人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

始発駅は終着駅

始発駅は終着駅と言えば、意味が解っていただけるでしょうか?。

スピ系の方達の多くは、一人一人が創造神で、何でも自由に創れるのです。自分が好きなことをしていいのですよと説かれます。そして、この宇宙は一人一人が創造神でその総意で成り立っているのですと。
それは、すなわち【創造神】と呼ばれる神等存在していないという創造神否定論になります。
そうした時、スピ系の多くの方達は本気で創造神など宗教が創った架空の存在だと思っておられるようです。

本当に私達一人一人が創造神なのでしょうか?。
で、太陽も地球も月も創れるのでしょうか?。

確かに、一部の霊界見聞ですが地球に関わっている神霊世界に在籍しておられる神々の言われることを聞いていましても、神々ですら「創造神」などの存在を知らないと言われる神々が居られます。そうなりますと、創造神など存在していないという意見は現実的な意見ではあるでしょう。
では、スピ系の多くの方達が言われる一人一人が創造神なのですかとお尋ねしたら、どなたも自分は太陽も月も地球も創れるなどと豪語されるような御神霊は一柱も存在しないでしょう。
なのに、スピ系の多くの方達は、一人一人が創造神で何でも創れるのですと言われる根拠は無茶苦茶な論理だと解ります。

日本では日本書紀では最初に現れた神を「国常立尊」とします。古事記では「天之御中主」とします。日本書紀を採るか古事記を採るかで、その立ち位置は変わりますが、大本教霊界物語では大国常立尊が天地を分けられて、天の主宰神として自分の半分を天之御中主として、自分は地の神界の主宰神に降りられたとします。
つまり天で「天之御中主」。地で「国常立尊」と名は変わるけれども同一の神ですよという意味です。

稲荷神界と言いますと、日本独特の信仰ですが、この稲荷大神秘文にはあることが書かれています。
【夫神(それかみ)は唯一にして、御形(みかた)なし。虚(きょ)にして、霊あり。天地(あめつち)開闢(ひらけて)このかた、国常立尊(くにとこたちのみこと)を拝(はい)し奉(まつ)れば、天(あめ)に次玉(つくたま)。地(つち)に次玉(つくたま)。人に次玉(やどるたま)】と説いています。
これはいったい何を言っているのかと言いますと、神はたった一柱の唯一で、天地を開かれて国常立尊と拝して奉ることで天の玉、地の玉が出来て、そして人にも玉(魂)として宿られましたという意味なのです。
私達一人一人の魂の中には、その「国常立尊」が宿っていますと言ってはいるのですが、それを持って一人一人が創造神だ!。何でも自由に創れるのだ!。そんな論理ではないのです。

それは、大本教と言う宗教が起きた時、ウトシラ金神国常立尊の名が出て来ました。このウシトラは【艮】の漢字を使いますが、意味することは【根元】神なのです。根の漢字には「艮」があるでしょう。そして、この神は私達人類の上には臨んではおられないのです。それは【退くの退】の漢字は、艮の道だからです。これを大本教は退いている神として説いたのです。
大本教神諭には、艮だけではなくて【牛虎】もあると書きました。この牛虎とは牛頭の虎パンツを【鬼】と言います。この意味が大本教の出口王仁三郎聖師に喜三郎ではなくて「鬼」三郎と名乗れと言われた意味なのです。
そうしないと皆さんの魂に宿る「国常立尊」が解らなくなるからです。私は何度も何度もイヤと言うほど書きましたが魂は【鬼が云う】だからです。それは魂の真ん中の核としてありますので〇の中に核を入れて、円の中の真である【円真】からエンマに漢字を振りまして「閻魔大王」とも言うわけです。
大本教神諭、この世の閻魔大王として現れる。私達の魂の中のエンマは、【良】心神と言うのです。「良」の字は艮の字の頂部に角が生えていますか?。
何をしてもいいのです。そんな論理で進んだら、行く先はエンマの捌きに遭ってしまうのです。

聖書には始めにして終わりの神とあります。それは始発の神であり、終着の神でもあるのです。それは【元】に帰ることなのです。
国常立尊様が宇宙の元に帰られる時を【完】と言います。大本教霊界物語では「臣が君となり、君が臣となる。」があります。これは国常立尊様が臣から君となられ、天之御中主様が君から臣となられる。すなわち「天地のひっくり返し」と言います。

一人一人が創造神で何でも出来るのですと言われて、本気で居るとすればよほどおめでたい人です。
聖書には、始めに言葉は神と共にあったとあります。言葉は仕組みの上に仕組んであります。それを私達に知らせてくれたのは大本教と言う宗教です。ウシトラ金神国常立尊。その言葉だけでも私達にいろんなことを教えてくれているのです。

大本教神諭に「根元を枯らして何とする」がありますが、今は枝葉で繁っている霊達が主などは存在しないと言っているのであって、根元を見ていないのです。ですから、枝葉の霊が一人が一人が創造神なのですと、わけがわからぬ論理が蔓延ってしまうのです。

このブログの前の方で出した絵ですが、絵を見て考えてください。創造神など存在しないと言っているのは枝葉の神達なのです。





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