論で終わってしまいます。その「ら」は如何なる漢字から創られたのかが解ると「良」神となるわけです。また、大本教神諭は「花」としていますので真ん中の「芯」は「心」となるわけです。そこに「良心」神が出て来ます。
その九つ花の仕組みに「五六億七千万」の意味があり、みろく(369)となるわけです。そしてお釈迦様の悟りが解るわけです。これらは大本教と言う宗教が起きなければ、何人をしても解読など出来ない仕組みと言えます。普通であれば何も気づかないからです。ですから、今日まで誰も解き明かしていなかったと言えます。
しかし、その大政奉還には言葉の解読の意味だけではなくて、実質的に地上神界において大政奉還がなされて、地上神界に古代の主宰神・国常立尊の元で新しい世が起きてこそが【維新】なのです。しかも死者の維新となるので「羅」王が解らなくてはなりません。羅王とは「閻魔大王」のことですが、これが鬼と云う牛虎で「ウシトラ」金神となります。そして「魂」の核たる「円真」につながるのです。
これら一連の仕組みが表から「退くの艮」とも掛け合わせてあるわけです。言葉は神と共に在ったが解っていないと、言葉の仕組みすら理解出来ないことになります。
されど、霊界物語に神界の「大政奉還」と示されていても、それが何時起きるのか?、何時霊界で起きたのかの内容すら存在していません。これだけでは時期が特定出来ません。
大政奉還とは【王政復古】を意味しており、人民による人民の議会制民主主義とは制度が違うのです。一王ではなくて、唯一神の元で行われる「神政」となるわけです。
その時、これまで世の上に居た者が「神政」に従事するのではなく、世の下に居た者の中で、これはと言う者が登用されて新しい「神政」に従事することで、今日までの「ヒラ」達が新しい世の中核と成るわけです。
大本教神諭では、それをあんな者がこんな者になったと書いているわけでして、大本教の出口王仁三郎聖師はそれを称して、「牛の糞が天下取る」ようなものだと予告されたわけです。意味することは普通に考えていれば不可能に近い出来事です。
個人として見た場合優秀でありながらも社会の下に居た者が上に行くので、一八十度ひっくり返ることから【イ(一)ワ(八)ト(十)】開けとも予告されて来たわけですが、「平」の字を分解しても「一八十」と読めるわけです。
一部では国常立尊は宇宙人だとか悪神だと盛んに宣伝なさっている方もあるようですが、私は大本教霊界物語に触れるまでは、国常立尊の名は記紀神話でその名を知る程度で、そもそも悪神説そのもを聞いたこともありませんでした。
国常立尊悪神説は大本教が世に広めた話であって、そこにあるのは35万年前に御引退の話です。国常立尊は悪神だと声高々に言われる方達は35万年以上も昔の出来事を詳細に知っておられる方なのでしょうか?。
アメリカにおいて眠れる偉大な予言者と言われるエドガー・ケーシーは、一万数千年前には地上には羽根を持った人間達が存在していたと述べています。その当時の霊が今日では天使の様に思われているようですが、それよりも遙か超古代に国常立尊が悪神とされたことにはある経緯が存在するのです。
国常立尊は悪神として追われたとあっても、俗に言う兇悪の神の意味ではないのです。国常立尊は創造神ともされる神ですが厳格な神であったので、何をしても自由式の甘い世界を望む神々によって疎んじられたわけです。その厳しさに地の神界において反乱が生じて、
反乱軍も勝てば官軍。国常立尊の天使団は負ければ賊軍の習いによって、国常立尊派の諸神(天使)達も悪神として追われたわけです。光だとか闇の論理ではなかったわけです。大本教が予告した「立替」説の中には、国常立尊が神界の表舞台から退かれた後、主君を失って地に墜ちて今はどうしているのかさえ解らない天使達の魂を元の神の世界に復帰させるもあるのです。
大本教霊界物語では、主の神は【三五万年前】に御引退となっておりまして、私達人類が知ることもない超古代の話をしているわけで、縄文時代とか弥生時代の話ではないわけです。考古学で言うと、そんな時代に文明など存在しないとなります。そうしたことから次元が違っているとも言われていますが、元々神代の話は次元が違う世界の話なので、いくら物質界を考古学で調べても解らないわけです。
ただ、私達はこの世の肉体の命を終えれば霊界にと帰るわけでして、その霊界を舞台にして起きたわけです。何故、それが現界時間にして35万年前と言えるのかと言いますと、九つ花の仕組みとこの地球が動いている時間との関係でそれは解るのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は近代日本が産んだ最高の予言者であったことは、出口王仁三郎聖師の数々の予言の的中率からも解ります。しかし、その出口王仁三郎聖師は今は無く、そうした当たる予言が出来る霊能者はそれ以後出て来ていません。では、出口王仁三郎聖師の背後に在って、当時出口王仁三郎聖師にそれらを予言させた神達は今は存在していないのかとなります。
神が消えるなどはあり得ないでしょうが、その神に使われる肉体の者が居ないが正解かも解りません。
稲荷祝詞を見ますと、天地開けてこのかた、国常立尊と拝し祭れば、豊受の神の流れとなっています。稲荷の総本山は京都の「伏見」にあります。そして、大本教神諭には、薩張(さっぱり)で片付けるとあります。この「薩張」は明治維新の薩長連合の意味合いで、鳥羽伏見で王政復古の戦端を開きました。大本教神諭は明治25年以後のものですが、それに薩長連合が組み込んであることは、同様の型が起きる意味合いになります。
しかし、現代において薩長連合たる薩摩藩と長州藩が存在するわけではありません。だとすれば、薩摩藩が何を意味し、長州藩が何を意味するかです。薩摩の紋は〇十で、大本教霊界物語では「みろくの神の御紋章」ですが「地球記号」でもあるのです。そして長州藩の紋所は一文字に三つ星ですが、この三つ星は「将軍星」のオリオン星です。出口王仁三郎聖師の魂はオリオン星だと言われていますが、この薩長連合はもっと大きな意味合いを持っていると伺えるわけです。
大本教出口王仁三郎聖師は常に「型」を説かれています。その型を見つけると解り易いということなのです。問題はいつ「大政奉還」による「王政復古」が霊界に発布されたか?、されるかです。今、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映されていますが、その中で小泉孝太郎さんが徳川慶喜を演じておられます。過去にも本木雅弘さんが演じた徳川慶喜がありますが、西暦1999年以前なので「型」見本にはなっていないと思われます。
つい、先日私の夢の中に衣冠束帯の宮中姿の小泉孝太郎さんが出て来て、徳川慶喜として朝廷に大政奉還をされる場面が出て来たのはいいのですが、私のこれまでの解釈には長州とオリオン星座とが結びついていませんでした。

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