人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

魂は不滅では無くて、腐りも潰れるも捻れるもある

よく、【魂は不滅だ!】そうしたことが言われています。本当にそうなのでしょうか?。
現実には魂は腐ったり、潰れたり、捻れたりで「輪廻転生」の道から外れて破砕されている魂が見受けられます。

そうした証拠として解り易いのが悪魔的な現世御利益すら叶えてくれるとされる【ダキニ天】信仰の話です。ダキニ天は毘盧遮那仏から腐った魂だけを食べたらどうかと言われて、腐った魂を食すると言われています。私ならば、腐った魂など美味しくもないだろうと思うのですが。
その反面、ダキニ天信仰であっても死ぬ半年前に正しい信仰に戻れば、その魂はまずいのでダキニ天はその魂を食さないと言われています。
私は最初の師匠にダキニ天とは何ですかと尋ねたところ、いずれ解る時が来ると言って教えて貰えませんでした。その師匠にもう聞くことが出来なくなった時、たまたま師匠の御祭神であった豊受様が出て来られたので、ダキニ天とは何ですかと聞いたら、こんな顔のことじゃと言われてビックリしたことがあります。だが、それで「魂」とは何ぞやが理解も出来たわけです。
つまり、正しい信仰をしている者は救われるが、正しく無い信仰をしている者は救われないの意味につながるのです。表を見て語るのと裏を知って語るのでは話も180度変わってきます。

スピの多くの方達は何かにつけて神は愛で何をしても許されるの一点張りですが、慈悲で説かれる仏でもある毘盧遮那仏が、腐った魂の者達を助けるのではなくて、その魂を食べてもいいですよと言っておられることになります。すると、神は愛だから何をしても許されるという論理は破綻していることになります。
実際に魂を腐らせたり潰したりねじ曲げてしまえば、神の愛で許されて来世も人として出るなどは絵に描いた餅を説いているようなものなのです。

では、いったいどの程度の割合の方が魂を腐らせたり潰したりで、次ぎに人としての来世を貰っていないのかとなりますと、これは定かではありません。
どこまでも自称の方ですが、自分はミカエルの友達で霊界に帰れば次期天使長でサイキッカーで、今の世では人として出て光の剣で魔界を倒していると言う方の説では、来世にも生きられる魂は20数%だと言っておられましたが、こうした精神世界、誰が本当の説を言っているのかさっぱり解らない世界でもあるのです。
いくらなんでも70%以上の方の魂が腐ったり潰れたり捻れたりで破砕されているとは思えません。
だが、スピ系の方でも魂が腐ったり潰れて破砕されていることを解っておられる方もあるということです。同じスピ系でも魂のことがまるで解っていない方は、神の愛で何をしても許されるのだと魂を腐らせたり潰れたり捻れたりで破砕される方向に教えをもって行かれるわけです。

私は2番目の師匠の元に居る時、お前の魂には傷がある。修復してやろう。これがお前の魂だからよく見なさいとその手に載る玉を見たことがあります。とても美しい瑠璃玉でしたが、魂にはくっきりと傷跡がありました。その傷跡を見た時、私のカルマとして残ってる傷跡であることが解りました。
私は子供の頃からある光景を見ると、とても脅えていました。2番目の師匠にその話をすると、それは私が過去世で神界の戦いでユダヤの悪鬼に殺されている。その時の魂の傷跡だと言っていましたが、確かに私の遠い記憶の中にはそうしたものが存在しています。
後日、出雲大社教の先生の所に伺いましたところ、あなたはとても美しい瑠璃玉の様な魂を持っておられますねと指摘を受けました。魂が見える方には見えるということなのです。
私が「魂論」から離れずに説いているのは、魂を離れて説いてもさほど意味がないからなのです。

一方、捻れたり潰れた魂は破砕されて、粉のようになって宙を舞っているわけです。聖地霊場などではそうした破砕された魂が粉のようになった物が存在して来ます。最初、それが解らない時はキラキラした粉が舞っている光景に自分の目が異常を起こしたのではないかと思われたほどなのです。
優れた霊能者の方からその存在が何かと教えられて、そうだったのかと知ったことでもあります。そうした粉砕された魂の欠片は二度と人間界に出ることはなく、蚊とかミジンコのような命になると説く方もあります。
だが、ブログのランキングではそうしたことを知らないような方が、自分を豪語するようなことはかり書いて人気を得ていられます。優秀な霊能者の方は困っている相談者の応対に忙しくて、そうしたブログを書いている暇もないでしょうから、実態を知らない甘い話ばかりが横行しています。

私は腐った魂や破砕されたカスの様な魂の残骸の他に、魂に点数が出るという不思議な事柄に遭遇しました。でも自分一人だけが見たでは話にならないと思っていましたが、他にも魂に点数が出るのを見たという方もありまして、そうした見え方もあるのかなと思ってはいるのです。
霊界は通常七層と言われています。天国三層に地獄三層。それに中有界です。スエーデンボルグの霊界記が主体なのでしょうが、大本教の出口王仁三郎聖師は、さらにその上の天国界があると述べておられます。私が見る限り、魂に出る点数は自分が死後に渡る霊界の階層点になっているのではないかと考えられます。
天国四層に地獄が三層。中有界そのものも緩い三層で合計十層に対比する点数が出ているのではないかが私個人の独断説です。別に私は神様に聞いて述べているわけではありません。ただ、仕組みを見て言っているのです。
本当に人間的にも人柄的にも申し分ない方の魂には高い数字が出て来て、その点数を私独自の霊階層の点数に当てると、第2天国界に渡る方だと納得することもあります。

大本教の出口王仁三郎師はみろくの世に入る「水晶魂」を説かれました。何故、そのような玉が説かれたのでしょうか?。
今の私達が持っている魂は永遠性がなく、魂を腐らせたり潰せばその時点で終わってしまいます。つまり、そうした魂には「来世」が生じないのです。
みろくの世とは「永遠性」の世界です。その世界に入るには魂が腐らない。潰れないことが必須要件となります。水晶であれは、魂は腐らないし、よほどのことでも潰れないからです。汚れたら拭けばいいわけです。
ある神通力者さんは、水晶玉など重くて持てないと言われましたが、現実界の水晶玉の重さと同じだと物質界の観念で考えるからです。私が持っている瑠璃玉の様な色の魂を見られた方は、表面が透明ガラスの様に見えると言われていましたが、魂が磨かれていることから表面が透明ガラスの様に見えているのです。
魂とは「玉思惟」なのですが、「自己の意志」であり、石の様な「宝玉」の様にも見えるものなのです。

その魂を腐らせる。捻れる。潰れるは「悪行」とは別なのです。いくら悪行を積んでいる人でも、その魂は汚れから黒く見えていても魂が腐ったり捻れたり潰れたりではないのです。汚れの黒い玉でも丸い玉の方も居られます。
そうした一人は性格は実に温和なのですが、している行為が悪的な汚れを出しておられるのです。ですから、そうした事実を知らない人は、その人を善人だと言われます。だが、魂には隠せないわけです。
神は別に罰しておられないので、邪神と呼ばれる存在も魂を腐らせたり捻れさせたり潰していなければ、存在して来るのです。
魂の汚れからくるものは、悔い改めて魂を洗えば綺麗になるのです。私は若い時に修行不足から龍神浄化に失敗しましたが、その後は神霊浄化もして来ました。すると、立派な神様達に戻られるのです。悪神でも元に戻れるのです。
その浄化がどれほど苦しいものか?。浄化能力を持った霊媒質の方ならば解るでしょう。

何が魂を腐らせるのか?。それが大本教が説いた「我れよし」にあるのです。悪も許せというのは、どんな悪党も悪を犯すのは魂の汚れからであり、魂の洗濯をすれば元に戻れるからです。それは神は愛で何もかも許して下さると言う論理ではないのです。
だが、魂を腐らせたり潰してしまえば、自力では元には戻れないのです。魂を授けることが出来るのは「鬼が云う」のウシトラ(牛虎)であり、来世門をくぐって行く死者の維新の羅城の主である閻魔大王と言うことになるのです。
甘いことを囁かれて落ちて行く魂。それに対して、魂を落とさせない為に厳しく云うのが「鬼」なのです。言葉をよく見れば解るでしょう。

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